第210話 パパの下半身を弄りたい


 目を覚ますと、とうに部屋の中は明るくなっていた。

 朝だ。

 俺はむくりと体を起こし、目覚まし時計を止める。


 ちらりと隣に目を向けてみると、そこに綾子ちゃんの姿はなかった。

 きっと先に起きて、皆のご飯支度をしているのだろう。


「ん」


 そういえば、エリンはどうなってるんだろうか?

 なにやら懐に温かいものを感じるが、これか?


 布団の中を覗き込んでみると、猫の姿で丸くなっているエリンが見えた。

 どうやら夜のうちに変身を解いてくれたらしい。

 余計な騒動を起こさずに済むので、ひとまず安心といったところか。


「ふあ~あ」


 大きく伸びをして、ベッドから這い出る。

 すると俺の手元から、何かが落ちた。


 綾子ちゃんのパンツだった。


 ……そうだった。

 俺は二回行動スキルの暴走により、あの子の下着をひん剥いてしまったのだった。

 あげくそれを握りしめたまま、寝落ちしてしまったのである。


 つまり綾子ちゃんの秘所を包み込んでいた布が、一晩中俺の指に絡みついていたわけで。

 しかもクロッチの内側に、思いっきり手が当たっていた始末で。


「……」


 なんとなく。指先を鼻の前に持っていき、すんすんと匂いを嗅いでみた。

 

「……煮詰めた綾子ちゃんの香りだ……」


 甘くこってりとした、まろやかな少女臭が鼻腔をくすぐる。

 濃厚な思春期少女の香りに、むくむくと罪の意識が膨らんでいく。


 これはヤバい。


 この匂いを再現しようと思ったら、『ノーパンの綾子ちゃんに太腿で手を挟み込んでもらい、一晩寝かせる』くらいの暴挙に及ばなければ無理だろう。

 右手のふともも漬け、JK風味。

 それほど濃縮された香りを放っているのである。


 要するに「指で綾子ちゃんの股間を弄り回したんでしょ? やっちゃったんでしょ?」という疑惑を持たれかねない、危険な状況なのだった。


 一刻も早く手を洗わなければ。


 うちの女衆は鼻が利くからな。

 特にアンジェリカは、俺の体臭を嗅ぐのが趣味みたいなところがあるし。

 

 俺は慎重に寝室のドアを開けると、忍び足で外に飛び出した。

 足音を殺し、一歩ずつ洗面所へと近付いていく。


 よし。誰もいない。

 どうやって俺が油断しきった顔で蛇口をひねった瞬間、背後からガバリと抱き着いてくる影があった。

 アンジェリカだった。


「おはよーございます! お父さん」

「お前いつの間に?」

「トイレから出て来たんですよっ」


 どうりで急に現れたわけだ。冷や冷やさせんなよな。

 俺は「おはようアンジェ、用を足したあとの洗ってない手でスキンシップするのはやめような」と軽く笑いかける。


「だってお父さんが蛇口を占領してるじゃないですかー。洗いたくても洗えないですもん」

「悪い悪い。……いや、手を洗うまで俺にくっつくのは我慢しろよ」

「それはわかってるんですけど、お父さんを見ると頭より先に体が動いちゃって」

「もう俺に抱き着くのが条件反射になってんのかお前は」


 とんでもない甘えん坊だな、と笑いながらハンドソープを出す。

 いつもより多めに泡を出してゴシゴシやっていたところ、


「なんか、妙に丁寧な手洗いですね?」

「そうか?」

「……昨日の夜、アヤコと何かあったんですか? 念入りに手を洗わなきゃいけないようなことが」


 アンジェリカの腕が、一層強く俺を抱きしめてきた。


「私、お父さんが他の女の子と添い寝してる時って気が気じゃないんです。何か過ちが起きてるんじゃないかって、悪い想像ばかりしちゃって」

「な、なんにもねえよ。これはあれだ、さっきションベンした時にちょっと手にかかっちまったんだ」

「えっ?」


 あ、これはしくじったかもしれない。

 お父さん不潔! と嫌われるやつかなと思いきや、


「おトイレ失敗したなら、なんで私を呼んでくれなかったんですか!? 言ってくれたら下の世話してあげましたよ!?」

「この歳で介護される趣味はねえよ!? なんでちょっと残念そうなんだよお前は!?」

「父親の排尿介助が嫌いな娘なんて、いるはずないじゃないですか!」

「お前はそれでいいのか? それはファザコンとスカトロ、どっちの性癖から来てる欲望なんだ?」


 アンジェリカ流に逆の立場で考えてみると、三十二歳の義母さんが、「お母さん最近尿漏れしちゃうみたいなの」と朝からため息をついてた的な感じなのか?

 ……エロいのか汚いのか迷う状況な気がする、これ。

 義母さんのルックスと表情次第だろうか。


「スカトロじゃないですし。健全な親子愛ですし。……いいですよねー、老いたパパの排尿介助。肩車と並んで、ファザコンのツボにぶっ刺さるシチュエーションですよ」

「お前らの業界だとそうなの?」


 ですです、とアンジェリカは肯定する。


「ていうかテレビ観てて思うんですが、この国は要介護な父親がいっぱいいるみたいで羨ましいです。高齢化社会で一番喜んでるのは、ファザコンをこじらせながら介護に勤しんでる女性だと思います。毎日合法的にパパの下半身を弄れるなんて、娘冥利に尽きると思いません? はっ。だ、だからわざとお年寄りが長生きするような政策を続けてるんでしょうか……!? 世の中に介護が必要な男性を普及させるために……」

「私気付いちゃいました、みたいな声出してるところ悪いが、わざと年寄りを増やしてるわけじゃないと思うぞ。国難と言っていいぐらいに皆悩んでるし」


 そうやってギャーギャー騒いでいるちに、手洗いが終わった。

 これ以上は面倒なことになりかねないので、そそくさとトイレに退散。

 ぱぱっと用を足し、もう一度手を洗いに戻る。


「あれ? お父さん、またおトイレしてたんですか?……じゃあさっき手を洗ってたのって、一体どうしてなんです? 私が入る前におしっこ済ませてたはずですよね?」


 しまった。

 起きたてのぼんやり頭で受け答えしていたせいか、元々上手くない嘘が一層下手くそになっているようだ。

 俺はたっぷり一分も考え込んでから、ぽつりと答える。


「じ、実は……」

「実は?」

「――最近、頻尿気味なんだ」


 俺ももう歳だし……としょぼくれた声で言ってみると、アンジェリカは案外簡単に引き下がってくれた。

 男の体、ましてや下半身の衰え具合なんて、神聖巫女の身分でわかるはずもないだろうしな。そういうものなのか、と納得するしかないのだろう。


 やれやれ、危ないところだったぜ。

 俺は勝利の笑みを浮かべながら、悠然とリビングへと向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る