第83話 月と月

 栄原港は、評判通りの寂しい港だった。


 夜闇が海面を黒一色に染め上げ、他のあらゆる色を殺している。

 ぽつんと突き出した波止場に人影はなく、停泊している船もなし。

 どんなに耳をすませても、波がテトラポッドを撫でる音が聞こえるだけ。


 不気味さと紙一重の静寂。

 

 神官長の姿は、見当たらない。

 

「ちょっと早く着きすぎたんじゃないの? あの人まだ来てないのかもよ」


 リオは両手をこすり合わせながら言った。

 

「寒そうだな」

「うん。もっと着込んでくればよかった」


 俺とリオは、二人揃ってジャージの上からコートという格好だった。

 動きやすさを考慮した結果、このような形で落ち着いたのだ。


「なるべく早く終わらせるよ。帰りになんか温かいものでも買おう」

「ん」


 リオは白い息を吐いて、こくこくと頷く。

 大人びた風貌にそぐわない、童女のような仕草だった。


 そういえばエルザにもこんなところがあったな、と思い出す。

 どんなに淑女ぶっても、ふとした瞬間にあどけない一面が垣間見える。

 それはあいつが何歳になっても変わらなかった。


 懐かしいな……と目を細めていると、雲の切れ間から月明かりが差した。

 

 これで少しは視界がよくなるかな、なんて呑気なことを考えていると、月光はみるみる光度を増していった。

 光は雲を振り払い、あたり一面を照らし上げる。


「……月が二つ?」


 眩しそうに目をしかめながら、リオは言った。


 夜空に輝く、二つの黄色い真円。

 

 確かに、満月が並んでいるように見えるかもしれない。

 だが片方は、今この瞬間も膨れ上がり続けている。

 月が質量を急速に増すなんて現象はありえない。あれは天体なんかじゃない。

 

 ディバインスフィア。


 神官職が習得可能な中では、最大の火力を誇るとされている魔法である。

 高純度の魔力で編まれた、光と熱の球。

 やれ具現化された信仰だの神の恩寵だの言われているが、その実体は「巨大なエネルギー弾」でしかない。


 破壊と殺戮を目的として唱えた呪文でも、術者が神職であれば聖なる力として崇められる。

 そんな、異世界の歪みの象徴たる光球が、眼前に出現していた。


 使い手は無論、神官長フィリアだ。

 

 かなりの高度を飛んでいるため見え辛いが、光球の下に小さな人影が確認出来る。

 翼の生えた馬に跨り、右手を掲げた女性。

 ディバインスフィアは手のひらから生成して放つため、自然と物を持ち上げるような体勢になるのである。


「……あの直径なら、飲み込むのは無理だしな」


 夕方の戦闘で光弾を防がれたあいつが、熟慮した末に出した結論がこれらしい。

 要はもっと威力を上げてぶつけるという、それだけの話。

 単純で結構だが、あの魔法がどれだけの犠牲者を出すかは考えなかったのだろうか?

 

 いや、だからこそこうして、人気のない場所を選んだのだろう。

 あいつにもまだ、良心が残っていると信じたい。


 俺は静かに右手を上げ、魔力を込めた。精神を集中し、迎撃に向けた準備を開始する。

 

【勇者ケイスケはディバインスフィアを詠唱】

【MPを25%消費します】


 神官と勇者は、覚える魔法にかなりの被りがある。

 なんせ神官に剣技を足して、物理方面のステータスを強化すれば勇者になると囁かれるくらいだ。


 俺のてのひらから、ボウッと音を立てて光の球が発生する。


「お前の眼球じゃ失明しかねないから、後ろを向いて目を閉じてろ」


 リオに注意を促す。

 言われた通りに動いてくれたのを確認すると、俺はさらなる魔力を光球に注ぎ込んだ。

 空と地上。

 二箇所で輝く贋作の月は、互いに一歩も引くことなく輝きを増し続けている。


 世界は閃光に包まれ、純白の空間へと変貌していく。


 ――先に腕を振り抜いたのは、神官長だった。


 ディバインスフィアがこちらへ目がけて、射出される。

 主観的にはもはや、月が落ちてくるようなものだ。

 莫大な魔力の球体が、パチパチとスパークをまといながら接近してくる。


 全てを灼き尽くし、飲み込まんとして降りてくる。


 だが迎え撃つのもまた、恒星のごとき光を放つ熱源体だ。

 

「行け……っ!」


 俺は照準を合わせ、右手の光球を撃ち出した。

 急作りではあるが、初速も大きさもあちらに負けてはいない。

 むしろ速さではこちらの方が上回っているほどだ。


 長い尾を引いて、彗星の如く直進する魔力球。神官長の放ったそれへと、果敢な突進を敢行する。

 永遠にも感じる一秒。瞬く間に距離を詰める球体を、俺の目はスローモーションで捉える。


 ぶつかる。

 ぶつかる。

 ぶつかる……!


 ――そして、二つの球体が接触した。

 

 瞬間、炸裂する光。

 轟音が鳴り響き、波が荒れ狂う。

 魔力の衝突が引き起こす爆発が、周囲の全てを揺るがす。


 あれに巻き込ままれば、ひとたまりもないだろう。

 だが俺と神官長の中間地点で破裂したため、互いにダメージはない。

 外傷は、ない。


 しかしそれでも、この打ち合いが与えた影響は大きい。

 俺は上空でふらふらと揺れる人影を見つめる。

 神官長はさきほどの攻撃で、相当の魔力を持っていかれたらしい。

 この距離からでもわかるほど、激しく疲弊している。

 天馬に乗るというより、もたれかかっているといった有様。


 対する俺は、まだまだMPに余裕がある。


 単に相手を消耗させただけでも、大いに意味のある撃ち合いだった。

 向こうからすれば切り札だったであろう大技を、軽くしのいで見せたのである。

 あちらの精神的な動揺は計り知れない。


 つまり。

 ここから先は、一方的な虐殺なのだった。


 出会った当初は、俺の方から憧れて。

 今はあちらが一方的に俺を求めていて。

 互いを好きだった時期がズレているだけの、最後まで噛み合わなかった女を、なぶり殺さねばならないのだ。


「でもお前はもう、生きてちゃ駄目な人間だもんな、フィリア」


 俺はリオの腕を取ると、そっと立ち上がらせた。

 気は進まないが、この少女の協力も要る。

 俺は何も、神官長の言葉に従ってこんなところまで連れてきたわけではない。

 俺にとっても有用だから同行させたのだ。


 きっと俺は、リオのおかげで完全な勝利を得る。

 完膚なきまでにあの女を破壊し、望みを果たすだろう。

 それを済ませた瞬間、ようやく俺の青年時代は終わるのかもしれなかった。


 過去からやってきた初恋の象徴を、この手で消滅させることで。

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