第40話 シャンシャン

 むくりと目を覚ます。

 朝だ。

 手元のスマホによると、時刻は午前六時二十一分。 


 頭がまだ覚醒しきっていない。

 床の上に布団を敷いて寝たので、どうも眠りが浅かったように感じる。

 首や肩もギシギシと痛む。


 いくらなんでも三人で同じベッドを使うわけにはいかないので、俺は床で寝ることにしたのだ。

 アンジェリカのやつが一緒に床で寝るなどと言い出したりもしたが、娘の寝心地を優先する親心をわかってくれ、と説得したら応じてくれた。


 そういうわけで、アンジェリカと綾子ちゃんは、ベッドですやすやと寝息を立てている。

 二人とも同じ柄のパジャマだ。

 洋風と和風でタイプは違えど、どちらも美少女である。


 ずっと寝てればただ可愛いだけで済むんだけどな。特に綾子ちゃん。


 俺はトイレに向かい、用を済ませた。

 顔を洗って、歯を磨く。まだ眠気が取れない。


 しょうがないのでキッチンで水を汲み、ごくごくと音を立てて飲み干す。

 きーんとした喉越しに、少しだけ目が覚めてくる。

 ふらふらとリビングに戻る。


 今日の収録は九時半からだ。まだまだ時間的には余裕がある。

 ニュースが気になったのでテレビを点けようかとも思ったが、音で二人を起こしたら悪い。

 やむをえず、スマホで我慢することにした。

 画面をタップし、ニュースサイトを検索してみる。


『万能細胞の権威、増殖。自らで人体実験か!?』

『天才卓球少女ユイちゃん、クローン現る』

『サッカー日本代表、続々とコピー出現』


 ……似たようなタイトルが続く。

 どうやら犯人はタガが外れたらしく、次から次へと人間を量産する体制に入ったようだ。

 一応、能力の高い者を増やしている点ではブレていない。

 

 そうなるとますます、綾子ちゃんを増殖させたのが謎になってくるが。

 この子の能力は、どう考えても一般人の範囲内に収まる。

 学力がやや高いくらいで、それだって中偏差値の高校で進学コースに入れる程度のものだ。

 飛び抜けたところがあるとしたら、容姿だろうか。


 だがそれを選考基準にしたなら、芸能人なども増やしていいはずだ。

 なのに綾子ちゃんの他に分裂させられた人間は、頭脳か体力でずば抜けた結果を出している者だけなのだ。

 女優やアイドルの類は、一人もいない。


 なぜ、綾子ちゃんだったんだろう。

 自らが定めたルールを破ってまで、綾子ちゃんがもう一人欲しいと願うとすれば、どんな理由からだろう?


 そんなことを考えながら唸っていると、ベッドの上がもぞもぞ動くのが見えた。

 愛娘のお目覚めである。


「おはようアンジェ」


 アンジェリカは「むー」と「んー」と中間の唸り声を発すると、大きく伸びをした。


「おはようございます……おとーさん早いですね」

「あんま寝れなかったんだ」


 アンジェリカは目元をこすりながら、バスルームに向かった。

 朝一でやることと言えば、一つである。


「……全部聞こえるんだよなあ」


 水が跳ねる音がしたかと思うと、カラカラカラカラ、とトイレットペーパーを巻き取る音も鳴り始める。


 早くもっと広い、壁の厚い家に引っ越したい。

 一刻も早く。

 十代女子の生活音が筒抜けなのは、危険すぎる。

 

 数分後、とたとたとアンジェリカが近付いてきた。

 しばらく洗面所でジャバジャバやっていたので、洗顔や歯磨きも済ませたらしい。


「ねーお父さん」

「なんだ?」


 スマホに目を向けながら、適当に返事をする。

 そろそろ朝飯作った方がいいかな、とも思ったり。


「アヤコさんと何かありました?」


 動揺で、スマホを取り落とす。


「……な、何言ってんだよ……ただの人命救助で保護しただけの相手だぞ……なんもないわ……」

「ふーん」

 

 アンジェリカは、疑わしげに目を細めていた。


「お父さん、ずっとアヤコさんのこと怖がってたじゃないですか」

「……今だって怖いよ。それは変わらない」

「ほんとに? 怖いけど可愛いとか思ってません?」

「はあ? なんでだよ」


 私、見ちゃったんですよねーとアンジェリカは言う。

 何をだ?

 指をしゃぶられてる場面なはずがないぞ? 

 だってその頃お前は、シャワーを浴びてたんだからな。物理的に不可能だ。


「深夜にお父さん、トイレに起きましたよね」

「……あ、ああ。確かに一度起きたな。ていうかお前も目を覚ましてたのか、あの時」

「その時、ベッドを覗き込んできましたよね?」

「……悪いかよ。寝顔が気になってたんだよ。それにアンジェ、寝相よくないだろ、ほっといたら腹出して寝てたりするし、直してやらなきゃと思ったんだよ」


 俺は父親だからな、と空威張りをする。


「ですねえ。お父さんはいつも通り、私の寝間着の乱れを直して、毛布もかけ直してくれました」

「お、おう。それがどうしたってんだ」

「そして隣で眠るアヤコさんにも同じことをして、しかも頭を一撫でしましたよね。くしゃっ、って」

「……」


 そこまで見てたのか。


「……私にはしなかったのに。私にはしなかったのに。私にはしなかったのに!」

「違う、深い意味はないんだよ。ほら可哀想じゃん? 綾子ちゃん、変な理由で分裂して、自分の家に帰れなくなったんだぜ? さすがに気の毒だなーと思ったんだよ。同情と憐憫だってば。相手が動物なんかでも同じことしたぞ」

「……その早口が怪しいんですけど」


 っていうかこいつ、今までも頻繁に狸寝入りしてたのかな、と恐ろしくなる。


「昨日の夜に、アヤコさんに情を抱くようなイベントでも起きたのかなーって。勘ぐっちゃいますよね?」

「……んなわけないだろ……俺と綾子ちゃんは家に戻ってから、ほとんど二人きりになんかなってないぞ。お前がシャワー浴びてた数十分くらいものだ」

「数十分あったら色々やれますよね?」


 俺はもう駄目かもしれない。

 父親ってのは、娘には勝てない生き物なんだ。

 そういう相性になってるんだ。火属性に対する水属性みたいなもんなんだ。


「……アンジェ……えっとな」

「私にも何かして下さい」

「……え?」

「私にも何かしてくれなきゃ、やだ」

「はあ?」


 アンジェリカの目はギラギラと輝いており、ラブコメヒロインというより獲物をつけ狙うサメの如き眼光である。

 俺は海面を漂う肉片なのだ。


「……何かしてって……何を?」

「悪いこと」

「だから綾子ちゃんとは何も……くそっ、泣くのは反則だろうが」


 わからん。

 朝から真面目に猟奇事件の考察をしてただけなのに、なにゆえ厄介な痴情のもつれに巻き込まれなければならないのか?

 俺が何かしたか?

 別にそこまで変なことしてないと思うんだけどな?


 俺に好意を寄せている少女が風呂入ってる間に、拾って来た他の女の子をやらしい目で見てたら指を咥えられただけじゃん。


 そいつ万死に値するじゃん。

 しかも俺じゃん。

 畜生界の期待のエースですわ。年間十勝ペースだわ。勝てば勝つほど人として終わっていく感があるけど。


「……悪かったアンジェ。悪かったって。とにかく俺が全部悪いってことでいいから、泣き止んでくれよ」


 柔らかな金髪を撫で回し、どうにかなだめようとする。

 

 本音を言えば、俺は今存命中の異性に限ればアンジェリカが一番好きである。それは間違いない。

 変な意味ではない。娘のような妹のような、そういうポジションとしてとても大切に思っている。

 年齢差がもう十歳少なければ、とっくに恋愛対象として見ているくらいにはやられている。


 綾子ちゃんに対しては、一瞬の隙を突かれただけ。

 目下の異性に懐かれたら、悪い気はしないだろ? 後輩を可愛がるような気持ちなんだって。

 何もかもうなじのほくろが戦犯なんだよ。あいつのせいなんだよ。


「今の説明でわかってくれたか? 俺はお前が一番大事だ」

「……私も、うなじにほくろが欲しいです。これならお父さんはイチコロなのに」

「よくわかってないだろ」


 これだけ騒いでたら綾子ちゃんが起きるのでは、と横目でベッドを覗いてみる。

 狸寝入りかもしれないが、動いている気配はない。

 もうなんだっていいわ、どうにでもなれだ。

 聞きたきゃ聞けよ!


「俺は何すればいいんだ? 言葉だけじゃ伝わらないのか?」

「……えっちしてくれたら許します」

「それは無理なんだってば」


 朝っぱらから俺にしがみつき、涙ぐんだ目でとんでもないことをねだってくる。

 俺はこいつと親子でありたいというのに。

 親子……。

 親子か。


「わかった。行動で示せばいいんだな?」


 そうさ、親子だ。

 アンジェリカは異世界生まれ。外人だ。こんなのは向こうじゃただの親子間の挨拶だ。

 だから。

 俺はアンジェリカの唇に、自分のそれを押し付けた。


「わかってくれたか?」


 まだ、親子である。セーフである。

 危ないところだったぜ。

 アンジェリカが欧米人だったので、命拾いした。

 これが日本の女の子だったら、男女関係にカウントされているところだった。


 出会って一ヶ月に満たない少女にこれをやったら海外でも事案な気がするが、俺の心の中で合法だったらそれでいいのだ。

 気持ちの問題なのである。というか今、何を考えているのか自分でもよくわからない。


「……やましいところがあるから、ごまかそうとしてのキスですよね」

「俺にやましいところなんて生まれてこの方一度もない」


 アンジェリカは口元を指で押さえながら、赤い目で俺を睨みつけている。


「……ま、いいです。この辺でかんべんしてあげます。お父さん、エルザさん以外とは絶対にキスしないので有名な変人でしたからね」

「そんなのも知れ渡ってたのか?」

「そのお父さんがこうまでしたんですから、そういう意味って考えていいですよね?」


 異世界じゃただの挨拶でも、俺からすればかなり濃厚な愛情表現に感じたので、どうしても軽々と行う気にはなれなかったのである。

 アンジェリカは俺の生涯における、二人目の口付け相手だったりする。出会い頭に不意打ちでしてきやがったけど。


「……これからはもっと頻繁にして貰いますから」

「なんだって?」

「外出時と帰宅時にもやって貰いますからね!」

「無茶だ、それじゃ新婚夫婦だろうが」

「新婚夫婦になりに来たんですよ、私は!」


 二人揃って、ギャーギャーと喚き散らす。

 綾子ちゃんは寝返りを打っている。怖い。

 けど、どうでもいい。

 なんだっていいや。


 俺は眠気と疲労と空腹で、なんだか頭の働きが鈍くなってきたのだ。

 寝不足の身に、痴話喧嘩は堪える。


「……めんどくせえ……シャンシャンしてえ……シャンシャンしてればこんなことには……」


 スマホを握りしめながら、今は亡きリズムゲームに思いを馳せる。

 別に死んでないけど、ついそんな表現が出てくるくらいには追い詰められている。


 アイドルメイカー・プリンセスライブ。

 ポリゴン美少女が踊っている映像を見ながら、タイミングよく画面を押してスコアアタックを繰り返す音ゲー。

 プレイ中はタップするたびに、シャンシャンと音が鳴る。この手のゲームはみんなそうらしいが。


 俺が日本に帰ってきてからはこいつが精神安定剤だったし、課金だってしている。

 だというのに、最近はさっぱり遊べていない。

 忙しいし。家に女の子いるし。音がうるさいと思って遠慮しているのだ。

 移動中も有名人が美少女ゲームやってるのはどうなんだ、という配慮から控えている。

 世間の目を気にしているのだ。


「……シャンシャンしたい……癒やされたい……」


 もはや禁断症状が出そうな勢いである。

 俺の思考が段々変になってるのはそのせいなのでは? とすら思えてくる。


 まぶたがひとりでに落ち、視界が狭まる。


 アンジェリカに朝から詰問されるのも、綾子ちゃんに言いようのない恐怖を感じるのも、増殖事件だのなんだのも、何もかも遠い彼方。

 ぶっちゃけ眠いせいなんだろうけど、俺はまどろんだ目で「シャンシャン」と繰り返す病人と化していた。


「……お父さん……?」

「シャンシャンしたい……あと寝たい……朝からめんどくせえんだよ……」

「お、お父さん? シャンシャンってなんなんですか?」


 アンジェリカは心配そうに覗き込んでくる。

 こいつはなんだかんだで甘いので、俺をやり込んだあとはこうやって何かと気をかけてくるのだ。

 ちょろいのである。 


「シャンシャンはシャンシャンだよ。そんなこともわからないのか。お前が来るまでは、これが俺の生きがいだったんだよ」

「はあ……?」

「やりてえ……プレイしてえ……」


 音を消しながら遊んでも、全然面白くねえんだよ。

 だからお前らが部屋にいる間は、遊ぼうと思わねえんだよ。

 つーか遊ぶ以前に暇さえあれば構って構ってと迫ってくるから、落ち着いてゲームなんて出来るわけがない。


「えっと。一つ聞いてもいいですか? シャンシャンというのは、どのような行為なのでしょうか?」

「遊びだよ遊び。己の限界を極める遊びなんだ。上手くいくとすげー気持ちいいんだよ。脳汁ドバドバなんだ」


 アンジェリカは怪訝そうな顔をしている。


「……シャンシャンは、気持ちいい遊びなんですか」

「当たり前だろ」


 高難度曲を達成した時の、やり遂げた感といったらもう。清々しいってもんじゃない。


「あの……お父さんはよく、シャンシャンするんですか?」

「お前がここに来てからは全然やれてねえよ。遠慮してんだよ」

「……私がいたら、出来ないようなことなんですか」

「音出るし。エロいし。お前がいるのにやるわけねーじゃん」


 アイドル達の衣装が少々過激だし、乳揺れとかもするからな。

 十代少女の前でプレイするのは、少々はばかられるゲームかもしれない。


「……お、音が出て、えっちな行為なんですね、シャンシャンは。……その、お父さんはそれをすると、スッキリするんですか?」

「めちゃくちゃスッキリするわ。超爽快だよ!」

「……そ、そんなにですか。……あの、あちらの世界にいた頃も、よくシャンシャンしてたんですか?」

「んなわきゃない」


 異世界にスマホなんてないし。

 現代世界限定の娯楽だ。


「こっち来てからやるようになったんだよ」

「……じゃ、じゃあその、エルザさんを亡くして、寂しい身の上になってからシャンシャンにのめり込んだんですか?」

「まーそうなるな。……孤独が癒やされるんだよ……あれだけが俺の希望だったんだよ……」


 ついに涙ぐむ俺である。

 音ゲー廃人の精神は、かくも脆い。


「シャンシャンしてえ……つーかもうここでやろうかな。音とかどうでもよくなってきたわ。大音量でかましてやるよ」

「だ、駄目に決まってるでしょう!? 何を考えてるんですか! 勇者の誇りはどこに行ったんですか!?」

「んなもん始めからねえよ。やるぞ、やるったらやるからな。俺の生き様を見てろや」

「駄目ええええー!」


 アンジェリカはひしっと俺にしがみつき、真っ赤な顔で首を横に振っている。

 なんでそんなに邪魔するんだよ。


「ごめんなさいお父さん。私がいじめすぎたせいですよね。それでこんなことに……そ、それに、急に女の子と同居することになったら、えっと、出来なくなっちゃいますよね。もう、我慢の限界なんですよね?」

「話がわかるじゃないか。だったら離れろよ。俺はシャンシャン道を極めるんだよ」

「極めちゃ駄目です! 私がいるのに……アヤコさんだってすぐ側にいるんですよ!? 絶対聞き耳立てるに決まってます!」

「聞きたきゃ聞けばいい。好きにしろって感じだ」


 俺がスマホを睨みつけていると、アンジェリカは燃え上がりそうな赤面で言った。


「……私にお手伝い出来ることって、ありますか。ううん、手伝わせて下さい。……お父さんを追い詰めちゃった責任は、私が取ります。……て、いうか、手伝いたい、です」

「無理だよ。これ一人用のゲームだし」

「で、ですよね。確かに一人用ですよね。……けど……でも……そういうのも、奥さんの仕事だと思いますし……」

「あーいや、純粋な一人用ではないのか? 全国のライバルとスコアを競い合ったりするし」

「え?」

「対戦要素もあるからな。毎月のイベントともなると、全力で周回するんだよ」


 アンジェリカの顔色は、赤から青になりつつある。


「……お父さんは……シャンシャンの回数を、人と競い合ったりするんですか?」

「そりゃそうだ。必要とあらばスタミナ回復アイテムをガブガブ飲んで、一晩中ぶっ続けでやるよ」

「一晩中……」

「最高記録は四十連かな」


 四十曲連続で走った時は、さすがの俺もくたびれたものだ。

 体力というより精神的なものからくる疲労だろう。勇者の肉体ははんぱなく丈夫なはずだし。


「よ、四十!? 四十連続ですか!?」

「そこそんなに驚くとこか?」


 アンジェリカは口をパクパクとさせ、「お父さん凄い……そりゃあ勇者なりますよね……世界最強ですよね……」と一人で納得していた。


「んー。まあそうだな……アンジェリカも興味持ってくれんなら丁度いいのかな。教えようか」


 こいつも音ゲーマーにしたら、遠慮する必要はなくなるし。

 最近は女性ユーザーも増えてるというから、案外いけるかもしれない。

 この衣装可愛いー、とか言って。


「……お、教えるって、何をですか」

「ん? 遊び方。覚えれば楽しいよ。アンジェもそろそろこういう娯楽に触れた方がいいと思ってな」

「……覚えるも何も……私、もう、知ってますけど。……お父さんだってわかってるでしょう?」


 アンジェリカはもじもじとしながら、「お父さんみたいにいっぱい回数をこなすのは無理ですけど」と囁く。

 

「え、アンジェもシャンシャンやったことあんの?」

「……昨日だってしてたじゃないですか! 当てつけでですけど!」


 俺が風呂入ってる間に、勝手にスマホ弄ってプレイしてたんだろうか?

 確かにこいつ、俺のスマホに関心示してたしな。

 どんな女と連絡取ってるのか調べてるうちに、たまたまアプリを起動しちゃったとかだろうか。


「なら話は早いな。一緒にやるか」

「……一緒にですか」

「綾子ちゃん起こさないように、そっとな」

「そっと……」

「朝食作るまでの時間だからなあ。何回出来るかな」

「……あの……私……続けてだと、えっと、三~四回が限度なんです。……お父さんみたいに、四十回とかはちょっと……」

「そんなにやんないって」


 俺はアプリを起動すると、ミュート状態にした。

 無音の音ゲーほど虚しいものはない。

 それでも女の子と一緒にプレイするというだけで、妙に華やいだ感がある。


「す、スマホ? その板切れを使うんですか。特殊すぎませんか」


 険しい顔をしているアンジェリカを不審に思いながらも、俺は黙々と楽曲をこなし続ける。


「見てるか?」

「……ええ。なんか、目のでっかい女の子達が踊ってますね」

「これがシャンシャンだ。音ゲーだ」

「え?」


 俺は携帯ゲームの概念をアンジェリカに説明する。

 どういうわけか「そんなの聞いてない、私はなんて勘違いを」みたいな表情をされたが、途中からあからさまにほっとされたので、そう悪い手応えではないはずだ。

 アンジェリカ探るような手つきで、画面をちょんちょんしている。


「……難しいですね」

「最初はそんなもんだろうな。しかも音消してプレイしてるから、リズム取り辛いだろうし」


 アンジェリカの耳は、未だ赤いままである。

 

「……もしかして、私の心が一番汚れてるんでしょうか」

「何言ってんだ?」


 アンジェはいい子だぞ、と頭を撫でてやる。


「俺そろそろ飯作るから、しばらくそれで遊んででいいよ」

「……はい」


 そういえば朝食も一人分増えたんだったな、と冷蔵庫を開けながら思う。

 幸いアンジェリカとじゃれているうちに頭は冴えてきたので、美味い飯が作れそうだ。

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