第150話 上級者

 言いながら、廊下の突きあたりにある扉を指差す。味気ないデザインで、目の高さのところに『従業員室』と書かれたプレートが貼られている。


「……ここに入るんですか?」


 綾子ちゃんはきょとんとした顔で首をかしげていた。分裂した片割れと同居しているからわかるが、これは「納得いきません」な時の表情だ。


「清掃婦に用があるんだ」

「……掃除のおばさんに……?」


 静かに頷く。

 異世界から紛れ込んだ亜人が地球人に化ける時は、元々いた住民の姿を借りるのがお決まりのパターンだ。――つまり、何の罪もないパートのおばちゃんを殺すなり監禁するなりして、その身分を奪いとったということ。


 胸の奥で、素朴な怒りが疼いてくるのを感じた。

 別に俺は正義感が強い方ではない。けれど一般人が犠牲になっているのを見て、「これは駄目だ」と感じるくらいの正常さは持ち合わせている。

 

「……もしかしたらこの中にいるのは、おふくろと同年代のおばちゃんかもしれない。そう思うと我慢できないもんがある」

「……お母さんと同年代だと、我慢できないんですか……!?」

「そりゃそうさ」


 誰かの母親が犠牲になった。その想像は耐え難いものがある。


「ま、待って下さい。どういう経緯なのか説明してくれませんか」

「ここの清掃婦に、俺と因縁のある奴がいるんだ」

「……昔の知り合い……ですか?」

「そんなもんだ」


 異世界時代からの腐れ縁だしな、人食い亜人ってのは。


「……じゃあ中元さんは、すぐ近くでムラムラしてる十七歳の女子高生を放置して、昔から爛れた関係にある中高年女性を襲いに行くんですね?」

「変な言い方はやめてくれ。ある意味合ってるけど」


 俺は扉を拳で打ち抜き、腕を貫通させた。内側から鍵を外し、腕を引き抜く。


「そこで座って待っててくれ。なに、すぐ終わる」

「……中元さんは早撃ち名人らしいですしね……」


 ずるずると力なく座り込む綾子ちゃんを置いて、俺は従業員室の中へと侵入した。

 狭い空間にロッカーが密集しており、それらに取り囲まれるようにしてテーブルが置いてある。

 四つあるパイプ椅子の一つには、小柄な中高年女性が座っていた。紙コップを持ったまま硬直し、驚愕に目を見開いている。


 今の俺は隠蔽魔法がかかった状態なのだから、驚くのも当然だ。

 あちらからすれば勝手に扉に穴が開き、鍵が外れたように見えているのだろうから。

 そして俺の方からすれば、亜人かもしれない人物が隙だらけなのは好都合と言える。


「ステータス・オープン」


 小声で呟き、さっそく目の前の清掃婦を鑑定する。

 ――結果はビンゴ。

 どうやらこのおばさんに化けているのは、低レベルなリザードマンだ。

 とはいえ人間女性の姿をしたままの相手を殴るのは気分が悪いので、解呪で変身を解く。それから少し遅れて、俺の隠蔽を解除。


 小さな個室に、異世界の魔物と勇者が同時に出現する。


「……なんだ?」


 突如として元の姿に戻ったリザードマンは、自身の手を見つめてしきりに戸惑っていた。鱗まみれの指に、鋭い爪。


「随分慌ててるようだが、そんなに中年女の指がしっくりきてたのか? まさかお前、女装癖でもあるんじゃないだろうな」

「……!」

 

 リザードマンはようやく俺の存在に気付いたらしく、凄まじい速度で顔を上げた。

 縦長の瞳孔が、ギロリと俺を睨みつける。


「……勇者ケイスケ……」

「なんだお前、俺を知ってるのか。誰の差し金だ?」


 返事は火属性の攻撃魔法だった。顔面に火球が直撃し、視界が炎に包まれる。が、痛みはない。この程度の魔力で、俺の皮膚は傷つかない。


「今のは攻撃のつもりなのか? 睫毛の一本も燃やせていないようだが」

「……あ……あ……」


 絶望に表情を曇らせるトカゲ男に、腕を伸ばす。

 今から始まるのは戦闘ではなく、一方的な尋問だ。

 こいつの見た目が人型じゃなくて、本当によかった。




 数十分後、全てを終えた俺は従業員室を後にした。

 どうやら本物の清掃婦は、生かしたまま自宅に監禁しているようだ。俺はさっそく杉谷さんに連絡を入れ、救助に向かってもらうことにした。

 他にも有益な情報を大量に吐いてくれたので、なるべく痛まない方法で始末してやった。

 ……これが慈悲深い殺し方だとは言わない。殺した時点で正義などないし、汚れ仕事だ。


 でもそれでいい。


 皆に嫌われ、疎まれるやり方で社会を支えるのが俺の仕事。勇者なんてのは所詮、魔物というゴミを片付ける清掃員でしかないのだから。


 アンニュイな気分に浸りながら廊下に出ると、綾子ちゃんがよろよろと立ち上がって俺を出迎えた。


「……終わったんですか」

「ああ」

「……やっぱり綺麗なおばさんなんですか、その清掃婦さんって」

「いや、バケモノだよ。中高年女性に変装してるだけで、本当の姿は惨めなトカゲ男だからな」

「……女装癖のある爬虫類顔のおじさんと致してきたんですか……? どこまで上級者なんですか……?」


 リザードマンを尋問している時の音は、綾子ちゃんにも聞こえていた可能性がある。男のうめく声、血が飛び散る時の水っぽい音。ほんの数メートル先で行われた、一方的な殺戮。

 きっと軽蔑されただろうな、と俺は目を伏せる。


「……あの……男の人の野太い悲鳴とか……グチュグチュした汁っ気のある音とかが聞こえてきたんですけど、あれって……」

「そうだ。君の想像している通りのことがあの部屋で起きた」

「……やっぱり……」

「俺はね、今までずっとこんなことをしてきたんだ。汚れ切ってると言っていい。……嫌いになったかい?」

「……わかりません……あまりにも衝撃的すぎて……もう、どう言えばいいのか……」

「だろうな」


 唇の端を上げて、俺は笑う。

 強い男を好きな女はたくさんいるが、残酷な男を好きな女はほとんどいない。異世界時代に受けた扱いで、それはよくわかっている。


「一つ聞いていいですか」

「なんだい?」

「……中元さんは、受けなんでしょうか。攻めなんでしょうか」

「意味がわからないんだが」


 綾子ちゃんの頬は、真っ赤に染まっていた。息が荒いようにも見える。

 なぜこのタイミングで興奮するんだろうか? 

 もし魔物をリンチするような男が好みなんだとしたら、この子は大丈夫なんだろうか?


「戦闘スタイルの話か? それなら俺は、相手の出方を見るために初めは無抵抗で受け止めて、後で形勢逆転するやり方が多いかな。もっともこれは、馬鹿みたいに体が頑丈じゃないとできないやり方だが」

「……受けから初めて、途中で一転攻勢ですか……詳しくお願いします」



【大槻綾子の性的興奮が90%に到達しました】

【同意の上で性交渉が可能な数値です。実行に移しますか?】

【実行した場合、一定の確率で子供を作ることが出来ます】

【産まれた子供は両親のステータス傾向と一部のスキルを引き継ぎ、装備、アイテムの共有も可能となります】

【また子供に対してはクラスの譲渡も可能となります】



 だからなんで大興奮してるんだよ、と心の中で突っ込みつつ、質問を開始する。


「それより一つ聞きたいんだけど、綾子ちゃん、さっき頭の中で何か声が聞こえたりしなかったか? レベルが上がった! みたいな感じの」

「……あ、はい。聞こえました。空耳かと思ったんですけど、なんなんですかあれ?」

「よかったらどんな内容が聞こえたのか教えてほしい。そのためにここまで連れてきたんだし」

「えっと……」


 綾子ちゃんは赤い顔のまま言う。


「レベルが上がったって聞こえたあと、新たに魔法を習得した、って声が聞こえてきました。『道徳心低下』とか『理性低下』とか『信仰低下』とか……。なんだったんでしょうかこれ」

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