第173話 男泣き
「正気ですか」
午後三時。
俺はマンションから十分ほど歩いたところにある喫茶店に、杉谷さんを呼び出していた。
俺の数少ない理解者にして、公安調査官。
地位も権力も備えた男。
そんな、自分とは正反対のエリート街道を突き進む人物に、「女子高生と婚約しようと思ってるんです」と打ち明けたのだ。
すると杉谷さんは唖然とした顔で「正気ですか」と聞いてきたわけだが、まるで珍獣でも見るような目つきだった。実際、JKを婚約者にするなどと主張するおっさんはツチノコ並の珍獣なので、無理もない。「えっ、ツチノコって実在したのか? しかもえらく幼い雌と交尾しようとしてるじゃないか。これは踏み潰した方が世のためでは?」と迷ってるような目である。
「……とりあえず詳しく事情を聞かせて頂きたい」
「そうですね。順を追って話します」
俺はエリンの脅威と、奴をおびき寄せる最も確実な手法がこれなのだと熱弁をふるった。
エリンは俺に恋愛感情を抱いている、そこを刺激するのが一番いいと。
途中で何度も「単に女子高生の妻が欲しいんだけなんじゃないですか」「女子大生じゃ駄目なんですか」「ぶっちゃけロリコンですよね?」「そのエリンとかいう異世界人の外見は? 十三~十四歳の少女? やっぱりロリコンじゃないか。たまげたなあ」と突っ込まれ、そのたびに一つ一つ反論していった。
「向こうで俺の内縁の妻だった女と、その女子高生は瓜二つなんです。だからあいつ以外にこの役は務まらない」
「……今後のタレント活動はどうするつもりなんでしょうか。女子高生に手を付けたなんてイメージが広がったら、芸能人としては致命的だと思うのですが」
「そこを何とかしてもらいたいんです」
「私も長いことこの仕事をやってますが、女子高生を娶る依頼人にフォローを入れるなんてのは初めてですな」
杉谷さんはカップに口をつけ、音もなくコーヒーをすすった。
「それで、お相手の女子高生は誰なんです? 大槻古書店の娘さんですか?」
「あ、やっぱ俺の交友網は把握してるんですね」
「仕事ですから」
「なら俺が親しい女の子は、大体わかってるんじゃないですか?」
「……確かにある程度は候補を絞れますが……まさか……」
あの子ではないでしょうな? と確認される。あのガラの悪い、と。
「そのまさかです。ガラの悪いことこの上ない、あの斎藤理緒と婚約するつもりでいます」
「母子家庭育ちで、母親はヤクザと交際歴があるキャバクラ嬢で、実父はホスト崩れのチンピラで、兄は札付きの不良で、本人も素行不良の、あの斎藤理緒とですか?」
あいつどんだけ評判悪いんだよ、と乾いた笑いを浮かべながら肯定する。
「で、リオと婚約することで俺が受ける社会的なダメージを、ゼロにしてほしいんですよ」
「無理ですな」
絶対無理だ、と杉谷さんは首を横に振る。
「なんとかできませんかね? エリンを嫉妬させるためにも、全国的なお祝いムードに誘導した上で、堂々と婚約を発表したいんですけど」
「……少し考えさせて下さい」
杉谷さんは腕を組み、「合法現役女子高生人妻……一体どうすれば……」とブツブツ唱え始めた。
今の俺達を店員に見られたら、どう思われるんだろうか? オヤジ同士が新作AVについて語り合ってるとでも思われるんだろうか?
「素人参加型……無数の女の子を使って……」
「あの、ほんとに変な企画立ててるんじゃないでしょうね?」
「私は至って健全に中元さんを守る案を考えているのですが」
「そうなんですか?」
「とりあえずいくつかアイディアは浮かびました。世の女性達に動いてもらいましょう。世論なんてそれで誘導できます」
「情報操作でもするんですか?」
「そんなところでしょうか」
全く予想もつかないが、ここは杉谷さんの長年のキャリアを信じることにしよう。
俺は「じゃあ今日はこのへんで」と挨拶をして、立ち上がる。
が、即座に腕を掴まれ、引き留められてしまった。
「……何ですか?」
「一つ条件があります」
「どんな?」
「斎藤理緒さんをここに連れてきなさい」
「なんでまた?」
杉谷さんの迫力に負け、椅子に座り直す。
「中元さんが私をどう思ってるかは知りませんが、私はこう見えて貴方を買っている」
「……そりゃどうも」
「今のところ頼んだ仕事はどれもきちんとこなしてくれていますしな。それに余計なお世話かもしれませんが、私ぐらいの年代から見れば、貴方は息子みたいなもんです。妙な不良娘に引っかかってるのだとしたら、見過ごすわけにはいかない」
「ええ?」
「老婆心です」
俺は杉谷さんを「仕事人間で、時々頭がおかしくなる」くらいにしか思っていなかったのだが、案外人間らしい一面があったらしい。
どうやら、本気で心配してくれているようだ。
「用が済んだらリオとは婚約解消するつもりなんですよ。わりわり、おめーは囮に使っただけだから、って。ははっ、あいつなら喜ぶんじゃないかなあ」なんて言い出せない雰囲気だった。
「中元さんが良縁に恵まれて、しかも異世界人を倒してくれるというなら、こんなにめでたいことはない……良縁ならば」
……どうも杉谷さんは、俺がリオと本当に恋仲になっているのだと解釈しているらしかった。
「恋人を囮にしてまで国を守らんという意思は……その使命感は私にも伝わったがゆえ……なればこそ! 貴方のような献身的な青年が、悪い女に騙されるところは見たくないのです!」
この人の中では、俺は最愛の女性を危険にさらしてまでエリンをあぶり出そうと試みる、正義感の塊になっている。
とてもじゃないが、本当のことを言える空気ではない。
やべーどうしよう、やべーどうしよう、やべーどうしよう。
頭の中でそのフレーズを繰り返しながら、スマホでリオに連絡を入れる。
SNSアプリに店名を書き込み、『駅前だ。詳しい場所はグーグルマップで調べろ。今すぐ来い』と高圧的に命じたのだ。
『あたしこのあと友達とカラオケ行くんだけど』
『お前の都合なんかどうでもいいんだよ。来い』
『行きます』
約三十分後、リオは肩で息をしながら現れた。
「……お待たせ……けっこー走った……疲れた……」
そしてろくに挨拶もせず、俺の隣に座った。脚を組み、不遜な態度で踏ん反り返るという最悪の姿勢でだ。あげく育ちの悪さ丸出しな表情で杉谷さんを睨みつけ、
「誰このおっさん?」
と次々に地雷を踏み抜いていった。
「猿かよお前は! どんな躾受けたんだ!?」
「あぅ……いい……猿呼ばわりだなんて……」
ははは、愉快な娘さんですな、と杉谷さんはこわばった笑顔を浮かべている。目元は寂しげに細められていて、落胆と失望が見て取れた。
きっと娘の朝帰りを初めて経験した父親は、こんな顔になるのではないかと思う。
俺はいたたまれない気持ちでいっぱいになりながら、リオに杉谷さんを紹介する。
「この人は俺の上司みたいなもんで、杉谷さんっていうんだ。お前もちゃんと挨拶しろ」
「……ピン芸人に上司なんているの? 所属事務所の社長さんとか?」
「そんなもんだ。いいから頭下げとけ」
「どうも。中元さんのフィアンセです」
リオは「どうでもいいや」と言いたげな顔で礼をする。どこまでも大人を舐めた娘である。
「……斎藤さん、少しお話いいかな」
杉谷さんはそんな無礼千万極まりない振る舞いにも怒ることなく、穏やかな声で話しかけた。
「何?」
「君は中元さんと真剣なお付き合いをしてるんだね?」
「一応」
「……中元さんのどんなところに惹かれたのかな?」
「あたしを厳しく叱ってくれるところかな」
「ほう」
杉谷さんは意外そうな顔をしている。それもそうだろう。こんな見るからに今時のクソガキが、突然古めかしいフレーズを口にしたのだから。
もちろん、リオは自身の
「知っての通り、中元さんは有名人だ。しかも年代が高めとはいえ、女性層に支持されている。そんな男性と婚約関係になると、要らぬやっかみを買いそうなものだが、そのあたりどう思うのかな?」
「望むところですね。痛みのない愛なんて、本当の愛じゃないと思うんで」
「……なるほど。第一印象ではわからないものだ。随分と古風な価値観をお持ちらしい」
杉谷さんはどこか安堵したような顔を見せた。きっとリオのことを、今時珍しい耐える女とでも思っているのだろう。
「では最後の質問だが。中元さんは君を囮に用いて、とある危険人物を呼び寄せようとしている。……君は恋人にこのようなリスクを背負わされることを、どう考える? それでも中元さんを愛せるのかい?」
え、そうなの? とリオは俺に視線を向けた。
俺は「あとで説明するつもりだった」と小声で答える。
「そうなんだ……。あたしが囮……囮かぁ」
「どうなんだね。中元さんを見損なったかな?」
「いえ。嬉しいです」
「嬉しい?」
「うん。中元さんの役に立てるなら本望だし、そのために危ない目に遭うなんて、想像するだけでゾクゾクすします。どうせ中元さんのことだから、一般市民のためにあたしを使うんでしょ? どうでもいい連中のために犠牲になるなんて最高。あたしのことをなんとも思ってない奴らのために、使い捨てられる。あたしはそういう生き方が好きなんです。報酬なんて要らないし。ってか、ない方が燃える。より粗末に扱われてる感じがするし」
「……これはまた……無欲な娘さんもいたものだ」
どうやら貴方を誤解していたようだ、と杉谷さんは頭を下げた。
実は今この瞬間盛大に誤解しているのだが、俺にとって都合がいい勘違いなので放置しておく。
「お二人は似た者同士なんですな。中元さんも一見すると不愛想な青年ですが、根底には熱い正義感がある。斎藤さんもまた、同類ということ……」
「あたしに正義感があるかどうかはわかんないけど、プ〇キュア観るようになったから、愛や正義は学んでるかもね」
「プ〇キュア?」
「塗り絵の参考になるし」
ああいうのって子供が観るものだって馬鹿にしてたんだけど、割と面白いよね、とリオは言う。
「……塗り絵が好きなのかい?」
資料にそういう情報はなかったが、と杉谷さんは怪訝そうな顔をする。
「最初はガキっぽいって思ってたんだけど、やれば楽しいよ。なんか小さい頃思い出すし。懐かしいっていうかさ。あたしが親にこういう塗り絵ノート買ってもらってた頃って、まだ本当の父親が家にいたし」
「……ご両親が揃ってた頃が恋しくなって、それで始めたのかね?」
「そういうわけじゃないけど」
「照れることはない。私だって親父に買ってもらった玩具を見れば、懐かしんだりする。……そうか。君はよっぽど寂しかったんだな」
「まあ寂しさはあったかも」
「そこに現れたのが中元さんというわけか。なるほど……」
杉谷さんはあらゆることを間違えたまま、一人でしんみりしていた。
どうしてこう俺の周りは、思い込みの激しい人が多いんだろうか。
「よくわかりました。貴方達の婚約を、祝福しようじゃないですか」
目尻を拭いながら父性溢れる笑みを浮かべる杉谷さんに、ペコリと頭を下げる。
「……ありがとうございます」
「いやあ良かった! 本当に良かった! 前々から中元さんには身を固めてほしいと思ってたんですよ。男は家庭を持てば仕事に責任を持つようになりますし、何より貴方、寂しそうでしたからな」
「はは。そうかもしれないですね……」
「うん良かった。実にめでたい。私も男だ。全力で二人の関係が世に認められるよう、バックアップしますよ。もうあらゆる権力と陰謀を用いて、世の中をひっかき回してやります」
「た、頼りになりますねえ」
どうすりゃいいんだろう。
これはもう、後戻りできないのでは?
絶対に逃げられないように外堀を埋められてしまうのでは?
今すぐ「エリンを始末したら婚約解消すっから」と言うべきでは?
でも「式の時は仲人やらせて下さいね……」と男泣きする杉谷さんと、「あたし、いい奥さんになります。家事も覚えます」と鼻声になっているリオを見て、そんな外道じみた台詞を吐ける人間がいるのか?
俺がだらだらと冷や汗を流している間にも、事態はのっぴきならない方向に進んでいく。
杉谷さんは部下に電話をかけ、「とりあえず一本な。一本って言ったら一千万だろう。用意しなさい」と大金を動かそうとしているし、リオはスマホを操作して『名字が変わっても、あたし達は兄妹だからね。寂しがらないでよね』などと健気なメッセージを兄に送っている。
……俺、本当にリオを嫁にもらうはめになるかもしれない……。
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