第182話 十代女子これくしょん
俺は指をさして、少年達のいる方向にリオの視線を誘導する。
「……野球?」
そう。
小学校高学年くらいの子供達が、バット片手にジャンケンをしているのだ。
なんと朝っぱらから草野球を始めるつもりらしい。
元気なものである。
「懐かしいな、俺もガキの頃はよく野球やったもんだ。割と打率良かったんだぜ」
男子が外で集まったら、やることは球技だよなと小さく頷く。
「普段は見かけないけどね、ボール遊びする子なんて」
「春休み限定の光景かな?」
「そうじゃなくて。最近、機械の調子がおかしくなってるじゃん。スマホもゲーム機もまともに数字を表示しなくなったんだから、外で遊ぶしかないんでしょ」
「あー……」
「夜もゲームしなくなったから、生活リズム朝型なってるんだろうし。暇だから運動でもするか、ってなってる子多いよ今」
「ハイテク機器なんてない方が健康的なのかもな」
本来のオモチャを台無しにされ、渋々外に出てきた。確かにその解釈の方がしっくりくる。
あの子ら、皆青白い肌してるしな。外遊びに慣れてません感がバリバリと出ているのだ。
心なしか表情も不満げに見える。
「親に『どうせなら外で遊んで来い』とか言われたんじゃない?」
「切ないなぁ」
現代っ子ならそんなもんか、と苦笑いしつつ少年達のやり取りを観察する。
よく見ると野球バットだけではなく、サッカーボールを抱えた子も混じっていた。
「なるほど。野球とサッカー、どっちで遊ぶかをジャンケンで決めてんだな」
最初はグー。ジャンケンポン。かけ声と共に何度も何度も子供達は己の手を振り下ろし、勝敗に一喜一憂している。
最後まで勝ち残ったのは、バットを持った少年だった。
おっしゃあ、俺の勝ち! とボーイソプラノで叫ぶ声が聞こえる。
そうなると、今から野球が始まるのだろう。
……と思ったが、様子がおかしい。
喧嘩? 違う。何人かの少年が手を上げ、「俺野球のルールわかんねえよ!」と抗議しているのだ。
「マジかよ。男でわかんない奴なんていんのか」
「最近は普通じゃない? レオもあんまわかってないみたいだし」
「嘘だろ?」
膝の上で顔を動かし、リオを見上げる。
前髪を垂らしながら、今時の女子高生は不思議そうに俺を見下ろした。
「だってサッカーの方が人気あるし。草野球なんて昭和の遊びじゃん」
「……確かに2000年の時点で野球離れの兆候はあったが……ここまで来てたのか」
俺は一年かけて現代日本の常識について調べたつもりだったが、若者の間で影響力のあるスポーツについてはリサーチ不足だったようだ。
いや、そりゃ妙に野球中継減ったなあとは思ってたけどさ。
「昔より日本人メジャーリーガーが増えてるのに、男子の憧れになったりしないのか? 俺が子供の頃は、男児が将来なりたい職業ってのは野球選手が一位だったもんだが」
「メジャーリーガーまでいくと、さすがにスター扱いだけど。自分でプレイする分には野球よりサッカーがいい、って男子が増えてるんじゃないかな」
「なんでそうなったんだ?」
「うーん。あたしに聞かれてもね」
リオは俺の額を撫でながら、困ったように頬を掻いている。
「色々あったわけよ。ワールドカップとかさ」
「……色々か」
俺が不在だった頃の日本で起きた、サッカーの盛り上がり。
俺はそれを知らない。他の皆と、思い出を共有していない。
こういう時、自分の人生は損なわれてしまったんだと実感する。
俺は異世界じゃ異物扱いだったが、日本に戻ってからも、やっぱり異物のままだ。
「……なんでそんなに悲しそうな顔なのか、聞いていい? もしかして大の野球好きなの?」
「そうじゃない」
単に自分が見ていない間に母国が変わっていたことを実感して、寂しくなっただけだ。
俺は空に向かって蹴り上げられたサッカーボールを眺めながら、目を細める。
確かに日本に帰ってきたけれど、これじゃなんだか、日本によく似たパラレルワールドに迷い込んだような気分だ。
「……少し寝るよ」
「そうした方いいかもね。どうせまた暗いこと考えてるんだろうし」
「……お前、段々俺の扱いに慣れてきたよな」
リオは涼し気な表情で、「まあね」と答えた。
こうやって澄まし顔をすると、どこか浮世離れした雰囲気がある。
浮世離れというか、日本人離れかもしれない。
異世界人のエルザと瓜二つなくらいなので、東洋人としてはかなり彫りが深いのだ。
ハーフ……とまではいかないが、九州出身の芸能人みたいな、はっきりとした顔立ちなのである。
逆に言えば、エルザは欧米人でありながら、若干アジア風なテイストがあったわけだ。異世界では俺以外に東洋人を見かけなかったが、過去にも召喚勇者がいたらしいし、そういう人達がアジア由来の血を残したんだろうか?
アンジェリカもすこーしだけ混血っぽい雰囲気があるし、可能性はあるよなぁなどと考えているうちに、ウトウトしてきた。
「寝るわ。時間きたら起こしてくれ。……ん、そういや夜更かししたのはお前も同じだろうに、眠くないのか」
「めっちゃ眠いよ。でも寝不足ゆえの肉体的苦痛が逆に気持ちよくて、目が冴えてくるっていうか。しかもこの状態で膝に中元さんの重みを感じてると、ある種の拷問を受けてるみたいで、もう寝てる場合じゃないし」
「おやすみ」
急に早口になってんじゃねえよ。しかもアブノーマルな話題で。
そういうのオタク喋りってやつだろ……と内心で突っ込みを入れてから、睡魔に身を委ねた。
「ね。起きて。起きてっててば」
「……んあ」
もう時間か? と顔を上げる。
頬を紅潮させ、軽く興奮したリオと目が合う。
「見て。あの子凄いよ」
「あの子?」
リオが指をさした先には、少年達に包囲される小柄な人影がある。足元にはサッカーボール。
どうやら試合の真っ最中らしいが、それにしたってディフェンスの人数が過剰だ。
一対八くらいに見える。
「なんだありゃ。虐められてるのか」
「逆。あの囲まれてる子が他の八人を虐めてるようなもん」
「……どういうことだ?」
「見てればわかるよ」
じっと目をこらす。
少年集団の壁に進路を邪魔された人物は、長い黒髪を後ろで束ねている。ポニーテールだ。上はグレーの長袖シャツ。下はツイードショートパンツで、足は黒タイツに包まれている。
女の子だ。
身長は周りの子供達よりほんの少し高い程度。アンジェリカと同じくらいだろう。
「ヤバいよあの子。ハットトリックどころじゃないし」
リオが言葉を発すると同時に、ポニーテールの少女はボールを高く蹴り上げた。
そのまま高く飛び上がり――ヘディングでゴールを決めた。
「いい動きだな」
俺はそんなにサッカーに詳しいわけじゃないが、異世界時代の戦闘経験から、身のこなしのいい奴ってのはなんとなく感じ取れる。
あの子はできる。
運動神経に恵まれたタイプなのだろう。
「寝る前はいなかったよな?」
「うん。なんか急に混じってきて、男の子達相手に格の違いを見せつけてる」
「……天才サッカー少女?」
「あ、こっち見た」
くるりと振り向いたファンタジスタガールは、リオ以上に彫りの深い顔をしていた。瞳の色は灰色で、明らかに日本人ではない。
外国人……それともハーフだろうか?
「近付いてくるんだけど。知り合い? まさか中元さん、また十代の女の子を引っかけたんじゃないでしょうね」
「心当りないって。俺も初対面だし」
……いや。
よく考えてみれば、心当りはある。
外国人っぽい見た目で、身体能力が高そうで、俺に用件のある人物。
異世界からの刺客?
俺は咄嗟に身を起こし、リオを庇うようにして前に出る。
「解呪」
さすがに俺も場数を踏んできたので、先手を打つことした。
解呪ならば相手に怪我を負わせることはないし、もしも何か仕掛けているのならば無害化できる。
結果は……。
「?」
ポニーテールの少女は不思議そうに首をひねり、解呪を真正面から受け止めた。
何も起きない。
「今のなんですか?」
少女は俺の目を見てたずねる。
発音に訛りはない。……言語理解スキルの力か? ステータス鑑定が健在ならば確かめられるのだが。
「君、何者だ。返答次第じゃ……」
「中元さんだよね? おはよう。クロエって言います。
よろしくお願いします、と頭を下げられる。
つられてお辞儀をしてしまうのは、日本人の習性であろう。
「……内藤? ってことは、どっちかの親が日本人なのか?」
「父が日本人」
もしかして共演者の女の子かも? という思考が脳裏をよぎるが、こんな子はいなかったはずだ。
ハーフで、しかも結構可愛くて、スタイルもいい。こんな子と会ってたら、脳内の美少女画像フォルダに即保存しているだろうから、忘れるわけがないのである。
アンジェリカあたりに怒られそうな習慣だが、男の本能なので許してほしい。
「聞いてない? 私、今日から中元さんの番組に出るんだよ」
「マジか。……えっ、なんで今さら追加メンバーを?」
「なんか、外国人に日本を褒めさせるコーナーを作るらしいんで、通行人Aって設定でサクラやることになってます。で、『美少女発見! その場で中元さんがスカウト!』って台本になってるんだけど……まだお知らせ来てない?」
いかにも黒澤Pの思い付きそうなことだし、ここまで日本の俗な文化を知ってるとなると、異世界人ではなさそうだ。
「まだ俺は聞いてないな」
「そっかぁ。……私の他にも、外国人の女の子増やすみたいだけど」
「なんだと」
アメリカ人に、イギリス人に、オーストラリア人に……あと日米ハーフに……指折り数えるマリーの声は、見かけよりも幼い。
もしかしてかなり若いんだろうか?
「ところで君、いくつだ」
「十五」
……女子高生じゃなくね?
JK進化論って番組名なのに、JCを出すのか?
俺が困惑していると、「四月になったら学年上がるから」とクロエは笑った。
「じゃ、よろしく。中元さん」
「あ、ああ。……君、敬語怪しいな」
「自覚ある。日本語そんなに得意じゃないし。……違う。得意じゃないですし」
敬語に言い直すと、クロエは手を差し出してきた。
握手しろということだろうか。
「……挨拶も欧米式の方が落ち着く感じか? 日本育ちじゃないのか」
「うん」
クロエは俺の手を強く握り、首を縦に振る。
……異世界育ちとかじゃないだろうな?
灰色の瞳を覗き込んでみるも、さっぱり内心が読み取れない。きらきらしすぎてて、何を考えているのかわからないのである。
……この目つきは……街角で突然サインを求められた時によくあるような……。
「もしかして」
「何?」
「俺のファンだったりする?」
「うん!」
元気よく頷かれる。
そっかあ。
俺のファンなのかあ。
途端にデレデレしてしまうのは、有名人あるあるだろう。
こういうのはしょうがないよな。
相手がおっさんだろうと、嬉しいもんだし。
ましてやそれが彫りの深い顔立ちでありながら幼さを感じさせるハーフ美少女で、推定Bカップ前後の均整の取れた体つきのスポーツ少女となると、格別に嬉しい。
……。
俺、段々権藤っぽくなってきたな。
悲惨な事実に気付いてしまった瞬間である。
でも、しょうがない気がする。
最近の俺、職場環境がヤバいし。なんせ共演者が酷い。
枕営業未遂をやらかした子だけで、この人数。
ぶっちゃけまだ全員の顔と名前が一致してないのに、これは酷い。
一日三回のペースで生徒に告白される女子校の教師って感じだ。
こんなの絶対、性癖歪むだろ。日に日にストライクゾーンを下方向に修正されていくのも、無理はない。
「……JCで枕営業は不味いだろ……やめろよ? やるなよ? 絶対やるなよ?」
「?」
単語の意味がわからない、な顔でクロエは目をしばたかせている。
「そろそろ駅に向かった方いいんじゃないの」
と。
背後から、リオが不機嫌そうな声で俺の袖を引っ張ってきた。
「行こ? 遅刻しちゃうよ」
「そ、そうだな」
俺は手を振って見送るクロエに愛想笑いを浮かべながら、脚を動かす。
「……婚約者の前で他の女に鼻の下伸ばすなんて、サイテー!」
「伸ばしてねえよ!? 中学生相手にそんな真似するかよ!」
「あの子、ブラのカップめっちゃ浮いてたよね」
「小学生男子には目の毒だったかもな」
「しっかり見てんじゃん」
「……」
「しっかり見てんじゃん」
「……あんなにはっきり浮き出てたら、そりゃな?」
「好きだよねー十代女子。どこがアラサー好きなんだか」
「誤解だ! こういうのは猫が動く物を目で追うようなもんで、性欲はそこまで関係がない……男の体に備わったオートフォーカス機能っつーか……」
ぐだぐだと言い訳しているうちに、時間は過ぎていく。
俺はリオをなだめると同時に、頭の中で「クロエはシロ」と唱えていた。
黒なのに白というのも妙な響きだが、デジタル機器を狂わせているのはあいつではない。
なら誰が?
とにかく俺に近付いてくる人間は、かたっぱしから解呪をぶつけて調査する必要があるだろう。
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