第9話 悪い虫は寄せ付けない

 青ざめた顔色から、事態の深刻さが伝わってくる。


 いた。

 ただの噂話なんかじゃなく、本当に幽霊がいた。

 それも、「うじゃうじゃ」なんて表現が選ばれるくらいにだ。


 俺はなんとなく、天井の蛍光灯を連想した。

 夏場に侵入した小虫の死体が、べっとりとへばりついた黄ばんだ棒。

 ちょうどあんな感じに、真っ黒な幽霊が建物を覆っている絵が脳裏に浮かぶ。


 それはあまりに不吉で、汚らしくて、呪わしかった。

 今にも吐き出したくなるような、おぞましい情景だ。


「悪霊の類なのか?」

「そこまではわかりかねます――でも私の感知に引っかかるのは、邪悪なものだけですから」


 悪魔とか。死霊とか。邪神とか。アンジェリカは震える声で、指折り数える。

 

「……私、ここにいたくないです」


 俺だってそれは一緒だ。

 幽霊屋敷と判明した家に、誰が住みたがるだろう。

 なんなら実家に帰ってしまおうかとすら思う。

 事情を説明して、アンジェリカのことは適当にごまかして。二人で一緒に親元でパラサイト。


 それも悪くないだろう。けれど、決してベストではない。

 俺はこの子の義父になると決めたのだ。逃げるなんて許されない。

 怖がる娘を前にして、父親の取るべき行動はなんだ?


「お父さんに任せとけ。悪い虫を追い払うのは、男親の役目だからな」


 力強く胸を叩いて、我が子を安心させる。脅威から守る。それが今の俺に出来る最善手だ。

 そうと決まればやることは一つ。

 俺は指先に魔力を込めて、法術の詠唱に入る。


 大事なのはイメージだ。

 光る糸で部屋全体を多い、聖なる繭を紡ぎ出す。

 そんな映像を脳内で再生させながら、精神を集中する。


 ――セイクリッドサークル。


 唱えた呪文は、直ちに俺の意思を反映させる。アンジェリカを守り給え。

 魔力は機械的に応え、少女の周囲を淡い光が包み込んだ。


「わー!? ちょっとちょっとちょっと! いいですよっ! ここまでしなくて!」


 わーわーとうるさいアンジェリカを放置しながら、魔力を送り込み続ける。

 これは指定した人物から半径三百メートル程度のエリアを、あらゆる脅威から防護する結界魔法だ。

 亡霊どもは俺の魔力で吹き飛ばされ、しばらくはアンジェリカに近付けないはずだ。

 あとは成仏するなり、どこかで別の標的に取り憑くなりすればいい。


 あくまでしばらくは、の話だが。


 所詮は結界である。身も蓋もない言い方をすると、「超スゴイ虫除けスプレー」に過ぎない。

 ハエがたかった死体を放置して、そんなものを体に噴きかけてもただの時間稼ぎだ。

 どこかで幽霊の元を絶たない限り、また似たような騒ぎが起きるだろう。

 

 なぜ、うちのアパートにばかり寄ってくるのか?

 

 それがわからないと、根本解決には至らない。

 近所の墓でも調べればいいのか。

 風水やら鬼門やらを意識して、家具の配置を変えればいいのか。


 考えたくもないが、どこかの空き部屋に白骨化した住民やら血で描かれた六芒星なんかが放置されてて、それを供養するまで終わらないなんて線もある。


 俺が頬杖をついてうんざりしていると、なにやらアンジェリカがおかしくなり始めた。

 最初からおかしい気もするけど、ぺたんと女の子座りをして下を向き、真っ赤な顔で頭から湯気を上げているのは違う世界の住人だろう。

 この場合の違う世界とは、異世界という意味ではない。お前はどこのラブコメ時空から飛び出してきたんだ、という意味だ。


 なんかこいつが恥ずかしがるようなこと、したっけ。


「どうしたアンジェ?」

「だって、お父さんが」


 アンジェリカは両手で頬を覆って、とろんとした顔をしている。……そんな目で見るなよ。

 色々欲しがってる女の顔だぞそれ。


「……さっきのって、セイクリッドサークルですよね」

「ああ。けど法術ならアンジェも使えるだろ。そこまで珍しいか?」

「そりゃ誰だって知ってる有名魔法ですけどぉ……。でもこれ、戦争で大将を守る時なんかに、ありったけの魔力を注いで使うやつじゃないですか。使った人が、空っぽになって倒れたりしちゃうような類の」

「よくある事故だな」


 俺の場合だと、日に十数発撃てるくらいには余裕あるけどな。


「あうううううう」

「で、どうしてそれで頭を抱えるんだお前は」


 首まで赤くなっている奇妙な生き物を、俺は冷めた目で観察する。

 

「私が今どんな気分かっていうとですね。転んで膝を擦りむいただけなのに、お姫様抱っこされてベッドに運ばれて、一日中つきっきりで介抱されたあげく国一番の名医を呼ばれた、みたいな感じです」

「なんだそれ」

「過保護すぎですよ! なんでいきなりあんな大技使ってるんですか!」


 そりゃ、俺はお前の親代わりなんだしな。これくらい親父なら当然だろう。

 なにより俺にとってはそこまで大技じゃないのだが、これは言わぬが花か。


 ていうか言えないしな。

 指摘されて、俺もちょっと恥ずかしくなってきたのだ。

 朝っぱらから溺愛と取られることをしてしまったのか、俺は。

 アンジェリカのやつ、ぽーっとした表情になってるし。


 まあ、嫌われるよりはマシなはずだ。

 何か致命的な恋愛トリガーの引き金をバコンと殴った気がしないでもないが、マシったらマシなのだ。

 ずっとあんな視線を向けられるのかと思うと、理性がどこまで持つか自分でも不安だが。

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