第219話 禁断症状

 翌朝。


 俺は腰縄と手錠を着けたまま移送用のバスに揺られ、拘置所へと向かっていた。

 なお、乗っているのは俺だけではない。

 担当の刑事が同乗している上、近隣の警察署で取り調べを受けていた他の被疑者も乗り合わせている。


 ちなみにまだ扱いは犯罪者ではないので、中は自由に喫煙できたりする。

 俺以外の被疑者はスパスパと煙草をふかしており、車内は凄まじくヤニ臭い。

 たまらず眉をしかめていると、隣に座っていた刑事が話しかけてきた。


「拘置所に入ったら吸えなくなるぜ。今のうちに吸っときな」


 と、差し出してきたのは一本のタバコ。

 おそらく純粋な親切心からの行動なのだろうが、十五歳で異世界に飛ばされた俺に喫煙の習慣はない。

 タバコの原産地は南米。中世ヨーロッパ風の異世界とは無縁の代物なのだ。


 俺は首を横に振り、「遠慮してるわけじゃないです。元々吸わないんです」と丁重に断った。


「そうかい」


 と刑事は呟き、「最近の若い奴は酒もタバコもやらないっていうもんな」とどこか寂しそうな顔をした。

 見たところ彼の年齢は五十代前半。この年代からすると、俺は「若い奴」に入るらしい。


「あんたのこと知ってるよ。マジシャン中元だっけ? 真面目そうなのに、なんでこんなとこに居る。一体何やった」


 どうやらこの男は俺の罪状を知らないようだ。


「女関係です」

「ほう。痴話喧嘩で殴っちまったか」

「いえ……未成年の子と関係を持ってしまいまして」

「なるほど。あんた芸人にしちゃ見られる顔してるもんな。なあに、芸人なら不倫しようが女子高生と寝ようが、すぐに復帰できるもんさ。これが俳優やアイドルならそうもいかねえが」

「なぜかプライベートがグチャグチャでも許される職業ですもんね」

「男前に生まれたら、芸人になるべきかもなぁ今は。……だからってもうやんじゃねえぞ」

「わかってます」


 悪い人ではなさそうだ。

 ここから拘置所までは一時間以上かかるそうなので、俺はほっと安堵のため息をつく。

 これで隣が気難しいオッサンだったら、最悪の乗り心地だっただろうしな。俺はカーブを滑らかに曲がるバスの中で、そんなことを考えていた。

 

 が、この人の良さそうな刑事が俺を苦しめることになる。


 異変に気付いたのは、それから五分ほど経ってからだった。

 どうも俺の隣から、古い油のような、嫌な臭いが漂ってくるのだ。

 気付かれないように確かめてみた結果、間違いなく臭いの発生源は例の刑事だと突き止めた。


 いわゆる加齢臭だった。


「……!」


 不味いことになった。

 俺はここ数週間ほど家の中でもスタジオでも十代の少女に囲まれて過ごしていたため、悪臭への耐性がガクッと落ちているのだ。

 日常的に女の子を嗅いだり口に含んだりしている身からすると、このオッサン臭はかなりきつい。


 あげくタバコの臭いや他の被疑者の体臭なんかも混ざって、どんどん気分が悪くなってきた。

 軽い車酔いもある気がする。


「うう……」

「どうした、顔色悪いな。バス酔いか?」


 クソ、なんでこんなことになった。

 どうして俺は朝っぱらからガテン系職場の喫煙所みたいな臭いに包まれてるんだ?


 本来なら俺の朝は、一緒に添い寝している女の子にキスをされて始まるものなのに。

 すげーいい匂いを嗅ぎながら起床するのに。


 今日は確か……アンジェリカとリオが添い寝当番だったはずだ。

 もしも逮捕されていなかったら、俺は金髪碧眼の西洋美少女と、黒髪美人JKに舌を吸われて目を覚ましていたのだ。

 それから朝の生理現象で変化した部位を「見せて見せて」とせがんでくるアンジェリカを引きはがし、特に理由はないけどリオの乳を揉み、トイレに移動していたことだろう。


 そうして寝ぼけまなこのままドアを開けると、用を足している最中のフィリアと目が合う。

 よくあることだ。

 もしもフィリアが正気なら、恥ずかしそうに俯いて「……勇者殿は朝から積極的ですね」とラブコメイベントに突入する。

 正気じゃない時は、あーあー言ってるフィリアの下半身を拭いてあげるという特殊性癖ルートに突入する。

 どっちにしろ美女と朝から便所でイチャイチャすることに変わりはない。


 それらの猥褻イベントをこなし終えた俺がリビングに向かうと、朝食を作る綾子ちゃんの後ろ姿が見えてくる。

 俺は腕にまとわりついてくるクロエやエリンと戯れながら「何作ってんの?」と声をかけるだろう。

 するとお玉片手に振り向いた綾子ちゃんの若妻感にムラムラして、朝食と綾子ちゃんの両方を味見することになるだろう。


 その後も特に理由はないけどエリンの乳を揉んでみたり、実の娘だからエロイベントはできないけど着替えを手伝うことならできる、とクロエのパジャマを脱がせてやったりと、柔らかくていい匂いがして女性ホルモンに満ち溢れた日常を送っていたはずなのに、なにゆえ俺はこんな男しかいない車内でニコチン臭にまみれて


「ぐ……っ……ぐぐっ……」

「なんだなんだ!? 吐くのか!?」


 突然悶え始めた俺を見て、悪臭刑事が慌てふためく。


「……だ、駄目だ……禁断症状が出てきた……」


 よく考えたら最後に嗅いだ女の匂いって婦警さんの体臭だし、あれから半日は経ったもんな。

 しかもあの人達、そんなに若くなかったし。

 明らかに少女臭が足りていない。

 体が未成年女子の香りを求めて、悲鳴を上げているのがわかる。


「あんたクスリもやってたのか!? コカインか!? 大麻か!? 芸能人は多いっていうもんなァ……!」

「アンジェリカ……アンジェリカをくれ……蒸れたアンジェリカの香りを、鼻腔いっぱいに吸引したい……」

「アンジェリカってのは新しいヤクの名前か!? 今はそういうのが出回ってんのか!?」


 ガクガクと肩を揺さぶりながら、刑事は質問、いや尋問を繰り返す。


「言え! どういうルートで入手した!?」

「異世界に決まってんじゃないですか……。うう……アンジェリカの汗っぽい谷間に思いっきり鼻をうずめて、深呼吸したい……」

「異世界?……畜生、完全にキマってやがる。さてはまだ薬が抜けてねえな?」


 拘置所に着いたらすぐにションベンの検査するからな! と刑事がすごんでくるが、俺の耳はもうほとんど何も聴き取れていなかった。

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