第10話 パパのやる気を出させるたった一つの冴えたやり方
「あんま気にするな。こんなもん扶養義務の一貫だ」
俺は照れ隠しをしながら、台所に立った。
これ以上アンジェリカに直視されると、なし崩し的に変な空気になりそうだったので。
逃げの一手に尽きるのだ。
俺はブンブンと首を振って煩悩を散らすと、朝食の準備に取りかかった。
夜は和風だったし、今度は洋風でいこう。
冷蔵庫からウィンナーと、冷凍チキンを取り出す。
猫のようにまとわりついてくるアンジェリカに邪魔されながら、電子レンジに放り込む。
ものの数分の調理とはいえ、パンとサラダに牛乳までつけるんだから十分だろう。
「わ。今日のはあっちの国の料理と似てますね」
「ちょうどいいや。電子レンジの使い方教える」
きょとんとするアンジェリカに、レンジと冷蔵庫について説明する。
目の前で食材を加熱して、実演もして見せる。
はじめのうちは首をかしげていたが、最終的には「こちらの世界のアーティファクトですか」と納得したようだ。
「多めに作っておくから、余った分はアンジェの昼ごはんだ。いいな? さっき教えた通りこの箱に突っ込んで、ボタンを押せば温まるから」
動物が数分で死ぬくらいの熱線が出てるから、食べ物以外は入れるなよと注意しておく。
するとアンジェリカは、
「ドラゴンブレス並の熱線がこんな箱に……!?」
ずざざ、と後ずさった。
「はわわ……ウォーターブレスを吐くトイレに、殺人ビームが出る調理箱……こんな環境で育ったから、お父さんは最強の勇者になれたんですね……」
恐れと尊敬の入り混じった眼差しを受けながら、俺は皿とコップをテーブルに並べていく。
「できたぞ」
二人で向かい合って座り、いただきますと一声。
また、賑やかな食事が始まる。
さて。
日本のばったもん洋食を、受け入れてくれるといいのだが。
パンを頬張りながら、それとなくアンジェリカを観察する。
「ん。やわらかーい」
とろけそうな笑顔だ。どうやら気に入ってくれたらしい。
中々順調に親子をやれてるんじゃないかと思う。
「美味いか?」
アンジェリカは首を縦に振る。かわいい。
「お父さん、優しい。……私やっぱり、奥さんになりたいなー」
妖しげな流し目を送ってくる。やめなさい。
人が父親モードに入った時に、なんてことを。
動揺でむせそうになりながらもかきこみ、食べ終える。
手早く皿を片付けると、俺は身だしなみを整える作業に入った。
爪切りである。
バイトとはいえ、飲食店に勤めているのだ。
こういった衛生面に関する部分は、店長から口うるさく注意される。
男の長髪はアウトだし、髭も伸ばしてはいけない。
指先に至っては「ちゃんと深爪にしてきただろうな?」と毎日チェックされる。
食中毒を避けるためとはいえ、中々面倒である。
俺は慎重に爪の先を刃で挟み、パチパチと音を立てて切っていく。
先端の白い部分が完全になくなるまでが目安だ。
仕上げに爪切りについてるヤスリを使って、切り口を滑らかにする。
アンジェリカは今の俺を見て、どう感じてるのか。若干心配になってくる。
男の癖に神経質に指先のお手入れしてる、気持ち悪っ! とか思われてなければいいのだが。
ちら、と横目で盗み見る。
件のアンジェリカの反応はというと、
「……あの。深爪にしたってことは、その、今夜は期待していいんですよね……?」
ただの発情した雌猫だった。杞憂だった。色々残念だった。
こいつよくこれで神聖巫女やれたよな、と不思議でしょうがない。
やれそうにないと自覚したから、俺の元へ来たのかもだけど。
そんなどうでもいいことを考えながら、アンジェリカと雑談をした。
日本の知識を教えたり、現地の服を用意するまでは外出するなと言い聞かせたり。
幽霊騒動に関しては、時間ができたら二人で調べようと持ちかけたり(涙目で拒否されたが)。
参ったな。
若い子と話してるせいで、ちょっと楽しくなってきたぞ。
とにかく元気いいし。くだらない冗談でケラケラ笑ってくれるし。ボディタッチもしてくるし。
キャバクラにはまる連中の気持ちがわかってきたぞ、なんてこった。
上目使いで「おとーさん」を連呼されるのが、こんなに効くとは。
「おとーさんおとーさんおとーさんおとーさん」
「俺が嬉しそうだからってそこまで繰り返さなくていい」
そうこうしているうちに、八時半になっていた。
今日のバイトは、午前九時から午後三時までのシフトだ。
名残惜しいが、そろそろ家を出なくてはならない。
「もう行かなきゃ。俺仕事あるんだ」
「えー構ってくださいよー。構ってよー。一人はやだー」
「仕事なんだ。わかってくれ」
「むー。しょうがないですね。……そうですよね。なんたってお父さんは、元勇者なんですしね。きっと皆に必要とされる、立派なお仕事をしてるんですよね!」
「お、おおおおう。めちゃくちゃ社会の根幹に関わる職種だぞ!」
「わあ!」
軍人ですか? お医者さんですか? それとも王様?
目を輝かせて聞いてくるアンジェリカに、ラーメン屋の下っ端やってますと素直に言える俺ではなかった。
「四千年の歴史を持つ国家より受け継がれし技術を用いて、人々の生命活動を支える職人の助手をしている」
などと、嘘ではないが誇大な表現を用いて言葉を濁す。
「やっぱりお父さんは、こっちでも偉い人だったんだ……!」
「……言語理解のスキルは持ってるんだろ? 留守番中はその辺の本でも読んで暇つぶししててくれ」
「はい!」
アンジェリカはコクコクと頷く。
こういう仕草をすると、女よりも子供の部分が前に出てきて微笑ましい。
思わず頭を撫でたくなるが、実際にそれをやっちゃうのが嫌われるおじさんだと聞いた。
スキンシップって、女からしてきた時以外はアウトなんだろうな。
せちがらいもんだ。
「感知やってくれたお礼もしなきゃだしな。服とか食べ物とか買ってくるよ」
だから俺に出来るのは、お土産で愛情表現するという典型的な日本のパパの振る舞い。
いつまでもその、扇情的な衣装を着られてるとこっちも目のやり場に困るしな。
なんかこうエロいアレンジしたウェディングドレスみたいで、落ち着かないんだよ。
「早く帰ってきてくださいね」
「そうするよ」
一通り伝えたいことは言ったので、玄関に向かう。
かがんで靴に足を通し、気合を入れる。
うっし。今日は最低でも、三枚までしか皿割らないようにするぞ。
駄目店員そのものな思考だが、実際にその通りなのだからどうしようもない。
……早く別の仕事見つけないと。
俺が暗澹たる気分で靴紐を結び終えると、隣にアンジェリカが座り込んできた。
「アンジェ?」
振り向きざま、不意打ちの口付けが飛んでくる。
ちゅっ、という湿った音。
場所はほっぺただっだけど、効き目はばつぐんだ。
「いってらっしゃい、おとーさん」
ああ。
今日は一枚も皿割らないからな。
頑張ろう。いつか自分の店持って、一等地に家建てちゃおう。
脳が単純に出来ている俺は、るんるん気分で自宅を出たのだった。
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