第8話 君はアンジェで俺はお父さんで
「ちょっといいか」
少し距離が離れてるので、気持ち大きめな声を出す。
「なんですー?」
アンジェリカも同じように、やや声のトーンを上げた。
しまった、この声量だとお隣さんに聞こえるかもしれないな、と気付いて反省する。
まだ寝てるかもしれないし、起こしたら悪い。
壁の向こう側には、気難しい爺さんが住んでいるのである。
もう歳だというのに、あまり聴力が衰えていないらしい。
テレビの音を上げすぎると、ゴンゴンと壁を叩いて抗議してくるのだ。
俺はタオルで手を拭くと、リビングに引き返してアンジェリカの横に座った。
隣人がうるさがるから小声で話そう、と一声かけてから話に戻る。
「感知スキルが使えるなら、頼みたいことがある」
「髭剃っちゃったんですか? もったいないですよ、ジョリジョリしてて面白かったのに」
ちゃんと人の話聞いてるのか?
あとなんで感触を知ってるんだ?
俺が寝てる間に触ったのか?
様々な不安と疑念を感じながらも、相談を続ける。
「もう一週間近くになるのか。アパート周辺で、ずっと幽霊騒ぎが続いてるんだ。いっぺん調べてみてくれないか?」
白い衣装に身を包んだ、女の亡霊が現れる。
それがこのアパートにおける最重要トピックだった。
新年も成人式も関係なく、季節外れの怪談話に花を咲かせる住民の姿は、ひたすらに気味が悪い。
「この世界って、霊体が歩き回る世界観なんですか? もしそうなら、毎晩の添い寝とトイレまでの護衛を依頼したいのですが。こう見えて私、ホラー耐性ゼロですからねゼロ」
「安心してくれ。ここは本来、幽霊も精霊もいない。それどころか魔法さえ存在しない次元なんだ」
「……寂しい世界ですね?」
「その分、機械工学が発達してる。君の大好きなビデみたいにな」
「す、好きじゃないですし。……悪くはないけど」
アンジェリカは顔を赤らめ、もじもじと両足のもも同士をこすり合わせている。
思い出しているのだろうか。
「でも元々幽霊のいない世界なら、どうしてわざわざ調べるんです?」
「それが間違いだったって可能性があるだろ。念のためさ、念のため」
なんて言っているが、俺は本気でお化けの類がいるだなんて考えちゃいない。
あくまで何かの見間違いだろ派で、それを確信の段階に引き上げたいだけだ。
俺は根拠のない迷信やオカルトは信じないのである。そんなもんで、昨日アンジェリカと会った時なんて、てっきりこいつが幽霊の正体だと思ったくらいだ。
あ、これか、と。
きっと何日か前から日本に召喚されてて、アパートのどこかに隠れていたに違いない。
そうやって俺の部屋に侵入する隙を伺っていたのだろう。
いかにもツメが甘そうな性格をしてるし、たまに目撃されてたんじゃないか。
ひらひらのファンタジー衣装だし、謎の外人亡霊とみなされてもおかしくないな。
はい事件解決。
とまあ、こんな感じで推理していたのに、見事に外した。
なんでもアンジェリカ曰く、日本に召喚されたのは俺が帰宅する直前らしい。
つまりまだ来日して十時間ちょい。これで一周間前から幽霊に見間違われるのは不可能だ。
「とにかくだ。頼まれてくれるな? 礼なら考えてある」
「……デート?」
「服だ」
どのみち女物の服や下着は、用意しなきゃいけないんだけどな。
返事がどっちだろうと、元々買うつもりだった品だ。
それを交渉材料に用いる俺は、やっぱりすれた大人なのだろう。
「んー……構いませんけど、その前に一ついいですか」
「なんだ?」
「アンジェリカって長くありません?」
人差し指を立てて、今大事なこと言った! みたいな顔をするアンジェリカ。
自分の発言に興奮しているのか、少々頬が赤くなっている。
すっぴんなのに、チークでも差しているかのように血色がよい。
「……何か呼び方があるのか」
「あっちにいた頃は、アンジーとかアンジェとか呼ばれてました」
「じゃあアンジェで」
「全く迷いませんでしたね?」
だってアンジーだと某ハリウッド女優と被るし。やたらと強そうじゃん。
お前のイメージじゃないよ。
「今度はこっちからも一個リクエストな。俺のことはちゃんと保護者っぽく呼んでくれ。勇者様に呼び方戻ってるぞ」
「これは失礼。私の中では、今でも勇者様なもので」
「あんまり好きじゃないんだ、その呼び方」
嫌なことばかり思い出すから。
「……わかりました。お父さん」
「いい子だ、アンジェ」
呼称問題も解決したので、さっそくスキルを使って貰う。
【パーティーメンバー、神聖巫女アンジェリカは感知スキルを発動】
【スキルを使用している間、MPは毎秒3ずつ消費されます】
視界に出てきたウィンドウを流し読みしながら、アンジェリカに目をやる。
現代日本に紛れ込んだ金髪碧眼の巫女は、静かに目をつむって歩き出した。
部屋の中を行ったり来たりし、壁に手を触れ、耳を当てている。
時間にしてニ~三分程度だったとは思うが、中々興味深い光景だった。
こんな娘でも目を閉じて真剣な顔をしていると、それなりに神聖さが出る。
これは発見だ。
思わず見惚れていると、唐突にアンジェリカは俺の前に座り、目を開けた。
真正面から、見つめられる。
長い睫毛に縁取られた、エメラルドグリーンの瞳。どこか無機質で、人形のようだ。
常に少し潤んでいて、生娘の癖に男を惑わせる光がある。
急にそんなのが目の前にきたので、思わずドキリとする俺がいた。
「……お父さん?」
「あ、いや。どうだった」
アンジェリカは人形から人間に表情を戻すと、事務的な口調で言った。
「引っ越しを見当しませんか」
少女の額には、無数の汗の玉が浮かんでいる。
この短い時間で、一体何を見つけたというのか。
俺の質問に、アンジェリカは腕をさすりながら答える。
「人間ではないものが、うじゃうじゃいます。強い悪意も感じました。……このままだと、近々死人が出るんじゃないでしょうか」
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