第220話 おまわりさんが見てる


 拘置所へと到着した俺は、すぐさま尿検査が行なわれた。

 言動の不安定さを考えると、当然の措置と言えるだろう。


 が、俺の体から薬物反応は検出されなかった。

 

 警官達はしばらく首を傾げていたが、やがて「この男は罪を軽くしてもらうため心神喪失状態を演じている」という結論に達したらしく、一気に態度が硬化した。

 具体的には、雑な手つきで独居房へと放り投げられてしまったのだった。


 つまり今、俺は独りぼっちだ。

 もちろん、女の子のいない部屋で。


 有名人を雑居房に入れると他の収容者が落ち着かなくなるので、独居房に入れられる傾向にあるというのは権藤から聞いていたが、まさか自分がそうなるとは。


「アンジェ……吸いてえよ、アンジェ……」


 美少女欠乏症によって錯乱状態に陥った俺は、ひたすら壁に額を打ち付けて時間を潰した。

 杉谷さんを救出するという、当初の目的は完全に忘れていた。


「アンジェのDカップに顔を埋めたい……リオのCカップを口に含みたい……綾子ちゃんのEカップを揉みしだきたい……フィリアのGカップに溺れたい……エリンのAカップとクロエのBカップの僅かな差を観察する日課に戻りたい……あれ? あと一人Fカップの子がいれば、ABCDEFGとコンプできるな? Fだけ欠けてるってなんか気持ち悪いし、Fカップのファザコン娘もどっかで拾うか……?」


 そうやって同居女性達のカップサイズを呟いているうちに日は沈み、気が付けば夜になっていた。

 無論、暗くなったからといって禁断症状が収まるはずもなく、何もない空間で手をワキワキさせて存在しないはずの乳を揉み続けた。

 

 それほどの狂気に飲み込まれながらも、体内時計はきちんと機能するから不思議だ。

 窓の外はとっくに明るくなっており、腹の空き具合からすると午前九時前後。

 どうやら俺は、徹夜でエア乳揉みを繰り返していたらしい。

 

「おい中元、いつまで精神疾患のフリしてんだ。面会人が来てるから立て」

「アンジェぇ……お前の知り合いにいるか? Fカップのファザコン。連れてきてくれよ、アンジェぇ……」

「ちょうどそんな名前の娘さんが来てるぞ。あまり待たせるな」

「アンジェ!?」


 がばりと跳ね起きると、房の入り口が開けられるのが見えた。途端に室内が明るくなる。

 俺は光に向かって、のろのろと歩き出す。

 

「アンジェ……」

 

 這うようにして外に出ると、その場で手錠と腰縄が外された。

 面会中は両手が自由になるようだ。

 とはいえ今の俺に必要なのは自由ではなく、十八歳未満の少女なのだが。


「あっちだ。ついて来い」


 警官に言われるがまま歩き、三回ほど廊下を曲がり、小さな小部屋へと案内される。

 ここが面会室。

 すぐそこに、アンジェリカがいる……!


「お父さん……」

「アンジェ!」


 感極まった俺は、一目散にアンジェリカの元へと駆け寄った。

 だが、俺達の間にはアクリル製の透明な仕切りが置かれており、触れることは叶わない。

 俺は仕切りにべったりと手のひらを貼りつけながら、愛しい名前を叫ぶ。

 

「アンジェ! アンジェ……!」

「お父さん、なんだかやつれてません? ま、まさか拷問されたんですか?」


 中世人らしい発想だった。

 アクリル板越しに、アンジェリカが泣きそうになっているのが見える。

 なお、この板はちょうど顔の高さに無数の穴が開いているので、互いの声はきちんと聞き取ることができる。

 よくドラマの刑務所なんかで見かける、円形に穴がならんでるやつだ。立会人の警官に聞いてみたところ、穴の名前は「通声穴」というらしい。


 そう、今俺の隣には見張りの警官が立っている。

 けれどそんなん知るかとばかりに、俺とアンジェリカは二人の世界に没頭する。

 

「会いたかった……会いたかったんだ、アンジェ……」

「私もです……」


 アンジェリカは涙声で囁く。


「私はお父さんの無実を信じてますから。ちゃんと結婚を前提にした交際だって証言してあげますし、全部同意の上だったって証言しますし……」


 穴越しにアンジェリカの甘ったるい香りを吸引したせいか、みるみる思考力が回復していく。

 俺の目的。俺がここにいる理由。俺がやるべきこと。

 全てを思い出し、冷静になったところで質問をしてみる。


「な、俺の逮捕はどういう風に報道されてるんだ? 俺が出演してた番組が放送中止になったりしてるのか?」

「それが……お父さんの件は全くテレビや新聞に出てこないんです。体調不良で休養中ってなってるみたいで」


 報道規制が敷かれてるんだろうか?

 杉谷さんを支持するグループがあれこれ手を回しているのかもしれない。

 となると、俺の社会的なダメージはゼロということになる。


「お父さん、いつ出られるんですか?」

「わからない。まだ色々やることがあるからな」

「……早く帰ってきてほしいです。私、お父さんのいないベッドで眠るなんて耐えられません。さみしい、です」

「俺もだよ……」

 

 立会人の警官が、唖然としているのが見えた。


 未成年との淫行容疑で逮捕された被疑者が、未成年の面会人とイチャイチャする様を警察官に見せつける。 

 クソ度胸にもほどがある所業と言えよう。


「この板、穴が開いてるんですね」

「そりゃ、穴がないと互いの声が聞こえないだろ」

「穴があるなら……色々できると思いません?」

「というと?」


 見ればアンジェリカは、通声穴に唇を押し付けて目を閉じていた。


 えっ?


 警察署の中で。

 隣にこめかみをピクピクさせたおまわりさんが立っている中で。

 面会に来た十六歳の少女と、仕切り越しにキスをしろってこと?

 いくら日本の法律や常識に疎いとはいえ、それはないんじゃないかアンジェリカさん……こいつの唾液うめえ!

 

「……おろうふぁん……情熱的ですね……」


 俺は弱かった。

 誘惑に勝てない男だった。

 たった一日会えなかっただけで、禁断症状が出始めていたらしい。


 気が付くと、俺は吸い寄せられるようにアンジェリカの舌先を吸っていた。

 なにせ小さな穴なので先端しか通らなかったが、それでもキスはキス。

 立会人の警官が「お前現行犯だぞそれ!?」と絶叫しているのが聞こえるが、やっちまったものは仕方ない。


 ゆっくりとアクリル板から唇を離すと、とろけ顔のアンジェリカと目が合う。

 板は、俺達の息で曇っていた。

 

「お父さん……」


 アンジェリカの唇から、銀の糸が伸びる。

 誰がどう見ても犯罪的な絵面だった。的というか、犯罪そのものだった。


 でもどうせ、このあと杉谷さん救出のために警官どもは眠らせるつもりだし。

 どうせ公安の人らに揉み消してもらうし。エリンに洗脳系魔法を使わせる手もあるし。

 なんも怖くねーし。

 

「ありがとうアンジェ。かなり元気になった」

「お父さんお父さん、差し入れはまだあるんですよ?」

「へ?」


 見ればアンジェリカは、通声穴に乳房をむぎううううう~と押し付けていた。

 なるほど。

 穴からはみ出た乳肉を触れ、というわけか。


 娘が父に差し入れする品としては、理想的と言える。親孝行ここに極まれりだ。

 残念ながら穴に指が通らないので、舌の先端で受け取ることになるが……。

 

「中元、淫行の現行犯逮捕だ」


 と。

 俺が通声穴に舌を差し込みかけたところで、目を血走らせた警官が肩を掴んできた。

 しかし気力を完全回復させた俺の敵ではない。


「悪い、あんたはしばらく寝ててくれ」

「何を……!?」

「これは夢なんだよ。こんなの現実に起こりうるわけないだろう?」


 睡眠魔法で警官を眠らせた俺は、拳でアクリル板を叩き割る。

 アンジェリカを中に引き入れ、いよいよ救出作戦の開始だ。


「こんな乱暴な方法でいいんですか?」

「隠蔽使うからいいんだよ。いやまあ多分、廊下に出たら監視カメラに映っちゃうんだが。短期決戦でいくぞ。そのうち騒がしくなるだろうからな」

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