第146話 俺、いるんだけど

 アンジェリカとの相談を終えた俺は、スマホをポケットにしまって歩き出した。

 相手が無敵の人予備軍である以上、時間との勝負なのだ。

 一刻も早く知能低下の対策を打たなければならない。


 早足で通路を進み、局の外に出る。向かう先は大槻古書店だ。

 元々立ち寄るつもりではいたが、まさかあの発狂書店員さんがデバフ対策になる日がこようとは。

 人間何があるかわからないものだな、と奇妙な感覚を覚えながら隠蔽魔法を詠唱する。

 透明人間と化して、全力疾走を開始。


 隠蔽はとても便利な魔法だ。

 周囲の人間は俺の姿が見えなくなるだけでなく、声や足音も聞き取れなくる。鼻の利くモンスターからの追跡も防げるので、臭いも消えているのだろう。

 

(俺とエリンは、互いに隠蔽を使える)


 だが感知や探索に関するスキルは、二人とも持っていない。

 隠れるのが上手く、鼻の利かない人間同士の戦いだ。


 ……けれどさきほどエリンは、俺の数百メートル以内に接近し、範囲デバフをお見舞いしてくれた。

 すでに俺の正確な位置を掴んでるんだろうか?


 いや。

 もしとっくに俺を見つけ出してるなら、俺が正気を失ってる間にいくらでも攻撃できたはずだ。

 なのにあいつは追撃を行わなった。それどころか自分から遠方へと立ち去って行った。


 そう考えると、さっきのはたまたま俺の近くを通りがかっただけと考えるのがしっくりくる。

 おそらくエリンは、日本に転送されたばかりなのではないだろうか?

 転送地点を俺の近くに設定することなら、容易にできる。

 アンジェリカだってそうやって日本にやってきたのだ。


 エリンは俺の近くに召喚されたはいいが、壁の向こう側にいたので俺を見つけることはできなかった。あるいは俺を視認できる場所にいたが、俺の戦力が異世界にいた頃より向上していることを恐れたのかもしれない。


 とにかく何らかの理由でこのまま戦うのは無謀と判断し、急いで知能低下のデバフを張り、防御を固めながらテレビ局を脱出。

 あいつの性格からすると、これが一番ありえる解釈だ。

 エリンは慎重な魔女なのである。


 十歳以上も年下の男にやぶれかぶれな告白をしてきたり、「唯一絶対の神を信仰する我らに負ける道理がありましょうか」とほざいて無茶苦茶な突撃戦法ばかり取っていた、どっかの神官長さんとは違うのである。


 エリンがこのあと何をするかといえば、「洗脳スキル」を用いて戦力を増やすか、俺と関わりのある人物を操って人質にするかのどっちかだろう。

 放置すれば、アンジェリカ達が狙われることとなるのだ。 

 

 勇者として保護者として、それだけは避けなくては。


 俺はつむじ風を巻き起こしながら町を駆け抜け、最短距離で大槻古書店へと到着した。

 とうに日は傾き、夕刻である。

 綾子ちゃんはもう、学校から帰っているかもしれない。

 店番をしているなら店内で声をかけることができて好都合だが、と覗き込んでみる。


 が、あいにく今日は店主さんがレジを担当しているようだ。

 どうにかして綾子ちゃんを呼び出したいのだが、どんな用事をでっち上げればいいのやら。


 ……進入してみるか?


 少々危ないが、隠蔽魔法とパーティーの仕様について確かめたいところもあるし。

 やるか。

 俺は店の裏手の回ると、ジャンプして二回のベランダに飛び移った。確かここが綾子ちゃんの自室だったはずだ。


 カーテンの隙間から、机に座ってパソコンのモニターを眺めている綾子ちゃんが見える。帰宅してそう時間が経っていないのか、制服姿だ。


「綾子ちゃん、俺だ」


 声を上げ、窓をノックしてみる。

 綾子ちゃんは窓際に立つ俺には目もくれず、一心不乱にキーボードを弄っている。


 やはりそうだ。

 一度パーティーメンバーとして認識された人物でも、遠く離れた状態で隠蔽魔法を使うと、問題なく通用するらしい。


 ってことはアンジェリカ達に気付かれないまま帰宅することもできたりするのか、と何やら際どいアイディアが浮かんだが、今はそれどころじゃない。


 隠蔽を解除して、綾子ちゃんと話し合わなければ。

 俺と同居している方の綾子ちゃんと違い、こちらの綾子ちゃんとはそれほど親密なわけではない。だがそれでも、大槻綾子であることに変わりないのだ。

 本気で頼み込めば、大抵のお願いは聞いてくれるはずである。


「……?」


 と。

 どうやって話しかけるか思案していると、突然綾子ちゃんが立ち上がり、窓に近付いてきた。

 まさか俺が見えてるんだろうか?

 綾子ちゃんは表情を変えないまま、無言で窓を開けた。

 ……入れってことか?


「なんだ、気付いてたのか」


 返事はない。

 アポ無しでベランダに押しかけてきたわけだし、怒っているのかもしれない。

 そこは本当に申し訳ない。

 俺は靴を脱ぎ、気持ち背中を丸め、十七歳の少女の部屋にお邪魔する。


「にしても、隠蔽の仕様がますますわからなくなったな。なんで今の綾子ちゃんには俺が見えてるんだろ」


 またしても無反応を決め込まれる。綾子ちゃんは開け放った窓から身を乗り出し、しきりに隣室の窓を観察していた。


「綾子ちゃん?」

「……お父さん、寝てるのかな……」


 なるほど。隣はお父さんの書斎だから、密談できるかどうか確かめているわけか。

 的確な判断だな、と感心しながら床の上に座り込む。

 綾子ちゃんはカラカラと音を立てて窓を閉め、カーテンも締め切った。


「今日は一つ、お願いがあって来たんだけど」

「……」


 綾子ちゃんは一切表情を変えないまま、椅子に腰を下ろした。黙々とマウスを操作し、なにやらフォルダを開いている。


「……綾子ちゃん?」

「……」

「……もしかして、俺が見えてない、とか?」


 カチカチとマウスをクリックする音が響き渡る。

 俺は静かに立ち上がると、綾子ちゃんの顔の前に手の平を持っていき、何度か振ってみた。

 作業中の人間からすれば目障りこの上ない行為だろうに、全く気にしていない。


「……やべえ」


 確定だ。隠蔽はきちんと通用している。


 綾子ちゃんは、俺が見えていない。


 どうやら俺はたまたま綾子ちゃんがベランダに近付き、空気の入れ替えか何かで窓を開けたのを、「入って下さいのサイン」と勘違いしてしまったらしい。


 おっさんが魔法を用いて、乙女の部屋に不法侵入……。


 言い逃れできない変質者だ。

 一度この家には忍び込んでるけど、あの時はアンジェリカやもう一人の綾子ちゃんも一緒だったわけだし。

 もう一歩踏み込んだ犯罪臭をかもし出していると言っていいだろう。


「参ったなこれ」


 いっぺん出直した方がいいんだろうか。

 でも窓やドアを開けたらそれはきちんと綾子ちゃんに見えるわけだし、何事かと思われるだろう。

 勝手に部屋の物が動いたら大騒ぎだ。なにせここにいる綾子ちゃんは、隠蔽魔法の存在を知らないのだから。


 いずれトイレに行くためにドアを開けるだろうし、その隙に部屋を抜け出すのが無難かな、などと考えていると、ぼそりと俺を呼ぶ声がした。


「中元さん……」


 俺? と綾子ちゃんの横顔を覗き込んでみると、頬がほんのり赤らんでいた。

 視線をモニターに向けると、『中元さん』という名前のフォルダをクリックしているところだった。

 容量は104GBもあった。


 ぞわ、と全身に悪寒が走る。

 なのに画面から目が離せない。


「中元さん……中元さん……」


 読み込みが済み、フォルダが開かれる。


「ひっ」


 中に詰まっていたのは、無数の俺だった。 

 バラエティ番組に出演した時の、キャプチャ画像だろうか。様々なアングルから撮られた中元圭介画像が、びっしりと画面に広がっていた。


「これは使えるかなぁ」


 使うってなんだろう。綾子ちゃんは不気味な言葉を発しながらマウスカーソルを滑らせ、俺の腕のアップ画像を『中元さんの力こぶ』なるフォルダにしまい込んだ。

 中元さんの顔フォルダもあるし、中元さんの尻フォルダも中元さんの脚フォルダも中元さんの胸板フォルダもある。

 俺の全身が細かく区分けされ、それぞれが数GBもの容量を誇っている。


 一番容量が大きいのは、胸板フォルダだった。


「中元さんも私が好き……」


 心なしか、綾子ちゃんの息が荒くなっているように感じる。

 逆に俺の方は虫の息なので、精気を吸い取られているような錯覚を覚える。

 

 もう気付かれてもいいから窓を叩き割って逃げようかなと思っていると、綾子ちゃんはおもむろに腕を伸ばし、机の端に置いてあったティッシュ箱を掴みあげた。


「……待て綾子ちゃん、ひょっとして君……」


 それだけは駄目だ、俺が見てるんだぞ!

 けれどそんな警告が聞こえるはずもなく、綾子ちゃんはスカートの中に腕を突っ込み、足首までパンツをずり下げた。 


 俺はせめてもの礼儀をと、固く目を閉じることにした。




 そうして、三十分ほど経っただろうか。綾子ちゃんは身なりを整えると、そっと窓を開けた。

 俺はどさくさに紛れてベランダに抜け出し、必死の思いで深呼吸をする。


 生きた心地がしなかった。死ぬかと思った。

 冗談抜きで、難関ダンジョンに閉じ込められた時より緊張した。


 俺は綾子ちゃんが部屋を出たのを確認すると、糸が切れたかのように座り込んだ。 

 目の前で俺を使ってのけた少女と、冷静な話し合いなんてできるんだろうか……。

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