第7話 春の週末 (2)
ゆうじ君と別れ、幸子は駅前のショッピングセンターの本屋に来ている。
今日は、幸子が好きなレーベル「ブライテッドラブ」の新刊の発売日だ。久々の新刊のリリースなので、幸子はこの日を心待ちにしていた。
『ブライテッドラブ(Blighted Love)』
日本語に訳すと「悲恋」だが、このレーベルでは「身分差」や「立場の違い」などを主眼に置く恋愛小説をメインにリリースしており、成就しないであろう男女の恋物語をベースに、ふたりを阻む壁を愛の力で乗り越えていく……という内容の作品が多い。
また、濡れ場のシーンも必ず含まれており、いわゆるティーンズラブ小説ではあるが、このレーベルでは胸を打つ物語の展開を売りにしており、濡れ場のシーンもそれを盛り上げるためのエッセンスとして位置付けられている。
そのため、感動的な恋愛小説レーベルとして、幅広い年齢層の読者から支持を得ていた。
作品の舞台は、現代、中世、ファンタジーなど、様々な作品がリリースされている。
幸子は、それらの中でも中世の「貴族と平民」ものや、ファンタジーの「人間と魔族」ものなどが好きだ。現代を舞台とした作品は、どうしても感情移入ができず、あまり好きではなかった。
現実にはないその世界観は、現実の世界で自分に価値を見出だせなかった幸子にとって、自分を小説のキャラクターに投影させやすかったのである。
「新刊コーナーにあるかな……」
可愛らしくもちょっと切ない、そして少し扇情的なイラストが表紙の本が幸子の目に入った。
「あっ! あった!」
ブライテッドラブレーベルの新刊二冊が平積みで陳列されている。
『公爵様の愛するメイド ~一通の手紙から始まった許されぬ恋~』
『魔族の女王が勇者に恋した件 ~ふたりの愛が世界を平和に導く~』
二冊とも幸子の好みの内容のようだった。
二冊を手に持ち、裏表紙に記載された作品の説明を読みつつ、頭を悩ませる。
「どっちにしようかな……両方買うほど余裕は無いし……」
ブライテッドラブレーベルの作品は、カラーのミニ挿絵集が付属したりしていて、商品としてのクオリティは極めて高いものの、平均単価二千円とかなり高額な価格設定だった。母親からの小遣いだけでやりくりしている幸子にとって、二千円は大きい金額なのだ。
「う~ん、どうしよう……」
頭から煙が出そうなほど悩む幸子。
「さーっちゃん」
突然後ろから自分を呼ぶ声がした。その声には聞き覚えがある。
(えっ、まさか……)
「さっちゃん、こんにちは」
幸子が振り向くと、そこには笑顔の駿が立っていた。
慌てて本を元の位置に戻す幸子。見た目がちょっとエッチっぽい本を両手に持っているのを見られるのが、恥ずかしかったのだ。
幸子は、引きつった顔で挨拶を返した。
「し、駿くん、こんにちは……」
「奇遇だね、週末に学校の外で会うなんて」
「う、うん、そうですね……」
学校でもまだ少し緊張するのに、私服姿の駿を見て、さらに緊張が増す幸子。
駿は、グレーのフロントジップパーカー、ジッパーはすべて開けており、ロックバンドらしき絵柄の黒いシャツを着ている。下はスリムジーンズに、紺のスニーカーを履いている。
ラフな格好のはずなのに、幸子にとっては、駿がとても格好良く見え、ただただ緊張が増した。
「本、買いに来たの?」
「は、はい、本、あの、好き、なので……」
たどたどしくなる幸子の言葉。
「さっちゃん、いつも本読んでるもんね」
駿は笑顔で受け答え、すっと新刊コーナーに手を伸ばした。
「さっちゃんはこういうのが好きなんだ?」
ブライテッドラブレーベルの新刊を手にする駿。
(あぁ! 見られてた……!)
「あ、あの、違う、違うんです、あの、ちが……」
駿は、パラパラパラッと新刊のページをめくった。
「恋愛小説かな? いいじゃん、隠すことなんてぜんぜん無いよ、うん」
困惑している幸子に、駿は笑顔で続ける。
「オレなんか、マンガしか読まないもん」
ケラケラ笑った駿。
「でも、たまには、こういう普通の小説を読むのもいいかもな……」
駿は新刊二冊を手に考え込み、ふと何かを思い付く。
「ねぇ、さっちゃん」
「は、はい!」
姿勢を正した幸子。
「さっきこの二冊を手に持って、どっちを買おうか悩んでたよね?」
「あ、はい……」
幸子は、恥ずかしさで少し顔を赤くしながら下を向こうとする。
「そしたらさ、オレどっちか買うよ」
「へ?」
想像していなかった斜め上からの駿の提案に、顔を上げて変な声が出た。
「で、お互い読み終わったら、交換しようよ。そしたら両方読めるよ」
慌てる幸子。
「いえいえいえいえ、興味のないものを買うのはダメですよ!」
駿は涼しい顔だ。
「興味あるから買うんだよ。まぁ、読んでみて自分に合わなかったら、もう買わないと思うけどね」
アハハッ、と笑う駿。
そして言葉を続けた。
「じゃあ、決まりね! オレこっちの『魔族の女王』の方を読んでみたいな。さっちゃん、そっちの『公爵様』の方でいい?」
「あ、は、はい、『公爵様』の方で良いです……」
幸子は、狐につままれた気分だ。
「じゃあ、売り切れる前に買っちゃおうよ、ね」
駿とふたりでレジに並んだ幸子。
(駿くんといっしょにティーンズラブ小説を買ってるって、ど、どういうこと……?)
現実の出来事に、理解が追いつかない幸子。
一方の駿は『魔族の女王』を買ってご満悦の様子である。
本屋を出て、ショッピングセンターの階段の踊り場で、駿がふと幸子の方を向いた。
「さっちゃん、この後何か予定ある?」
首を左右に振る幸子。
「い、いえ、何もないです……」
駿は、ニッと笑った。
「じゃあ、ちょっとお茶していこうよ」
驚く幸子。
「えっ、お茶?!」
「うん、その辺のカフェで一緒にコーヒーでも飲みたいなって。あ、丁度お昼だし、ランチにしようか? オレ、ご馳走するよ!」
「ラ、ランチですか?」
駿は、寂しげな表情になった。
「あ……ごめん……オレとじゃ嫌かな……?」
顔を赤くして慌てる幸子。
「い、いえ、ち、違うんです! あの……あの……」
幸子は、うつむいて黙ってしまった。
数秒、いや数十秒かもしれない。
空白の時間が流れる。
「私と一緒じゃ、誰かに見られたら、駿くんが恥ずかしい思いを……」
(情けない……でも、いつも優しくしてくれる駿くんに迷惑はかけたくない……)
情けなく思いながらも言葉を絞り出す幸子。
幸子は、うつむいたまま続けた。
「だから、やめておきまし――」
「さっちゃん」
幸子の言葉を遮る駿。
幸子はうつむいたままだ。
「さっちゃん、こっち向いて」
ゆっくり顔を上げる幸子。
目の前には、微笑みを浮かべた駿がいた。
「オレはね、さっちゃんだから誘ってるんだ」
またゆっくりとうつむいてしまう幸子。
「オレ、さっちゃんが真面目で、優しくて、尊敬に値する可愛い女の子だってこと知ってるよ」
(!)
「貧乏くじ引いても、文句ひとつ言わずにちゃんと仕事こなしてさ。みんなが気持ちよく授業受けられるように、黒板とかを毎日きれいにしてくれてるのだってさっちゃんだろ。やっぱりすごいよ、さっちゃんは」
幸子は、顔を上げられない。
「そんなさっちゃんと一緒にいて、からかうようなヤツがいたら、オレそいつのこと許さないから」
踊り場の床に幸子の涙が落ちる。
「さっちゃんも誰かに何か嫌なこと言われたらさ、いつでもオレに言ってね。オレに言いづらければ、タッツンも太もいるし。男子に相談しづらかったら、亜由美だっている」
うつむいたまま、身体を震わせながら頷いた幸子。
「出会ったばかりだけど……オレたちを頼っていいからね。オレたちもさっちゃんを頼るしさ」
幸子の足元には、涙のしみがいくつも広がっている。
「だからさ……気楽にいこうよ、ね」
「うぅ……ううぅ……」
我慢できず、嗚咽を漏らした幸子。
駿は、そんな幸子の肩をそっと抱いた。
「ちょっとベンチで休もうか」
階段の踊り場に設置されていたベンチに幸子を座らせる。
駿は、幸子が落ち着くまで、肩を優しく抱いていた。
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