第六章 JCJK日替わりバイキング
第180話 医療用アンジェリカ
朝の陽ざしを浴びながら、俺は居間のテレビを点けた。
ニュース番組にチャンネルを合わせ、画面左上の数字に目をやる。
42:80
四十二時八十分。本来であればありえない時刻だ。
今日も世界は、順調に狂っている。
なんでも東京の予想最高気温は6000度で、降水確率は9000%だそうだ。それじゃ水浸しの太陽だ。
画面の中では、お天気お姉さんが不思議そうな顔をしている。
『またおかしくなってますね』
その言い方には、どこか諦めたような響きがあった。
仕方あるまい。
なにせここ数日、ずっとこうなのだ。
四日前――三月二十五日までは普通に表示されていたのだが、次の日から三十六月九十二日となってしまった。
テレビやパソコン、スマホに腕時計。ありとあらゆるデジタル機器が、数字を正しく表示しなくなったのだ。
今日は正しくは三月二十九日で、今は午前六時十一分なのだが、それをきちんと差し示しているのはアナログ式の機械のみだ。
なぜ、急にデジタル機器が狂い出したのか?
理由はさっぱりわからないが、今回も異世界関係者が関わってるのは明白だ。
だって俺は、生身の人間でありながらこの怪事件で狂わされた、ただ一人の被害者なのだから。
俺を狙い撃ちしているのだから。
俺は鏡の前に立ち、自分に向かって話しかける。
「ステータス・オープン」
【名 前】
【レベル】88
【クラス】犬
【H P】3
【M P】25555555555555
【攻 撃】12
【防 御】00761
【敏 捷】87212
【魔 攻】0
【魔 防】0090
【スキル】勇者 中元圭介
【備 考】しゃにふぇgrf3うえいjかんdじゅ
「……ひっでーなあこれ」
やはり駄目か。
深くため息をついて、ウィンドウを閉じる。
こんな風になったのは、四日前からだ。
デジタル世界が狂気に侵されたその日、俺のステータス鑑定までバグってしまったのである。
何を鑑定しても、正しい内容が表示されない。
身体能力や魔法の威力はそのままなので、単にステータス欄が変になっているだけらしい。
地味な嫌がらせだ。
実際に本人を弱らせるわけではなく、数字の上でのみ弱体化させる。……MPに至っては、本来の俺より上がっている。こんなことをして、何のつもりなのだろう?
さりげなくクラス表記を勇者から犬にされているのがムカつくので、精神的なダメージ狙いだったりするんだろうか?
俺は寝室に向かい、ベッドの上でうつ伏せに突っ伏すフィリアに近付く。悩ましげなネグリジェ姿で、しかも形のいい尻を強調するかのような姿勢だが、妙な気を起こしている場合ではない。
俺はフィリアの耳元に口を寄せ、小声で囁く。
「おい、今正気か?」
「……正気ではありません。もう少し寝かせて下さい」
「正気なんじゃねえか。なあ、こうやってステータス鑑定を狂わせる輩に心当りはないのか?」
「ないですね」
「……お前も知らないのか」
「ですが狙いはわかります」
「なんだと?」
「勇者殿のステータス鑑定を狂わせれば、楽に潜伏できるようになるでしょう」
「そんなのとっくにわかってる。そうじゃなくて。一体誰が、どういう手段でやってるかが知りたい」
「……私はまた寝ます」
「とぼけるのか?」
「違います。本当にわからないので、答えようがないのです。私だって口惜しいのです。『そんなことも知らないのですか?』と上に立ちたい気持ちと、勇者殿に的確な助言を与えてあの小娘達を出し抜きたい気持ちでいっぱいなんですよ。なのに全然役に立てない私の気持ちを考えてみて下さい」
「性格に難あるなこの女、としか思わんわ。お前の頭の中はマウントと性欲しかないのか?」
「ないですね」
言い切った。とんでもない女神官もいたものである。
「私は勇者殿に凄いと思われることと、愛されることにしか興味ないです」
「……ああそうかい」
対抗心も恋愛感情も、全部矢印が俺に向いてるんだよな、こいつ。矢印の形状はトゲだらけで、色が膿みたいな紫って感じだけど。
……歪んだ形とはいえ、俺のことを好いているのは間違いない。
そういった面を見せつけられると、どうも強く出れないのだった。
「もういい、寝てろ」
俺は寝室を出て、リビングへと引き返す。
すると綾子ちゃんがエプロンをかけながら、慌ただしく横を駆け抜けて行った。
「……おはようございます!」
パタパタとスリッパの音を響かせ、キッチンに向かう背中を眺める。クリーム色のセーターに、きゅっと腰を絞ったブルーのスカート。部屋着にしてはお洒落なコーディネートだが、いつもならしっかりと浮いているはずのブラのラインが見えない。
どうやら、ノーブラのまま台所に直行したようだ。
綾子ちゃんがここまで焦るのには、理由がある。
同居人の人数が増えたので、ご飯支度に時間がかかるようになってしまったのだ。
もはや大家族のお母さん状態なのだ。
俺は見かねて、何か手伝えることはあるかな? と声をかけてみる。
が、「中元さんは身支度を済ませちゃって下さい!」と忙しそうに返されるだけだった。
邪魔しない方がいいのかもしれない。
言われた通り、自分の方を何とかするか。俺は髭を剃るべく、洗面所へと向かった。
今日も俺は仕事だから、身なりは整えなければならない。
トチ狂ったデジタル機器と壊れたスタジオの合わせ技で、しばらくは撮影中止だろうと思ってたのに、全然仕事量が減らないのだ。
スミレテレビの皆さんは、俺と共演者の女の子達に徹底取材し、テロ被害時のドキュメンタリー番組を作るつもりでいるらしい。
本当、転んでもただでは起きないというか。
このしぶとさ、アンデッド並だよな。ぼやきながら、シェーバーを肌に擦りつける。
そうやってジョリジョリやっていると、トイレの扉が勢いよく開いた。
「あー! 私がチクチク肌を触る前に、剃らないで下さいよぉ!」
音を聞きつけたらしく、アンジェリカが飛び出してきたのだった。
今日の服装は過激な黒のチューブトップに、目のやり場に困るホットパンツ。日本の春は、アンジェリカには暑すぎるようだ。
「……おはようアンジェ」
「もー。剃る前に呼んで下さいってば」
アンジェリカは基本的に俺の体毛が全部好きなので、髭を剃ろうとすると残念な顔をする。
「剃り終える前に触らせてやっから。ほら」
わあ、と顔をほころばせ、アンジェリカは俺の頬に頬ずりを始めた。
朝の忙しい時間を用いた、貴重なスキンシップだ。
「……おはよー。だるぅ」
騒ぎで目を覚ましたのか、寝室の方からリオがノロノロと歩いてくる。
学校指定のジャージ姿で、女子力もへったくれもない。顔とスタイルがいいのでなんとかなっているが、他人には見せたくない格好だ。
リオはアンジェリカと入れ替わるようにトイレに入ると、バタリとドアを閉めた。
「……ね、お父さん」
「なんだ?」
「リオさん、いつまで家に置いとくんですか?」
「えっ……と」
アンジェリカは上目使いに俺を見上げ、真意を問うてくる。
確かに俺は、リオと婚約した。家にも連れてきた。だがそれはエリンをおびき寄せるためであって、全てが終わったらあいつの家に帰すよ。それがアンジェリカ達との約束だった。
けれど見ての通り、リオはすっかりこの家に馴染んでしまっている。
「……私やアヤコと違って、あの人はちゃんと帰る場所があるはずですけど。ご実家で生活できるはずなんですけど」
「それはそうなんだが……」
「婚約も解消して、お家に戻ってもらいましょうよー」
「それはできないんだよ。縁起が悪すぎるんだ。俺は勇者なんだぞ?」
だってそんなことしたら、婚約破棄と勇者パーティー追放のダブルコンボじゃん。
リオが復讐者となって、俺を地獄に叩き落とすフラグじゃん。
「色々あるっつーか……ジンクスというか……」
「ジンクス?」
他にもリオが俺のベッドに潜り込んでくるとエルザと暮らしてた頃を思い出すとか、寝る前に甘えてくるせいで情が移ったとか、昨晩うっかり一線を越えかけたけど理性で踏みとどまって、風呂なら明日一緒に入ってやるからもう寝ろ、と約束しちゃったとか、とにかく最低の理由が山積みなのだった。
日替わりで一緒に寝る相手を変えていて、今日の夜は綾子ちゃんと添い寝する日になってたりするのも最低だ。
月曜日はアンジェリカの日、火曜日はリオの日、水曜日は綾子ちゃんの日。
誰が俺と寝るかで口論になったのでこのような決まりになったのだが、毎晩違う側室と伽を楽しむお殿様の気分である。
「……もうちょっとリオを置いてちゃ駄目かな?」
「……なんで」
「あいつも父親的な存在に飢えてるみたいだし、春休みの間くらいさ。な?」
「……やだ」
「今日はいつになく聞き分けが悪いな?」
「だってお父さん、絶対リオさんにエルザさんを重ねてるじゃないですか」
「……仕方ないだろ」
「私、お父さんを取られたくないです。このままじゃお父さんが、リオさんにのめり込んじゃう」
「ちょっとは人の話を」
「見損ないました。毎日毎日女の子をとっかえひっかえして。……お父さんなんか嫌い。だいっきらい」
「アンジェ!」
「お父さんの馬鹿!」
待てって! 叫ぶ俺を振り切って、アンジェリカは俺の寝室へと駆け込む。
フィリアが女子共用の寝室で寝ている以上、一人きりになれる部屋はそこしかないからだ。
「……大丈夫ですか」
お玉を片手に、綾子ちゃんが不安そうな顔で様子を見に来た。
リオもトイレのドアを開け、「まさかあたしのせいなの?」と言いたげな表情で俺を見ている。
「……アンジェリカさんのこと、追いかけてあげた方がいいんじゃないですか」
わかってるよ。
俺は綾子ちゃんに向かって深く頷くと、寝室を目指して歩き出した。
エリンを倒してからというもの、ずっとこうだ。
俺はもう、限界だった。
ただでさえ好きではない人殺しを行った上に、リオを預かって生活費はかさみ、仕事でも頭を悩ませている。
俺のストレスはとうに限界に達していて、いつ胃に穴が開いていてもおかしくなかった。
「アンジェ、入るぞ」
俺は自分の部屋だというのにノックをし、静かにドアを開け、身を滑らせた。
そっと後ろ手で鍵をかけ、邪魔が入らないようにする。
「……アンジェ」
ベッドの上ではアンジェリカが、仰向けの姿勢で寝ていた。
上半身だけを起こし、無言でこちらを見ている。
「……お父さん」
ああ。
わかってる。
俺は身をかがめ、姿勢を低くし、クラウチングスタートのようなポーズを取る。
そして、全身のバネを用い――
「おいで、私のおっきい赤ちゃん!」
「ばぶう!」
全力で、アンジェリカの胸に飛び込んだ。
「よしよし。よくできましたねーお父さん。今日も上手に演技できましたねー」
「ママぁ……アンジェママぁ……」
俺のストレスは、もはや臨界点を越えていた。
今すぐ癒しが必要だった。
なのでここ数日間は毎朝出勤前に痴話喧嘩を演じ、二人きりで口論すると見せかけて個室に閉じこもっては、よしよししてもらっている。
アンジェリカに抱き着き、一歳児のようにぐずるのが俺の新しい日課だった。
どこにも大人のプライドがなかった。
「アンジェぇ……俺、限界なんだよ。戦いたくねえよ……仕事行きたくねえよ……」
「よちよち。もう大丈夫ですからね。私はずっと、お父さんの味方ですからね。何度生まれ変わってもお父さんのママになって、産み直してあげますからね。私の卵巣も子宮も、お父さんの貸し切りなんですからね」
他の同居人がいる前だとツンケンした振る舞いを見せ、二人でいる時は産みたての赤ん坊をあやすように甘やかしてくれる。
ツンデレならぬ、産んデレである。
「アンジェママ……。十六歳のママ……。年下のママ……」
俺はアンジェリカの豊満な胸に顔を埋め、匂いと感触を堪能する。
ちょっとだけ寝汗の香りを残した、甘ったるい起き立ての香り。
肌露出が多い分、ダイレクトに鼻孔を刺激してくる。
もしかしたら最近のアンジェリカがやたらと薄着なのは、母性が谷間から漏洩することに気付いたからかもしれない。
俺がアンジェリカの谷間に鼻を突っ込んですんすんすることで、多大なセラピー効果を得ているのを感じ取ったのかもしれない。
「ママ……。俺、次の人生ではちゃんと未熟児になるよ。アンジェママが産みやすいように、小さい体で出てくる」
「お父さんは偉いですね。生まれる瞬間から母親孝行を考えてるんですもんね。格好良くて優しいパパ息子を持てて、娘ママの私は幸せです」
アンジェママは口から電波を発しながら、優しく俺の頭を撫でた。
「ね、お父さん」
「なんだ、ママ」
「……おっぱい飲みます?」
出ないだろ。
俺の中の大人の部分が反論していたが、子供の部分は「いいの?」とがっついていた。
「……私も恥ずかしいんですけど……最近のお父さん、色々悩んでるみたいですし……お父さんさえよければ、授乳しながら敏感なところをよしよししてあげようかなって」
アンジェリカは俺の下半身に目をやり、「……股間の待機児童、私のおててで保育してさしあげます」と熱っぽい息を吐いた。
「俺、精神年齢なんか要らねえ。これから一生ゼロ歳児として生きてくよ」
「ふふ。お父さんったらすっかり甘えん坊ですね」
でもそういうとこが可愛くて好き。母性たっぷりの口調で囁き、アンジェリカは己のチューブトップに手をかけた。
胸元をゆるめ、俺に哺乳行為をする気まんまんの動作だった。
俺は口を開け、アンジェリカの慈愛をくわえ込む準備に入る。
――その時、ゴンゴンとドアをノックする音が響いた。
「ねー中元さーん。アンジェリカー。二人が喧嘩してるのって、あたしのせいなの?」
俺とアンジェリカは顔を見合わせ、ピシリと硬直する。
俺はどうにか意識を大人モードに切り替えると、威厳のある声で返事をした。
「俺とアンジェリカのことはお前には関係ない! いいからさっさと着替えを済ませろ! 俺と一緒に撮影するんだろ!? のんびりしてる暇はないはずだが!?」
「……や、でもさ……気になるじゃん! あたしが理由で険悪になってるんだったら悪いし。そんなにこの家の雰囲気乱してるなら、あたし出てくけど?」
アンジェリカもママから年相応の少女に声色を戻し、ドアの向こう側に話しかける。
「わ、私なら大丈夫ですから! お父さんとも仲直りしましたし!」
「……そうなの? あたしに気使ってない?」
「全然使ってませんし! リオさん本人に怒ってるんじゃなくて、見境なく女の子にデレデレするお父さんにお仕置きしてただけですから!」
「お仕置き? いいな……どんなことしたの?」
アンジェリカは俺の頭を撫で回しながら叫ぶ。
「大人のプライドを損なうようなことをしました!」
「へー……やるじゃん。もしかしてあんたって、サドっ気あるんじゃない? いやあたしはSとかMとかそういうの興味ないんだけどね。凄いノーマルなんだけどね。でもあとで詳しく聞いてみたいっていうか」
「え、この話題に食いつくんですか……?」
アンジェリカがたじろぎ始めたため、フォローに入る。
俺は今日一番の大声を出し、リオを叱りつけた。
「お前もう、居間に戻れ! 二人で話し合ってる時に茶々入れるんじゃねえ!」
「え……でも……」
「俺の言うことが聞けないのか!? 誰がお前を食わせてやってると思ってるんだ!? 朝っぱらからないことしゃべくってないで、飯支度でも手伝って来い!」
【斎藤理緒の好感度が200上昇しました】
【斎藤理緒の性的興奮が70%に到達しました】
「あーいい……その昭和家父長制度的なオレ様発言、すっごいツボ……やっぱ中元さんってわかってる……」
ドタンバタンと壁にぶつかりながら、リオが台所の方へと歩いて行くのが聞こえた。
俺とアンジェリカは即座に雰囲気を元に戻し、ママと赤ちゃんの関係に戻る。
「アンジェママぁ……急に女子中高生の共演者が増えても、扱いに困るんだよぉ……顔と名前が一致しねえんだよぉ……まるで女子校の担任になった気分なんだよぉ……」
「大丈夫ですからね、お父さんにはママがついてますからね」
と。
ドタドタとこちらに引き返す足音がしたかと思うと、再びリオが話しかけてきた。
「ごめん中元さん! あたしの台本ってどこかわかる!?」
「また失くしものか!? お前はどこまでだらしないんだ! ……昨日テーブルの下に落ちてるのを見かけた!」
「マジ!? ありがとー!」
俺はまたまた口調を赤ちゃんに戻し、アンジェリカにしがみつく。
「ママぁ……税金の計算とか意味わかんねえよ……いきなり収入増えたら、それはそれで困るんだよ……」
「お父さん、かわいそう。すぐママのおっぱいで甘やかしてあげますからね」
「――ねー中元さーん!? あたしのスマホどこかわかる!?」
「また戻ってきたのか、リオママ!? 赤ちゃんの俺が把握してるわけないだろ!? どうせ胎盤の裏かどっかに落ちてんじゃねえの!?」
「リオママって何!?」
やべえ。
アンジェリカ用の赤ちゃんキャラと、リオ用の関白親父キャラがごっちゃになった。
……短期間で切り替えを求められるから、つい混乱して……。
畜生……こんなの挽回できるわけないだろ……!?
見ればアンジェリカも失神寸前の顔をしてるけど、俺はゴリ押しを試みる。
「今のは空耳だ! なんでもねえ! 確か洗面所付近で見かけた気がする!」
「ありがと!」
そうやって騒がしい時間を過ごしているうちに、朝食の時間が近付いていた。
壁にかけられたアナログ時計の針は、七時ちょうどを指し示している。
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