第64話 Dランク
昼食が済むと、アンジェリカは音もなく立ち上がった。
見えない糸で釣り上げられたような動きである。
「どした?」
「身支度ですよ」
言うなり、キャミソールの裾に手をかけた。
そのまま勢いよくめくり上げ、白い腹を露わにする。
なんと俺が見ている前で、着替えをしようというのである。
バスルームへ逃げようにも、あっちはあっちで綾子ちゃんが用を足している最中だったりする。
前方の排泄、後方の脱衣。
どこにも俺の避難場所がない。
よって「くるりと後ろを向き、視界にアンジェリカが入らないようにする」という逃げ腰な手段しか選べない。
最強の勇者が、たった二人の女の子にたじたじになっている。
異世界の連中が見たらなんと言うだろうか?
「ね、おとーさん」
「なんだ」
「着替えるの手伝って欲しいんですけど」
「お前何言ってんだ?」
いつもここまで甘えん坊じゃなかっただろ?
ていうか昨日までは、俺に見られないようにして着替えてたはずなのに。
一体どんな心境の変化があったというのか。
「だってアヤコが言ってたんですよ。去年まで父親に着替えを手伝って貰ってたし、お風呂も一緒に入ってたって。これが日本の父娘関係なんですよぉって、勝ち誇った顔で……! ずるくないですか!? 日本人の女の子に生まれるだけで、こんなボーナスがあるんですか!? 私もう悔しくて悔しくて、ついふて寝しちゃったんですからね」
「言っとくけど全然普通じゃないからなそれ。綾子ちゃんの言うことをあまり真に受けるな」
「いいから手伝って下さいよー。ブラ着けさせてくれるか、パンツ穿かせてくれるかしたら十分ですから」
「その二つこそやっちゃいけないやつだろうが」
こうやって俺のいない間に、綾子ちゃんからどんどん歪んだ知識や価値観を仕込まれてしまうのだろうか。
教育上最悪の女の子を拾ったせいで、アンジェリカがますます危険度を増していく。
最終的には、どこまでファザコンをこじらせてしまうのだろうか?
「おとーさんってばー」
結局俺はおねだりに根負けし、ブラジャーのホックを留めるところだけは手伝うことにした。
ギリギリまで妥協して、ここが限界である。
これ以上はいたたまれないので無理だ。
というか逆セクハラだろ俺が泣くぞと抗議した結果、アンジェリカは渋々納得した。
「育児放棄ですよ、次からは全部手伝って貰いますからね」
ぷりぷりとした顔で、アンジェリカはピンクのタイトスカートに足を通している。
冬だというのに膝丈で、見ているだけで心配になってくる。
一応ストッキングも履くようだが、防御力は限りなくゼロだ。
上半身は、白いフリル袖のニットを着込んでいた。さらにその上から薄桃色のファーコートを羽織っている。
どうやらこれで完成らしい。
くるくるとその場で回転し、見て見て? と感想を求めてくる。
「似合ってる似合ってる。でももうちょい露出を抑えた方が」
「どうせ歩いてると暑くなりますもん。この国暖かいですし」
「……まーあっちの世界は寒冷な気候だったしな。体がまだ慣れてないのか」
「でしょー? お父さんだってすぐ汗かくじゃないですか」
ていうかこの服、初めて見るな。
自分で買ったのだろうか?
アンジェリカと綾子ちゃんはどうも、二人で相談しながらネット通販をしているようなのだ。
金は俺が小遣いとして渡してある。
なので我が家のクローゼットには、俺の把握していない洋服が日々増えていく。
下着も同様である。
ベッド下の引き出しを開けると、おそらくランジェリーショップもかくやという光景が広がっている。
精神衛生上の理由で、絶対やらないけど。
そのうち化粧品にも手を出すのだろうが、そうなるといよいよ置き場所が見つからない。
早いとこ、いい物件を見つけて引っ越さねば。
亜人を探すついでに、不動産屋も行ってみようかなと思い立つ。
スマホを取り出し、地図を検索。
この辺で一番近い不動産屋は……とやっていると、ジャバーッと水を流す音がした。
バスルームの方からだった。
ブシュブシュと消臭スプレーを噴かす音も聞こえてくる。
「アヤコ、終わったみたいですね」
女心に配慮して、数分ほど待つのが礼儀である。
俺はコートを着込み、テレビの音量を上げて時間を潰した。
やがて「私の体から汚いものなど何も出てきませんが?」な顔をした綾子ちゃんが、リビングに戻ってきた。
準備は完了。
俺とアンジェリカも順番に用を済ませると、勢いよく玄関を飛び出した。
出撃開始だ。
公園まで歩いたところで、アンジェリカが「あっ」と声を発した。
何か大事なことに気付いた、といった感じだ。
「私ってこのままでいいんですか? いつも隠蔽かけてくるじゃないですか」
「今回はいい」
少し迷ったが、今日は姿を隠さずにいく。
ゴブリンをはじめとする亜人は欲が深く、美しい少女に目がないのだ。
アンジェリカには悪いが、レーダーと寄せ餌の役割を一人でこなして貰う。
万が一警察と遭遇してビザの提示なんかを求められたら、その時初めて隠蔽を使えばいい。
急に姿が消えれば、警官はまず自らの正気を疑うのではないだろうか。
アンジェリカは現実離れした美貌の持ち主だし。
「おまわりさん貴方疲れてるんですよ」でゴリ押しすれば、幻覚と解釈してくれる……と思いたい。
ゴブリンよりも、この国の法律を警戒する。
俺はやつらからすれば、凄まじく侮辱的なハンターだろう。
「探索する上で、方針ってあるんですか」
「あー、大雑把で申し訳ないんだがこんな感じだ」
町を練り歩き、アンジェリカが感知で見つけた赤い点を、俺がステータス鑑定する。
そいつがゴブリンだったら暗がりに連れ込んで、尋問。
ひたすらこの繰り返し。
地道で乱暴な足働きだけど、付き合ってくれるか? と確認してみる。
「……すっごい時間かかりそうですね……」
本当はまた俺を分裂させれば手間が色々な省けるのだろうが、これをやるとアンジェリカが悲しむし。
自暴自棄な手段を封印すると、手法が限られてくる。
「ま、お父さんと一日デート出来るって思うことにします」
しょーがないなーと言って、アンジェリカは腕を組んできた。
部屋の中でボリボリと掻かれていた胸が、むにゅりとひじに当たる。
アンジェリカはコートの前を開けている。つまり割とダイレクトに感触が伝わってくる。
谷間にひじが挟まれている感覚までわかってしまう。恐ろしい兵器である。
「……集中力が乱れるから、あんまそこをくっつけないでくれるか」
「えー、変な気分になっちゃうんですかぁ? 娘のおっぱいでぇ?」
酷い小悪魔だった。アンジェリカはニヤニヤと、それはもう腹の底から嬉しそうにしている。
「何がそんなに愉快なんだ」
「だってお父さん、ちゃんと私の胸でドキドキしてくれてるんですもん。私てっきり低ランクな胸だと思ってたから、ちょっと自信失ってたんですよ」
「な、なんだそりゃ。胸にランキングなんかあったか?」
「へ? この世界って、女性の胸にランク付けしてるじゃないですか。冒険者ギルドみたいに」
冒険者ギルドっていうと、ダンジョンに入り浸る荒くれ者をAランクだのBランクだのと等級付けをしていた、あの団体か。
「どういう意味だよ?」
「……私、Dランクおっぱいらしいんです。アヤコに言われました」
「Dランク……?」
「なんか下着を買う前に、巻き尺で大きさを計測されまして。そしたらDだって」
「……」
お前それ、ランクじゃなくてカップの話だよ。
Dカップなら低ランクじゃなくて高ランクだよ。
全てを知りながら、言い出せない気恥ずかしさが男心である。
「でも笑っちゃいますよね。アヤコなんてEランクらしいですから。私より格下なのに、なぜか威張ってましたね。あれは開き直りなんでしょうか」
「そ、そうか。綾子ちゃんはEなのか」
「ええ。早くCランクに昇級して、アヤコとの差を広げたいところです」
「……いや……そのままでいいと思うけど……」
「そんなんじゃ駄目ですよ! 何事も向上心が肝心です。目指すは一番上のAAAランクですし!」
俺としては、一秒でも早く違う話題に切り替えて欲しかった。
女子更衣室に突然投げ込まれたような、なんとも言えないむず痒さがある。
「お父さん、顔赤い」
「……うるさい」
「そんなに照れることですか? おじさんなのにー」
可愛いとこあるんですね、とアンジェリカは俺を手のひらで転がす快感を楽しんでいる。
「おとーさんの反応が見たいから、もっと胸の話しよっかなー」
「や、やめろ……」
自分の半分の年齢の少女に、オモチャにされる。これが俺の人生なのである。
「ほんとに本に書いてある通りですね? 男の人ってこういう話、弱いんだ?」
「……うるせえ」
さすがに手玉に取られ続けるのは悔しいので、反論してみる。
「もう乳の話は勘弁してくれ……精神力がゴリゴリ削られてく」
「えー。そういうの聞いちゃったら、なおさら続けたいんですけどー」
「あのな。逆の立場で考えてみろって」
「逆?」
「えーっとだな。俺がお前に股間を当てながら、それが他の男と比べてどうこうなんて語ったらどう思うよ? 好きとか嫌いとか関係なく、大ダメージだろ? つーかちょっとした犯罪だぞこれ」
「……」
「アンジェ?」
「……十六年間も女しかいない場所で育ったのに、男の人に股間を当てられるシーンなんて上手く想像出来るわけないじゃないですか! ないじゃないですかっ! お父さんも触らせてくれないし、どんな感触かまったくイメージつかないんですけど!? 私だって想像してみたいですよ!?」
「半泣きになるなよ!?」
てっきり寝てる間に俺のをこっそり触ってんじゃねーのなどと疑っていたので、申し訳ない気持ちでいっぱいである。
そういえばアンジェリカのやつ、俺の寝床にガンガン潜り込んでくるしボディタッチもしてくるけど、局部だけは何がなんでも手が当たらないようにしてたっけ。
やはり芯の部分は、生娘のままなようだ。
「俺が悪かったから泣くなよ……わかった、今日はお前の好きなようにくっついてていいから、機嫌直してくれ」
現金なものである。
アンジェリカは秒の速さで笑顔に切り替わり、恋人繋ぎまで要求してきた。
こちらとしては、もうどうにでもなれ、といった感じだ。
「絶対カップルにしか見えませんよねこれー?」
「……そうだな」
いいから感知してくれよ、と懇願する。意識を双丘から、ゴブリンハントに切り替えたいのである。
「今しますってば」
アンジェリカは目を閉じ、深く息を吸い込んだ。
どうやらやっと本来の役目をこなす気になったようだ。
【パーティーメンバー、神聖巫女アンジェリカは感知スキルを発動】
【スキルを使用している間、MPは毎秒3ずつ消費されます】
「……あ。いますねさっそく。このまま真っ直ぐ進めば、赤い点とぶつかりますよ」
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