第35話 カラオケの後で (2)
夏休み。駿、達彦、亜由美、太と、幸子の5人は、たっぷりとカラオケを楽しんだ。
その後、綾からファンクバンド・サイケデリック・ファンキー・バニーズのステージを見に来ないかと誘われた駿は、幸子とともに「カフェ&ライブハウス BURN」へと向かう。
「綾さん、こんばんは」
「あら、さっちゃん! いらっしゃい! 今日も可愛らしいコーデで決めてるわね」
「綾さんこそ、今日もすごくステキです!」
綾は、仕事で動きやすいように黒のパンツルックでビシッとキメていた。
「ふふふっ、ありがと」
優しい笑みを浮かべる綾。
「やぁ、さっちゃん、いらっしゃい。今夜は楽しんでいってね」
駿の叔父で、店の主でもある龍司が挨拶に来た。
前回のセクハラまがいの龍司の行動が脳裏に蘇り、軽く一歩後ずさる幸子。
しかし、拍子抜けに、龍司はそのままカウンターの奥へと消えていった。
綾が幸子にそっと耳打ちする。
「ほら、今夜はもうお客さんも随分入ってるし、馬鹿な真似はしないと思うわ。いつもこうなら本当に助かるんだけどね……」
はぁー、とため息をつく綾に、苦笑いで返した幸子。
「駿、達彦たちは来ないの?」
「あぁ、タッツンは緊急のバイト、亜由美と太は帰った」
「あら、そう。でも、良かったかも」
「?」
「バニーさんたち、予定よりも多くチケット捌いちゃったみたいで、今夜はテーブル席がいっぱいなのよ」
駿と幸子が観客スペースに目をやると、確かに丸テーブルは全部埋まっていた。結構な客の入りだ。
「誘っておいて悪いんだけど、カウンター席でいいかしら」
幸子にそっと目を向ける駿。
「はい、お誘い頂いただけでもありがたいので。綾さん、ありがとうございます」
幸子は、頭をペコリと下げた。
そんな幸子をじっと見つめる綾。
「さっちゃん、少し会わない間に随分変わったわね」
「えっ?」
「すごく雰囲気が明るくなって、笑顔がもっともっとキュートになったわ」
突然の褒め言葉に、幸子は顔を赤くした。
「あ、ありがとうございます……」
駿が耳元でボソリとつぶやく。
「さっちゃん、良かったね」
笑顔の駿に、幸子ははにかみながら頷いた。
「じゃあ、駿。悪いけど龍司さんと私は接客にあたるから、さっちゃんのお相手、よろしくね」
「手が回らなくなりそうだったら、いつでも声かけて」
そんな気遣いを見せる駿に、綾がイジワルに微笑む。
「おふたりの邪魔するような無粋なことしないわよ」
綾はふたりにウインクすると、そのまま銀トレイを持って、観客スペースへと向かっていく。
顔を赤くして頭を掻く駿は、一瞬幸子と目が合ったが、何となく照れくさくて、お互いうつむいた。
◇ ◇ ◇
まだステージは始まらない。開演までもう少しかかるようだ。観客もお酒を飲みながら、おしゃべりに花を咲かせている。
バーカウンターで肩を並べた幸子と駿。
「駿くん」
「ん?」
「今日も私に手を差し伸べてくれましたね」
「いや、オレは……」
「私のこと……気付いていたんですよね」
「…………」
口を閉ざす駿。
「だから、あの歌の歌詞の和訳を見せてくださった時、駿くんはあえて詳しい説明をしなかったんですよね。私に恥をかかせないように……」
先程までいたカラオケ屋での一幕。
文化祭のライブでのボーカルを依頼した駿と、それを拒否した幸子。歌ってほしい歌があると、その曲のプロモーションビデオを見せたが、幸子は強い拒否反応を示す。駿は、その歌の内容を幸子に知ってもらおうとしたが、駿の態度が押し付けがましく見えた亜由美はそれに激怒し、一時雰囲気が最悪な状態になってしまった。
この時、駿は、歌や歌詞の説明をしなかったのではなく、あえて説明を差し控えていたのだ。
駿は、幸子が何か大きなものを抱えていることに気付いていた。そして、先日の夏祭りでも、好香から言われた「まだ大きな闇を抱えている」という言葉もあった。異常な程の自己評価の低さ、自身を貶める発言、自信のまったく無い態度。最近の幸子は、随分明るくなったが、まだまだ謙虚という言葉では済まされないような態度・発言をしていた。だからこそ、あの曲を勧めたのだが、その説明をするのは、その場にいる幸子以外の三人に「幸子は心に何かを抱えている」と言ってしまうのと同じことだった。
三人はある程度それを理解しているものの、駿は幸子の心を土足で踏み荒らすようなことをしたくなかった。だから、駿は亜由美が激怒しても、説明をしなかったのである。
「駿くん」
「…………」
幸子から目を逸し、無言の駿。
「私は駿くんの気持ちをきちんと理解して、受け取れたと、そんな風に思っています」
幸子は自分自身の手をぎゅっと握る。
「私は……私は駿くんが感じている通り、抱えてしまっているものがあります」
ハッとして幸子と目を合わせた駿。
「でも……それが何かは……言えません……ごめんなさい……」
「謝ること無いよ、さっちゃん」
微笑む駿。
「こんな……こんな私でも……お友達で……お友達でいてくれますか……?」
その言葉に内心衝撃を受ける駿。
普段から仲良くしていて、バンドのボーカルに誘った駿が相手であっても、幸子は自分に自信が持てないのだ。駿は、幸子の抱える闇の深さの一端に触れた気がした。
カウンターの席から立ち上がり、駿はそっと幸子を抱きしめる。
「今日、永遠の友情を誓い合ったじゃないか。当然だろ」
耳元で囁いた駿。
その言葉を聞いて、躊躇しながらも駿の背中にそっと手を回す幸子。
幸子は、駿の胸の中で、安堵し、柔らかに微笑んでいた。
やがて客席やバーカウンターの照明が落とされ、薄暗くなった。
ステージから賑やかな音楽が聞こえてくる。サイケデリック・ファンキー・バニーズのステージが始まったのだ。ファンキーでグルーヴィなサウンドに、観客は盛り上がっている。
ふたりしかいない薄暗いバーカウンター。
駿と幸子は、誰の目に留まることなく、しばらく抱き合っていた。
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