第33話 カラオケ (5)
カラオケ屋にやってきた駿・達彦・亜由美・太、そして幸子の五人。
幸子の歌を聞いた駿が、幸子に驚きのお願いをした。
「さっちゃんにボーカルをやってほしい」
(えっ? ボーカル……? 歌を歌うひと……?)
想像していなかった言葉に、頭の処理が追いつかない幸子。
「全力のさっちゃん、すごく良かった。ステージに立って問題なく歌えるレベルだよ」
幸子は呆然とする。
「オレたち全員、全力でさっちゃんのフォローするから、だから――」
「無理です!」
駿の言葉を遮った幸子。
「そんなこと……そんなこと、私にはできません!」
「さっちゃ――」
「ど、どうして、そんなイジワル言うんですか……わ、私には無理です……」
静まり返る部屋。
同じフロアの別の部屋からであろう、カラオケを楽しむ声が薄っすらと聞こえた。
スマートフォンを取り出す駿。
「オレね、さっちゃんに歌ってほしい歌があるんだ」
動画アプリを開き、キーワード検索。ボリュームを最大にして、一本の動画を再生する。
それは、ある曲のプロモーションビデオ。北米を中心にヒットした女性シンガーの曲だった。動画に映し出される美しい映像と共に、確かな実力に基づく豊かな歌声が部屋に響き渡る。
「む、無理に決まってるじゃないですか! 人前で歌うのも嫌なのに、しかも英語の歌なんて! 歌えるわけないじゃないですか!」
拒絶する幸子を優しく諭そうとする駿。
「文化祭まで三ヶ月近くある。歌は練習すれば大丈夫だし、人前で歌うのも慣れれば――」
「慣れるわけない!」
幸子は叫んだ。
「こ、こんな汚い顔で、こんなき、気持ち悪い顔で、大勢の前でう、歌うなんて、わ、私には……」
<アンタ気持ち悪いのよ! すっごくね!>
<アンタ、何にもできないよね。使えなさ過ぎ>
<アンタ、疫病神か何かじゃないの>
タイミングを見計らっていたかのように、幸子の頭に<声>が響き渡る。
幸子はうつむき、ギュッと目を閉じた。
(うううぅ……)
<声>の追い打ちに、抗うことができない幸子。
が、急に身体が暖かなもので包まれるような感覚になる。
そっと目を開けると、亜由美が優しく幸子を抱きしめていた。
幸子が頻繁に陥るこの状況を四人とも理解しており、今回はそれに気がついた亜由美がすぐに行動を起こしたのだ。亜由美も、達彦も、太も、心配そうに幸子の顔を覗いている。
しかし、駿だけがひとり真顔なままだった。
駿が怖くなり、目を背ける幸子。
「駿、この話は無しにしよう。さっちゃんもこんなに嫌がってるし」
亜由美は、駿を牽制した。
しかし、駿は亜由美を無視するように、動画を再生していたスマートフォンを手に取り、何か操作をしている。
「ね、この話はもうやめよ。駿らしくないよ、こんなの」
駿を説得する亜由美。
それすらも意に介さず、駿はスマートフォンの画面を幸子に向けようとする。
ビクッと怯えた幸子。
「もうやめろって!」
亜由美は、駿の胸ぐらをつかみ上げた。
達彦も、太も、何も言葉が出てこない。
「お願い……もうやめて……」
つぶやくように駿を諭す亜由美。
「これが最後だから……これでダメなら諦めるよ……約束する」
駿は、胸ぐらを掴まれたまま、亜由美の目を見据えた。
駿をゆっくりと手放す亜由美。
怯える幸子に、駿がスマートフォンの画面を幸子に向けながら、優しく語りかけた。
「さっちゃん、これを読んでほしい。これは、今聴いてもらった曲の歌詞を和訳したもの。どんな曲なのか、知ってほしいんだ」
テーブルの上にスマートフォンを置き、幸子の方へと滑らせていく。
「オレはこの歌を、さっちゃんが、さっちゃん自身のために歌ってほしい」
スマートフォンに目をやった幸子。
「もしも、やっぱり歌うのは嫌だ、難しい、ということであれば、この話は諦める。さっちゃんを責める気はないから安心してね」
駿のスマートフォンに、恐る恐る手を伸ばす幸子。画面をスクロールさせ、歌詞を数行読んだ。
(!)
驚いた様子で駿を見る幸子。
駿は、優しく微笑んだ。
スマートフォンの画面に視線を戻した幸子。
(わかった……ようやくわかった……)
歌詞を読み進めていく。
(駿くんが、私にこの歌を歌ってほしいといったのは、私にイジワルをしようとしたからじゃない! ライブのことだけを考えた利己的な要求でもない! これは……これは、私へのエールだ! 私への応援歌だ!)
幸子は、駿の真意に気が付いた。
(だから駿くんは、私が私自身のために歌ってほしいと……)
そして、幸子はもうひとつのことに気が付く。
(駿くんは……私が何かを抱えてしまっていることに気がついてくれていたんだ……)
――価値の無い人などどこにもいない
――誰もが自分の中に輝くものをもっている
――可能性を閉ざしているのは自分自身
――勇気を出して扉を開けてみよう
まるで幸子のために作られた歌であるかのように、歌詞が心にすっと落ちてゆく。
幸子は我慢できず、大粒の涙をこぼした。
(ここで逃げたら、これまでと同じじゃないか! 私は駿くんたちと出会って人生が変わった! そして、また一歩を踏み出せるチャンスを与えてくれている!)
<アンタ気持ち悪いのよ! すっごくね!>
<アンタ、何にもできないよね。使えなさ過ぎ>
<アンタ、疫病神か何かじゃないの>
幸子をあざ笑うかのように、幸子の頭に<声>が響き渡る。
しかし――
(うるさい! お前たちなんかに負けるもんか! 消え失せろ!)
幸子の心は揺るがなかった。
幸子は、涙に濡れた目を開き、スッと立ち上がる。
「みなさん……先程の発言は撤回させてください……」
「さっちゃん……」
そっと幸子の肩を抱いた亜由美。
「みなさんを……頼ってもいいですか……?」
「バーカ、当たり前だろうが。俺たちゃ友達だろ、さっちゃん」
達彦がニヤリと笑う。
「遠慮なく何でも言ってよ」
太は、にこやかに笑っていた。
亜由美が幸子の肩をぎゅっと抱きしめる。
「さっちゃん……やってくれるかい……?」
駿が幸子に優しく問いかけた。
「はい、やります……やらせてください!」
力強く答えた幸子に、四人は歓声を上げる。
「よし、もう一回乾杯しよう!」
駿が音頭を取った。全員立ち上がってグラスを持つ。
「オレたち五人のこれまで以上の友情と、さっちゃんの勇気ある決断に……乾杯!」
「乾杯!」
今度は、五人全員が声を上げたのだった。
幸子は、またひとつ自分の意思で、自らの殻を破ることに成功した。
本当にできるのか不安が無いわけではない。そばかすだらけの顔を大勢の前で晒すことに恐怖が無いわけでもない。しかし、自分の意思で『挑戦』することを決断した幸子は、無意識ながらも、より自分自身への自信を深めていけることになったのだ。
頼られることを「当たり前」と一笑に付し、自分を優しく包み込んでくれる本当の友達の存在は、幸子にとって無くてはならないものになっていた。そして、それは幸子の『自分の価値』の確かな創造につながっているのである。
これにより、幸子に巣食う<声>もさらに心の奥底へ追いやられることになり、<声>を聞く頻度は、より減っていくこととなった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます