第二章 還ってみれば

第29話 還ってみれば

 ドラフト一位で入団した甲子園のスター、中松なかまつ選手が二人に増えていた。

 二人に、である。

 瓜二つの青年がもう一人現れ、自分も中松だと主張し始めたのだ。

 声も仕草もそっくりで、球速も同じ160キロを記録した。

 

 ……意味がわからない。


 もう一人、増殖した人物がいる。

 連勝記録を塗り替えた十六歳の棋士、駒井こまい四段もやはり二人に増えていた。

 ふらりともう一人の駒井が出現し、自分こそが本人だと言い張っている。

 二人の駒井は、将棋の腕も同等だった。


 突然クローンが発生した若き天才の共通点は、通り魔被害に遭ったことだ。

 数日ほど前、夜中に背後から切りかかられ、服を左右に切り分けられてしまったのである。

 その数時間後、謎の分身が現れたのだ。


 天才増殖事件。


 新聞やテレビは日夜この事件を報道していて、無我夢中といった有様だ。


 俺のUFOおじさん騒動なんて、もはやどうでもいいといった感がある。

 世間から、忘れ去られなければいいのだが。


 だって今の俺、手品師と芸人の中間みたいなポジションだし。


 これからがギャラの稼ぎ時ってタイミングで、なんて事件が起きてんだよ。

 こんなん絶対みんな気にするじゃん。俺への関心が薄れてくじゃん。仕事減りかねないじゃん。


「早く解決しないかな、これ……」


 俺がハラハラしながら夕方のニュースを観ている横で、アンジェリカはバリバリとせんべいを齧っている。

 ベッドの上でうつ伏せになり、ファッション誌を読みながらだ。

 今日の服装は上が黒いキャミソールで、下は白のショートパンツ。


 アンジェリカは、美少女だ。

 肩のところで切り揃えられた髪はさらさらの金髪で、ぱっちりとした碧眼の持ち主。

 体型は細身で、すらりと手足が長い。

 それなのに胸元はボリュームがあり、百五十センチ少々の体格とは不釣り合いに大きい。

 こんな「白人の美点だけ集めて小型化に成功しました」な少女が部屋にいると、ハリウッド映画の一場面のようだ。


 アンジェリカは日本に来て、二週間ほど経とうとしている。

 すっかり現代生活が板につき、最近は俺の代わりに宅配物を受け取ってくれたりもする。料金の支払いもばっちりだ。

 俺がこっちの社会制度を毎日教えてるのもあるけど、それ以上に若さが大きいだろう。

 順応力が高い年頃なのである。

 

 その若い脳に、一つ相談してみようか。

 いい答えが返ってくるといいのだが。


「アンジェはどう思う? この事件」

「んー……」

「アンジェ」

「なんですー?」


 雑誌から顔を上げて、アンジェリカは首をかしげる。

 テレビの音、聞いてなかったんだろうか。


「いや、これだよこれ。天才スポーツ選手と棋士が、急に二人に増えてたってやつ」

「ドッペルゲンガーとかじゃないですか?」

「こっちの世界は霊体いないんだってば。……ドッペルゲンガーって霊体で合ってるよな?」

「ですよ。あと普通は言葉を話さないんですよね。無言でドアを開け閉めしたりするくらいで」

「めっちゃインタビューに答えてるよな、あのクローンども」

「じゃあなんなんでしょう」

「それを聞いてるんだよ」


 アンジェリカの口周りについた食べカスを指で拭きながら、たずねる。


「生き別れた双子の兄弟が、急に出てきたんじゃないですか?」

「……まあ、その線で片付けようとしてるな、マスコミは」

 

 親が育てきれなくて養子に出した双子の片割れが、有名になってメディアに露出し始めた兄弟を発見。

 居ても立っても居られなくなり、妙な形で名乗り出てきた。

 大方そんなところではないか、と世間は予想を立てている。

 

「だったら両親が肯定していいと思うんだけどな」


 そう。

 中松選手の親も、駒井四段の親も、双子なんて心当たりがないと否定しているのだった。

 この子は一人で産まれてきました、間違いありませんと。


「わけわかんないな」


 やっぱ、異世界が関係してるんだろうか。

 また俺を狙ってるのかもしれないと思うと、暗澹たる気分になってくる。


 けど、今のところ俺に被害はない。

 それに人の数を増やすなんて荒業、あっちの世界でも聞いたことがない。

 俺が考え込んでいると、アンジェリカは「でも便利そうですよね」と言った。


「急に二人に増えたなら、色々捗りそうじゃありません? お父さんの二回行動が、ずっと続いてるようなものじゃないですか」

「そういうもんかな」


 二回行動は、分身とはちょっと違うんだけどな。

 もう一人の自分がなんかお手伝いしてくれる、みたいな感覚が俺の主観にあるだけで。

 物理的に二人に分裂するわけではないのだ。


「しかも天才って言われてるような人が増えたんでしょう? いいことじゃないですか」

「うん、まあそれは……いやいや。良くないって。絶対良くないって。急にポコンと湧いてきたコピーの方はどうなるんだよ。アイディンティティーとか無茶苦茶だろ」


 自分は何者なんだ? とか思い悩みそうなものだ。


「私も二人に増えたら、分身の方にお父さんの娘役を任せられるのに」

「……なんだそりゃ」

「で、私は奥さん役担当になるんです」


 言いながら、アンジェリカは後ろから俺の肩に頭を乗せてきた。

 何かねだる時の動きだ。


「おとーさーん」

「なんだ」

「……お父さんと、えっちしたいです」

「駄目」


 絶対駄目だ、と断言する。

 好感度がカンストし、上限を突破してからというものこの調子である。


 前より酷い。


「おとーさぁーん。駄目ー?」


 アンジェリカはためらうことなく俺の背中に胸を押し付け、首に腕を回してくる。

 ためらえよ。


「なんでこんなに迫ってるのに……あっ。お父さんってもしかして、男性機能が衰えてたり……」

「そんわけないだろ!」


 俺は至って健康体だよ。まだそんな歳じゃない。

 ぴとりと密着するアンジェリカの感触に胸騒ぎを覚えながらも、鋼の勇者メンタルで耐えているのである。

 

 早いとこ引っ越さねば。

 このままでは身が持たない。

 アンジェリカは嫌がっているが、寝室は別々にしよう。

 そのためにも沢山仕事を入れて稼がなくてはならないのに、大衆の関心は、俺から増殖事件に移りつつある。

 

 困る。

 凄く困る。

 もう金のためという身も蓋もない理由で、事件に首を突っ込んでしまおうか。

 この手で早期解決させたら、また俺に注目が集まるし。ギャラいっぱい入ってくるだろうし。


「お父さぁん」

「なんだよ、変なことはしないからな」

「乗り気じゃない相手にそういうのはいいですよ。代わりに別の我儘聞いてくれません?」

「……服でも買って欲しいのか」


 昨日も買ってやったろうに。

 俺も大分甘い親父だな。


「映画観たいです」

「またか? まあいいけど」


 しょうがないやつだな、とDVDデッキのスイッチを入れる。


「ニュースってつまんないんですもん。他の番組だってそうですよ」


 アンジェリカは見た目通り、センスがガイジンさんなのだ。

 なのであまり、日本のテレビに興味を示さない。

 俺が出ている番組だけチェックし、他は「なにこれ?」な顔でスルーだ。


 それじゃ俺が仕事をしている間は退屈だろうということで、最近はレンタルショップで洋画を借りまくっている。

 ガイジンにはガイジンの娯楽が一番なのだ。


 アンジェリカのお気に入りは、小説を原作とした有名なファンタジー映画である。

 エルフやホビットが出てきて、指輪を捨てにいくやつ。

 観てると実家のような安心感があります、とのこと。


 まあ、そういう世界観の生まれだしな。

 

「やっぱあれか? 今日もファンタジーもの観るか?」


 俺はアンジェリカに聞きながら、レンタルショップの袋をゴソゴソやる。

 俺用のアクション映画を一本借りてきただけで、残りの四本は全てアンジェリカの好みにしてある。


 気に入ってくれるといいのだが。

 そんな、親心に満ちた心境でホビット族の冒険を描いた作品を手に取ると、アンジェリカは全く別の作品に食いついた。


「それがいいです」

「え? いやこれはアンジェ向けじゃないよ」

「だってその男の人、いい体してるんですもん」

「……」

「観たいです」


 アンジェリカが言っている「それ」とは、俺が観るために借りたアクション映画である。

 ケースに描かれているのは、筋骨隆々の主演俳優だ。

 薄手のシャツから露出した二の腕は、みっちりと筋肉に包まれている。

 膨れ上がった力こぶには血管が浮き出ていて、いい体と言われればそうだろう。


 ……どこまでもセンスが外国人なんだな、アンジェリカのやつ。


 日本の女の子なら、もっとひょろっとしたイケメンを好むだろうに。

 筋肉ムキムキが好きなのか。そうか。まあ異世界女子は概ねそうだったけど。


「浮気とかじゃないですよ、お父さんだっていい体してるじゃないですか。お父さんの体が一番好きですよ。ただほら、こう、ね……気になるじゃないですか。勉強ですよ勉強。ただの好奇心ですから」


 いい体ねえ。

 そりゃあ俺だってあっちで十七年も勇者やってたから、バキバキに鍛えられてはいるけどさ。

 これでも首から下は、引き締まっているのだ。

 俺の外見で褒められるのって、ここだけだな。


「お父さんの体が一番好きって台詞、他所じゃ言うなよ」


 絶対誤解されるからな。

 注意喚起を促しつつ、俺はアンジェリカのリクエストに応える。

 ムキムキ俳優主演のアクション映画を挿入し、再生ボタンを押す。


 配給会社のロゴ名が表示されたあと、タイトルが出てくる。

 その名も『ラムボー ~一人だけの軍隊~』


 1982年に公開された、アクション作品だ。

 ベトナム戦争から帰還した兵士の悲哀を描いた、映画史に残る名作である。


 戦場では英雄だったのに、故郷へ帰ってみれば腫れ物扱い。

 仕事も見つからず、中々平和な社会に馴染めない。

 何度も拷問や戦闘のフラッシュバックに悩まされ、ちょっとした悪意に全力で反撃してしまう。

 戦争用に作り変えられた心と体が、望まぬ争いを巻き起こす。

 

 単なる娯楽映画ではなく、兵士の心的外傷PTSDを描いた意欲作と言える。


 俺がこれを借りてきたのは、楽しむためだけではない。

 主人公が、俺と似ていたからだ。

 とても他人事とは思えず、つい借りてしまったのだ。


 画面の中では、さっそく主人公が保安官を殺している。

 話し合いで解決出来たはずの問題を、過剰防衛で殺人事件に発展させてしまっている。

 

「結構、残酷な感じの映画なんですかね?」

「ああ」

「そういうのあんまり得意じゃないですけど、この主人公はちょっと可哀想ですね」

「ああ」

「お国に使い潰されちゃった兵隊さんですかー」

「ああ」

「……お父さん? なんか反応鈍いですよ?」

「ああ」


 そうなんだよな。喧嘩売られると、すぐカッとなって手が出たりするんだよな。

 仕事なんて見つけられないんだよな。

 どんなに身体能力が高かろうと、無理なのだ。自分で自分の人生を、痛めつけてしまうのだ。

 あえて己を粗末に扱うような道ばかり選び、気が付けば落ちぶれている。

 それが適切なケアを受けられなかった、帰還兵の末路だ。


 ……ひょっとして俺もそうなのか? 心的外傷というやつなのか? と思ったりする。


 画面から、目が離せない。

 転げ落ちるように孤立していく主人公の境遇が、日本に戻ったばかりの俺と重なる。

 気が付けば、貪るようにして観ていた。一時間三十分のストーリーが、ほんの十分程度に感じた。

 あっという間だった。


「はわー……。まさか実話じゃないですよねこれって? ……っえ、お父さん? 泣いてるんですか!?」


 言われて、はっとなる。

 頬に手を当てると、見事に濡れていた。


「もしかして、私が他の男の人をジロジロ見てたせいですか!?」

「そんなんじゃないよ」


 しまった、主人公に共感するあまり自然に涙が流れていた。

 従軍経験者あるあるかもな。

 泥沼化した戦場で、殺し合いしてた奴ならわかってくれるだろ?

 そんなやつ、今の日本じゃヨボヨボの爺さんしかいないけど。


「……嫌なことでも、思い出しました?」


 そんなとこだ、と目元を拭いながら答える。

 俺、メンタルカウンセリングとか受けた方がいいんだろうか。

 

 何やってんだろなしかし。

 三十男が十代の娘の前で泣くなんて、とんでもなくみっともないぞ。


 ティッシュ箱に手を伸ばしたところで、アンジェリカがベッドを降りた。

 音もなく俺の前に回り込むと、無言で俺を抱きしめる。

 ぽふ、と柔らかな感触が顔に当たる。

 俺の顔を、己の胸に押し当てているのだ。右手は俺の頭を撫で回している。

 

「おい。何のつもりだ」


 これじゃ母親にあやされる子供だ。

 俺はいい大人で、こいつはガキだってのに。

 けれどアンジェリカは、手を休めようとしない。


「お父さんには私がいるから、大丈夫ですよ」

「やめろ、離せ。お前は俺のおふくろじゃないんだぞ」

「私はお父さんの娘で、奥さんで、お母さんなんです。お姉さんだし、妹でもあるんですよ」

「……なんだって?」

「女の家族の役割、ぜーんぶ一人でこなしてあげます。だから大丈夫なんですよ。私とお父さんが二人いれば、もう大丈夫なんです」


 何が大丈夫なのか、よくわからない。

 そもそもそれは、もっと大丈夫じゃなくなる気がする。


 なのに。


 なんだか心地よくなっている、自分がいた。

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