第30話 強くなりたい

 おかしい。何かが変だ。

 俺はアンジェリカと共に床についてから、ずっと考えていた。

 眠れない。スマホの画面を覗き込むと、夜中の十二時になろうとしている。


 さきほどから俺の頭を支配しているのは、ある一つの疑問だった。

 突然、野球選手と棋士が増殖した怪事件。もちろんこれも重要なのだけれど、正直どうでもいい。

 めっちゃどうでもいい。


 今はそれよりもアンジェリカである。誰だってそう考えるだろう。


 ――アンジェリカの……あの包容力はなんだ?


 俺が映画に境遇を重ねて涙を流していると、あいつはそっと抱きしめてきた。

 なんだか年下のママに甘やかされているような、奇妙なリラクゼーション効果があった。

 年下のママってなんだ。そんな邪悪な単語にうつつを抜かす三十ニ歳に育った覚えはない。


 このままでは、不味い。

 だって俺は、どちらかというとお姉さんに弱いのだ。

 団地妻。未亡人。生保レディー。アラサーOL。

 こういった単語にときめく、健全な三十代なのである。

 あ、「若作りなヤクルトおばさん」も好きだ。


 ……少し、脱線した。

 

 とにかく俺はそんな風なので、アンジェリカにママ力で攻められると、陥落する恐れがある。

 お手つきしかねないのだ。


 それは、よくない。

 人として許されない。


 俺はベッドから上半身を起こすと、隣で寝息を立てるアンジェリカに目をやった。

 どこからどう見ても子供であり、母性など持ち合わせていないように見える。

 しかもこいつはステータス鑑定によると「ファザコン」なるスキルの持ち主だし、普段の性格も甘えん坊だ。

 構ってちゃんで気分屋で、典型的な十代女子なのだ。


 そんなアンジェリカがどうして、年上女のようなあったかいオーラを見せた……?

 なぜだ……?


 俺は震える唇で、「ステータス・オープン」と呟いた。

 レイスと戦っていた時よりも、ずっと真剣に戦況を分析しようとしていた。



【名 前】アンジェリカ 

【レベル】40

【クラス】神聖巫女

【H P】900

【M P】1100

【攻 撃】300

【防 御】400

【敏 捷】450

【魔 攻】800

【魔 防】820

【スキル】言語理解 感知 法術 ファザコン(育)

【備 考】好奇心も性欲も強いが、男性経験はない。中元圭介の心と体を狙っている。



 ……以前より強くなっている。

 レイスを倒した時、俺のパーティーメンバーとしてカウントされていたせいだろう。

 30000のEXPが、アンジェリカにも入ったのだと思われる。


 基本ステータスが上がったからといって、包容力まで引き上がるものだろうか?

 否。断じて否。

 それなら魔王は、とてつもない人格者だったはずだ。


 なら――スキルか。


 俺は「なんか怖い」という、身も蓋もない理由でアンジェリカのスキルを詳しく調べようとしなかったが、今はそんなことを言ってられない。

 静かにステータスウィンドウをタップし、スキルの項目を拡大する。

 さらにもう一度長押しすると、スキルの効果詳細が表示されるのだ。



【ファザコン(育)】

『パーティー内に年長の男性がいると、全ステータスアップ。

 また父性を感じさせる男性に、好意を抱きやすくなる。

 父親的存在に甘え、育ててもらうことに強い関心を抱く。

 逆に父親的存在を甘やかし、育てることにも強い関心を抱く。

 相互育成型のファザーコンプレックスである。真なる特性はバブみ』



 深く、そして長く息を吐く。

 これは、よくないだろう。


 こんなの犯罪じゃないか。どこにもノーマルな性癖がないじゃないか。

 なんだよ相互育成型って。アンジェリカママ? やめろ! それは俺に効く!

 

 金だ。

 なんとしても、金がいる。

 強くてリッチで頼もしい、隙のないパパになる他ない。

 心の傷を治療するにも、やはり金は必要なのだ。


 これ以上アンジェリカに、弱みを見せるわけにはいかない。

 俺は鉄の男になる。

 そうすればアンジェリカはただの甘えん坊になり下がり、俺の好みからはそれていく。

 俺が道を踏み外さずに済む。


 もう仕事も選んでられない。なんだってやってみようと思う。

 そうだ。

 俺はとあるバラエティー番組のディレクターから、脱ぎ仕事をやってみないかと持ちかけられていたのだった。

 変な意味ではない。若手芸人に混じって、体力テストをする企画に参加してみないかと言われたのだ。

 上半身裸になって、アスレチックのようなことをやらされるらしい。


 中元さん主婦層に人気あるんで需要ありますよ、なんて言ってたっけ。


 なんで俺が主婦に? UFOおじさんなんて子供受け特化だろ? 

 と不思議に感じていたが、アンジェリカに「いい体してる」と言われてようやく自覚した。

 そっ……か。

 俺は服の上からでもわかるくらい筋肉質になってるから、奥様方はひん剥いてみたいと思うのだな。


 若い女子は筋肉あんま好きじゃないけど、おばさんになると好きになってくるらしいし。


 構わないさ。

 それで高い給料を貰えるなら、やるしかない。


 あとは天才増殖事件も、余裕があったらついでに探ってみるか? 金になりそうならだが。

 そんな、やる気があるんだか情けないんだか、よくわからないことを考えながら俺は眠りについた。




 

「おはよーございますお父さん!」


 朝になった。

 身支度を済ませて、アンジェリカと朝食をとる。


 アンジェリカの機嫌は、悪くなさそうである。

 中世チックな異世界の出身なので、朝型なのだ。元気なのだ。

 これはいけるんじゃないだろうか。

 それとなく、あの話を振ってみる。


「俺さ、脱ぎ仕事やってみようと思うんだよね」


 もっとお前に美味いもん食わせてやりたいし、早く広いアパートに引っ越したいじゃん?

 でも俺、今の稼ぎじゃ心もとないから。

 仕事が増えるきっかけになるなら、テレビで裸を晒すくらいどうってことない。

 別にアンジェは気にしないよな?


 なんてことを言ってみたところ、


「やだ。絶対やだ」


 アンジェリカは、めしゃっとトーストを握り潰した。

 緑の目が、怒りに満ちた光を放っている。


「いやいや……俺、男だよ? おっさんだよ? 人に裸見られたってノーダメージじゃないか?」

「……でもテレビって、何百万何千万って人が観てるんですよね? お父さん言ってたじゃないですか」

「さ、最近はどの局もじわじわ視聴率落ちてるみたいだし、何千万人も観ないって」


 アンジェリカは唇を噛み、今にも泣き出しそうな顔になった。

 

【パーティーメンバー、神聖巫女アンジェリカの独占欲が200上昇しました】


「やだ……お父さんの裸が色んな人に見られるなんて、絶対やです……しかも理由が、私のためだなんて……」


 本当は自分の心の平穏のためなんだけどな、とは言わない知恵が俺にもある。


「我儘言うなよ。親父ってのは一家の大黒柱なんだ。どんなことをしてでも家族を養わなきゃいけないんだ」

「……嫌です。耐えられません」


【パーティーメンバー、神聖巫女アンジェリカの独占欲が300上昇しました】

【パーティーメンバー、神聖巫女アンジェリカの独占欲が400上昇しました】

【パーティーメンバー、神聖巫女アンジェリカの独占欲が500上昇しました】


「何がそんなに気に入らないんだ? 神殿で隔離されて育ったお前にはわかりにくいのかもしれないが、男の裸ってのは大して価値がないんだ。そういうもんなんだ。俺の方もなんとも思わないんだって」

「……私が気にします……逆の立場になって考えてください」

「逆?」


 言われて、想像してみる。


「いやあ別に。もし俺の親父が家族のためにどっかで裸芸人やってても、偉いなあとしか感じないよ。人様には笑われるかもしれないが、生活費を稼いでるなら立派な親じゃないか」

「……はあ。お父さん、何もわかってないですね。なんにも」


【パーティーメンバー、神聖巫女アンジェリカの独占欲が600上昇しました】

【パーティーメンバー、神聖巫女アンジェリカの独占欲が700上昇しました】

【パーティーメンバー、神聖巫女アンジェリカの独占欲が800上昇しました】


 ついにアンジェリカは、すんすんと鼻を鳴らし始めた。

 目元は潤み、周囲の皮膚が赤くなり、とてもとても悪いことをしているような気分になる。


「泣くなよ、頼むから」

「お父さん。完全に逆の立場で考えてみて下さい。完全に」

「完全?」

「立場から性別まで、逆にして考えるんです」


 どういうこった?


「歳の近い異性の親が、脱いでお金を稼ごうと思うんだけど、と切り出してきた時の気持ちです。想像してみて下さい」

「世も末だな」

「でしょう?」


 アンジェリカは指で目尻をこすりながら、説明する。


「いいですか。お父さんが、十六歳になるまでずっと男しかいない宗教施設で育ったとします。女の人を見る機会は絵画と彫刻だけです、地獄のような環境です。若い体を持て余しています。それがお父さんです。ちょっとイメージして下さい」

「持て余してるのか、お前」


 多分あまり触れない方がいい部分なのだろうな、と深くは聞かないでおく。


「その女日照りの少年が、ある日偉い人から『女勇者と同棲していいよ』と許可を出されたとします」

「大はしゃぎだろうな」


 ていうか女に飢えすぎてて、無条件で好きになりそうだなそれ。


「でしょでしょ? ……で、いざ女勇者と会ってみたら、三十二歳の、ちょっとやつれた人でした。おばさんにもお姉さんにも見える感じです。地味な顔なんですけど、首から下はエロいです。そして未亡人です。夜中に亡くなった夫の名前を呼びながらうなされる、萌えポイントもあります」

「ぞ、属性てんこもりだな。地味顔なのに脱ぐと凄いのか。しかも未亡人か。きっと名前は早苗とか今日子とかだろうな。レトロな感じの」

「でね、その人は言うんですよ。私のことはお母さんと思いなさいって。義母なんです、義母。十六歳しか歳の離れてない義母」


 それはけしからん……確実によろしくない物語のプロローグでしかない。


「その義母さんと、親子なんだか恋人なんだかわからない関係になったとしますよ」

「早苗さん……好きだ……」

「ある朝、義母さんが言ってきました。『ごめんね。お母さんお給料少ないから、今度は裸になるお仕事で稼いでくるからね』って」

「いかん止めろ!」

「ほらー! ほらぁー! わかったでしょう!? 私が今感じてる気持ちは、それなんですよ!」


 やれやれ、危ないところだったぜ。

 危うく俺は早苗さんを汚すところだった。


「ありがとうアンジェ。俺にも理解出来た」

「ならいいんです」


 機嫌を取り戻してトーストに齧りつくアンジェリカを見ているうちに、俺の中にある思考が湧いてくる。


 いや。

 早苗なんて女いねえよ。

 誰だよそいつ。

 俺は俺だよ。

 例え話の中でどうなろうと、俺はおっさんなんだよ。


「すまんアンジェ。やっぱ俺脱ぐ」

「あーーーー!」


 アンジェリカの絶叫を聞きながら、俺は目玉焼きに醤油をかける。


「……今日は早めに帰ってくるからさ。お土産も買う。どうかこれで許してくれないか」


【パーティーメンバー、神聖巫女アンジェリカの独占欲が900上昇しました】

【パーティーメンバー、神聖巫女アンジェリカの独占欲が1000上昇しました】

【パーティーメンバー、神聖巫女アンジェリカの独占欲が1100上昇しました】

 

 今日の収録は、そんなに時間がかからないと聞いている。

 夕飯も一緒に食べられるだろう。


「な? 五時には帰るようにする。一緒に晩飯食おう。なんならどっか外で食べるか?」

「……うー……」

「頼むよ。俺、金が欲しいんだ。お前のために使う金が要るんだよ」


 アンジェリカは目に涙を溜めて、真っ赤な顔で言った。

 羞恥ではなく怒りの赤だろう。


「五時ですね? 約束ですよ。私も子供じゃありません、どこか美味しい店に連れてってくれたら許します」

「おう、ありがとな」


 やっぱりこいつは、子供っぽく駄々こねてる方が似合うな。

 その方が異性として意識せずに済むし、気が楽だ。

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