第179話 幸せになろう

 俺は爆発的に向上した身体能力で跳躍し、一気にエリンとの距離を詰めた。

 異世界最高峰の魔法使いは、両眼を手で覆って悶えている。

 隙だらけだ、これならどんな攻撃だって当たる。

 俺はその小さな体を掴み、思い切り地上に叩きつけた。


 エリンの脆弱な肉体では、衝撃に耐えられまい。

 道路に轢死体のような、目を覆いたくなる光景が広がっているのではないか――


 落下しながら、地面を見る。


 けれどエリンの死体は、見当たらない。

 右腕が一本落ちているだけだ。


「へえ」


 思ったよりやるじゃないか、と感心する。

 どうやらエリンは、俺に掴まれた直後に自身の腕を切断して距離を取っていたと見える。まるで蜥蜴の尻尾切りだ。おかげで全身が地面に叩きつけられるのは避けられたわけだが、隻腕と化している。


 その上あいつは、回復魔法が得意ではない。


 俺はビルの壁を足場にし、ジグザグに飛び回りながらエリンを探す。

 

 ――いた。

 

 スマホのカメラ越しに、小さな魔法使いが映っている。

 うつろな目つきで、右肩から大量に出血しながら浮遊する人影。


 俺はそいつに向かって、解呪を打ち込む。エリンは隠蔽を解除され、地上へと落下していった。

 きっと、飛行フライングの魔法も一緒に解除したのだろう。今の俺は魔力が二十倍に引き上がっている。一度の解呪で、根こそぎ全てのバフを引き剥がしてしまうようだ。


 スマホをポケットにしまう。

 ビルを蹴り上げ、落下するエリンを受け止めに向かう。


 重力が人体を引き寄せるよりもなお速く、俺はエリンの真下へと到着していた。

 

 両腕を伸ばし、小柄な体を受け止める体勢に入る。


 それはまるで、空から落下してくるヒロインを迎えにいく、主人公のようだった。

 ボーイミーツガールのプロローグのような、幻想的な場面に見えるかもしれない。

 けれど俺は、この女を殺そうとしている。

 殺すために抱きとめようしている。


 なぜならエリンは、世界の敵だから。地球人類と敵対しているから。俺が守ろうとしている少女の敵だから。

 こいつを殺さないと、俺の好きな女達が死んでしまうから。


 だから、生かさない。

 俺はエリンを選ばない。


 今度の選択は、間違えない。俺は世界じゃなくて、俺を想ってくれる人々を選ぶ。

 この選択は正しいんだよな? と頭の中で問いかける。

 返事はない。


「……勇者……」


 俺の腕の中に落ちた瞬間、エリンが囁いた。憑き物が落ちたかのような、穏やかな声だった。


「おかえりエリン。……さよならエリン」


 俺はエリンを抱きしめる。

 二度と離さないとばかりに、強く強く。

 このまま力を入れれば、この細く薄い体は圧縮されて潰れるだろう。醜い肉塊になり果てるだろう。

 残された分霊体は、大した魔術を使えない。時間さえかければ確実に討伐できる。


 俺は最大の脅威を、かつての仲間を、この手で殺める。

 ギリギリと腕に力を込め、骨をへし折っていく。


 げふ、とエリンが血の塊を吐いた。

 内臓が潰れたのかもしれない。


「……勇者はやっぱり、優しい……」

「何がだ」

「……抱きながら、殺してくれる……」


 メキャ、と鈍い音が鳴った。どこか大きな骨が砕けた音だった。


「俺は優しくなんかない。自分の都合でお前を殺すんだからな。でも、昔よりは進歩したと思うぜ。……昔の俺は、エルザの幸せしか考えていなかった。だが、今は四人の女を幸せにするために生きている」


 エリンの全身から血が噴き出す。

 目、耳、鼻、ありとあらゆる個所から鮮血が流れる。


「そういうわけだ。あいつらのためにも死んでくれ」

「……」


 エリンは何も言わない。

 もう、物を言う機能が残っていないのかもしれなかった。

 その方がいい。


 相手に人格を感じながら殺すなんて最悪だ。

 ただの肉人形となって砕け散るべきだ。


「……何も変わってない」

「あ?」

「……人数が、増えた、だけ」

「どういう意味だ?」

「……相変わらず勇者は馬鹿。……幸せにする対象に……自分自身が、入ってない」


 ぶちゅ、と肉が弾ける音がした。


「……泣きながら私を殺して、誰かの幸せを願うの? ……昔と同じで、狂ったまま」


 その言葉を最後に、エリンは絶命した。

 醜い肉団子となり、地上から消え失せた。


「……まだ残ってるな」


 俺はエリンの死骸を焼き払うと、セイクリッドサークルを詠唱した。

 通常の二十倍の出力――結界の強さは二十倍、範囲は約六キロにまで拡大された結界が展開される。


 視界の右上から、次々にエリンの分霊先である小動物が死んでいくメッセージが表示されていく。

 きっとエリン本体をサポートするために、近くに集まっていたのだろう。

 

「……一、二……エルザ、残さず表示してくれ。できるか?」


【エリンの分霊が19体死亡しました】


【エリンの分霊が211体死亡しました】


【エリンの分霊が402体死亡しました】


 俺は結界を展開したまま、あちこちを走り回る。

 街を一周する勢いで、駆け抜ける。

 そのたびに残されたエリンの分霊は弾き飛ばされ、死んでいった。


【エリンの分霊が569体死亡しました】


 そして、それを最後に死亡メッセージは表示されなくなった。

 港やスタジオで倒した分も含めると、完全に倒しきったのだろうか?


 ……仮に生き残りがいたとしても、戦力としては微々たるものだ。


 父性スキルの効果時間も切れてしまった。


「帰ろう」


 俺は踵を返し、テレビ局へと戻る。

 血まみれの服は、途中で海に捨てた。



 * * *



 局へ戻ると、もはや番組収録どころではなかった。

 黒澤Pは「だから俺は反対したんだ」と詰め寄ってきて、全ての責任を俺に取らせようとした。

 俺の答えはただ一言。


「そうして下さい」


 翌朝。

 さてどんな風に報道されてるかな、と投げやり半分、楽しみ半分で新聞を覗き込むと、生放送中にスタジオを襲撃された俺が、外国人テロリストと格闘した末に見事打ち勝ったということになっていた。

 エリンは、小型ドローンを使って飛行する女テロリストとして扱われていた。

 杉谷さんあたりが気を回して情報操作したのだろうが、これはちょっと無理がある気がする。


 ネット上では「今回の中元って缶ビール振り回して蝶々にぶっかけてただけじゃね」と書き込む者もいたが、返り血まみれで街を歩く俺の写真がアップロードされると、黙り込んでしまった。

 

 番組は、その後も継続して放送されることとなった。

 何人かの女の子は今回の件がトラウマになって降板したようだが、あまり影響はないようだ。

 そもそもこの番組は杉谷さんが俺に仕事と女をあてがうために用意したものなので(どうりで十八~十九歳の出演者が多い)、「提供:国家権力」である。


 何があっても、不動なのである。


「すげえな国家権力。なんでもありなんだな」


 俺はベランダに立ち、外の景色を見やる。

 リオが言うには、「原発事故の時も凄かったよ」だそうだ。いつもてんでバラバラな主張をしているはずのテレビ局が、どこの局も「問題ありません」一色になったらしい。

 その頃の俺は異世界にいたのでリアルタイムでは見ていないが、案外この国の報道規制は強いようだ。


「……ていうかリオはいつまで俺ん家にいんだろ」

「いちゃ悪い?」


 背後から文句を言われる。

 すっかり四人目の同居人として馴染んでいるが、帰るつもりはないんだろうか?

 エリンをおびき寄せる作業が終わったら斎藤家に戻そうかとも思ったのだが……完全に居ついてしまっている……。


「ミャー」


 と。

 リオの処遇について頭を悩ませていると、一匹の黒猫が飛び降りてきた。

 器用にベランダの柵に着地し、こちらを見ている。


「ミャア」


 大きな黄色い瞳と、目が合う。


「お前、どっから来たんだ」

「ミャア」

「……」


 気のせいだろうか。

 どことなく、普通の猫とは違う感覚がある。

 ほのかに知性を感じるというか……。


「まさかな」


 俺は咄嗟に、「ステータス・オープン」と呟く。



【名 前】エリン 

【レベル】2

【クラス】黒猫 

【H P】40

【M P】120

【攻 撃】25

【防 御】20

【敏 捷】140

【魔 攻】120

【魔 防】110

【スキル】夜目 

【備 考】エリンの分霊の、最後の生き残り。軽度の栄養失調状態にある。



 俺はエリンの残骸に向かって、手を伸ばす。


「……うちの子になるか?」

「ミャア」

「その姿じゃ何もできないだろ。……魔法も使えないみたいだし」

「ミャアー」


 黒猫は両目からぽろぽろと涙を流しながら、俺の指を舐めている。


「誰も傷つけないなら、俺だって怒りゃしないよ。な。腹減ってるんだろ」

「ミャアァー」


 猫は尻尾を丸め、俺の手の甲に顔を擦り付ける。


「お前のなれの果てであっても、飼えるなら俺は幸せだと思う。死なれるよりは、ずっと嬉しい」

「……ミャア」


 エリンは小さくジャンプすると、胸の中に飛び込んできた。

 

「おおよしよし」


 俺はベランダから戻り、窓を閉めた。

 リビングにいる皆に向かって、「こいつ飼うことにしたから」と報告する。


「えっ。なんでまた急に。まさかそいつエリンなの?」

「エリンさんですかそれ?」

「……絶対エリンさんですよね」

「あーうー」


 ……正気を失っているフィリア以外は、全員が正体に勘付いている。

 なんでこう俺の行動はバレバレなんだか。


「そいつ悪いことしないの? 大丈夫なの?」

「猫の姿じゃ何もできないよ。本体が死んだ以上、ろくな魔力も供給されないだろうしな」


 じゃあいいんじゃない? とリオは興味なさそうに言う。

 フィリアはというと、「猫ちゃん猫ちゃん」と舌足らずな声で呼びかけながら、エリンの頭を撫でている。意識が明瞭でない状態でも、かつてのパーティーメンバーだと感じ取っていたりするんだろうか?


「また家族が増えたな」


 俺は仲睦まじくエリンと遊ぶ少女達を眺めながら、笑う。

 どうだエリン、俺はまだ昔のままか?

 お互い傷は負ったし、お前は姿さえ変わり果てちまったけれど、それなりに幸福な結末を引き寄せたじゃないか。


 いつまでも俺は、失敗した勇者のままじゃないんだよ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る