第119話 社会的地位防衛戦
あれから十分ほど走り、俺は斉藤家の前に到着していた。
スマホを覗き見ると、時刻は午前十一時を少し過ぎたところ。
この分だと、杉谷さんと会うのは夕方頃になるかもしれない。
上司を待たせておきながら、女子高生の自宅に上がりむ男。
社会人としてギリギリのラインを歩いていると言えよう。
まあそこは天下の隠蔽魔法さんがご近所の目から俺を守ってくれてるはずだし、大丈夫だとは思うが。
大丈夫だよな?
誰も見てないよな?
一人でそわそわしながら玄関に向かい、インターホンを鳴らす。
数十秒後、家の奥からトタトタと足音が聞こえてきた。
この軽やかな足取りは、きっとリオだろう。キングレオならもうちょっと体重のありそうな音がするはずだ。
「はあい」
予感は見事的中。
上機嫌な声で中から戸を開けたのは、斉藤リオその人である。
「あれ? いない」
今日の服装はぴったりとしたラインのボーダートップスに、紺のタイトスカート。上下ともに体の曲線がはっきりとわかる代物で、相当スタイルに自信がなければ着こなせない代物だ。
なんだろうな、この無意味に垢抜けたコーディネートは。
これアイドルや若手女優が、SNS映えを意識して着るような服だろ。
昭和な住まいに全く合ってないしな。
……やっぱ俺と会うから、気合入れてるんだろうか。
そう考えるとどこかいじらしいというか、可愛らしいというか……って何いきなり丸め込まれかけてんだ俺は。
パンパンと己の両頬をはたき、雑念を振り払う。
「中元さん、透明になる魔法使ってるでしょ」
ああ、とリオには聞こえない声で答えながら、靴脱ぎ場にお邪魔する。
近隣住民から見えなくなったであろう位置まで移動すると、隠蔽を解除。
「先に上がってるぞ」
「わっ!? ……急に出てこないでよ、心臓止まるかと思った」
リオは勢いよくこちらを振り向き、のけぞるような仕草を見せた。
左胸を手で抑え、「びっくりしたー」と目を見開いている。
「普通に入ってくればいいのに。なんでこう一々人を驚かすようなことするかな」
リオは後ろ手で玄関を閉めながら、ジト目でこちらを睨んできた。
明らかに非は俺にある。だがここで謝ると、逆に嫌そうな顔をするのがリオという女。口ではなじっておきながら、本心ではオレ様な振る舞いを求めている。
もう二ヶ月以上の付き合いになるしな。
段々扱い方がわかってきたのだ。
「俺が入りたいと思ったタイミングで入っただけだ。お前がどう感じるかなんて関係ねえんだよ」
心の中で申し訳なかったと唱えつつ、外道な台詞を吐いてみる。
【斉藤理緒の好感度が200上昇しました】
「う、うむ。喜んでくれたようでなにより」
相変わらず身も蓋もないシステムメッセージに目をやりながら、靴を脱ぐ。
「え……? 靴脱いじゃうの? うちを土足で歩き回ってはくれないの?」
「それはお前にとって嬉しい行為なのか?」
「壁ドンと同じくらいにはときめく行為かな」
よくわからない世界だった。
重度のファザコンとマゾヒズムの合併症を患っているだけある。
ちょくちょく話が通じねえのである。そして通じてしまったら、それはそれで不味いのである。俺もそっち側に足を踏み入れたことになるし。
「キングレオやおふくろさんに申し訳ないから、土足はよしとく」
俺は残念がるリオを無視して、お茶の間に足を進めた。
一度訪れた家なので、部屋の配置は体が覚えている。
入ってすぐに曲がったところにある、畳張りのおんぼろ和室に向かう。
「……クレーターだらけだな」
で。
話し合いの場になるはずのその場所は、悪い意味で以前と何も変わっていない。
つまりこの間ゴブリンどもに開けられた床の穴が、まだ修理されていないのだ。
ガムテープと板切れで応急処置を施しただけという有様で、とてつもなくみすぼらしい。
母子家庭だし、修理費を捻出する余裕がないのかもしれない。
「もうサイアクだよ。虫やネズミがテープの隙間から這い出て出てくるんだよね」
リオは俺の横に立ち、じっと穴を見下ろしている。
とうに居間としての機能は失われているように見受けるが、それでもここで食事を摂ったりしているんだろうか?
テーブルや家具はそのまま置かれているので、おそらくそうなのだろうが……。
「ここは封鎖して、別の部屋を居間にすればいいんじゃないか?」
「エアコンあるのこの部屋だけなんだもん。あと台所と近いし。色々妥協した末にこうなってるわけ」
「でもこれじゃ、来客をもてなすとか無理だろ……。年頃の女の子として大丈夫なのか? 同級生が急に遊びにきたらどうすんだよ」
「もちろんこんなの見られたらめちゃくちゃ恥ずかしいよ。ってか壊れる前から他所の家よりボロっちくて、友達を招くのめっちゃ抵抗あったし」
「……だろうな」
自分の家がクラスメイトの家より小さい、古い、というのは子供の自尊心を傷つけるものである。
「だからあたし、もうこの穴はずっと直さないでおこうと思うんだよね。これさえあればいつでも他人にみっともない家を見られる恥辱を味わえると思うと、ドキドキしてる自分に気付いちゃって」
「お茶貰えるかな?」
【斉藤理緒の好感度が3000上昇しました】
お前の性癖には付き合いきれねーよ、とスルーをかましたら、それもまたツボだったらしい。
リオは顔を真っ赤に染め、「はい……」俯いた。
かなりのクリティカルヒットだったらしく、もじもじと内ももをこすり合わせながら台所に向かっている。
……注意しなくてはならない。
油断して冷たく突き放すと、口説き文句になってしまう。
慎重に言葉を選んで接しないと、この場で恋仲になってしまう恐れがあるのだ。
それは恐れと表現していいことなのかわからないが、というか世の中の大半の男から見て綺麗な女子高生とデキてしまうのはただのご褒美だろうが、俺の中の倫理観がそれを許さない。
あと法律も許さない。
どうにかリオの誘惑をはねのけた上で、忘れ物とやらを渡してもらうしかないのだ。
なあに、俺ならやれる。
全然問題ないぜ。
くっきりとブラのホックが浮き上がった背中を眺めながら、頼りない決意を固める。
決して、見たくて見ているわけじゃないのである。
眼球が、勝手に吸い寄せられてしまうのである。
俺の意思じゃないのだ。
自分でも止められないのだ。
なんなんだよ男の目ってのは!
好感度の高いタレントが、女子高生に手をつけて謹慎処分。
それだけは、それだけはなんとしても避けなくては……。
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