第2話 エルザの面影
店を出る頃には、午後六時を過ぎていた。
飲食店にとってはかき入れ時で、少しでも人手が欲しいはずだろう。
しかし最近の俺は露骨にシフトを減らされているので、ピークタイムには家に帰されることが多い。
使えない店員だしな。
ここもそろそろクビになるかもなあ……と白い息を吐きながら、道を歩く。
一月の空気は冷たい。新年早々、大気が全力で俺を拒絶してくる。
街だってほら、俺の存在を疎んでいるに違いない。
見慣れない看板。知らないチェーン店。店先から聞こえてくる、聞いたこともない流行歌。
目に入るもの全てが異物で、耳に入るもの全てが違和感だった。
自分の居場所がないように感じる。いや、感じるなんてもんじゃない。実際にないのだ。
俺が異世界にいる間に、世の中はすっかり変わっていた。
なんせ2000年に日本から旅立ち、2017年に帰ってきた身である。
気分としては浦島太郎だ。
携帯電話はパソコン並の性能になってるし、GDPで中国に抜かれたって聞くし、万能細胞だの原発事故だの、もはや別の世界線に戻ってきたんじゃないか?
という具合に。
俺の知ってる故郷じゃない。
俺の活躍を知っている人なんていない。
俺は、一人だ。
唯一の救いは、スマホゲームくらいのもの。
ソーシャルゲームだのアプリだの呼ばれてるやつ。
俺はすっかりそれを心の支えにしていて、暇さえあればポチポチとスタミナを消費していた。
俺の感覚からすれば据え置きゲーム機レベルのコンテンツを、今や携帯端末で遊べるのだから驚きだ。
やたらと課金誘導が激しくなってるのは、気になるところだが。
ゲーム業界も生き残るために必死なんだろうな。
なんて、自分が今まさに人生崖っぷちの癖に、大企業の心配をして見せるのだった。
別にいいじゃないかと思う。
俺はもう、何も考えたくないのだ。
自分の将来のことなんか全部棚上げして、ネットの掲示板で政治の話したり、スマホゲーに課金したりして過ごしたい。
真面目に仕事を探せば、俺の身体能力なら色々やれるのかもしれない。
でも、もう無理なんだ。俺の気力は萎えてしまったんだ。俺に何か大きなことをする資格はない。
ごめんな、エルザ。
救えなくて。
殺してしまって。
俺はこうやって、故郷で貧しい暮らしをして償うからさ。
だから、許してくれよ。
俺はこれからも、俺自身を痛めつけていくから。
あの世界で犯した罪を思うと、今でも視界がにじんでくる。
きっと路上で突然泣き出したオヤジを見て、周りは気味悪がっているに違いない。
駄目だ。人気のないところに行かないと。
俺は大慌てで近場の建物に駆け込んだ。
目元を拭いながらだったのでよく見えなかったが、騒がしい電子音からすると、ゲーセンに入ったようだ。
おあつらえ向きだ。
ここならおっさんが一人でゲームしてたって、誰も気に留めまい。
俺は隅っこに置いてある格ゲーの対戦台に座り、ポケットからスマホを取り出した。
気分転換に、お気に入りのアプリを起動する。
『アイドルメイカー・プリンセスライブ!』
きゃらきゃらとしたアニメ声で、タイトルコールが始まる。
美少女をプロデュースしてトップアイドルを目指す、リズムゲームだ。
これが俺の給料の使い道、貢ぎ先ってわけ。
スマホを購入してすぐに、売上ランキングとやらを見てこいつと出会ったのだ。
実を言えば中世ファンタジー風のRPGも、たくさん見かけた。
というかそれが一番人気のジャンルだった。
けれど、全くプレイする気にはなれなかった。
なにせちょっと前まで、本当にそういう世界で斬ったり殺したりをしてた身なのだ。
うへぇ、もうお腹いっぱいだわ。
ってかこの剣の持ち方じゃ、まともに切れねーだろ。
こんな風になってしまい、楽しめないのである。
従軍経験のあるじーさんがミリタリー作品を見た時って、こういう感覚なんだろうか。
それに比べて自分とは無縁の世界観、ポリゴンモデルのアイドル達にはとても癒やされる。
「……可愛いな……」
シャンシャンとタップ音を鳴らしながら、俺はうっとりと画面を眺める。
そこでは黒く長い髪の女の子達が、元気に踊っている。
スレンダーな体を懸命に動かして、もっと課金してよと誘ってくる。
たくさんの黒髪。
スレンダーな肢体。
思わずはっとなる。
俺がゲーム内でユニットに編成しているアイドルは、全員どこかエルザに似ている。
あいつも綺麗な黒髪で、すらりとした体型をしていた。
俺は二度と会えなくなった女の面影を、気付かないうちにゲームに求めていたらしい。
どうしようもなく惨めで、愚かだ。
「……糞」
それの、何が悪い。
忘れられないに決まってるだろう。
俺は自分に言い訳をしながら、スマホの側面を長押しした。
「カシャリ」と撮影音が鳴り、アイドル達の決めポーズが保存される。
落ち込んだ時はスクショを眺めるに限る。
可愛いのからいかがわしいのまで、よりどりみどりで元気が出る。
どれどんな風に撮れたかな。
画面をフリックしたところで、「ねぇおっさん」と背後から呼びかけられた。
若い女の声だった。
ただし、ドスの利いた声だが。
俺のこと呼んでるのか?
反射的に、声のした方向へと顔を向ける。
「……エルザ?」
そして、我が目を疑う。
なぜならそこには、俺が異世界で愛し、この手で殺めたはずの女がいたのだから。
腰まで伸ばした、真っ黒なストレートヘアー。
きつめの整った顔に、うっすらと施された化粧。
少しだけ着崩したブレザーの制服からは、ちらりと控えめな谷間が顔を覗かせている。
そう、制服姿だ。
だからこれは、あいつじゃない。よく似た赤の他人だ。
俺があっけに取られていると、エルザ似の女子高生はまたも声を発した。
「さっきあたしのパンツ見て、写真撮ったでしょ。気付いてないと思った?」
それにしたって凄い。日本人なのに、ここまで異世界人に近いルックスをしてる子もいるのか。
思わず見惚れてしまう。
信じられないレベルの美少女だ。
女優なりアイドルなりを目指しても、十分やってけるだろう。
ティンときたね。俺が本当に芸能プロデューサーなら、今ここで名刺を渡してる。
「人の話聞いてんの? キモオヤジ」
俺が思考をトリップさせていると、黒髪の女子高生はさらに声を荒げた。
異世界帰りの悪い癖だ。
ドラゴンだのオーガだのの咆哮に慣れちゃってて、人間の怒鳴る声なんて鈴虫の鳴き声みたいに感じる。
相当大きな声で話してくれないと、え、今怒ってんの? となってしまうのだ。
「俺になんか用?」
「スマホであたしのスカートの中撮ったでしょ? そういうのすぐわかるんだけど」
「んなわけないだろ。ほら。俺はゲームやってたんだよ」
カリカリした様子の女子高生に、スマホの画面を見せつける。
美少女ポリゴンが胸を揺らして踊るミュージックビデオを見て、どう思うのだろうか。
少女の反応は、
「……きもっ」
であった。
一言で切り捨てられた。
やっぱ2018年になっても、オタク文化と若い女の子は相性が悪いのか。
こういうとこは変わんないな、と妙に嬉しくなってしまう。
俺の知ってる日本だ。どう考えても喜ぶ場面じゃないけど。
それでも変わらないものを見つけると、少しだけ安心する。
そうやって俺が昔を懐かしんでいると、プリクラコーナーの奥からぞろぞろと高校生の集団がやって来た。
男子が五人、女子が二人。
どいつもこいつも、髪の毛は茶色か金だ。耳や鼻にこれでもかとピアスをつけている。
全員が制服をだらしなく着崩し、スクールカーストの上の方……というより、斜め上に外れてヤンキーコースに行きました、という空気を醸し出している。
「どしたんリオ?」
「こいつ盗撮してた。してないかもだけど、どうでもいいし。オタクのおっさんだから、どうせ何か悪いことしてるっしょ」
「マジ? やべーやつじゃん」
なるほど。この女子高生は、リオというんだな。
名前まで可愛いじゃないか。
君によく似合ってるぞ、と一人で頷く。
もちろん、さすがに俺のめでたい頭でも、今がどういう状況かはわかっている。
それを覚悟した上で、うんうんと頷いているのである。
素手でサイクロプスなんか殺してバーベーキューの食材にしてたからな、あっちにいた頃は。
日本の高校生なんぞに、ビビるはずがなかった。
そんな俺の態度に業を煮やしてか、一際大柄な男子が肩を掴んできた。
顔全体にピアスを開けている、目つきの悪い少年だ。眉や唇にまではめている。
自分の顔とピアスホルダー、間違えてるのか? そこは穴を開けて遊ぶ場所じゃないだろうに。
「外出ようやおっさん。な。裏行くべ? ……来いって早く」
ピアスまみれの少年は、顎で俺を促す。
話し合いでどうにか出来る雰囲気ではない。
しょうがない。久々に暴れるか、と首を鳴らす。
だがその前に、戦力比の確認を。
「……ステータス・オープン」
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