第6話 春の週末 (1)

『次は終点、戸神本町駅前です。どなた様も……』


 車窓を流れる街並み。すっかり春らしい陽気になった週末、幸子はバスに乗り、最寄りの駅に向かっている。

 学校では毎日駿たちと昼食を食べ、環境委員の活動も駿だけでなく、時間に余裕があるときはみんなが手伝ってくれた。幸子にとっての高校生活は、とても充実したものになりつつある。


 今日は、週末なので学校は休み。楽しみにしていた好きなレーベルの新刊が発売されたので、駅前のショッピングセンターの本屋に行こうとしているのだ。

 インドアな幸子にとっては、バスに乗って駅前への買い物に行くのもちょっとした旅行気分。白い厚手のパーカー、淡いパープルで軽い生地のロングスカート、淡いブルーのスニーカーに、濃紺のボディバッグ。ブランド物はなく、どれも高価なものではないが、とても春らしい装いで、幸子自身服はあまり持っていないものの、その中でも気に入っているコーデでのお出かけだ。


 キキィー…… プシュー


 終点の駅前でバスを降りる幸子。


「あ、あれ? 何これ……」


 現在、駅を含め、駅前の再開発が進んでおり、今も大規模な工事が行われている。そのせいで、駅前は短期間の間に様変わりし、幸子の記憶とは違う風景になっていた。しかも、今も続く大規模な工事のおかげで、あちらこちらで通行の制限がかけられており、あたかも駅前は巨大迷路のようになっていたのだ。幸い工事現場の壁面に掲示された迂回路の地図を見つけたので、幸子は一旦そこで道の確認をすることにした。

 地図の前には、幸子と同じように道に迷った人たちがたくさんいて、地図を指差しながら、自分と同じように道を確認している。幸子も迂回路の地図を見ながら、ショッピングセンターまでの道を確認した。


「えーと、現在位置があの赤い点で、駅前交番があそこにあるから……ってことは、ショッピングセンターはあっちにあるはずだから……あー、結構回り道しないとダメそうだなぁ……仕方ないか……」


 ふぅ、と軽くため息をつく幸子。

 いざショッピングセンターへ向かうべく、歩き出そうとしたところ、スカートに抵抗を感じた。

 何か引っかかったのかと視線を下に向けると、小さな男の子が不安そうな表情を浮かべて幸子のスカートをギュッと握っている。


(ん? 迷子かな?)


 幸子はその場でしゃがみ込み、目線を小さな男の子に合わせ、笑顔で声を掛けた。


「ボク、どうしたのかな?」


 不安そうな男の子は、今にも泣き出しそうだ。


「あのね、あのね、おかあさんがね、いなくね、なっちゃったの……」


(やっぱり迷子か~)


 幸子は、男の子を見つめながらにっこり笑う。


「じゃあ、お姉ちゃんと一緒にお母さん探そっか!」


 男の子は、不安そうな表情のまま、コクリとうなずいた。


「ねぇねぇ、じゃあさぁ、最初にお名前教えてくれる?」

「ひるまゆうじです!」


 不安そうながらも、元気に答えるゆうじ君。


「ゆうじ君は何歳ですか?」

「よんさいです!」

「おぉ~、元気が良くていい子だねぇ!」


 ゆうじ君の頭を撫でた幸子。

 ゆうじ君も褒められて、まんざらではなさそうだ。


 さて幸子は、ゆうじ君のお母さんを探そうにもその手段がない。警察の力を借りるしかないので、交番にゆうじ君を連れて行きたいのだが、現状を不安がっているゆうじ君を無理に連れていけば、ゆうじ君は泣いてしまうかもしれない。


 そこで、幸子は一計を案じた。


「ねぇねぇ、ゆうじ君。お母さんと会うにはね、お巡りさんの城に行かなきゃいけないの」

「おまわりさんのしろ?」

「そう、勇者の血を引くゆうじ君は、お巡りさんの城に行って、いい子にしてるとお母さんに会えるんだ!」

「じゃあ、おまわりさんのしろにいく!」

「よし! じゃあまずは、あそこで回復の薬を買うんだ!」


 幸子が迂回路の地図の隣にある自動販売機を指差す。


「うん!」


 ゆうじ君と手をつなぎ、幸子は自動販売機へ向かった。


「勇者ゆうじ君! さぁ、どの薬を買う?」

「えーとねぇ……なんかくろくてカッコイイから、アレがいい!」


 ゆうじ君はブラックの缶コーヒーを指差す。

 幸子はしゃがんで、ゆうじ君にコソッと告げた。


「勇者ゆうじ君、あの黒いのは、にが~い毒なんだ……気がついて良かったよ……」


 ふ~、と汗を拭くふりをする幸子。


「え~、そうなんだぁ! あぶなかったね!」

「勇者ゆうじ君、回復の薬は、あのオレンジ色のヤツなんだよ……みんなには秘密だからね……」

「じゃあ、あれがいい!」

「よし! 今回は特別にこの幸子姫がご馳走してあげましょう!」


 幸子は、自動販売機にチャリンチャリンとお金を入れた。


「さぁ、勇者ゆうじ君! この光のボタンを押すのだ!」


 ゆうじ君の脇を抱えて、抱っこする幸子。

 ゆうじ君がボタンを「えいっ!」と押すと、ゴトンとオレンジジュースが出てくる。

 ゆうじ君は、オレンジジュースを取り出し、満面の笑みを浮かべた。


「さちこひめ、ありがとう!」

「じゃあ、早速お巡りさんの城に行こう!」

「うん!」


 手をつなぎ、歩き出す幸子とゆうじ君。

 しかし、ゆうじ君はどこかビクついていた。

 幸子が立ち止まって話し掛ける。


「勇者ゆうじ君、お巡りさんの城は、あの遠くに見える赤い光が目印だ!」

「うん」

「あそこまで、このか弱い幸子姫を勇者ゆうじ君は守ってくれますか?」


 ハッとしたゆうじ君。自分は勇者なんだと自分をふるい立たせる。


「うん、ぼくは、さちこひめをまもります!」

「よし! じゃあ、お巡りさんの城まで冒険の旅だぁ!」


 右腕を振り上げた幸子。

 ゆうじ君も右腕を振り上げて、雄叫びを上げる。


「おー!」


 といっても、駅前交番までは迂回路経由で、子どもの足でもほんの数分。あっという間に到着した。

 交番の前に立っていたお巡りさんに、ゆうじ君が元気に挨拶。


「ゆうしゃゆうじです! さちこひめをつれてきました!」

「おっ、勇者君は元気がいいなぁ」


 お巡りさんもにっこり対応。


「あの、すみません、迷子のようでして、迂回路の地図の前にいました」


 幸子が事情を説明すると、お巡りさんは交番の中に案内してくれた。

 お巡りさんが幸子に尋ねる。


「この子の名前とかわかるかな?」

「はい、ひるまゆうじ君、四歳です。お母さんと一緒に来たらしいです」


 幸子がゆうじ君をちらりと見ると、椅子に座って美味しそうにオレンジジュースを飲んでいた。


「じゃあ、スピーカーでお母さんを呼び出してみようか。駅前近辺にいれば、多分聞こえると思うんで」

「すみません、お願いできますでしょうか」


 ゆうじ君が不安そうな顔で幸子に尋ねる。


「さちこひめ、ぼく、おかあさんにあえるかな……」


 幸子はにっこり笑顔を浮かべて答えた。


「今ねぇ、お城の王様がお母さんをここに連れてくる魔法を使ってくれるよ! スゴイね!」


 表情が明るくなるゆうじ君。


「うん、すごいね! ぼく、いいこでまってる!」


 そんなやり取りを見て、微笑むお巡りさん。

 お巡りさんはスピーカーの電源を入れて、マイクからゆうじ君のお母さんを呼び出した。


『こちらは戸神本町駅前交番です』


 交番に据え付けられた大きなスピーカーからお巡りさんの声が駅前に響き渡る。


『現在、迷子の男の子を保護しています。名前は、ひるまゆうじ君、四歳。ひるまゆうじ君、四歳です。お母様、もしくは保護者の方がいらっしゃいましたら、駅前交番までお越しください』


 ゆうじ君に向けてサムズアップするお巡りさん。

 ゆうじ君の顔に笑みが浮かんだ。


『繰り返します、こちらは戸神本町駅前交番です。現在、迷子の……』


 スピーカーでの呼び出しから間もなく――


「ゆうじ!」


 ゆうじ君のお母さんが交番に飛び込んできた。


「あ、おかあさんだ! おかあさん、おがぁざーん! うわぁーん」


 ゆうじ君は、泣きながらお母さんに飛びつく。


「お母さんの言うこと聞かずに外へ飛び出していったりして! ダメでしょ!」

「ごべんなざーい」


 幸子は、お巡りさんと顔を合わせて、お互いにホッと微笑んだ。


「本当にご面倒をおかけしまして、申し訳ございませんでした」


 ゆうじ君のお母さんが、ゆうじ君と手をつなぎながら深々と頭を下げる。


「いえいえ、本官は職務ですので。それよりもこちらのお嬢さんに……」

「うちのゆうじがお世話になりまして、本当にありがとうございました」


 ゆうじ君のお母さんが、幸子にも深々と頭を下げた。


「ほら、ゆうじもお姉ちゃんにお礼を言いなさい」


 幸子を見ながら、ゆうじ君は笑顔で言った。


「おねえちゃんじゃないよ、さちこひめだよ!」

「さちこひめ?」

「ぼくは、ゆうしゃなんだ!」


 胸を張るゆうじ君。

 それを聞いたゆうじ君のお母さん。


「幸子姫、この度は勇者ゆうじを救っていただき、ありがとうございました」


 幸子に向かって笑顔とともにカーテシーを披露。幸子も見様見真似ながらカーテシーで返礼し、ふたりで笑いあった。

 その後、ジュース代とスカートのクリーニング代(ゆうじ君の掴んだところが汚れてしまっていた)を払うと、ゆうじ君のお母さんが強く申し出たが、幸子は「気にしないでいいですよ」と、それを固辞した。


「さちこひめ、バイバーイ」


 手を振るゆうじ君に、幸子も笑顔で手を振る。

 ゆうじ君のお母さんも、何度も振り返りながら頭を下げていた。


「市民の安全を守るご協力をいただき、ありがとうございました。幸子姫!」


 お巡りさんが幸子に笑顔で敬礼する。


「お巡りさんまでやめてください……!」


 幸子は顔を赤くし、お世話になったお巡りさんへ頭を下げて、交番を出た。


「私も人の役にたてるんだなぁ……」


 嬉しそうに微笑む幸子。

 ゆうじ君は、そばかすだらけの顔を気持ち悪がらなかったし、怖がりもしなかった。ゆうじ君のお母さんやお巡りさんには、すごく感謝された。

 そばかすのせいで自分に価値を見出すことができなかった幸子は、今日のこの出来事が本当に嬉しく、幸せな気持ちに包まれる。


「こんな気持ち悪い私にだって、幸せになる権利はあるよね、きっと……」


 そんな暖かな気持ちで、幸子はショッピングセンターへ向かっていった。


 頭の中で<声>は響かなかった。


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