第32話 事情聴取

 この子に、何があったのだろう。


 とてつもなく嫌な予感がする。

 なぜなら。

 コートの襟元から見える綾子ちゃんの服は、破れているのだ。


 綾子ちゃんから見て、右側に当たる方の鎖骨が露出している。

 なのに左側は、きちんと厚手のセーターで隠れている。


 服が真ん中のあたりで、引き裂かれているのだ。


 胸がざわつくのを感じる。

 着衣の乱れ、泣いている女の子、飛び込み自殺。

 そこから連想されるものは?


「まさか……」


 とりあえず、ここから離れなければ。

 これではいい見世物だ。

 俺は綾子ちゃんの耳元に口を寄せ、歩けるかと聞いてみた。


「……」


 無言で首を横に振られる。

 やむを得ず、抱き上げて移動させることにした。


「軽いな」

「……あ……」


 人混みをかき分けるようにして、改札口に引き返す。

 窓口に向かい、係の者に事情を説明する。

 対応したのは、若い駅員だった。

 こちらが申し訳なくなるほどの低姿勢である。


「いや、助かりました。死体が出ると一日忙しくなるので」


 窓口脇の扉から出てきた駅員は、鉄道警察隊の詰所まで案内すると申し出てきた。

 ……事情聴取のようなことが始まるんだろうか?

 別に悪いことをしたわけではないし、むしろ礼を言われるかもしれない。

 が、時間は奪われるだろう。今からバラエティ番組の収録があるのだが。

 遅れそうだと、スタッフに伝えるべきか?


「こっちです」


 俺が迷っているうちに、駅員は歩き始めた。とんでもない早足だ。

 スマホを取り出している暇はない。

 紺色の制服に包まれた背中を、慌てて追いかける。


 迷宮のような通路を何度も曲がり、俺達は奥へ奥へと進んで行く。

 

 やがて赤いランプと、『痴漢は犯罪です』と書かれたポスターが見えてきた。

 ガラス戸の向こうには、数名の警察官が待機している。

 駅の中に、無理やり交番をはめ込んだような外観だ。


 俺は綾子ちゃんに「自分で説明できるか?」とたずねる。


「……」


 小さく頷かれる。そろそろ降ろしてもいいだろう。

 俺と綾子ちゃん、そして駅員の三人は、同時に警察隊詰所に足を踏み入れた。


 警官達はこちらに視線を向けるなり、「痴漢ですか」と鋭く声を発した。

 おっさんと衰弱した女の子の組み合わせだと、まずこれを疑われてしまうらしい。


「いえこの方は、ホームから転落した彼女を救助したもので」


 駅員が、しどろもどろといった様子で説明する。

 途端に警官は表情を和らげ、どうぞ腰かけて、とパイプ椅子を引っ張り出してきた。口調は穏やかだが、目が笑っていない。人を疑うのを生業としているので、一種の職業病かもしれないが。


 俺はまず先に綾子ちゃんを座らせると、横の椅子に腰を下ろした。

 きっと質問攻めに遭うのだろう。

 長引きそうである。

 番組スタッフに連絡を入れたいところだが、残念ながらそんな空気ではない。


「事故ですか」


 初老の警官が言った。だが油断ならない光をたたえた瞳は、「自殺未遂だろ?」と言外に告げている。


「事故です。だよな? 綾子ちゃん」


 なるべく、穏便に片付ける方向に持っていこうと思った。

 自殺未遂で列車を停めると、金を取られると聞く。事故ならば、ただの被害者扱いで済むのではないか。


「……学校には、言わないで下さい」


 綾子ちゃんは、聞き取るのも難しいほどの小声で囁いた。

 警官が「聞こえないよ。もう一度言ってくれるかな」と促す。


「……家にも、学校にも、言わないで下さい」


 警官達は顔を見合わせると、さわさわと小声で話し合いを始めた。

 しばらくすると、俺に向かって声をかけてきた。


「さっき名前で呼んでましたけど、お二人は知り合い?」


 質問の対象に、俺も含めてきたのだ。

 その方が手っ取り早いと判断したのだろう。


「ええ。通ってる古本屋の娘さんなんです」

「じゃ身元がわかってるんですね。そのお店の名前教えて頂けます?」


 大槻古書店……と言いかけた、その時だった。


「駄目っ……!」

 

 突如として綾子ちゃんが立ち上がり、俺の口を塞いできたのだ。

 

「お母さんには絶対知らせないで下さい」


 迷惑かけたくないので、と鬼気迫る声で綾子ちゃんは懇願する。


 警官達の目の色が変わった。

 視線が上下に動き、綾子ちゃんの体を這うように観察しているのが見て取れる。

 あくまで事務的な、感情の篭っていない目だ。きっとこれが男の体や血の付着した刃物でも、同じような目つきで見るだろう。


「……着衣に乱れがありますな」


 婦人警官呼びましょうか、と初老の警官は呟いた。



 

 その後、綾子ちゃんは数名の女性警官に囲まれ、潜めた声で何かを語っていた。

 俺の方はといえば、貴方はもう帰っていいですよと言われたにも関わらず、こうして詰所の外で待機している。

 いくらなんでも放っとけないだろうし。


 テレビ局には、人身事故に巻き込まれたと伝えておいた。

 嘘ではないので、これで勘弁して貰いたい。

 今後の仕事量に響かねばいいのだが。


 スマホを見れば、既に午前十時半近い。

 今からスタジオに行ったところで、どうせ収録には間に合わない。

 

 俺がその場で円を描くように歩き回っていると、あの若い駅員が出てきた。

 綾子ちゃんが頑として連絡先を言わないので、やむを得ず俺に伝えたいことがあるそうだ。


「どんな理由でも、列車を停めるとお金を頂くんですよ。後日、請求書を送る形で」


 車両に被害がなかったことと、停まっていた時間の短さから十万円未満の額でしょうが、と駅員は説明する。


「あの子の連絡先を知っているなら、教えて頂けませんか」


 これを聞き出さないことにはお家に返してやれないんですよ、とすがりつかれる。


「綾子ちゃんはなんて言ってるんですか?」

「お母さんには絶対教えないで、の一点張りですね。まあ家族に知られたくないのはわかりますが」


 十万円未満の支払い。

 連絡先を伝えなければ、帰れないという綾子ちゃん。

 順調に上がっている俺のギャラ。


 あーあ。

 

 伊達に異世界で勇者と呼ばれてただけある。

 俺も本当にお人好しだ。


「いいですよ。あの子ん家の住所と電話番号、教えときます」


 助かります、と声色を明るくする駅員に、俺は自分の連絡先を告げた。

 痛い出費である。

 俺は詰所の中に戻ると、綾子ちゃんに声をかける。


「もう帰っていいってさ。行こう」


 俺この子の親御さんと知り合いなんで自宅まで送っていきます、と警官達に申し出てみる。

 

「証明する手段は?」


 綾子ちゃんがブンブンと首を縦に振っているのでは、不十分なのだろうか?

 

「……中元さん、本当に、お母さんと親しいです」


 まあ連絡先も控えてあるしねえ、と警官の一人が言った。

 声に疲労が出始めている。

 彼らの方も、厄介なだんまり娘から開放されたがっているのではと感じた。


「それじゃ任せていいですかね」

 

 もちろん、と胸を叩く。

 何やってんのかね俺。

 こんなだからオーク絶滅作戦だのドラゴンの生け捕りだのやらされたんだろうな、といいように使われた青春時代を思い出す。

 

「……中元さん」

「なに?」

「……」


 ありがとうございます、と聞こえたような気がした。


「気にしなくていいよ。俺勇者だから」

「勇者……?」

「おっとこっちの話だ」


 うつろな足取りで近付いてきた綾子ちゃんに、どっかで休もうと提案する。

 未成年を勝手に連れ回すのって、最近は事案になるんだっけ?

 っていっても、今まさに警官達に見送られたばかりだし。

 セーフだと思いたい。

 

 俺はあえて小股で歩き、女の子でもついて来れる速度で足を進める。


 ここに来る途中で、某有名コーヒーチェーン店があるのを見つけたのだ。

 ちょっと名前は思い出せないが、緑の円に白い人魚を描いたロゴと言えば、大体伝わるはずだ。

 あそこなら長時間居座っても怒られないだろうし、落ち着かせるにはちょうどいい場所だろう。


 そういや飲み物も俺の奢りになるのか。なるんだろうな。


「……あの」

「なんだ?」

「……私、おまわりさん達が思ってるようなことされたわけじゃないです」

「と、いうと?」


 辛い現実を受け入れたくないのかもな、と胸が締め付けられる。


「私、増えたんです」


 ……綾子ちゃんは、既に狂っているのだろうか。

 一抹の不安を覚えながらも、俺達はコーヒー店の前に到着した。

 先に綾子ちゃんを、席に座らせておく。きちんと店外から見えないように配慮した、奥の方の席だ。

 女連れの時の基本作法である。


 なんかエルザと食事した時を思い出すな、と妙な気分になりながら、カウンターに並ぶ。

 この時間帯は客が少ないため、すぐに俺の番が来た。

 

「ご注文は?」


 ドリンク二つお願いします、と指を二本立てる。

 店員がトールだのグランデだのまくし立ててくるが、まるで意味が理解できない。

 言語理解のスキルは、母語には反応しないのだ。

 そして母語以外に反応しても、なんか変な感じだし。


 ……トールやグランデは、母語扱いでいいのか?

 日本人がカタカナ発音で口にしたら、日本語としてカウントされるのかもしれない。

 本当に気の利かないスキルである。


「なんでもいいから、女の子が好きそうなのを一つ。もう一つは俺用のを任せます」


 店員に丸投げである。

 変に冒険しない方がいいと思ったのだ。

 俺のセンスで選んだら失敗しそうだし。


 しばらくすると、二つのカップが出てきた。

 キャラメルマキアートにカフェモカと、呪文めいた名前を早口で伝えられる。


 多分、雰囲気からしてキャラメルの方が綾子ちゃん向けなのだろう。

 俺は零さないようにそろそろと歩きながら、席に向かう。

 

 木製の丸テーブルを挟むようにして、二つのソファーが置かれている席だ。

 自然、対面で話す形になる。


「おまたせ」


 綾子ちゃんの表情は、沈んだままである。


「さっき増えたって言ってたけど、どういう意味なんだ」


 飲みなよ、とキャラメルなんちゃらを勧める。

 が、手を付けようとしない。気に入らなかったのか? 

 食欲がないだけだといいのだが。


「……野球選手の人とか。将棋の有名な人とか。増えたじゃないですか、最近。あれです」


 そうきたか、と俺はストローを口に含みながら考える。


「じゃあ、なんだ。綾子ちゃんは今二人いるのか」

「はい」

「いつ増えたの?」

「昨日の夜遅くです」


 綾子ちゃんが言うには。

 昨夜十一時頃、シャーペンの芯が切れていることに気づいてコンビニに向かった。

 帰りにスマホを見ながら歩いていると、突然背中に痛みを感じたそうだ。

 あまりの激痛に、気を失うほどの。


 次に目を覚ますと、綾子ちゃんの服は半分破れていた。右側が、完全に裸になっていたのだという。


 真っ先に思ったのは、乱暴されたのではないかという可能性だった。

 パニックになりながら体を調べてみたら、幸いそのような形跡はない。

 血の一滴も出ていない。


 ほっと安堵したところで顔を上げると……鏡合わせのように、もう一人の自分が座り込んでいた。


「目が合いました」


 もう一人の綾子ちゃんは、左側が裸になっていた。

 まるで一つの服を、二つに切り分けたようだった。

  

 即座に、増殖事件が頭に浮かんだ。


 ここで問題になるのが、では、どっちが増えた方なのか? ということだ。

 綾子ちゃんは己の手を見る。何も持っていない。

 ところが目の前にいるもう一人の自分は、右手にスマホを持っている。何者かに斬りかかられる寸前まで操作していた、見慣れたスマートホンを。


「……だから、私が偽者なんです。私が後から増えた方なんです」


 二人の綾子ちゃんは、互いの肌が露出した部分を隠すようにして、家路に着いた。

 家族はとうに寝ており、娘が倍に増えたことには気付いていない。


 同一人物同士による話し合いが始まった。

 議論はスマホを持っていた方の綾子ちゃんが優勢だった。自分こそが本物である、という確信が彼女を強気にさせていた。


 天才でもなんでもない私達が増えたところで、世間に受け入れられるとは思えない。

 養育費も倍になるんだから両親に申し訳ない。打ち明けられるわけがない。

 仮に打ち明けたとして、どんな生活が待っている?

 あらゆる財産を今から二人で分割するのか? 人生の質が急に半分になるだけではないか?

 なにより、


「好きな男の人だって一緒ですから。本人同士で取り合うつもりなの? ってなじられました」


 偽者の綾子ちゃんが、本物に迷惑をかけない方法は何か。

 二人で出した結論が、死。

 速やかな、自死。


「……あっちの私も、動揺してたんだと思います。お互い、泣きながらの口論でした」


 コートを着込んで飛び出した「こっちの」綾子ちゃんは、一晩中駅周辺をうろついていたようだ。

 早く死ななければ、自分で自分に負担をかけてしまう。

 でも踏ん切りがつかない。

 生きたい。

 だけど死なないと。


 そうして迷っているうちに朝になり――あの飛び込み自殺未遂に至る。


 そんな、話だった。

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