第7話 救世の代償
――嬉しい。私が贄に選ばれるだなんて。私こそが、貴方の最愛の女だったのですね。
そんなこと言わないでくれ、エルザ。
お前がいなきゃ何の意味もないんだ。
俺はお前を守りたくて勇者になったんだ。
二人でどこか、遠い所へ逃げよう。
魔王なんてどうだっていい。
こんな世界、滅んでしまえ。
お前に辛い役目を押し付けて、そうまでして生きたいと願う人々など、俺は救いたくない。
――これは運命なの。きっと私達が出会った瞬間から、こうなるのは決まってた。
なんで、エルザなんだ。
お前は俺の全てなのに。
他の誰かでいいじゃないか。
あいつらがお前に、何をしてくれたって言うんだ。
お前は、お前が幸せになることだけを考えればいいんだ。
もっとずるく、利己的になればいい。それが許される人生だったはずだ。
――勇者様の嘘つき。私がそんな女だったら、好きにならなかったでしょう? 皆のために頑張るところが素敵って言ってくれたのは、他でもない貴方なんだから。……大丈夫よケイスケ。私はどんな姿になっても、永遠に貴方の側にいるから。
「エルザ……」
目を覚ますと、そこにあったのは見慣れた天井だった。
羽虫の死骸がこびりついた蛍光灯。だらりとぶら下がった紐。午前六時を差した壁時計。
ここは日本で、アパートの中だ。
異世界なんかじゃない。
俺に優しく微笑んでくれたエルザは、もうどこにもいない。
また、あの夢か。
死んだ女と動かない自分の体。誰に頼んだわけでもないのに運ばれてくる、悪夢の定番コースだ。
これを見ると必ず眠りながら泣いていて、起きた時は涙や目やにで大変なことになっている。
顔を洗わないと。
俺はベッドから這い出て、浴室に向かった。
ふらふらとした足取りで、洗面台の前に立つ。
蛇口をひねると、勢いよく水が出てきた。それを手のひらで受け止めて、バシャバシャと目元に叩きつける。
顔を上げる。
鏡を覗き込むと、目を真っ赤に腫らした中年男が映っていた。
うっすらと無精髭も伸びていて、みっともないことこの上ない。
こんなとこ見られたら、アンジェリカに幻滅されるかもな。
なんて。
暗い一人笑いをしながら横を向くと、そのアンジェリカ本人と目が合った。
ちょこんと便器に座り、用を足している真っ最中のアンジェリカと。
「……いたのか」
呟く俺に、緑の目をしばたかせながら少女は答える。
「……いました」
途端、言葉に詰まる。
やってしまった。
昨晩あれだけ偉そうにユニットバスの欠点を語り聞かせておきながら、自分がヘマをしでかすとは。
俺の入居している部屋は、バスルームの中に浴槽とトイレが詰め込まれているのだ。
入ってすぐ右側に浴槽、左側にトイレ。
その二つに挟まれるようにして、真ん中に洗面台が設置してある。
こんな環境で男女が同居したら、はっきり言っていくらでも事故が起きるだろう。
例えばアンジェリカがシャワーを浴びてるのに、便意を催した俺が侵入するとか。
アンジェリカが便器に座って下着までずり降ろしてるのに、寝ぼけた俺が顔を洗おうとして入り込むとか。
そんなの避けたいだろ?
だから俺は夕食のあと、
「どちらかが浴室にいる間、もう片方はなるべくそっちに近寄らないようにしよう。お父さんとの約束だぞ」
などと偉そうに教えたのだ。
その俺が、いきなりこのざまである。
さっそく悪い例を実践している。
「すまん。覗くつもりじゃなかった」
アンジェリカは頬をほんのりと染め、股間を手で覆い隠している。
むき出しの太ももが眩しい。
ふくらはぎや足首は細いのに、そこはちゃんとむっちりしてるのか。
いかん。
まじまじと観察してる場合じゃないのに、つい目が追ってしまう。
ぎし、と硬直していた首を動かし、顔をそらす。
とりあえず視界から外すのがマナーだと思ったのだ。
「……別に見てもいいですけど、代わりにあとで勇者様のも見せてくださいね」
「見ない!」
言って、大慌てでバスルームから飛び出す。
なにやら水音が聞こえてくるけど、決して意識しないよう心がけながら寝間着を脱ぐ。
俺もトイレ使いたいんだけど、今はまだ我慢だ。
絶対しばらくかかるし。
なぜなら、
「ふあー……こ、これがビデ……!」
アンジェリカは昨夜トイレの使い方を教えてからというもの、ずっとこの調子なのだ。
便器に座るたび、意味もなくボタンで遊ぶ。
今朝はいよいよ、警戒していたビデ機能にも挑戦しているらしい。
この分じゃまだまだ出てこないだろうし、いっそ俺は外で済ませてこようか?
でも数分の辛抱だしな。
とりあえず髭でも剃ろう、とシェーバーでジョリジョリやっていたら、水を流す音が聞こえてきた。
少し遅れて、ドタドタと走り寄ってくる音。
「さすがです勇者様! あれってさっきみたいに、恋人がおしっこしてる姿を見ながら入浴するために作った施設なんですよね? 勇者様は天才だと思います」
そのさすがですは欲しくなかったぞ。
でも瞳をきらきらさせてるし、本心から褒めてるんだろうなこれ。
ほんとに巫女やってたのか、お前。
実は異世界の連中、適当に身分の低い女を送りつけてきたんじゃないだろうな。
一瞬疑ってステータス鑑定をしてみたら、れっきとした神聖巫女だった。
しかも、結構強い。
【名 前】アンジェリカ
【レベル】30
【クラス】神聖巫女
【H P】600
【M P】700
【攻 撃】200
【防 御】300
【敏 捷】350
【魔 攻】700
【魔 防】720
【スキル】言語理解 感知 法術 ファザコン(育)
【備 考】好奇心も性欲も強いが、男性経験はない。中元圭介の体を狙っている。
わかりやすい突っ込みどころは、なんか怖いからあえて無視として。
後衛にとって必要な数値が、軒並み700を超えている。
概ね優秀なステータス配分と言えた。
パーティーの回復役を任せるには、十分な人材だろう。
現代日本じゃ宝の持ち腐れだけどな。
死ぬほどの怪我をする機会なんて滅多にないし、したらしたで医療関係者が一生懸命治してくれる。
ああでも、心霊医療とか言って商売に利用できるかもな。
俺も法術は使えるし。
現代医学なら傷跡を残してしまうような怪我を、綺麗さっぱり治療すればボロ儲けも目じゃない。
……危ない発想だなこれ。
第一そうやって悪目立ちしたら、また英雄だの救世主だの祭り上げられてしまうじゃないか。
そうなったら厄介事が舞い込んでくるに決まってる。
俺は学習したからな。こっちの世界じゃ一般人のふりをして、平和に生きるんだ。
俺は顎を撫で、剃り残しがないか確かめながらトイレに向かう。
「感知か」
ちょうどいいし、聞いてみよう。
用を足し、手を洗い終わったところでアンジェリカにたずねる。
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