第70話 攻防戦
「お茶飲んだら、お風呂入れば? お湯沸かすからさ」
その臭いで家の中うろうろされると困るんだよね、とリオは難しい顔をする。
「まだ昼過ぎだろ……早くないか。大体、俺が入浴してる間にあいつらが襲撃してきたらどうすんだよ」
そうですよそうですよ、とアンジェリカは俺に加勢する。
こいつは基本的に、何があっても俺の味方なのである。
そんな俺達親子のタッグに、めげることなくリオは挑みかかってくる。
「その時は裸で飛び出してくればいいじゃん。中元さんなら全裸でも負けないっしょ」
「はあ!? 貴方お父さんを何だと思ってるんですか!? そんなはしたない格好で色々見せつけながら戦うお父さんなんて見たくな……。裸で暴れ回る、お父さん……?」
アンジェリカは顎に手を当て、数秒ほど沈黙した。
やがてうんと頷くと、緑の目を期待に輝かせながら言った。
「ここはお言葉に甘えて、湯船に浸かるべきですよ」
あまりにも鮮やかな寝返りだった。
リオと結託し、二人がかりでお風呂入りなよコールをしてくる。
お前、それでいいのか?
欲望に弱すぎないか?
俺が呆れていると、アンジェリカはえっへんと腰に手を当てる。
「お父さんが身を清めてる間は、私が見張りについてますから。なんたって神聖巫女なんですよ。ゴブリン如きに遅れは取りませんし」
言って、得意げに胸を反らす。形のいいバストが、つんと上を向いた。
狙ってやっているわけではないのだろうが、俺の思考力を的確に阻害するポーズである。
ついには右手を胸に当て、ふにりと押し潰しながら何事かを訴え始めたし。
私に任せて! と胸を叩く動作を、グラマーな子が行なうとちょっとした洗脳手段になるらしい。
アンジェリカの話してることが、ワンフレーズたりとも頭に入ってこないからな今。
どうやら会話の流れからすると「俺風呂入ってくるわ」と承諾したようなのだが、まるで記憶がない。
数秒ほど自我が吹き飛んでいたようだ。
俺も欲望に弱かった。
ちっともアンジェリカのことをどうこう言える立場ではなかった。
「これ飲んだら浴室行って貰うから」
自分自身にがっかりしていると、台所からリオがやってきた。
右手にブルーのカップを持ち、左手にはピンクのカップを持っている。
どう見ても青いのが俺用だろうなと予想していると、「中元さんはこっち」とピンクの方を寄こしてきた。
何か色に拘りでもあるのか? と不思議に思いながらも受け取る。
そしてカップの側面にプリントされている、『RIO』の文字に気付く。
しょうもない目論見に、脱力感を覚える俺だった。
「これ、どう見ても普段お前が使ってるやつだろ」
「なんか問題ある?」
「フチに赤いのついてるんだが。口紅の痕に見えるんだが」
「ちゃんとゆすいだけど、きちんと落ちなかったのかも。中元さん達が来る直前まで、それでお茶飲んでたし」
男なんだから細かいこと気にしないでよ、とリオは居直る。
「ほらほら、ぐぐっと飲んじゃいなって」
なお、俺の隣ではブルーのカップを渡されたアンジェリカが、わなわなと肩を震わせている。
震えるというか、痙攣の域に達しつつある。
びちゃびちゃとお茶が跳ね、畳やテーブルを濡らしていた。太ももにも一滴落ちたらしく、「熱っ!?」と一人で騒いでいる。
「……わかってると思いますけど、絶対それ飲んじゃ駄目ですよ」
ももをさすりながら、アンジェリカは横目でにらみつけてくる。
「見るからにすすぎが不十分で、不衛生ですし。リオさんにはカップの洗い直しを要求します」
「あんたさっき不潔な中元さんも好きみたいなこと言ってなかった?」
バチチ、と見えない火花がリオとアンジェリカの間に発生した。
この二人、相性がいいんだか悪いんだかよくわからない。
結局、ピンクのカップはアンジェリカに奪い取られ、飲み干されてしまった。
しょうがないので俺は青い方のカップを受け取り、ちびちびとすする。
味なんてわかるわけがない。
二人の十代女子にねっとりと見つめられながら飲むお茶は、ただの熱い液体なのである。
「お前らに凝視されてると気が休まらん」
カップを傾けて、ぐびぐびとお茶を飲み下す。
アンジェリカの視線が、俺の喉仏に固定されているのがわかる。
俺が何かを飲み食いしていると、喉元を観察してくるのがアンジェリカの癖なのだ。
女にはない突起物が、珍しくて仕方ないらしい。
「で、風呂だっけ? 行けばいいんだろ」
まあ入浴中は結界張ればゴブリンも襲ってこれないか、と開き直る。
セイクリッドサークルをリオとアンジェリカにかけ、その隙にさっさと体を洗ってしまえばいい。
それが済んだら結界を解除。あえてやつらを引き込み、迎え撃つ。
頭の中で計画を立て終えると、腰を上げる。
指先に魔力を込め、二人の少女を光の円で包み込む。
この魔法の過保護っぷりを理解しているアンジェリカは、顔を赤くして嬉しがっている。
対照的にリオは、クールな無表情だ。なんで急に手品見せたんだろ? とでも思っているのかもしれない。
「んじゃ案内してくれるか」
「ん」
ついてきて、とリオは歩き始めた。
長身で姿勢もいいので、モデルがウォーキングをしているような優雅さがある。
昭和中期としか言いようのない家屋の中では、酷くミスマッチな少女である。
「賑やかだよね、あのアンジェリカって子」
リオは前を向いたまま、背中で話しかけてくる。
「さっきはあんなだったが、悪いやつじゃないんだ。仲良くしてやってくれ」
「別に嫌いじゃないよ、妬いてるだけだから。中元さんが絡まなかったら、普通に上手くやれそうだし」
「それ俺本人の前で言うか?」
「ここだよ」
リオはぴたりと足を止めた。
「見せるの恥ずかしいんだけどね」
そんなに酷いのか、とある種の覚悟を決めながら浴室を覗き込む。
もしや黒カビだらけなんだろうか、と。
が、想像していたよりは遥かにマシだった。
確かにレトロな造りではあるのだが、掃除はきちんと行き届いている。
タイル張りの壁はピカピカだし、深緑の小さな浴槽は、丹念に磨き抜かれていた。
居間や玄関の散らかり具合からもっとえぐいのかと思っていたが、これなら問題ない。
「綺麗なもんじゃないか」
「そうかな? あんま母さんが使わないからかもね」
「……おふくろさん、風呂嫌いなの?」
「そういうんじゃなくて。しょっちゅう男の家に泊まるから、家の風呂はあんま使わないってこと」
「……切ないな」
「おかげでうちってすぐ散らかるけど、水回りだけは汚れが少ないんだよね。典型的な親が家事をしない家って感じ」
「お前の家庭事情を聞いてると、毎度毎度すげえ悲しくなるな」
あたしは気にしてないんだけどねーと言いながら、リオはボイラーのスイッチを押した。
それが済むと、ジャージを膝上までまくりあげ、ドバドバと浴槽にお湯を貯め始めた。
「左のボトルがボディーソープで、真ん中がシャンプー、右がリンスだから」
リオは腰を突き上げ、一心不乱にお湯をかき混ぜている。
こういう体勢になると尻にパンツのラインが浮き出てしまうのだが、自覚はあるのだろうか。
見てはいけないんだろうなあとうつむき、足元のバスマットを見つめる紳士な俺である。
「……脱いだ服、どうしよっか。もっかい着たらまた臭っちゃうしね。レオの服借りる?」
「あいつ俺より十センチ以上デカくないか? ダボダボだと思うが」
「そっか」
じゃああたしの着る? とリオはあっけらかんと言う。
「たぶんあたしと中元さんの身長って、五センチくらいしか変わんないでしょ」
「俺に女装させる気か」
「ひらひらしたの選ぶわけないじゃん。あたし今着てるのの他にもジャージあるから、それ着てよ。下着はさすがに今穿いてるのをそのまま使って貰うけど」
「……もうなんでもいいって気分だ。任せる」
早くお湯貯まんないかなあとぼーっとしていると、リオは次々に質問をぶつけてくる。
「髭って剃るの? レオのカミソリ使う? あれ、使い回しってやばいんだっけ」
「朝剃ったからやんない」
「ふうん。入浴剤入れた方いいよね? 肌にいいやつと関節痛にいいやつとあるんだけど、どっちにする?」
「どっちでもいいんだが、その二つなら関節痛に効くのにしてくれ」
「わかった。それとあたしも一緒に入るけどいいよね?」
「うん、お前も一緒に……うん?」
今こいつなんて言った? と咄嗟に顔を上げる。
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