第123話 JK食いおじさん

 駅前に着いた頃には、午後一時を過ぎていた。

 予定より少々遅い到着だが、別に遅刻したわけではない。

 というのも杉谷さんは、待ち合わせの時刻を細かく指定しなかったのである。


『とりあえず駅前で待っていて欲しい。昼頃には会えると思う』


 と、なんだか大雑把な指示を送ってきたのだ。

 もっと具体的な場所や時間を決めて貰えないと困るんですけど、と返したところ、


『申し訳ない。職業柄、自分が何時どこにいるのかはぼかして伝えるのが決まりになっている。必ずこちらから見つけて声をかける』


 とのこと。

 おまわりさんに見せかけたスパイだしな。

 常にギリギリの綱渡りをしている人なだけあって、警戒心が強いのだろう。


 そういう事情なら仕方ないっスねと、こうして大人しく指示に従ったわけである。

 

「……で、俺はどうすりゃいいんだ」


 とりあえずバス停横のベンチに腰かけ、ぐるりと周囲に目を向ける。

 正面には輸入雑貨を取り扱う露店、東側には交差点、西側には駅と一体化した商業施設。

 家族連れや若いカップルはわんさか歩いているが、杉谷さんらしい人物は見当たらない。

 

 もしかしたらまだ駅に着いていないのかもしれない。


 ちょっと早く来すぎたかな、とスマホを取り出したところ、背後からとんとんと肩を叩かれた。

 ひょっとして? と頭に例のダンディ顔を浮かべながら振り向くと、ビンゴだった。


「少し待ったよ」


 俺の今の雇い主、杉谷さんのお出ましである。

 どうやら今日は警察官ではなく、ビジネスマンになりすましているらしい。

 グレーのスーツに紺色のネクタイを締め、左手には書類鞄を持っている。


「凄いな、全く気付かなかった。一体いつからそこにいたんですか」


 素直に賞賛すると、人の良さそうな公安調査官は照れ臭そうに笑った。


「気配を殺していたわけじゃないんですよ。元々存在感が薄いもので」


 口では謙遜しているが、まんざらでもないらしい。声が弾んでいるのがわかる。

 ……おっさん同士でいい雰囲気になってどうする。

 俺は気を取り直して、「どっか店に入ります?」と申し出てみた。


「ええ。……実はもう決めてあるんです。ほら、あそこにカフェがあるでしょう」


 杉谷さんの指は、こじんまりとしたカフェを差している。

 おそらく個人経営らしく、色褪せた看板には「タニダ珈琲」と書かれていた。


「ここに来たら、必ず立ち寄るようにしている店です。いきましょう」


 返事も待たずにスタスタと歩き出した背中を、慌てて追いかける。


「常連なんですか? よっぽど美味い店なんですね」

「いえ、味は普通ですな」

「……じゃあ安いとかですか」

「価格もそこまで親切じゃあない」

「ならなんでそんな通いつめてるんですか」


 一瞬、杉谷さんの目が鋭い光を放ったのを見逃さなかった。

 

「入ったら教えます」


 あの店に何かあるんだろうか。訝しがりながらも、足を進める。

 杉谷さんの歩幅は大きいため、意識して早歩きしないと置いていかれそうになる。


「ここのマスターとは顔見知りでね」


 そうなんですか、などと相槌を打ってる間に俺達は入り口前に到着していた。

 黒く塗られた木製のドアに、金色のノブ。微かに漏れてくるBGM。雰囲気は悪くない。


「奥の席にしましょう。大体いつも空いてるんで」


 杉谷さんは温和な笑みを浮かべているが、臨戦態勢とでも言うべき空気を発している。

 よほどこの店と因縁があるらしい。

 張り詰めたオーラを発しながらドアを開ける背広姿を、じっと眺める。

 つられてこっちまでピリピリしちまいそうだ。


 たかが喫茶店に入るだけでなんでこんな緊張してるんだろ、と妙な気分になりながら店内に身を滑らせる。

 チリンチリン、と入店を知らせるベルが鳴る。

 どうやらドアの上部に鈴が取り付けられていたらしい。


「いらっしゃませ」


 小柄なおばあさんが、にこやかに挨拶をしてくる。

 七十歳前後に見えるが、この人が店主なんだろうか?


「あ、どうも」


 俺達は同時にぺこりと頭を下げると、店の奥へと向かった。


(内装は凝ってるな)


 こういうの、アンティーク調と言うんだろうか。ぱっと見ではかなり品が良さそうな印象を受ける。

 まあアンティークがなんなのか、よくわかってないんだけどな。

 俺のいた異世界より、もう数世紀ほど時代を進めた感じというか。産業革命手前のヨーロッパ風ってとこだろうか?

 

 天井からはシャンデリアがぶら下がり、壁には高そうな皿がいくつも並んでいる。

 そしてこれでもかと置かれた鉢には、無数の花。

 椅子とテーブルは木製で、しっかりと磨き抜かれている。

 かかっている音楽は歌詞のないクラシック(なので言語理解スキルで笑わされる心配もない)。

 

 穏やかな空気の流れる、趣味のいい店だ。

 この店のどこに杉谷さんがプレッシャーを放つ要素があるのか、余計にわからなくなってくる。

 実はあのばあさん店主と、若い頃に付き合ってたりしたんだろうか?


「さ、座って」


 そうやって失礼なことを考えていると、杉谷さんの動きがぴたりと止まった。

 トイレからもカウンターからも離れた、隅っこの席だ。

 

「そろそろ教えて下さいよ。なんでここがお気に入りなんですか」


 椅子に腰を下ろしながら、たずねる。

 何気ない世間話のつもりだったが、杉谷さんの目は全く笑っていない。視線を素早く左右に動かし、周辺の様子を探っているように見える。

 俺達以外に客はいない。

 店員も側にいない。

 

 聞かれたら不味い話をするつもりらしい。


「この店は私の監視対象なんですよ」

「へ」

「ここのマスターは全共闘世代でね。大学時代は過激派の闘士として名を馳せたものだ。……半ばテロに近い左翼活動に明け暮れた彼女は、それが原因でまともに就職することは叶わなかった。そのため大学中退後、当時付き合っていた男と一緒にこのカフェを開くこととなった」


 そういえば以前、親父に聞かされたことがある。

 一昔前は喫茶店のマスターといえば、若い頃にヤンチャした団塊世代ってイメージがあったもんだ、と。


「あの優しそうなばあさんが、テロですか」

「人は見かけによらない。ああ見えて、二十代の大半を火炎瓶の作成に費やした危険人物だ。仲間達と共に警官を取り囲み、暴行を加えたこともある。三年ほど服役してますよ」


 我々は彼女が死ぬまで監視を続ける、と杉谷さんは静かに呟いた。

 

「本来なら店内で口にしていい話題ではないが、幸いあの人は大分耳が遠くなっている。彼女の聴力は把握済みだ。この距離でこのトーンならば、何も聞き取れていないはず。……音楽もかかっていますしね」


 中元さんもこれくらいの大きさの声でお願いしますよ、と念を押される。


「……つまりあれですね。杉谷さんは俺と仕事の話をしつつ、監視対象の見張りもしたいんだ」

「そうです。一石二鳥ですから」

「もし店主が怪しい動きを見せたら、どうするんですか」

「射殺します」


 断言された。

 口調にはなんの迷いもなかった。


「まあ、ありえないことだとは思いますが。もう彼女も歳だ。暴れ回る体力なんてないでしょう」

「それでもこうやって張り込み続けるんですね」

「たとえ自分で動けなくなっても、誰かに思想教育を施す可能性がありますから。老いた過激派の取る行動で、一番恐ろしいのはこれだ。子や孫を洗脳されると手に負えない」

「なるほど」

「いつこの店が極左テロリストの養成場になるかわからない以上、こうして目を光らせる必要がある。さて。私は飲み物を注文してきます。コーヒーでいいですね?」

「あ、はい。……って悪いですよ杉谷さんを立たせたら。俺がやります、俺の方が若いんですし」

「いえおかまいなく。というか私にやらせて下さい。店主と会話する口実が欲しいので」

「口実?」

「飲み物を注文しつつ、それとなく様子を見てきたいんです。目を見れば精神状態を探れますし」


 そういう事情なら、と渋々頷く。

 杉谷さんにとっては犯罪者予備軍に堂々と接近するチャンスなのだし、必要なことなのだろう。

 

「それじゃお願いします」


 俺が軽く頭を下げると、杉谷さんは素早く席を立った。

 公安ってのも忙しいもんだなあ、と感心するばかりである。

 

 これから俺がこの手伝いをやらされるとなると、俺も仕事量が増えるのかもしれない。


 アンジェリカ達と一緒に過ごす時間が減るかもなあ、と少々げんなりする。

 俺は十代二十代を冒険に捧げたせいか、すっかり出世欲の希薄な人間になってしまったのだった。

 生活していけるだけの賃金が貰えたら、あとは自由時間を多めに確保したいのだ。


 そこんとこ相談できたりしないかね?


 テーブル上のメニュー表を眺めながら、ぼんやりと思索にふける。

 オーガニックサラダにシーフードパスタ。自家製ベーコンのサンドイッチ。

 元テロリストの考案したメニューは、食欲中枢を的確に爆破してくれた。

 なにせ昼飯がまだなもので、見ているとどんどん腹が減ってくる。


 ……食いながら話し合いってできないかな。


 けど杉谷さんが既に昼食を済ませているとしたら、俺だけものを食うはめになる。それはちょっと気不味い。

 

 限界がきたらもうなりふり構わずオーダーしてしまおうか、と開き直り始めたところで、杉谷さんが仏頂面で戻ってきた。

 あまり機嫌が良さそうには見えない。

 まさか店主の顔から、悪い兆候でも見つけたんだろうか?


「……」

「大丈夫ですか。……何があったか聞いていいですかね」

「……下らないことですよ」


 眉間に皺を寄せながら、杉谷さんは言う。


「あの店主、前々から私がこの店に通いつめるのは、自分に気があるからだと思い込んでましてな。……十歳以上も歳の離れた男に、よくもまあ色気付けるものだ。話しかけるたびに手を撫で回されます」

「……そりゃ、ご愁傷様です」


 昭和の銀幕スターのような渋めの男前だし、マダムにモテそうな雰囲気もある。

 この人も色々苦労してそうだな……特に女難で……と急に親近感が湧いてくる。


「私は昔からこうだ。年上の女性ばかり声をかけてくる。妻も三つ上なんです、実は」

「姉さん女房ですか。悪くないって聞きますが」

「尻に敷かれっぱなしですよ」


 女は子供を産むたびに強くなりますからな、と苦笑される。

 

「その点中元さんは羨ましい。若い女性にばかり人気なようですし」

「いやいや。俺のファン層って、三十歳以上の主婦層らしいですよ」

「主婦の匂いではないでしょう、それ」

「……匂い?」

「自分では気付かないんでしょうね。……私には高校生になる娘がいるんですが、たまに家に友達を連れてくることがあります。すると玄関のあたりに、甘く華やいだ香りが立ち込める。中元さんの顔から、あれとよく似た匂いがプンプンと漂ってくる」


 たまらずゲホゲホと咳き込む。

 リオと及んだ蛮行の数々、過激派も裸足で逃げ出すと言わざるを得ない。

 それを目の前にいる国家権力おじさんに知られでもしたら……。


「……貴方はまだ若いし、見た目も悪くない。女性が寄ってくることもあるでしょう。しかし、これはあまりに露骨だ。……何をすればここまで濃厚な少女の香りを纏えるのか……まさか中元さん、ここに来る前に十代の女子に顔をこすりつけたりはしてないでしょうな」

「――え?」

「してないでしょうな?」

「いや、ぜんっぜん身に覚えがないですね」


 俺はあくまで十代の少女のブラジャーで顔をゴシゴシ拭かれただけであって、体に顔をこすりつけたわけじゃない。

 だから、全然嘘はついていないのである。

 

 嫌な汗が背中や腋を伝うのを感じながら、渾身のすっとぼけをかます。


「……ふむ」


 杉谷さんは顎に手を当て、俺の顔をまじまじと眺めている。


「……確かに嘘はついていない。目を見ればわかる」

「で、でしょう?」

「だが何かを隠している。そういう目だ。……何かしら少女と接触があったのは間違いない」

 

 勘の鋭い人である。それとも俺がわかりやすすぎるのか。


「……どうして貴方のような人物が権藤と接点を持っているのか疑問だったが、そうでしたか。JK大好きおじさんという共通点がお有りでしたか……」

「誤解です。俺は生後間もない頃から人妻好きです」

「誰だってそうでしょう。母親というのは基本的に誰かの奥さんなんですから、大概の男児はまず人妻好きとして人生をスタートする」

「その解釈は斬新ですね?」

「だが加齢と共に、同年代の少女に目が移るようになっていく。もっと歳を取ると、自分より若い女性に目がいくようになる。世の男は大体がそういう風にできている。特に高校生ぐらいの年代で好みが固定される男が多いようだ。貴方や権藤のように」

「待って下さい、俺は女子高生なんて興味ないです」

「斉藤理緒という名に心当たりは?」

「すいません。俺がやりました」


 杉谷さんは警官ではないが、潔く自首をする俺である。

 深々と頭を下げ、両手を差し出す。

 手錠をかけるなどうぞ、のポーズだった。


「勘弁して下さい……雰囲気に負けたんです。流されたんです。大人しく捕まるんで執行猶予を下さい」

「落ち着いてくれませんか。私は逮捕権を持っていないと前に教えたでしょう」


 顔を上げて、と促される。


「私は何も、貴方の性癖を責めているわけではない」

「……いや……俺の性癖は本当にアラサー人妻好きで……でもリオはなんていうか、昔の女に似てて……」

「こちらも社会の裏側で様々な取引をしてきた身です。清濁併せ呑む器量くらい持ち合わせているつもりだ」

「……でもよく考えたら、リオ以外のティーンエイジャーとも危ないイベントこなしてるな俺……もしかして本当にJK食いの素質があるのか……?」

「聞いて下さい、私の話」

「はい」


 姿勢を正して、杉谷さんの目を直視する。

 真っ黒な瞳が、俺を射抜く。社会の良識が具現化したようなその眼光は、やましさの塊である身には辛いものがある。


「欲望があるのは良いことですよ。無欲な人間よりも好ましい。相応しい報酬さえ与えれば、裏切らないんでしょうから」

「……と、言いますと?」

「こういうのはどうかな」


 杉谷さんはやや声量を落として言った。


「私が依頼する仕事をこなしてくれたら、公安の権力を用いて貴方に若い婦警を献上しようじゃないですか。警察組織の弱みはいくらか握っている。向こうも従ってくれるはずだ」

「……ちょ、ちょっとそれは……えっ? なんですか? 俺ってそんなに若い女のために生きてるような輩に見えてるんですか?」

「中元さんの好みに合わせて、なるべく童顔の婦警を用意しましょう。髪型や胸のサイズに指定があるならご遠慮なくどうぞ。考慮します」

「なんの店ですか!?」


 店主に聞こえるんじゃないかという声が出てしまう。

 静かに、と杉谷さんに注意されるが、そうそう簡単に冷静になれる状況ではない。


「時間はまだありますから、どんな子がいいかゆっくり考えておいて下さい」

「……お、俺はそんな、女をあてがって欲しくて公安に手を貸すわけでは……」

「顔面から十代女子の匂いを放っている人間が言っても、全然説得力ありませんが」

「ぐっ」

「それともひょっとして、現役高校生の方がいいとでも? さすがにそこまでの外道は聞き入れられない」

「……なんか他の報酬に切り替えるのってできませんかね」

「中学生以下は無理ですよ」


 だから俺はロリコンじゃないと言いたいが、十六歳の少女とイチャイチャしてしまった事実は消えない。

 胸に深々と刺さった十字架が、俺の弁舌を鈍らせる。


「……中学生くらいにしか見えない婦警を手配することなら可能ですが」


 そうじゃねえよ、と視線で反論する。


「ご不満なようだ。……なら小学生くらいにしか見えない婦警がお望みですか」


 そんなのいるのかよ!? と反射的に目を見開いてしまう。 

 単なる驚愕からだったが、それが間違いだった。

 杉谷さんは俺の動作を「提案に食いついた」と解釈したらしく、


「ああ、いい反応だ。やはり中元さんは幼い女性が好きなようだ。ではさっそく、とびっきりあどけない婦警に声をかけておきましょう」


 と、犯罪そのものな計画を立てるのだった……。

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