第86話 償いのエピローグ

 神官長を倒したことを告げた時の反応は、まさに三者三様だった。

 リオは「ふうん」と髪をかき上げ、「ほんとによかったの?」と確かめてきた。

 アンジェリカは「そうですか」と言い、「あんな人でもお墓くらい立ててあげましょう」と黙祷した。

 綾子ちゃんは「おめでとうございます、無事に勝てたようでなによりです」と一番素直に戦勝を喜んでいた。


 神官長はどう考えても悪人なんだし、綾子ちゃんのリアクションが正しいのだろう。


 俺達の方はこんな風に事件の解決を受け入れたが、世間はこれからといった感じだ。


 テレビや新聞はゴミ屋敷で発見されたゴブリンの死体でもちきりとなり、連日特集を組んでは騒いでいた。

 やれミュータントだ宇宙人だと正体について語り合い、好き放題ズレた意見を戦わせている。

 なにやら怪しい坊さんが出張ってきて、「あれは地獄から這い出てきた餓鬼である。絵巻物に描かれている姿と酷似している」と得意気に持論をまくしたてたりもしていた。


 三日ほどそうやって盛り上がっていたのだが、ある日パタリとゴブリンについての報道は止まった。

 急にメディアの扱う情報が、オリンピック一色となったのである。

 呑気な国だなぁと呆れていたが、ふとある可能性に思い至る。


 待てよ、これは報道規制が敷かれたのかもしれないな、と。


 もしそうだとすれば、国か警察かは知らないが、とにかく上の方の人間が事態を深刻視していることになる。

 そのうち水面下で対策本部でも作られるのかもしれない。

 

 わざわざ死体が見つかるようにして、警告した甲斐もあるというものである。

 

 これからも異世界から脅威が現れるのかはわからないが、その時は社会全体で戦うべきだろう。

 もう一人の超人に任せきりでいられる状況ではないのだ。

 俺も段々、疲れてきたしな。


『大丈夫、ちゃんと学校行くって』


 リオとSNSでやり取りをしながら、俺は市内のビジネスホテルに向かう。

 まだインフルエンザ休暇(怪病だが)は続いているので、暇なのである。

 てくてくと足を進めながら、メッセージを打ち込む。


 両手に買い物袋を抱えながらスマホを操作するのは、中々難儀な作業だ。

 重さは感じなくとも、手が塞がるとどうしても集中力を乱される。


『藤本はどうだ? 大丈夫そうなのか?』

『うん。全然あたしに興味持ってこないからびっくりした』

『そうか。女子連中とは上手くやってるのか?』

『まあぼちぼちとね。前みたいに話しかけてくれる子も増えてきてるよ』


 リオが言うには、ゴブリンと入れ替わっていた例のサッカー部のイケメン君は、全然女子に興味を示してこないらしい。

 本物の藤本少年は硬派なスポーツマンなようだ。

 アギルのせいで好色野郎というイメージをばら撒かれてしまったので、彼も彼でこれから大変だろう。


『そうだ、お前に聞きたいことがあったんだ』

『何?』

『神官長のやつさ、体を弄って歳を取らないようにしてたんだよ。なんでそんなことしたんだろうな、と気になってて』


 少し間を置いて、返信が返ってくる。


『そりゃ、中元さんと釣り合うようになりたかったからでしょ』

『……いくらなんでも思い上がり過ぎないかそれ? 俺も一瞬そう思ったけどさ』

『だって先にあの人が中元さんと会ったのに、あとから出てきたもっと若い女の子に取られちゃったんでしょ。悔しいじゃん。そりゃ若造りにものめり込むよ』

『俺のせいなのか、やっぱ』

『そこはあんま気にしなくていいんじゃない? 勝手に好きになって、勝手に無理をしたのはあっちなんだし』


 でもなんだか責任感じちゃうんだよな、とため息をつく。


『あたし中元さんがあの人を殺すとは思わなかった』


 俺もだ、と返事を打つ。


『根っこが甘々だから、絶対生かす方向で解決するって予想してたんだけどね……ごめん。授業始まるから、このへんで切り上げるね。じゃまた』


 慌ただしくスマホをポケットにしまい込むリオを想像しながら、俺はホテルの入り口に足を踏み入れる。

 フロントの受付嬢達に会釈をし、早足でエレベーターに駆け寄った。


 どうやら俺以外に乗客はいないようだ。

 まあ、人目がなくとも監視カメラはあるんだろうし、いつ見つかってもおかしくはない。

 というか既に映ってはいるだろう。


 何か特別な事件が起きない限りわざわざ録画映像はチェックしない、という噂にすがるしかない。

 

 別に騒ぎになってもいいんだけどな、と開き直っているところもあるので、どうでもいいっちゃどうでもいいのだが。


 そんなことを考えているうちに、俺を乗せた箱は目的の階に着いていた。

 開閉ボタンを開け、速やかに廊下に出る。

 気持ちうつむき加減で、俺はその部屋へと向かう。


 今日はあまり、散らかしてないといいのだが。


 俺が借りている部屋は、誰にも入って貰いたくないという事情で、清掃不要のプレートをかけてある。

 だから掃除するのは俺の仕事なのだ。

 面倒だけど、しかたがない。


 これは自分で選んだことだから。

 俺がやり抜かなきゃいけないことだから。


 ぎゅっと買い物袋を握りしめて、足を早める。

 二回ほど角を曲がったところで、307号室が見えてきた。

 さて。今日も頑張らないと。


 俺は懐からルームキーを取り出し、静かにドアを開けた。

 

「起きてるか?」


 たずねながら、部屋の中に入る。

 施錠を済ませると、まっすぐにベッドへと向かう。

 まだ九時前だし眠ってるかもな、と思いながら毛布をめくると、そいつは極上の笑顔で俺を待っていた。

 

「おかえりなさい、お父様。なんだかいい匂いがします」


 鼻がいいな、と俺は笑う。


「ただいまフィリア。これは今日の飯だよ。また一気に食ったりしちゃ駄目だからな」

「うん!」


 フィリアは外見にそぐわない、幼い仕草で頷く。

 今のこいつは三大欲求を抑えられない子供なので、よく言い聞かせないと一度に一日分の食事を平らげてしまうのだ。


「お父様、お父様」

「ん?」

「トイレ失敗しちゃった」

「……またか」


 しょうがないな、と言って俺はフィリアをバスルームに連れていく。

 完全に図体の大きな幼児だ。

 くすぐったいと騒ぐ成人女性を押さえつけて、下着を脱がせる。

 倒錯的な絵面だが、俺もこいつも至って真面目だ。


「すぐ洗ってやるからな」


 リオの予感は、的中していた。

 俺にフィリアを殺すことは出来なかった。

 最後の最後で情に流された俺は、気がつくと死にかけのこいつに回復魔法をかけていた。

 

 一体何を考えてるんだ? と己の馬鹿さ加減に呆然としていたが、どういうわけか傷が癒えたフィリアは大人しくなっていた。

 てっきり改心してくれたかのかと思いきや、そうではなかった。

 考えようによっては、以前より悪化していた。


 俺の顔を見て、「お父様」と呼んできたのである。

 

 なにせ相手は、稀代の悪女。

 どんな企みがあってのことかわからないと警戒した俺は、咄嗟にフィリアの腕をひねり、取り押さえた。

 すると失禁しながらぴーぴー泣き出したのだから、手に負えない。

 さすがにおかしいと気付いてステータス鑑定を試みたところ、備考欄の解説がすっかり変化していると判明した。


『中元圭介を盲愛する女神官。死への絶望と敗北のショックにより、発狂。精神年齢が六歳相当にまで後退している』


 魔法で癒せるのは、肉体の傷のみ。心の治療は専門外だ。

 それにこの場合、治さない方がいいのかもしれない――


「ほら、足開いて」

「んー」


 そういった事情から、俺はフィリアを近場のビジネスホテルに詰め込み、世話をし続けている。

 ……感覚としては、「飼っている」が一番近い。

 毎日顔を出しては備え付けの冷蔵庫に食べ物を詰め込み、体を洗ってやっている。 

 

「また洗いっこしましょう、洗いっこ」

「駄目。お前変なとこ触るんだもん」


 俺はフィリアの体をタオルで拭き、換えの下着を穿かせてやる。

 この生活がいつまで続くのかわからないが、今のところ俺に不満はない。


 ある意味では神官長は死んだし、ある意味では生きてもいる。

 もう誰かに害を与えることもなく、永遠に狂気の世界をさまよい続けるのだ。

 それは安らかに死を迎える以上に、辛い罰かもしれない。


 俺にとっては……。


 わからない。

 

 俺も罰を受けているように思えるが、同時にどこか満たされてもいる。

 昔好きだった女と同じ顔をした童女を、父として養育する。酷く倒錯的だが、きっとこれでいいのだ。

 たとえ見た目が成人女性であっても、俺にとってこいつは娘なのだから。


 フィリアにスカートを穿かせ、手櫛で髪を整えてやる。

 アンジェリカが見たら怒られそうな構図だな、と少々後ろめたくなる。

 

「……」

「どうした?」

「……」

「フィリア?」


 と。

 急にフィリアがこちらを振り向き、しなだれかかってきた。

 俺に抱きつき、腕を絡ませてくる。


「……お父様。お父様。う、ううー」

「なんだ、また切なくなっちゃったのか?」

「うん。うん!」

 

 ブンブンと首を縦に振るフィリア。

 目はとろんと潤み、頬は紅潮している。


 フィリアの心は幼児に戻っているけれど、肉体は二十九歳のそれなのだ。

 異性として俺を意識しているのは確かなのだが、それをどうやって発散すればいいのかわからないらしい。

 だからこうして、自分の中で片付けられない体の欲求を、抱きつくことで発散しようとする。


「……しょうがないやつだな」


 そんな時、俺はフィリアの頭を撫でてやる。

 特にそれ以上のことをしようとは思わない。

 だってこいつは六歳の娘であって、俺が好きだったフィリアではないのだから。


「俺はお前のお父さんなんだから、変なことは出来ないんだよ」


 フィリアは辛そうに涙ぐんでいる。

 俺には何もしてやれない。

 その衝動に耐えるのも、こいつに課された罰だろうと思う。


 この女はこれから、自分自身という牢獄で罪を償い続けるのだ。

 世界が終わる、その日まで。

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