第33話 インフレーション
「……なるほどな」
おおよその流れはわかった。
そういった事情ならば、精神的な動揺は相当のものだったことだろう。
発作的に電車に飛び込むというのも、わからなくはない。
だが、まだ事実かどうかの裏付けがない。
疑うようで悪いが、確認を取らねばなるまい。
「もう一人の綾子ちゃんは今どうしてるんだ?」
「学校にいるはずです。……何もなかったことにしたいから、普通に過ごすって言ってました」
片方の綾子ちゃんは弱っているが、もう片方は冷徹に振る舞っている。
人間というのは不思議なものである。
「……あの」
「ん?」
「あっちの私のこと、きっと酷い子だって感じてますよね。でもわかるんです。私は私のことが一番嫌いだから、それでこんなに冷たいんだと思います」
中元さんはあっちの私を嫌いにならないで下さい、悪い子じゃないんです、とものすごく特殊な自己弁護をされる。
本人同士で争って、被害者が加害者を擁護している。
加害者も自分なのだから、当然なのだろうが。
聞いてるとなんだか、頭がこんがらがりそうになる。
「綾子ちゃんの電話番号聞いていいかな。あちらさんはスマホ持ってるんだろ?」
「あ、はい」
これでもう一人の綾子ちゃんの声が聞ければ、二人に増えたのは真実と証明される。
文明の利器って便利だ。俺が得意になっていると、例のウィスパーボイスがおずおずと指摘してきた。
「……でも、出ないんじゃないでしょうか」
「あ」
高二の女子が、突然知らない番号からかかってきたとして、通話してくれるだろうか?
ましてや平均より大人しめの性格ときている。
「無理だな」
じゃあどうする?
今すぐ綾子ちゃんの学校まで見に行ってもいいのだが、面倒である。
「ん、そういや」
ふと、リオの姿を思い浮かべる。
あいつの着ていた制服は確か、綾子ちゃんと同じ学校のものだったはずだ。
兄貴のキングレオはもっと偏差値の低いところの制服だったので、兄妹で学力格差があるのだろう。
……高校に進学しているというだけで、兄の方も俺よりは高学歴なのだが。
「綾子ちゃんのクラス教えてくれないか?」
「二年一組です」
俺はSNSアプリを立ち上げると、さっそくリオにメッセージを送るべく指を動かす。
頼みたいことがあるんだけどいいかな? とへりくだるような文言を書き込もうとして、手を止めた。
これじゃ駄目だ。あいつはこういうのだと反応が悪い。
男癖の悪い母親の元で育ったせいで、幼い頃からコロコロと父親が変わったのがリオだ。
その上、超のつく美少女ときている。大抵の義父は、媚びるような態度を取ってきたらしい。
中学に上がってからは、下心混じりの視線を向けられることも増えた。
リオはこのような背景から、「自分のご機嫌取りをしてくる情けないオヤジ」が大嫌いなのである。
毅然とした頑固親父、強い父親でなければ従おうとしない。
となると、相応しい文章は――
『今すぐ便所行って、恥ずかしい写真を撮って寄こせ。二分以内だ』
ふう。
これでよし。
数百メートル先におまわりさんがいるというのに、すげえ蛮勇だぜ。
ちなみにこれはただの挨拶だ。決していかがわしい自撮りが欲しいわけでない。
こういうやり取りから入った方が、あいつは態度が軟化するのである。
それだけである。
あとで送られてきた画像は消すし。つーか頼まなくても毎日勝手に送ってくるし。
俺は一仕事終えた充実感に身を任せ、ソファーにもたれかかる。
二分なんてあっという間だ。
伸びをして、小休止。ぼーっと精神を無の空間に飛ばす。
綾子ちゃんは俺のリラックスした雰囲気に誘われてか、ようやく飲み物に口をつけ始めた。
そうしてまったりしていると、
『新着メッセージがあります』
の表示が出てきた。
無言でタップする。
『中元さん凄い。どうしてあたしの一番やって欲しいことわかるの?』
ハートマークだらけの絵文字がついているのを見るに、しっかり喜んで頂けたようだ。
下の方にあるアドレスをつつくと、相変わらず条例に中指を突き立てた自撮り画像が出てくる。
えっ、ネクタイでそこまでやっちゃうの? な感じだ。たった二分でここまで創意工夫できるのだから、女子高生はあなどれない。
『二年一組に行って、大槻綾子って生徒がきちんと学校に来てるか確認してきてくれ。写真付きだとありがたい』
俺は簡潔に指示を送る。
『その子って中元さんのなんなの?』
ものすごいレスポンスの返信だ。早すぎて怖い。
『知り合いのお子さんなんだ』
『ふうん。そいつ学校行くふりして、どっかふけてる感じ? 見張れって頼まれたの?』
『そんなとこ』
ナチュラルに不良生徒の行動パターンが出てくるあたり、こいつやっぱちょいヤンキー入ってるよな、と再認識させられる。
髪が黒いだけで、中身はギャル……というよりスケバンに近い。これはもう死語なんだろうが。
『上級生の教室って入りにくいんだけど。しかも一組って進学コースの連中だし。あたしみたいなのが覗きに行ったら騒がれそう』
『そこをなんとか』
『埋め合わせはあとでしっかりして貰うから。いいでしょ? 一緒にどっか行こうよ。駄目?』
『さっさとやれ。俺の言うことが聞けないのか』
『……それ好き……』
『やれ』
『はい』
俺ほんとは女の尻に敷かれるタイプなんだけどなあ、となんとも言えない気分になった。
深く息を吐きながら、視線を綾子ちゃんに戻す。
俺のスケジュールをぐちゃぐちゃにしてくれた本屋の一人娘(今は二人娘か?)は、ちゅるちゅるとストローを吸っている最中だった。
一瞬、目が合う。
が、すぐにそらされる。頬がほんのり赤らんでいる。
こうしていると、ただの内気な女の子にしか見えない。
俺と目を合わせることも出来ないのだ。
もしかしたらとても可愛い子なのかもしれない。性癖と猟奇性にさえ目を瞑れば。
その二つに目を瞑らなければいけない子を、可愛いと形容していいのだろうか? 美形の殺人鬼なんかと同じグループに入っている感がある。
「……見られてると、恥ずかしいです」
とはいえ俺の知る限り、綾子ちゃんが実際に悪事に手を染めたことはないのだ。
あくまで内側にドロドロしたものを抱えているというだけで、平和に日常生活が送れているならば一般人と変わらない。
実害のない人間が困っているなら、手を差し伸べるべきだろう。
俺が勇者だからとかじゃなくて、あっちの世界にいた時もこっちの世界にいた時も、ろくに助けて貰えなかった八つ当たりである。
誰も自分に手を貸してくれなかったから、代わりに俺は人を助ける。
そうすることで、まるで昔の自分を救っているような錯覚に浸れる。
要は自己満足だった。
「中元さんって」
「ん?」
「最近は手品のお仕事されてるんですね」
「ああ、だね」
「びっくりしました」
そりゃ、顔見知りが急にテレビに出るようになったら驚くわな。
俺だってそうなるだろう。
「……毎日、観てます」
「ありがとう」
「昨日は三つのチャンネルで、合計四十二分十九秒出演されてましたよね」
「あ、ありがとう」
綾子ちゃんはストローに口をつけ、じゅううううーっ、と音を立てて吸った。
「……中元さんって、ネットの評判とか気にする人ですか」
「そういうのは見ないようにしてる。どうせ悪口ばっかだろうし」
「……大丈夫です。匿名掲示板で中元さんを悪く言ってる人を見つけたら、ウィルス入りのリンクを踏ませるように誘導してるので……」
どうした、今日にはいつになく喋るな。
俺の前では完璧に猫かぶりをしていたはずの綾子ちゃんにしては、珍しいボロの出し方だ。
「あ、あの」
「なにかな」
余裕ぶっているが、これ以上怖いこと聞きたくないなぁ、が俺の素直な気持ちである。
「……好きです」
【パーティメンバー大槻綾子の好感度が9999上昇しました】
【パーティーメンバー大槻綾子の、中元圭介に対する感情が「執着、収集欲」から「恋慕、収集欲」に変化しました】
【大槻綾子の好感度は、性交渉及び婚姻が可能なレベルに到達しました】
【大槻綾子を配偶者に指名しますか?】
なあシステムメッセージさんや。ていうかエルザや。
お前本当にこの娘を俺の後妻ポジションにしていいわけ?
収集欲ってのがまずありえないし。
俺を集めるってどういうこと? 中元これくしょん? マジで響きが邪悪なんだけど。
「どういう意味での好き、なのかな」
「……男性として」
【パーティメンバー大槻綾子の好感度が9999上昇しました】
まさか9999ずつ増えてくのか? 数字がデカくて怖えよ。
「はは。一体どうしたのかな」
「……今日……優しくして、くれたので」
【パーティメンバー大槻綾子の好感度が9999上昇しました】
「……私……こんなだけど……生きてみようって……思いました」
「そ、それはよかった」
【パーティメンバー大槻綾子の好感度が9999上昇しました】
スマートホンの画面に、新着メッセージの通知が表示される。
リオだ。
タップすると、『いたよ』という短い一言が表れる。
セットで送られてきた画像は、こわばった顔の綾子ちゃんと、腕を組んで確保を試みているリオのツーショット写真だった。
不良少女が優等生をカツアゲしているようにしか見えないが、大手柄の証拠画像である。
『でかした』
短く返事を打つと、天井を見上げる。
俺の目の前でドリンクを飲んでいる綾子ちゃんと、今まさに学校で捕獲された綾子ちゃん。
二人の綾子ちゃんが、同時に存在している。
増殖は真実だった。
「でもなんでだ」
この事件を起こしている人物の狙いが、さっぱり読めない。
二件続けて天才と名高い人間を増やしておきながら、どうして急にただの女子高生を増やすに至ったのか。
謎は深まるばかりである。
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