第62話 リオの好きなこと

 俺だって男だ。人並みに欲望はある。

 しかも目の前にいる少女は、エルザとそっくりなのだ。


 それが、嫌になるくらい効いている。


 おかげで性欲とは別の部分、思い出や懐かしさといった箇所まで刺激されていた。

 ある意味そこは、最高に敏感なスポットかもしれない。脳に埋め込まれた、魂の性感帯なのだから。

 

「本当に、俺でいいのか?」


 リオはこくりと頷いた。そのまま二回、三回と連続して首を縦に振る。

 もう待ちきれないといった様子だ。俺の首に腕を回し、体重をかけて甘えてくる。

 柔らかな膨らみが、胸に当たって潰れるのを感じた。


「中元さんじゃなきゃやだ……」

 

 言いながら、リオは俺の唇を奪った。

 それで、俺の頭にも火が点いた。


 ここから先は男と女。いや、オスとメスだ。

 やってやろうじゃないか。ありったけをぶつけてやる。


 俺はリオを強く抱き、肩に顎を置いた。

 二度と離すものか、と腕に力を込める。

 お前は俺の最愛の女。

 そう、


「エルザ……!」


 ――しまった。


 咄嗟に口を閉じるが、もう遅い。

 一度出てきた言葉は、消せるものではない。


 よりにもよって俺は、キスをされた直後に昔の女の名前を呼ぶという、最悪のポカをしでかしたのだった。


 いや、だって。

 頭の中がエルザでいっぱいだったし、しょうがないじゃないか。不可抗力なんだよ。

 いくら脳内で言い訳してみても、聞こえるはずもなく。

 恐る恐る身を離してみると、ごく当たり前な質問をぶつけられることとなった。


「エルザって誰?」


 これはだな、としどろもどろな弁解をしてみるも、聞いちゃいない。


「前の彼女? それとも今の彼女?」


 ふーんそっかそっか、とリオは一人で納得している。


「外人の名前だよね? 海外いる間に、向こうの女とよろしくやってたんだ。くたびれた顔して、中元さんもやるよね。まさかこのタイミングで呼び間違われるとは思わなかったな」

「……すまん、今のは俺が全面的に悪い」


 こりゃあビンタが飛んでくるかなあとうなだれていると、視界にシステムメッセージが浮かび上がってきた。


【斎藤理緒の好感度が2000上昇しました】


「申し訳ないことをした自覚はある、つい昔の癖で……ん、んん? えっ。なんでお前、このやり取りで好感度上がってんの? まさか喜んでるのか?」


 見ればリオの目はさっきよりもさらに水気を増し、恍惚と言っていい段階に達している。


「……だって中元さんが、あたしの好きなことするから……」


 お前の好きなことって何? と恐る恐る聞いてみる。


「強くて怖くてあたしに興味のないパパに、めちゃくちゃにされること」

「俺の性癖では理解しきれない。細かく解説してくれ」

「えっとね」


 リオは語る。

 他に本命女がいながら自分を抱こうとするような、鬼畜なおじさんがたまらなくそそるのだと。

 

「抱かれながら『エルザに比べて冗談みてえな使い心地だな!』なんてなじられたら、あたしどうなっちゃうかわかんない……。しかもここ、男子トイレだし。こんなとこで消耗品みたいに扱われたら、あたし便器じゃん。そしたら長年の夢が一度にいくつも叶っちゃうっていうか」


【斎藤理緒の性的興奮が100%に到達しました】


 頭の中から、さーっと熱が引いていくのを感じる。もはや熱情もロマンスもあったもんじゃない。

 そりゃ、マゾっ気のあるファザコンなのは備考欄でわかっちゃいたけどさ。

 でもここまでこじれてるとは思わないだろ普通?

 

「……お前さ、嫉妬とかしないの? 惚れた男が何人の女と付き合ってても、気にならないの?」

「めっちゃ嫉妬するよ。でもその苦しみがまたじんじんくる」

「お前がデート中に男に言われて嬉しい言葉って、どんなの?」

「『お前は今日から俺のティッシュペーパーだ』かな」


 駄目だこいつ。

 いくら見た目がエルザに似ていても、中身はまるで別物だ。別物っていうか汚れ物だ。

 しかも俺どっちかというと、女に主導権握られる方がしっくりくるタイプだし……。


「……あと少し休んだら、外出るか。お前とっくに一人で歩けるだろ」

「は? なんでよ? 続きしよーよ! こんな状態で家に帰されても、困るんだけど!? 体火照りっぱなしじゃん!」

「そういうのがいいんだろうが。お預けだ」

「そんな雑なオレ様じゃ、なんとも思わないんだけど」


 オレ様に雑だの丁寧だのといった基準は、あるのだろうか。

 仮に女にきめ細やかな対応をしたら、それはもう全然オレ様じゃないような気がするのだが。

 リオのような専門家の中では、厳格なルールがあるのかもしれない。


「意味わかんねーよ、とにかくそういう気分じゃなくなったんだ俺は。今日は一人で体を持て余してろ」

「あっ、今のイイ……」


【斎藤理緒の好感度が100上昇しました】


「……お前さ、ゴブリンどもにここに連れ込まれた時、喜んだりしてなかったろうな?」

「ひどっ。そういうのは普通に傷つくからね? 別に強引な男ならなんでもいいってわけじゃないから。好みの男以外にぐいぐい迫られるのは、ムカつくだけだし」


 難しい世界なんだな、としきりに感心する俺である。

 

「ねー、ほんとにしないの?」

「しない」


 リオはふーんと鼻を鳴らし、それから不敵に笑った。


「ま、いっか。どうせこれからいくらでもチャンスあるしね。あたしら、もう彼氏彼女でいいんだよね?」


 言って、俺にしなだれかかってくる。長い黒髪が、パラパラと肩にかかる。


「……なんでそうなる?」

「だってキスしても嫌がらなかったじゃん。しかもそのあと抱きしめてきたじゃん。これでどう言い逃れするつもり?」


 ぐぬ、と言葉に詰まる。

 確かに、その通りだ。

 こんな行為は恋人同士でなければありえない。


 高一女子と、三十過ぎのおっさんが真剣交際。

 きっかけは男子便所での口付け。


 一体いくつの条例を破っているのだろうと、自分でも恐ろしくなる。

 既にちびちび法律を無視している身だが、今回のはどちらかというと自己嫌悪に陥るタイプのやらかしだ。


 リオのことは嫌いじゃないが、付き合うのはまだ早いというか。せめて二十歳になるまで待てというか。

 なんとしてもこの場を切り抜けたくてたまらない、それが正直な気持ちだった。


 だが思いつかない。俺の足りない頭をいくら回転させたところで、ここから無害な関係に持ち込む方便など見つかるわけがない。


 どうすればいいのだろう? 

 リオはファザコンスキル持ちで。俺はおっさんで。そんな二人が唇を重ねてしまって。

 相手から迫ってきたとはいえ、拒絶しなかったのは事実だ。

 

 俺は……。


「ってか、今日は中元さん家に泊まっていい?」

「……無理に決まってるだろ」

「なんで? あたし彼女なんだよ。お泊りくらい普通じゃん」

「……いや。俺とお前はまだ恋人なんかじゃない」


 は? と眉根を寄せるリオに、とうとうと持論を展開する。


「おっさんと若い女がキスしたくらいでは、恋愛関係なんかにならない」

「なるよ! 彼氏彼女以外の関係性で、どうやっておじさんと女子高生がキスするわけ!?」

「いいやするね! そう、パパと娘なら! 親子ならそれくらいやるだろ!?」


 ファザコンスキル持ちであれば、とりあえず父娘という例を持ち出せば丸め込めるのではないか、という悪い開き直りだった。

 アンジェリカで学んでしまった、外道極まりない処世術である。


 さあどうなる!?

 俺は一縷の望みをかけて、リオの目を覗き込む。


「……確かに……パパと娘なら、キスくらいするね……」


 ぐぬぬ、とリオは悔しそうな顔をしている。

 まず間違いなく俺のロジックはおかしいのに、通用してしまった。

 重症ファザコン娘達の、恐ろしい生態である。


「……ってちょっと待った。中元さんの理屈はおかしいよ! あたしら親子でもなんでもないじゃん! なのに父親気取りなわけ!?」

「はんっ」


 かかったな、と俺はほくそ笑む。


「やれやれ。平成生まれにはわからないか?」

「何の話……?」

「子供ってのはな、社会全体で育てるものなんだ! それが昭和の常識だろうが! 昭和生まれのおっさんからしたら、そのへんのガキってのは皆我が子みたいなもんなんだよ!」

「今平成三十年だよ!?」

「関係ねえな!」


 リオの両肩を掴み、精一杯の虚勢を張る。


「お前は近所の親切なおじさんと、親子ごっこをしただけ! わかるか!? こんなのは子守の一環だ!」

「こ、子守!? 口と口でキスするのが子守だっていうの!?」


 リオはぜーぜーと息を切らしながら、ぐるぐる目になっている。

 あちらもあちらで、大分混乱しているようだ。


「俺とお前がチューしようが、こんなのは単に子供をあやしただけ! いつも何やってるのかわからん近所のおっさんが、ガキの草野球に付き合うのと変わんねーだんよ! ……小学生チームに混ざって、大人気なく鋭いカーブ投げやがるんだよな。あの人は何者だったんだろう……とにかくな、お前はたまたま子供好きなおっちゃんと戯れたに過ぎねーんだ! おままごとを恋人シチュでこなしただけなんだよ! だから俺とお前は彼氏彼女じゃない! そこんとこわかってんのか!?」

「わかんないけどそれはそれで興奮するからいいよ!? 変なおじさんにイタズラされたみたいで好みのシチュだし!?」

「いいのか!? いいんだな!? だったら今日は真っ直ぐ家に帰れよ!」

「うん!」


 俺達は互いに何を言っているのかわからなくなった状態で、トイレの外に出た。

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