第181話 ヤンキーの矜持
俺とアンジェリカは寝室を出て、「何もやましいことはありませんが? バブみ? そ、そんなの知らねーし!」な顔で居間に向かう。
すでにテーブルの上には朝食が並んでおり、香ばしい味噌汁の匂いが漂っていた。
「おいしそー」
とたたたた、と軽快なリズムで席につくアンジェリカを横目で見つつ、俺も席に着く。
綾子ちゃんとリオ、それにフィリアが座るのを確認してから、皿の上にキャットフードを置き、エリンの前に差し出す。
「頂きます」
* * *
「いってらっしゃい、おとーさん」
「ああ」
玄関まで見送りに来たアンジェリカと、いつものあれを行う。
いってきますのチューである。
「……お父さん、早く早く」
小柄なアンジェリカは、背伸びしないと俺の唇に届かない。
必死になってつま先立ちをして、ぷるぷると震えながら俺に顔を近付けてくる。
その様子がいじらしくて、愛おしい。
俺はアンジェリカの負担を減らすため、かがんで顔を突き出す。
「ん」
ちゅっ、と小さな音を立てて、互いの唇が接触した。アンジェリカは俺の首に腕を回し、離れまいとしがみついてくる。
情熱的で、相手を激しく求める仕草。
キスのやり方に性格が出るよな、とプレイボーイな思考を繰り広げながら、アンジェリカの頭を撫でる。
「……ふぅっ……」
長い口付けが終わると、アンジェリカは「早く帰ってきて下さいね」と名残惜しそうな顔で呟き、静かに後退した。
アンジェリカが下がり切ると、今度は綾子ちゃんが俺の前にやってくる。なお、視線は俺に股間に固定されていた。怖いので、その件についてはスルーを試みる。
「……行ってらっしゃい、です。……晩御飯、一生懸命作りますから。寄り道せずに、帰ってきて下さい」
「わかってる。俺も綾子ちゃんの飯は好きだ、飲み会なんか断ってくるさ」
「……もう……」
続けざまに、二人目の少女といってきますのキスを行う。
なんて不道徳なことをしてるんだろうと自己嫌悪に陥るが、全員を平等にかわいがってやらないと、揉め事になるので致し方ない。
「……んっ……」
綾子ちゃんの身長は、日本人女性の平均よりやや上といったところ。
なのでキスをする際に、そこまでかがむ必要はない。ほんの少し首を下げるだけで、唇を重ねられる。
それは、いい。
問題はアンジェリカのように背伸びが必要ないとなると、しっかりと地面を踏みしめたままキスができるというわけで。
力を込めた動作が可能というわけで。
「……ん……ぐ……ぐ……!」
綾子ちゃんは俺の両肩を鷲掴みにし、それはもう凄まじい力で俺をロックしてきた。
何があっても逃さないという決意の表れだ。
怖かった。
捕食だった。
アンジェリカママに助けを求めたかった。
やがて長い舌が、ニュルニュルと俺の中に入り込んでくる。
馬力のある蠢きは、まるでドーピングされたヒルだ。
奥歯。歯茎。頬の裏側。
ありとあらゆる個所が舐められ、ねぶられていく。
息苦しいほどである。
当然、綾子ちゃんの口が俺から離れた際は、二人の間に糸の橋がかかった。
「……磨き残しがありましたよ」
「わ、悪い」
「……大丈夫です。綺麗にしておきましたから」
「……」
それから綾子ちゃんは、俺の股間をガン見しながら「筋力低下」と小声で唱えた。
これは俺が人間らしい生活を営む上で、絶対に必要な作業だ。
「……終わりました。成人男性の三倍くらいにまで下がってると思います」
「ありがとう。三倍でも結構強いよな」
「……中元さんの体つきなら、不自然じゃないですよ。アスリートみたいに引き締まってますし……本当、いい体ですよね……」
筋肉を褒めているはずなのに、相変わらず目は股間に向けられている。
何を狙っているのか、ここまでわかりやすい子も他におるまい。
「あのさ……俺もついつい女の子の胸とか目で追っちゃうからあんま人のこと言えないけど、こう局部ばっか見られると落ち着かないんだが」
綾子ちゃんは少し寂しそうな顔をして頭を下げた。
「……すみません。最近の私、ホームシックみたいで」
ホームシック。
確かに綾子ちゃんは、もう一人の自分に身分を独占されているせいで、実家に帰ることが叶わない。
でも、それが俺の股間を凝視するのとどう繋がるのだろう?
まさか大槻家にいた頃は、常に父親のあそこを見ていたとでもいうのか?
色々と危うい想像を膨らませていると、綾子ちゃんは遠い目をして言った。
「中元さんのそこを見てると、故郷を思い出すんです」
「故郷……故郷? 実家じゃなくてか」
「……はい。この穢れた世界に産み落とされる前に住んでいた、安住の地を思い出します」
「俺にもわかるように言ってくれ」
「……簡単に言うと、睾丸回帰願望です。私、受精卵になる前は一匹の精子として、父親の精巣に詰まってたわけじゃないですか。その頃が一番幸せだった気がするんです。だって、住所がパパの睾丸なんですよ。これほど心休まる寝床があるでしょうか。娘にとって最大の幸福は、生まれる前にあるんです。……なのに私のお父さんときたら……母と交わって……私の体の半分を、母親由来の細胞にして……。こんなの酷すぎます……。あんまりです……」
さめざめと泣き出した綾子ちゃんに、アンジェリカはうんうんと頷いていた。「わかるよその気持ち」、と涙声で友人を励ましていた。
だが、俺にはよくわからなかった。わかったら人として終わりだと思った。
「こうやって中元さんの股間を眺めてると、昔に戻ったような気分になれるんです……。時々、見てもいいですか?」
「お、おう。好きにしてくれ」
「……嬉しいです」
俺は恐怖に身を震わせながら、綾子ちゃんが廊下の奥へ下がっていくのを見送った。
「……」
あらゆる意味でホラーな子だが、あれでも見た目はなよやかな文学少女で、れっきとした美少女である。
ヒルだなんて表現を使ってしまったけれど、キスも悪くない。
密着するとふわりと柔らかい黒髪が肌をくすぐって心地いいし、花のような体臭も楽しめたし、大きな胸が終始むにむにと当たっていたのも大満足だったし、なにより綾子ちゃんの唾液は品のいい味がするので、ぶっちゃけ最高だった。
高年収の親御さんに育てられた少女にしか醸し出せない、上流階級の味がした。
綾子ちゃんの父親は大学教授で、母親も大学院を出ている。そんな高学歴夫婦ゆえ、経済状況も良好。
ちょっとしたお嬢様なのである。
あのとろけるように甘く、口の中でほどよく少女の風味を広げる唾液は、育ちの良さが生み出した奇跡の雫だ。
それを中流ちょい下の家庭で育った俺がすするという行為は、たまらない背徳感があった。
唾で下克上だった。
そんな風に、朝から危険思想を膨らませていると、しずしずとフィリアが進み出てきた。
次はこいつの番か……と青い目を覗き込む。
うむ。
焦点がちゃんと合っている。
どうやら正気モードなようだ。
俺はフィリアの横に立つと、首を曲げさせて唇を吸った。
どうしてこのような体勢になるかというと、二人の体型のせいだ。
フィリアは背が高い上に、胸が途方もなく大きい。かつ、俺も胸筋が発達している。
おかげで真正面から普通にキスをすると、互いの胸がぶつかって邪魔になるのだ。
思い切り抱きしめて、胸が潰れるようにしてキスをすれば平気なのだが、朝からそれは疲れる。
だから、胸同士が当たらない格好で唇を重ねる。
「……ん……」
フィリアは目を閉じ、穏やかに口付けを味わっていた。
可愛いとこあるじゃないか、と頭をポンポンしてやると、真っ赤になって俺の舌を噛んだ。
……動揺しすぎだろ。
これだから高齢処女は。
俺は呆れながらフィリアから離れると、しゃがんでエリンが来るのを待った。
「ミー。ミー」
エリンは長い尻尾を振りながら、文字通りのキャットウォークで俺の前にやってくる。
「ミャア」
猫特有のザラザラとした舌が、俺の指を舐める。
俺はエリンを抱き上げ、ちゅっ、ちゅっ、と二回キスをした。
「よし、全員終わったな」
自分に惚れてる女がたくさんいると、出迎えのキスも重労働だな、と口元を拭う。
すると制服姿のリオが、「あたしは?」と眉をつり上げた。
「お前は俺と一緒に局に行くんだから、お留守番しないだろ。いってらっしゃいのキス要らねーじゃん」
「なにそれ!?」
不平等なんだけど!? とぶーたれるリオを引っ張り、二人で玄関の外に出る。
施錠は中からアンジェリカ達が済ませてくれるので、わざわざ俺が鍵を取り出す必要はない。
こういうのも同居人がいるメリットだよな、と頷くと、俺はエレベーターに向かって歩き出した。
後ろからリオが、小走りで追いかけてくる。
「ねえチューは? あたしの分のチューは?」
「お前は今日、俺を独り占めだろ。キスくらい我慢しろ。それが平等ってもんだ」
「意味わかんない……」
エレベーターの前に着くと、俺はボタンを押して、リオの方を振り向いた。
長い黒髪の、美しい少女。
不満そうに口を尖らせ、髪の毛先をくるくると弄んでいる。
……見事な光沢だ。
ここで暮らすようになってからは俺達と全く同じシャンプーを使っているはずなのに、なぜかこいつだけ異様にキューティクルがある。
ほんのりと薄化粧をした唇はぷりっと水気があり、押せば指を弾くのではないかと思える。
リオは俺の視線に気付くと、泣き出しそうな顔で言った。
「……やっぱあたしのこと怒ってる? 居候してるの、迷惑? それでキスしてくんないの?」
……こういう表情すると、エルザによく似ている。リオは弱っている時ほど、エルザに似ている。だから俺は、こいつを虐めてしまうのかもしれない。
「開いたぞ。乗れよ」
チィンと音を鳴らし、エレベーターの扉が開く。
乗客は誰もいない。
俺とリオは無言で乗り込んだ。
「閉」のボタンを押し、密室を作り上げる。
――それが合図だった。
「……中元さん?」
「こうしてほしかったんだろ?」
「な、何? 中元さん、なんか怖いんだけど。……あたしを壁に押し付けたりして、どういうつもり?」
「誘ってんだよ、お前の目が。そんな視線を男に送ったらどうなるか、教えてやる」
「やだ、ちょっ……痛いってば!」
「舌出せよ。吸ってやるから」
「やめてよ! こんなキス欲しくない!……こういうのじゃなくって、もっと優しく……」
「うるせえよ――少し黙れ」
「……んっ……ふう……っ。……あっ……そんな……胸、触っちゃ嫌……」
――恐ろしいことに。
とても恐ろしいことに、リオは一人二役で過激な独り言を呟いていた。
「……中元さん?」も「うるせえよ――少し黙れ」も、全てリオが喋っているのである。
見たところ、俺が少女漫画のような、無理やりなキスをするというシチュエーションで一人芝居をしているようだ。
明らかにキスをしない俺への当てつけだった。
「……駄目……こんなの……もうレ〇プと変わんないから……っ」
「わかったから! 一回だけな! 一回だけキスしてやっから、その下品な芝居をやめろ!」
「やったぁ」
てへ、と舌を出して笑うリオに、唇を押し当てる。
本当に手間のかかる奴だ。
どうしてこう、出勤するだけで消耗させられるんだか……。
頭を抱えているうちに、エレベーターは一階へと到着した。
俺は「開」のボタンを押し、扉を開ける。
満面の笑みを浮かべるリオにまとわりつかれながら、よろよろと外に這い出る。
マンションのエントランスには、品のいいマダム達がたむろしていた。
ここはそこそこ家賃が高いので、皆さん身なりがいいのである。重課金人妻なのである。
俺は自分本来の性癖に合致する女性達に羨望の目を向けるが、反応は冷たい。
十六歳の少女と、婚約ですって……。
犯罪じゃないの……。
ファンだったのに……。
と、ひそひそ声が聞こえてくる。
「オバサン達、うるさいよ!」
「やめろ!」
リオはヤンキー精神をむき出しにし、奥様方に中指を突き立てている。
兄も友人も半グレ系なせいか、リオが本気で睨みつけるとかなりの迫力がある。
奥様集団はさっと目をそらし、すごすごと立ち去っていく。
「なんてことを……俺はイメージを売って生活してんだぞ!?」
「中元さんのイメージって、今じゃもう『女子高生と結婚するために国を動かしたヤバいおっさん』じゃん」
「……くっ……」
「しかもファン層、若い女の子に入れ替わったんでしょ? なら主婦に媚びる必要ないっしょ。何ビクビクしてんの?」
「いや……でもな……」
「もー。変なとこで気が小さいよね」
堂々としてればいいのに、とリオは胸を張って言う。
「あたしの保護者も中元さんとの関係に納得してるんだし、合法なんだよ? 何も恐れることはないんじゃないの」
「……けどなあ」
「なんか文句言ってくる輩がいたら、またあたしが追っ払ってあげるから大丈夫大丈夫」
「お前ほんと、俺以外の相手にはすげえ気が強いよな」
「あたしは好きな男に虐められたいだけで、興味ない連中の前ではなよなよしてないし」
これじゃどっちが守られてるのかわかんないな、とおかしくなる。
リオはやっぱり、中身はエルザと似ていないと思う。
「あたしのことを虐めていいのは、中元さんだけだし」
でも、一途なところはよく似ている。
にひひ、と笑ってピースサインをするリオの頭を撫で、俺はマンションの外に出た。
空は青く澄み渡り、雲一つ見当たらない。鳥も飛んでおらず、何もない空間が広がっているのみだ。
物だらけの地上とは、大違いである。……どう物だらけなのかというと、駐車場は出勤前のマイカーでギチギチだし、砂場には子供が放置したボールがいくつも転がっているし、ゴミ捨て場には分別ルールを守ってないせいで放置された、巨大な粗大ゴミが鎮座している。
「あー……。空はいいなあ。鳥になりてえ」
「おじさんになると将来の夢が『鳥』になるって話、本当だったんだ。中元さん、老化現象始まってんじゃない?」
「うっせーなあ」
地上のしがらみから解放されたいだけなんだよ。軽口を叩きつつ、足を動かす。
リオも俺を追いかけてきて、自然な動きで腕を組んできた。
それほど大きくはないが、形のいい胸が肘に当たる。
「中元さん、ずっと疲れた顔してるよね。大丈夫なの?」
「……誰のせいだと思ってんだ」
「えー。あたしのせいなわけ?」
「食費がかさんでるだろ……」
「あたしもギャラもらったら生活費入れるから、もうちょい耐えてよ」
「ってかお前の場合、一番大きい負担は夜だけどな」
「……恥ずかしいこと言わないでよ」
リオの甘えっぷりは、夜になると凄い。
理性も体力も持っていかれるのだ。
昨晩もギリギリまで俺を誘惑してきたため、俺の睡眠不足は深刻だった。スポブラをあんな風に使われたら、寝れるわけがない。
俺達はいつもよりゆったりとした足取りで、正門を通り抜ける。
「……ねみ」
「もー。どっかで休んでく?」
「……そうしようかなマジで……まだ時間的には余裕あるしな」
じゃああそこでいい? とリオは公園を指差す。
アパート暮らしだった頃から何度もお世話になった、あの公園だ。
アンジェリカと痴話喧嘩したり、レイスと戦ったり。
……他の女の子との思い出の場所で、リオと休憩をする。
俺はどこまで堕落するんだろう、と罪の意識を膨らませながら、公園の奥へと進む。
ジャングルジムの横にあるベンチに腰かけると、途端にあくびが出た。
「ふあ……」
「中元さーん、ほらほら」
「?」
声のした方に顔を向けると、俺からやや離れた位置に座ったリオが、白い太ももをポンポンと叩いていた。
「膝枕したげる」
「……そういうのはアンジェの担当なんだけどなあ」
「嫌なの?」
「そんなわけないだろ」
確かにリオは母性的なタイプではないが、それこれとは別。たとえママみがなくとも、出された膝枕は受け取るべきだ。据え膳食わぬは男の恥という言葉あるように、据え膝枕食わぬは赤ちゃんの恥なのである。
俺は数々の条例を違反する手応えに打ち震えながら、リオの膝に頭を乗せた。
アンジェリカや綾子ちゃんと比べるとムチムチ感は足りないけれど、脚の長さでは勝っている。なので安定感があり、これはこれで悪くない。あとちゃっかり綾子ちゃんの膝枕も経験済みであることを考えると、俺はもう駄目かもしれない。
「寝たかったら寝ていいよ。時間きたら起こすから」
リオは優しく俺の髪を撫で、眠りへと誘おうとする。
ちなみに俺の顔はリオの体側に向けられており、スカートの中がしっかりと見えていた。
今日はレースが多めのピンク。寒色系が好きなこいつにしては珍しい。
「ピンクか。こういうフェミニンな色、お前の趣味じゃないだろうに」
「すけべ。どこ見てんの」
「……見えるもんは見えるんだからしょうがない」
「ま、中元さんだったらいいけどね」
……このままこれを見ていると、睡眠どころではない。悶々して眠れやしない。
俺は泣く泣く寝返りを打ち、顔を公園の方へと向ける。
すると入口付近に集まる、賑やかな一団を見つけた。
「おっ、見ろよあれ」
「どしたの?」
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