第63話 巫女さんモード
再び騒がしい電子音が、俺達を包み込む。
さきほどまで死闘を演じていたというのに、一歩外に出れば日常が広がっている。
そのギャップに、中々頭を切り替えられない。
とはいえ今頭がぼーっとするのは、途中から意味不明の会話が始まったのも大きそうだが。
大体それのせいな気がしてならないが。
調子狂うよな、と隣で佇むリオに目をやる。
こいつもこいつでぼんやりとしていて、俺の袖をつまんで立ち尽くしていた。
「帰るぞ」
一声かけてみるも、反応はなし。
「リオ。帰るぞ」
二度目の呼びかけはきちんと脳に響いたらしく、リオははっとした顔になった。
ゆっくりと首を動かし、俺の目を見てくる。何か言いたいことがあるようだ。
「……あのさ」
「なんだ?」
「さっきの怪物って、まだいるんだよね」
まあな、と俺は答える。
確かにアギルはそんなことを言っていた。
「あたし普通に学校通って大丈夫なのかな。あれと遭遇したらって思うと、その……怖いんだけど」
もっともな不安である。
戦闘力も鑑定能力も持たないリオからすれば、為す術もないのだから。
「そうだな。誰に化けているかわからないうちは、あまり外出しない方がいいかもしれない。当分は自宅に待機しとけ。兄貴にもそう言っといてやれ」
じゃあこれで不登校デビューだね、とリオはため息をつく。
「なんか悔しいな。絶対イジメを苦にして逃げたって思われるじゃん」
成績にも響くだろう。この件はなるべく早く片付けねば、と思う。
「とりあえず今日は家まで送ってくよ」
亜人の潜む町を、一人で帰らせるわけにはいかない。
俺はリオにしがみつかれたまま、ゲームセンターを後にした。
スマホで確認すると、時刻は午前十一時すぎ。
斎藤家はここから歩いて三十分ほどらしいので、到着する頃にはちょうど昼飯時だろう。
「自宅で飯を食って、後はゴロゴロしていればいい。その間に俺が終わらせる」
もっともそのゴロゴロは、しばらく続ける必要があるのだが。
リオの籠城が何日続くかは、俺の頑張りにかかっている。
「あたし引き篭もってる間、何すればいいのかな」
「テレビ観たりスマホゲーで遊んだり、色々あるだろう」
「絶対暇だし……しかも近所に怪物が隠れてるかもって思うと、家の中に居ても不安なんだけど」
あたし今日寝れるかな? とリオは弱々しい声を漏らす。
「そう怖がるな。やつらは高校生の身分を乗っ取って、学生生活を送ってたんだ。ある程度はこちらの社会に馴染もうとしてるわけだろ? だったらいきなりお前ん家に侵入して襲いかかってくる、なんてのは考えにくいと思うが」
リオは下唇を噛んでいる。今の返答ではご不満らしい。
「やっぱ今日、中元さん家に泊めてよ」
「だからそれは無理だって。うちは狭いし、既に同居人もいるんだ」
「隣に強いが人がいてくれないと、無理。不眠症なりそう」
「なら寝る前に電話してこい。声を聞けば少しは落ち着くだろ」
「……んー」
リオは髪をかき上げて、なんでもないことのように言った。
「今晩、寝る前に中元さんの声聞きながら一人でしていい? 一番気が紛れるのってこれだろうし」
「……一人でするって……何を?」
「想像してる通りのことだけど」
なんだ腹筋か、と俺はすっとぼける。
「夜中に寝床でやることなんて、筋トレ以外にないしな、うん」
「じゃあ腹筋ってことでいいよ。ちゃんと電話かけたら出てね。いっぱいするから」
「お、おう」
気不味い。
とても、とても気不味い。
こいつには恥じらいというものがないのだろうか?
と思いきや、首の付け根まで赤くなってるし。自分でも恥ずかしいなら妙なことを口にするなよ、と注意する。
「だって中元さんの前で恥ずかしいこと言うと、気分いいし。何だこのアバズレ? みたいな目で見られるとゾクゾクするっていうか」
本当はこいつ、ものすごくタフな精神の持ち主なのではないか。
異世界で好んでタンク職を引き受けていた連中に、こんな性格が多かったと記憶している……。
俺はリオを無事に送り返すと、バスを使って早々にアパートへ戻った。
なにせ腹が減っていたので、自分の足で歩くのが億劫だったのだ。
いくら最強の勇者といえども、空腹には勝てない。
ペコペコの腹をさすりながら、玄関を開ける。
「ただいま」
途端、鼻をくすぐる香ばしい香り。
どうやら綾子ちゃんが、昼ご飯を作っているらしい。
「おかえりなさい、中元さん」
俺はドアチェーンをかけ終えると、エプロン姿の横顔に話しかけた。
「悪いね、すっかり料理当番にさせちゃって。皿洗いは俺がやろうか」
「大丈夫です。ちゃんと私がやりますから」
「女の子にずっと働かせっぱなしってのは胸が痛むんだけどな」
「……でも……家事をやらなきゃ……ですし……」
綾子ちゃんは包丁を片手に、なにやら思い詰めたような顔になっている。
「まさか家のことをやらないと申し訳ないとでも思ってるのか? 俺は気にしないから、食後は休んでていいよ」
「……そうじゃなくて……」
私って十七歳じゃないですか、と綾子ちゃんは深刻なトーンで言った。
「それがどうしたんだ?」
「……この年齢で学校に通ってませんし、働いてませんし、職業訓練も受けてませんし……。私、家事をやらないと、ニートの定義にばっちり当てはまっちゃうんです……」
「……あっと」
「学校に行こうにも、もう一人の私が通ってますし……」
そうなのだ。
こっちの綾子ちゃん用の身分証を用意してやらないと、アルバイトも出来やしない。
「……だから私が家事をするのは、心の問題なんです。人間の尊厳に関わるんです」
「そこまで大げさなことかな?」
「やらせて下さい。私はあのカタカナ三文字の仲間入りをしたくないんです」
必死な形相を見ていると、好きにさせる方がいいように思えてきた。
俺は「じゃあ綾子ちゃんに任せるよ」と声をかけて、リビングに足を進める。
ベッドの上ではやはり十代で無職のアンジェリカが、気持ちよさそうに昼寝していた。
カタカナの「ヒ」のような体勢で、枕を抱きしめている。
キャミソールの肩紐が片方、だらしなくずり落ちていた。
暖房のかかった部屋で薄着をし、スプリングの効いた寝具で眠りにこける。現代文明を満喫しきっていると言えよう。
こんな飼い猫みたいな暮らしぶりで、よく俺を養いたいなどと口にしたものだ。
「お前は逆にもっと家事手伝えよな」
頼めばやるんだけど、自分からは絶対に家のことをしないのがアンジェリカである。
浮世離れした巫女さんなので、そういったものとは無縁の生活を送ってきたのかもしれない。
俺はベッドに腰かけると、まずは穏やかな起こし方を試みた。
「アンジェ、アンジェ」
体を揺すりながら、名前を呼ぶ。
が、見事なまでの無反応。軽く開いた口は、規則的な寝息を立てるだけ。
ちょっと涎まで垂れている。
飯食ったらゴブリンどもを感知して欲しいから、起きて貰いたいのだが。
アンジェリカはどうも、眠りが深いタイプらしい。
あまりこの手は使いたくなかったが、やむを得まい。
俺はアンジェリカの耳元に口を近付けると、迫真の演技で囁いてみた。
「うあっ……こんなのダメだって綾子ちゃん……! その歳で母親になる気か……!」
自分でも気持ち悪いが、軽く喘ぎ声を入れてみる。
狙い通り、効き目は抜群だ。
アンジェリカは両目をカッと見開き、背骨にバネでも仕込んでるのかのような勢いで跳ね起きた。
「アヤコ! 信じてたのに!」
緑の目に怒りの炎を燃やし、首を左右に動かす神聖巫女。
どこにも神聖さがないし、巫女っぽくもない。
なんというか、主婦向けのドロドロしたドラマに出てきそうな顔になっていた。
「おはよう、よく寝てたな」
「……あれ?」
お前変な夢見てたんだよ、とホラを吹き込む。俺は悪い大人である。
「そ、そうなんですか。これはまた恥ずかしいところを……」
アンジェリカは照れくさそうに肩紐を直している。
「えっと、今帰ったんですか? おかえりなさいですか?」
「ああ、ただいま。な、起きたてのところを申し訳ないんだけど、一つ頼まれてくれるかな」
「……私とお風呂入りたいんですか? それとも混浴したいんですか?」
「どっちも同じ意味だろ。ていうかお前がしたいんだろそれ。話を先に進めるぞ」
アンジェリカは枕を俺の膝に置くと、さも当然といった顔で頭を乗せてきた。
「……二度寝するなよ?」
「しませんよー」
手を伸ばして、俺の顎に触れてくる。下顎のジョリジョリした感触は、アンジェリカのお気に入りなのである。
「さっき町で、ゴブリンと出くわしたんだよ」
「何かの比喩ですか?」
「いいや。正真正銘、本物のゴブリンだ。人間に変身して、一般人として紛れ込んでいたようだ」
「ええー……どっから入り込んだんでしょう?」
アンジェリカはキャミソールの胸元を引っ張ると、おもむろに腕を突っ込んだ。
だらしのないことに、親父の見ている前でポリポリと乳房を掻き始めたのだ。
たまらず目をそらす。
いくら布の上からとは言え、掻く度にむにむにと形の変わる物体を直視するのははばかられる。
視線をアンジェリカの顔に固定し、会話を続ける。
「……でな、午後は俺と一緒にゴブリンを探して貰いたい。出来るよな? まさかお前の感知、亜人は対象外だったりしないよな?」
「問題ないですよ。亜人系のエネミーなら、赤い点で表示されますね」
「ならいけそうだな。……そういえば先月幽霊どもを探し回った時に、それは見えてたのか?」
しゃりしゃりと皮膚を引っかく音が聞こえる。
まだ掻きむしっているようだ。
「いくつかは見えてましたが……えっとですね。エルザさんのこともあって、お父さんはゴブリンが嫌いだと思うんですけど。彼らはその、属性としては中立なんです。言いにくいんですけど、そこまで悪性の存在じゃありません。とびきり悪質な個体で、ようやく薄い赤に見えるくらいです。人間の悪人と同じくらいの色合いですね」
「別に気にしちゃいない。続けてくれ」
「人間社会に何人か悪人が混ざってるなんて普通のことですし、なによりアヤコのインパクトが大きすぎて。ちょびちょび見えるうすーい赤は、気にしてなかったんです。あの時探してたのは霊体の白い点でしたから」
「んー、そっか。権藤やその手下なんかも薄い赤に見えんのかな」
要するにアンジェリカのスキルでは、心の歪んだ人間と亜人を区別することが出来ない。
それならそれで、あとは俺のステータス鑑定で補佐すればいい。
「どうやら共同作業をする必要がありそうだな。二人で片っ端からゴブリンどもを引っ張り出そう」
「共同作業……!」
アンジェリカは身を起こすと、正座の姿勢になった。
「素敵な響きですね! ぜひやりましょう!」
なにやら祈るように両手を組み、すっかりやる気になっている。
きらきらと輝くエメラルドの目には、ようやく神聖巫女らしい神々しさが戻っていた。
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