第31話 跳躍

 俺は駅のホームに立ち、スマホからニュースサイトを眺めていた。

 黄色い線の内側でお待ち下さい、と執拗に繰り返すアナウンスを聞き流しながら、待ち時間を潰す。

 

 俺がテレビ局に向かう手段は、基本的には電車である。

 交通費を出してくれた時だけ、タクシーを利用する。

 

 隠蔽魔法で姿を隠してもカメラには映ってしまうと判明した以上、建物の上を跳んで移動するといった無茶はありえない。

 少なくとも明るいうちは無理だ。大騒ぎになる。


 大騒ぎ。

 むしろその方がいいんだろうか、と思ったりもする。

 いっそ人前で飛び回れば、また中元さんが新しい手品を発明したぞ、みたく注目して貰えるかもしれない。

 やっちゃおっか?

 と投げやりな思考になりかける。


 しかし、あんまり俺が飛び回る映像に慣れさせてしまうと、スクープ性が薄れる気がする。

 世間に飽きられる速度が、早まってしまう恐れがある。

 こういうのは小出しにした方が、長生き出来るんじゃないかと思う。

 芸人の一発ギャグと同じだ。

 乱発すると寿命が縮むのだ。


 なるべく長期間メディアに露出して、稼がなきゃならんのである。


 だというのに、手元の画面に表示されるニュースサイトは、残酷な真実を伝えてくる。

 どうやらネット上における注目度は、分裂した野球選手に奪われつつあるようだ。

 注目記事ナンバーワンは、増えた中村選手。二位が増えた駒井四段。


 で、三位が俺。生放送中にケツで金属バットをへし折る手品を披露し、ようやくこの順位なのだ。

 手品じゃなくてただの身体能力なんだけど、世間的には手品なのだ。


 大衆というのは、飽きっぽいのである。

 もはや高く跳んだり、頑丈なものを破壊するくらいでは驚いてくれない。

 もっともっと、と要求はエスカレートしていく。

 かといってそれに、言葉通りに応えてはいけない。

 手の内を一気に見せることなく、徐々にインパクトのある能力を公開していく微調整が重要なのだ。


 次は尻で自動車を破壊するか? 

 それとも尻で人を持ち上げるか? 

 ってか尻から離れるべきじゃね?


 俺が新ネタに思いを巡らせていると、プアーンと威勢のいい警笛が聞こえてきた。

 

 列車が来たのだ。

 大きくカーブした線路の上を、くねるようにして近付いてくる。

 そういやアンジェは電車苦手だったな、と思い出しておかしくなる。


 お、お父さん、鉄の蛇が来たんですけどっ! けたたましい鳴き声なんですけど! 


 と凄まじいビビりようだったのだ。

 異世界人からすりゃあ、そう見えちゃうのか。

 これはこれで愛らしいけど、いつか慣れさせないとな。


 そうやって、俺が朝っぱらからお父さんな気持ちになっている時だった。

 ふと視線を前に向けると、妙なものが見えた。


 ふらり、とホームから線路に、黒い影が落ちたのだ。

 

 はじめは誰かが、鞄でも投げたのかと思った。

 が、よく見ると手も足も、髪の毛も生えている。うずくまり、震えている。

 

 黒いコートを着た、女の子だった。


「何やってんだおい」


 周囲が騒然となる。


 ――飛び込み自殺。または転落事故。


 足でも滑らせたのだろうか。

 電車は、すぐそこまで迫っている。

 このままでは轢き潰される。うら若い少女の肉体が、俺の目の前でミンチになってしまう。

 間に合わない。ぶつかるまであと一秒もない。

 通常の物理法則では、助けられない命だ。


 けれどここに、ルールを捻じ曲げられる人間がいる。

 ここではない世界で授かった力なら、届きうる奇跡がある。


 一瞬の判断で強化付与の魔法をかけ、線路に飛び降りる。

 あまりに脚力を強めたせいで、跳躍時に足元が砕けてしまった。

 

「しょうがねえだろ!」


 叫びながら、少女の細い体を抱き上げた。

 間髪置かず、二度目のジャンプを試みる。


 パシュッ。


 と風を切る音を残して、俺は反対側のホームに着地した。

 少女と二人、崩れ落ちるようにして座り込む。


 時間にして、コンマ一秒に満たない出来事だっただろう。

 一瞬遅れて、ブレーキ音を鳴らしながら列車が通過する。

 ギャリギャリギャリギャリ! と車輪がレールを削る音が鳴り響いた。


「死んだ? 死んだの?」

「生きてるって! ほらあそこ!」

「うおおおおおおお! 瞬間移動だ瞬間移動!」


 ホームに並んでいた人々が、にわかに興奮し出す。

 

「間に合った……」

 

 ほっと安堵の息をつくと、俺は腕の中の女の子に目をやった。

 肩甲骨のあたりまで伸びた、真っ黒な髪。

 大人しそうな少女である。まだ高校生くらいだろうか。

 前髪に覆われているせいで、目元がよく見えない。

 

 視線を顔の下の方に向ける。

 頬に、涙の跡があった。

 相当の恐怖だったのだろう。

 事故なのか自殺未遂なのか知らないが、死ぬのが怖いなら助けて正解だ。


「……賠償請求とか来ないだろうな」


 電車を停めたら高額の金を支払わなきゃいけないって聞くけど、大丈夫なんだろうか?

 俺が遅れてやってきた現実的な不安と戦っていると、側に立っていたサラリーマンがぽつりと言った。


「人命救助なら、請求されませんよ」


 その言葉をきっかけに、見物人達は我に返ったようだ。

 一斉に拍手が始まる。


「凄いもん見た!」

「あれが人間の動きなのか?」

「あの人って最近テレビ出てる手品師じゃない?」

「あー、あの飛んだりお尻で金属バット折ったりする人」

「すげえ、ケツすげえ」

「尻で助けたわけではないと思うが……」


 パチパチパチパチ、と三分近く手のひらの合唱は続いた。

 それが済むと、俺と少女を取り囲んでの撮影会が始まる。

 有名人なら遠慮は要らないと判断したのか、全身をくまなくスマホのカメラに収められる。

 

「ちょ……やめ……」


 今まさに死にかけて泣きじゃくっている女の子がいるというのに、野次馬根性の方が優先されるのか?

 日本はどうなっちまったんだ。

 俺がいた頃からこんなもんだったっけ?


 あっけに取られていると、服の裾を引っ張られる感覚があった。

 視線を下げると、女の子の白い手にくいくいされていた。


「……あの……」


 そうだった、俺はずっとこの子を抱きしめたままじゃないか。

 いくら救助者だとしても、これじゃセクハラだ。


「いけね、離れた方がいいよな」


 反射的に腕を上げると、女の子も顔を上げた。

 前髪の下から、真っ白な肌と濡れた瞳が露わになる。

 

 乾いた唇は真っ青で、まるで生気がない。


 店で会う時とは別人のように、弱っていた。


「綾子ちゃん?」


 やっぱり、中元さんなんですね。囁く声は、微かに震えている。

 古書店の看板娘は、変わり果てた姿で涙を流していた。

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