第13話 そんな目で見るな

 ウィンドウを閉じるのも忘れて、俺は硬直する。

 

【まだ本人に自覚はないが、中元圭介を異性として意識している】


 待て。おかしいだろ。

 だって俺は今のところ、リオに何も気の利いたことをしていない。

 目の前で兄貴を返り討ちにして応急処置して、スタスタ立ち去っただけだ。


 でもそれがクールで強そうで素敵ってやつなのか?

 荒れた家庭環境で継父の脅威に怯えていた身からすると、理想のパパに見えたりしたのか?


【まだ本人に自覚はないが、中元圭介を異性として意識している】


 何度ウィンドウを閉じようとしても、自然と手が止まってしまう。

 その一文から目が離せない。


 俺が、異性として意識されている。本人は無自覚らしいが、それでも好意は好意。

 俺だって男だ。

 アイドル並の容姿をした女子高生からこんな思いを抱かれて、悪い気はしない。

 ましてやリオは、エルザに瓜二つなのだ。


「……助けてくれないかな。やっぱりまだ、あたし達に怒ってる? どうすればいいの? ……あたしなんでもするから」


 リオは弱りきった表情で、俺の目を見つめてくる。涙に濡れた、真っ黒な瞳。睫毛が長い。

 乱れた髪が一房、口の中に入っている。妙な色気があった。

 どこかいけない雰囲気さえ漂っている。


 やばいだろ。何考えてんだ俺は。

 相手は俺の、半分くらいの歳だってのに。

 なのに男として見られてると思うと、なんだか急に可愛く思えてきたぞ?


 さっきまで「俺をいいように利用する気だな。おっさんが皆女子高生好きだと思うんじゃねえよ」とか思ってた癖に。


 俺は慌ててリオから目をそらすと、平静を装って言った。


「タダじゃ無理だな」


 見返りなんて要らないさ、とかやったら俺の方もこの子に惹かれ始めたみたいだし。

 これは報酬目当てなんだ、と自分に言い聞かせる材料が、欲しくて欲しくてしかたない俺だった。


「お金払えばいいの?」


 眉根を寄せるリオに、なるべくさりげなく聞こえるようにして告げる。


「そうじゃない。他にも誠意を伝える手段ってあるだろ」


 俺が考えている誠意を伝える手段とは、こうだ。


 ――この子にアンジェリカの下着買って貰えばいいんじゃないか? 


 である。

 俺じゃこっ恥ずかしいし、素材やらサイズやらもさっぱりわからない。

 どんな基準で選べばいいのかさっぱりだ。

 しかしリオは、今をときめく女子高生。

 アンジェリカの体格を伝えたら、まず悪くないものを買ってきてくれるのではないか。


 俺がそのアイディアを伝えようとすると、リオは己の体を抱き、身を守るようなポーズになった。

「誠意……」と言いながら、迷うような仕草を見せている。


「……体で払えってこと? そしたらレオを取り返してくれるの? ……あたし、だ、男性経験ないから、下手くそだと思うけど。それでもいい?」

「違う!」


 羞恥に頬を染める条例違反少女に、全力で否定の言葉をぶつける。

 女子高生の頭の中ってのは、どうなってんだよ。

 大人の男に何か要求されたら、真っ先に性的なものだと思い込むのはかんべんしてくれ。

 胸が痛むから。

 

 それだけこいつらを買おうとする大人が多いってことなんだろうが、嫌になるな。

 2000年から何も進歩しちゃいない。


「俺が求めてるのはお前の体なんかじゃない。ったく。下着だよ下着。女物の下着が今すぐ必要なんだ」

「ん……わかった」

「ちょっ、脱ぐな! 脱ぐなー! お前のが欲しいって意味じゃなくて! 買ってきて欲しいの! 新品を!」


 中腰になって白い布を膝まで下げていたリオは、ぴたりと動きを止めた。

 

「今俺の家にな、あー。遠い親戚の女の子が泊まりに来てるんだ。でも換えの下着を持ってきてなくて、なんとか用意してやらなきゃならん」

「……その子に買わせればいいじゃん」

「外国人なんだよ。しかも中世じみた暮らしぶりの途上国出身で、来日二日目だ。一人で買い物できると思うか?」


 リオはパンツをぐいっと引き上げ、位置を微調整しながら「アフリカあたりの人?」と聞いてきた。


「まあ、そんなもん。だから俺が今日買って帰るつもりだったんだけど、そのな? 恥ずかしいだろ、こういうの。おっさんが女物の下着をレジに持ってったら、どう思われるよ?」

「彼女や奥さんに頼まれたって思われるだけじゃない?」

「……俺、女がいるような男に見える?」

「見えないね」


 ばっさり切り捨てられた。そこはフォローしてくれないんだな。


「そういう事情で、君には下着を買ってきて欲しい。金なら渡す。その代わり俺はおっかねえヤクザどもをバタバタなぎ倒して、お兄さんを奪還する。これでいいな?」


 そんなんでいいの? とリオは不審そうな顔をしている。


「なんか急に優しくなってない?」

「いや。ちっとも」


 すっとぼけながら、指をポキポキと鳴らす。屈伸もして、準備運動に入る。


「キングレオが運ばれた事務所って、どこにあるんだ? 俺は戦うのは得意だけど、探すのは苦手なんだよ。何か手がかりがあれば教えてくれ」

「あるよ、わかりやすい手がかり」


 リオはポケットを探ると、一枚の名刺を出してきた。


「権藤のやつ、これ家に何枚も置いてるから」


 受け取って、目を通す。

 さすがに指定暴力団◯◯組なんてことは書いてないが、個人情報はみっちりと記載されている。


『有限会社 権藤建設 代表取締役 権藤崇ごんどうたかし


 これがこの男の、表向きの身分なのだろう。ヤクザのフロント企業と呼ばれるものだ。

 住所も電話番号もしっかりと表記されていて、犯罪者の癖に隠れる気が全くない。


「結構遠いな。ここから二十キロくらい先じゃないか」

「バス使う? ってかおじさんが車持ってるなら、出してくれると嬉しいんだけど」


 俺の愛車はママチャリだよ、悪かったな。

 マイカーも持ち家もない三十代なのだ。

 不意打ちでそれを自覚させられ、一瞬で気分が沈む。


「……徒歩で行く」

「ないんだ、車」

「全力で走る。つーか飛ぶ。これならすぐだ」

「バス使わないの?」


 交通費すらもったいない、という切ない懐事情を口にしない見栄は俺にもある。


「俺、垂直跳びで数十メートルくらい届くから。その辺の建物の屋上を飛び移ってけばすぐだろ」


 唖然とするリオを尻目に、跳躍の体勢になる。

 人目につかないよう、隠蔽ハイディングの魔法を体にかけるのも忘れずに。

 お茶の間に人間ロケットが映し出されるなんて、好みじゃないからな。


 俺があれこれと身支度をしていると、絶句していたはずのリオが話しかけてきた。

 

「あたしも連れてって」


 無理だ、危険すぎる。何を考えているのか。

 俺のことを好いているかもしれない女の子を、危ない目に遭わせてたまるか。


「遊びじゃないんだぞ」


 冷たく突き放したつもりなのに、リオはひるむことなく食い下がってくる。


「レオに早く会いたいし。連れてってよ。それに」

「それに?」

「おじさんに興味ある」


 どんな意味で? 少しだけ心拍数が上がる。


「なんでそんなに強いの? どうやってヤクザに勝つの? 何者なの? 色々全部、気になるもん。もっと知りたいし、近くで見たい。……駄目?」


 ――勇者様はどうしてそんなに強いの? どこから来たの? どうして奴隷の私を助けてくれたの? 私、あなたがもっと知りたい。


 俺は初めてエルザと出会った時に、質問攻めに会ったのを思い出していた。

 胸を締め付けられるような、悲しくて懐かしくて、それでいて甘ったるい記憶が蘇ってくる。

 

 気が付くと、俺の口は意思とは関係なく動いていた。


「ついてくるのは自由だが、しっかり掴まれよ」


 エルザに言ったのと、全く同じセリフが出てくる。

 何か見えない力に、突き動かされているかのようだった。


「いいの? やった」


 喜びを露わにするリオを見ているうちに、正気に返る。

 何やってるんだ俺は。

 この子はエルザじゃない。

 日本で産まれ育った、ただのよく似た他人だ。

 

 ……女々しいな、俺は。

 だが、言ってしまったものはしょうがない。

 大きく息を吐くと、リオに注意を促す。


「君にも身体能力が上がる魔法を付与しておくから、風圧に耐えられるとは思う。でも苦しくなったら言えよ」


 それと、隠蔽ハイディングもかけておくか。

 これでリオも透明人間仲間だ。


 俺は魔法を唱え終えると、リオの肩と膝裏に手を回し、抱き上げた。

 俗に言うお姫様抱っこだが、これを選んだ理由は非常に情けないものだ。

 おんぶだと背中に柔らかいものが当たるので、心臓に悪いと判断したのである。


「ね、おじさん」

「なんだ?」

「名前教えてよ」


 そういえばまだ自己紹介も済ませていなかったのだ、俺達は。

 その程度の仲。これっきりの付き合いだろう。


「中元。中元圭介」

「ふうん。中元さんか」


 名前は普通なんだね、とどうでもいい感想が飛んでくる。


「あたしは斎藤理緒。下の名前はレオに呼ばれてたから、知ってると思うけど。……ん。そうだ。中元さん、レオの名前最初から知ってたよね。あれなんで?」

「まだ隠し種があるってことだ」


 ステータスオープンなんて、召喚勇者なら誰にでも与えられる技能だけどな。

 俺は不思議がるリオを抱えて、飛び上がった。

 ごう、と風を切る音を聞きながら、デパートの屋上へと着地する。

 衝撃を足腰で吸収し、すぐさま次の建物に向かって飛ぶ。

 

 リオの体重は、見た目通り軽い。

 ちょうど、エルザと同じくらいだった。

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