第四章 親と子
第87話 子宝
大事な話があるの、とエルザは言った。
両目を潤ませて、今にも泣き出しそうな顔をしている。
なんとなく、それでわかってしまった。
「駄目だったか」
「……うん。今月のも普通に来た」
ごめんね、とエルザは視線を下げた。
どうして自分を責めるのだろう。
俺の方に原因があるかもしれないのに。
「気にするなよ、こういうのは授かりものなんだから」
俺は勇者で、エルザは奴隷。身分に差がありすぎて、公式な結婚は許されなかった。
だから内縁の夫婦という形に落ち着いたのだが、やることは一般的なカップルと何も変わらない。
俺達は互いの愛の結晶、子供が欲しいと願っていた。
男女の営みは、ごく普通にあった。
けれど俺達は、中々子宝に恵まれなかった。
「いいんだ、エルザがいればそれで十分幸せだし。それに……」
「それに?」
俺は思うのだ。
ひょっとしたら地球人と異世界人は、見た目が似ているだけで、生物学的には全然違う存在なのかもしれないと。
もしそうだとすれば、二人の間に子供を設けるなんてのは、はなから無理だったということになる。
実際、その線が濃厚なんじゃないかと俺は思い始めていた。
神官長が言うには、地球人は魂を持たない人々なのだという。
魔法はなく、あの世もなく、物理法則のみに支配された、冷徹な理性の世界。
それが地球。
そこで生まれた生き物に、霊魂が宿ることはない。
きっと俺達地球人は、神経細胞を走る電気信号のパターンを、魂と思い込んでいるだけなのだろう。
だが異世界はあの世も魔法も存在し、夜になれば元気に人魂が飛び回るような場所だ。
死んだ人間が霊体となってふらふらさまようなど、日常茶飯事と言っていい。
ここで生まれた生き物は、ちゃんと魂を宿している。
俺には魂がなくて、エルザには魂がある。
これで同じ生き物だと考える方が、難しいのではないだろうか?
「どっちかが悪いとかじゃない」
あえて言うならば、本来出会うはずのなかった二人が、結ばれてしまったこと。
それがいけないのかもしれない。
俺はそう言い聞かせて、エルザとの間に子を成すの半ばを諦めていた。
でも、それは間違いだと後で知った。
なぜならエルザは数年後に俺の子を宿し、最悪の形で命を落とすことになるのだから。
* * *
俺はフィリアと一緒に、ホテルのベッドで寝そべっていた。
といっても、別にいかがわしいことをしたわけではない。
あくまで親子として接し、ぼーっとテレビを見るなどして過ごしている。
フィリアの中身は六歳相当なので、子供向けのアニメ番組に目がない。
特に喋る動物が出るような作品だと、目をきらきらと輝かせて食いつく。
「ピ、ピッカー。ピッカッピー」
今だってそう。夢中になって画面にかぶりついている。
成人女性がアニメキャラクターの鳴き真似をする様は、ただひたすらに悲しい。
滑稽だとかおかしいだとか、そんな感情はちっとも湧いてこない。
一目でわかる異常性に、俺の知っているフィリアはもういないんだと思い知らされる。
粉々に砕け散った精神の破片が、胸に突き刺さっているイメージを連想する。
だからこんなに苦しいのかもしれない。
俺はそっと後ろからフィリアを抱きしめて、頭を撫でた。
「んー!」
いやいやをして、抵抗するかつての神官長。
こんな生活が、長く持つはずがない。
金銭面の負担は大きいし、仕事が始まったらここに顔を出すのも難しくなるだろう。
かといって家に連れて帰って、アンジェリカや綾子ちゃんと上手くやっていけるとも思えない。
心が童女で、なのに体は成人女性で、来歴は悪人そのもので、主な被害者はアンジェリカで。
ここまで駄目な女を、一体どうやって世話し続ければいいのだろう?
「やー! フィリアお絵かきするのー!」
「……ああ、悪い」
俺はむずがるフィリアから手を離し、自由にしてやる。
今のこいつはアニメを観ながらお気に入りのキャラを模写するのが、大のお気に入りなのだ。
買ってやった色鉛筆をぐりぐりと動かし、幼児としか言いようのないタッチで拙い絵を書き殴る。
それが今のフィリア。
昨日は、俺の似顔絵も描いて寄こした。
どれが目でどれが鼻かも定かではない顔の横に、『おとうさまげんきだしてね』と下手くそな字でメッセージが書かれていた。
喜べばいいのか、悲しめばいいのか。
それすらわからなかった。
俺は両手で顔を覆って、失ってしまったものに思いを馳せた。
フィリアの達筆な文字はもう二度と見れない。だけどそれは、悪事を働く知恵すら喪失したということだ。
……これで正解なんだ。
どんな人間だろうと、殺すよりは生かす方がいい。
何か使い道があるかもしれないし、エルザもアンジェリカも俺が人間を殺すのはよく思わなかったはずだ。
そうさ。そうに決まっている。
俺は間違っていない。
大丈夫なんだ。
頭の中で自分に言い聞かせていると、くいくいと袖を引っ張られる感覚があった。
フィリアだ。
「お父様!」
鬼気迫った声で呼びかけられたので、咄嗟に顔を上げる。
「あれやだ。怖い」
なにやらフィリアはテレビを指差し、怯えたような目をしている。
「……なんだこりゃ」
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