第144話 赤ちゃんに女心は難しい

 あんな騒ぎがあったというのに、午後からの収録は通常通り行われることとなった。

 やはりここは日本。

 大地震が起きようと、職場に来いと命じられる国なのである。


 もしかしたら俺達日本人は、世界が終わるその日すら働いているのかもしれない。

 ありえそうだから嫌だな、とげんなりしながら仕事をこなす。

 

 さきほどの幼児退行事件は、照明の熱によって引き起こされた熱中症と、集団ヒステリーが組み合わさったものとして処理されるらしい。


 ちょっとそりゃ無理があるだろと思ったが、信じたいものを信じるのが人間だ。

 異世界の人々は、何が起きても「神の奇跡」か「悪魔の仕業」で納得していた。

 現代日本の人々は、何が起きても科学現象に結びつけて納得しようとする。


 かつて宗教が担っていた役割を代わりに科学がこなすようになっただけで、根本的な部分は何百年も前から進歩しちゃいない。

 下手したら何もないところから道具や文明を生み出した原始人より、退化してるんじゃないかとさえ思う。


 最初に火の使い方を見つけた原人と、SNSで犯罪自慢して炎上する高校生なら、確実に前者の方が利口だろう。

 文明水準が高ければ賢いとは限らないし、その逆もまた然り。

 

 中世風の異世界で生まれた者であろうと、頭の切れる人間はどこまでも切れる。

 魔術師エリンは、まさにそれだ。

 なんせあいつは職業が魔法使いなのではなく、種族が魔法使いなのである。

 純粋な人間と比べると魔力や知力が高く、寿命も倍近いとされている希少種族だ。

 体格や腕力には恵まれないため、生まれながらの後衛と言えるだろう。


 よくファンタジー作品にローブを着込んだ鉤鼻の魔女が出てくるが、あれと同一の存在だ。

 ただし見た目が老婆ではなく、可憐な少女という違いはあるが。


 エリンは今年で、二十八歳になる。 

 だが人間族より歳を取るのが遅いので、実年齢の半分くらいにしか見えないだろう。

 フィリアの次に俺のパーティーに加わった仲間で、主にデバフと魔法火力を任せていた。


 石のように無口な奴で、何を考えているのかよくわからない女だった、という印象である。

 台詞の最初に必ず「……」が入るようなタイプだったのだ。何を話しかけても「……ん」としか答えないし、喜怒哀楽もほとんどない。

 たけど一度だけ涙を見せたことがあって、それが原因だとするなら――俺を付け狙う動機はある。


 やっぱりエリンの奴も、俺を恨んでるんだろうか。


 それとも王様に命じられて、嫌々やってきたのだろうか。

 あるいは狙いは俺ではなく、単にフィリアを回収しに来ただけだったりするんだろうか?


 まあどんな理由だろうと、厄介な相手であることには変わらない。

 精神状態がまともな分、フィリアより慎重に動いてくるのは間違いないのだから。


(デバフと攻撃魔法の名手。しかも姿が見えず、近付くと知能を持っていかれる……)


 俺は意識の大半をエリン対策に集中させながら、撮影を終えた。

 集中力散漫だったせいで何度か手品を失敗したが、それがかえって笑いに繋がったらしく、共演者からの評判はよかった。


 怪我の功名というやつだろうか。

 

「……」


 怪我の功名。

 そうだ。

 本来不利になりはず要素で、有利に運ぶことだってできる。

 

 エリンに勝てるかもしれない……。

 

 俺は二人の綾子ちゃんを頭に思い浮かべていた。

 上手くいけば、知能を維持したまま接近戦に持ち込める。正気の状態で取っ組み合いになれば、百パーセント勝てる相手だ。


 場合によっては、命のやり取りになる。


 だからその前に、確かめておきたいことがあった。

 俺はポケットからスマホを取り出すと、アンジェリカにメッセージを送った。


『今ちょっと話せるか』


 女のことは女に聞くのが一番だろうし、アンジェリカのエリンの心理を聞いておきたいのである。

 エリンが俺を狙うとしたら、これが原因なんだろうか、と。


「……遅いな」


 ベンチに腰かけて、ひたすら返信を待つ。

 アンジェリカは無職で学校に行かず就職活動も家事もしていない十五~三十四歳にばっちり当てはまるので、基本的に暇なはずだ。

 なのに今日はやけに既読になるのが遅い。


 綾子ちゃんと遊んでんのかな? などと牧歌的な想像をし始めたところで、やっとメッセージが既読に切り替わる。


「お」


 まだスマホの操作に慣れていないアンジェリカは、文字を打つのにやたらと時間がかかる。

 このあたりは異世界人っぽいよな、などと苦笑しながら画面を見つめる。


『もー。どうしたんですかお父さん? またママに甘えたくなっちゃったんですか?』

『ママ?』


 なんだこのノリ、と首をかしげる。

 そういえば知能低下を食らっている時に、スマホを弄ったような気がしないでもない。

 まさか頭がアヘアヘになっている状態で、アンジェリカと連絡でも取ったのだろうか?

 どうもあの時の記憶が曖昧なので、よくわからないのだった。


 過去のメッセージを読めばはっきりするし、遡ってみるか?

 一つ前のアンジェリカの書き込みが『ここまで過激派な赤ちゃんは初めて見ましたよ』なのも怖いしな。

 悪寒を覚えながら人差し指を立て、フリップの動作に入る。


 が、それとほぼ同時にアンジェリカが新しく文章を送ってきたので、俺の意識はすぐさまそちらへと向かった。


『帰ってきたら美味しいミルクが待ってますからね』

『牛乳でも買ってきたのか?』

『お家に着いてからのお楽しみですよ、私の赤ちゃん』


 私の赤ちゃん……? 外人がよく言う「愛してるよベイビー」を、そのまま日本語に訳してるんだろうか。

 なんで急に外人成分を前面に押し出してきたかな、と奇妙に思いながらも返信をする。


『実はアンジェに聞きたいことがあるんだが』

『なんですかぁ? ママがさっきまで何してたかですか? もちろん、お父さんのことを考えながら一人でいけないことしてたんですよ? ママをこんなにした責任、きちんと取ってもらいますからね』


 ……どうしてこいつ、真っ昼間からこんなに盛ってるんだろ。

 大体いつもこんな感じもするけど、今日は文章からも水気を感じるというか。

 嫌な予感に従って過去ログを読みかけた瞬間、またまたアンジェリカが新しくメッセージを送ってきた。


『お父さんって甘いもの好きですよね?』

『ああ、それがどうした?』

『ふっふーん。ならお父さんのお口に合う、素敵なご馳走を用意できたと思いますよ』

『料理に興味持ってくれたならなんでもいいが』


 家事やったらニートの定義から外れるしな。

 俺はアンジェリカの生活が健全な方向に向かいつつあるのを喜びつつ、さっそく本題に入った。

 何か確かめなければならないことがあったような気もするけど、そんなことよりまずエリンなのだ。

 どうもまだ頭が本調子ではないようで、忘れっぽくなっている節がある。


『あのな、今はだべってる場合じゃないんだ。またあっちの世界から刺客が来た。俺の二番目のパーティーメンバー、魔術師エリンだ。その件について相談したい』

『弱体化魔法が得意な人でしたっけ。大丈夫ですか? どこも怪我してないですよね?』

『外傷はない。安心してくれ。それよりもお前に判断してほしいことがあるんだが』

『なんです?』

『エリンの精神状態についてだ』


 小柄な魔女と交わした、数々の会話を思い出す。


『あいつはフィリアに比べれば、いくらか話の通じる相手だとは思う。けれど俺を憎んでいる可能性もある。鈍い俺にはよくわからないから、アンジェの知恵を借りたい』

『私の勘が男女間のトラブルだと告げてるんですか、本当にそうだったりしますか?』

『多分』

『罪深い赤ちゃんですね、全く』


 そのネタ長く続くな、と下らないことを考えながら質問する。


『エリンは無口で無表情な女だったんだが、たまに笑うこともあった。戦闘に勝ったあとや、新しい魔法を覚えたあとなんかにな。けれどある時を最後に、二度と笑顔を見せなくなった』

『何がきっかけだったんです?』

『俺がエルザと交際を始めたことを告げたら、静かに涙を流して、それっきり笑わなくなった』

『……その時エリンさんはなんて言ってました?』

『勇者が幸せなら、それでいい』

『まだ微妙なところですね。仲間の恋を祝福しての嬉し涙なのかもですし。具体的にこう、どういう出会い方をしていたのか教えてくれません?』


 出会い方なんて言われても困る。もう十六年近く前のことなので、とこどころ記憶があやふやになっている。

 俺は目をつむり、一生懸命脳のひだを漁って回り、思い出を絞り出す。

 

『……そうだ。確かエリンが以前所属していたパーティーを追い出されたところを、俺が拾ったんだ』

『どうしてエリンさんは追い出されちゃったんですか? 魔法使い族は生まれつき優秀なウィザードでしょうに』

『それがな、エリンは俺と合うまで、自分を人間だと思い込んでたんだよ。捨て子で、人間の両親に育てられたらしくてな。おかげで出会った当初は、魔術師じゃなくて盗賊職に就いてたほどだ。そりゃあ使いもんにならなくて追い出されもするさ』

『……自分の種族を間違えてたんですか。なんだかエルザさんみたいですね』

『名前も似てるしな。まあ見た目は全然似ちゃいないんだが』

『ええっと、それでエリンさんは、どうやって自分の適性に気付いて転職したんですか? まさかお父さんが関わってたりしますか?』

『よくわかったな。俺がステータス鑑定したら魔法使い族だと判明したんで、魔術師になるよう勧めたんだ。そしたらあいつ、メキメキ頭角を現してな』

『つまりお父さんがエリンさんの才能を発掘してあげたんですね?』

『そうなるのか』

『嫌な予感がします。最悪のすれ違いがです』

『どういうことだ?』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る