第149話 コーラスライン (10)

 ――体育館 ステージ上


 コーラス部と軽音楽部の勝負のステージが始まった。


 軽音楽部の演奏の後、二番手で登場したコーラス部。

 しかし、楽器やアンプは電源が入らず、電源室も生徒会に抑えられてしまっていた。

 軽音楽部のグルーピーである生徒会長・澪が、軽音楽部に肩入れして、コーラス部が発表できないようにしていたのだ。


 絶体絶命の状況に、コーラス部部長の倫子は、軽音楽部部長の小太郎の要求通り、一晩身体を許すことで許しを乞うことを選択しようとしていた。


「こっちを向くんだ、倫子!」


 駿は、ただ泣き続ける倫子に、ステージ上にも関わらず叫んだ。

 ステージの下にいた澪は、その迫力に何の言葉も出なかった。


 駿の方を向く倫子。


「倫子、それから、みんなも聞いてくれ」


 部員たちも不安そうな表情で駿を見ていた。


「みんなに残された道は三つある」


 涙に濡れた瞳で、駿を見つめる倫子。



「一つ目は、このまま逃げ出すことだ」


 部員たちは、みんなお互いに顔を見合わせ、困惑した。


「音楽室は使えなくなるが、友達は慰めてくれるだろ。コーラスにかける情熱も、プライドも、何もかも捨てて、可哀想な悲劇の主人公になればいい」


 うつむいてしまう部員たち。



「二つ目は、倫子を生贄にすることだ」


 ザワつく部員たち。


「し、駿くん……」


 駿にすがるような視線を送った幸子。


「さっちゃん、ゴメン……」


 幸子の視線を振り切って、駿は続ける。


「みんなも知っている通り、アイツらは倫子の身体を要求してきている。倫子が生贄になって、身体を穢され、死ぬほどの屈辱を味わえば、音楽室の件は撤回されるかもしれない」


 倫子は、静かに涙をこぼした。


「イ、イヤです! 逃げるのもイヤだし、部長をそんな……絶対にイヤです!」

「三つ目の……三つ目の道を教えてください!」


 絶叫する部員たち。



「三つ目はな……最後まで戦うことだ」


「でも……戦う武器が……」


 倫子は、悔しそうな表情を浮かべた。


「オレを信じろ」

「高橋くんを……」

「いいか、倫子。オマエが最後まで戦うと、どんなみじめな結果になろうと最後まで戦うんだと、そう決断するなら、オレは地獄の底まで付き合ってやる」

「…………」


 駿の言葉に胸の鼓動が強くなる倫子。


「おいおい、ふたりだけじゃ寂しいだろ。部長さん、俺も付き合ってやるよ」


 達彦がニヤリと笑う。


「駿くん! 東雲(倫子)部長! 私もお供します!」


 真剣な表情の幸子。


「あら、駿。私を置いていくつもりじゃないわよね」


 笑みを浮かべる亜由美。


「地獄の底まで、露払いはボクがやるよ」


 太は、スティックをくるくる回していた。


「オレたちの意見は一致してるぜ」

「高橋くん……」


 倫子を見据える駿。


「倫子、オマエが決めるんだ。どの道を選んでも、オレたちはそれを尊重する。止めることはしない。さぁ、どうする!」


 倫子は、グッと目をつぶった。


「部長!」


 自分を呼ぶ部員たちを見る倫子。


「やりましょう! 地獄だろうが、どこだろうが、私たちもご一緒します!」

「負けてもいいじゃないですか! どこでだって歌えますよ!」

「部長、私たちを頼ってください! きっとお役に立ってみせます!」


 部員たちは、戦う決意をした。


「倫子、時間がない。今、オマエが決めるんだ!」


 倫子は、駿と向き合う。


「戦います……歌います!」


 その目は涙に濡れていたが、迷いは一切なかった。

 ニッコリ笑う駿。


「それでこそ倫子先輩です」


 その様子を見ていた澪が焦る。

 マイクを使って、生徒集会の終了を宣言しようとしていた。


『そ、それでは、これで生徒集会を――』


 ダダダダダッ ダンッ バッ!


 ステージから助走をつけて飛び降りた駿は、そのまま澪からマイクを奪った。


「あっ……!」

『皆さん、音楽研究部の高橋と申します』


 あちらこちらから黄色い歓声が上がる。

 また、文化祭でミニライブを見たであろう生徒たちからも歓声が上がった。


『オレたち、コーラス部のバックバンドを担当してるんだけど、電気系統のトラブルに見舞われていて、ちょっとヤバい状況です』


 生徒たちから「えー」という声が上がった。


『ただ、必ずどうにかしますんで、みんな予定があると思うんだけど、少しだけ時間をもらえないでしょうか。お願いします』


 生徒たちに深々と頭を下げる駿。


 パチパチパチパチパチパチパチパチ


 生徒たちからの大きな拍手と「待ってるぞー」「がんばれー」といった歓声が上がった。


『皆さん、ありがとうございます!』


 マイクのスイッチを切る駿。


「ほらよ、サンキュ」


 澪にマイクを返した駿。

 澪は、顔を悔しさに歪ませる。


 ステージ上に戻った駿。


「よし、やるぞ! 亜由美! ピアノで頼む!」

「わかった!」


 亜由美は、ステージ端の備え付けのグランドピアノの元へ向かった。


「太、アンプ無しでやるから、うまいこと加減して叩いてくれ」

「うん、わかった!」


 太は、笑顔で頷いた。

 ステージ上から生徒たちに向かって叫ぶ駿。


「キララ! ココア!」


 キララとココアがステージ前に走り寄ってきた。


「駿、何でも言って!」

「何でもやるよ~」


 キララに、ポケットから出したカギの束を渡す。


「悪い、今から音楽室に行って、一番奥のキャビネットの中にあるものを持ってきてほしいんだ」

「キャビネットの中?」

「ものすげぇデカいケースと、中くらいのケースがあるから、それを持ってきてほしい」

「わかった!」

「ただ、デカい方はむちゃくちゃ重いからふたりで持ってくれ」

「あら、私、意外と力持ちなのよ」

「私も力持ち~」


 ふたりの微笑みにホッと癒された駿。


「頼もしいな、怪我しないように気を付けて行ってくれ」

「わかった!」

「行ってくるね~」


 走って体育館を出ていくふたり。


「コーラス隊!」

「はい!」

「マイク無しだからな、気合入れていけよ!」

「はい!」


 一糸乱れぬ大きな返答に、部員たちのやる気が伺えた。


「さっちゃん!」

「はい!」

「さっちゃんは、コーラスからリードボーカルに変更する」

「駿くん、まさかこんな事態を見込んで……」


 以前、駿が幸子にお願いしたいと言っていたのは、コーラスのパートだけでなく、リードボーカルのパートも覚えてもらうことだった。

 幸子にとっては負担の大きなことではあったが、駿の役に立ちたい一心で、必死で会得したのだ。


「倫子先輩、今回はマイク無しで歌っていただきます」

「はい」

「なので、声量確保のため、さっちゃんとのツインリードボーカルでいきます。さっちゃんの実力はもうご存知かと思いますが……」

「はい、十分知っています」

「さっちゃんを引っ張ってあげてくれますか?」

「わかりました」


 力強く頷いた倫子。


「さっちゃん」

「はい」

「遠慮はいらない。全力でやってほしい」

「まかせてください!」


 駿と倫子の三人で握手する幸子。


「駿!」


 体育館の出入口からキララの呼ぶ声がした。

 ギターケースを持ったキララがステージに走ってくる。


「これでいい……?」


 肩で息をしながら、駿にギターケースを渡したキララ。


「バッチリだ! キララ、ありがとな! タッツン!」

「おう!」


 達彦がギターケースを開けると、アコースティックギターが入っていた。


「念のため、チューニングよろしく!」

「あいよ! 伊藤、確かに受け取ったぞ!」


 お互いにサムズアップを送り合う達彦とキララ。


「それと、あのでっかいケースなんだけど……」


 うつむくキララ。


「重くて持てなかったか……無理言って悪かった……」

「違うの……」

「違う?」

「ジュリアがいたの……」

「ジュリアが⁉」


 休んでいるはずのジュリアの名前が出て、駿は驚いた。


「隠れて体育館を覗いていたみたいで……」

「ジュリアはどうしたんだ?」

「私が持っていくって……」

「えっ? あのバカでかいケースをひとりで?」


 キララは、ゆっくり頷いた。


「だって、あれ十五キロ……いや、多分二十キロ近くあるぞ……」

「私が持っていくんだって……私が駿に届けるんだって……」

「ジュリア……」


「お願い! 道を開けて!」


 体育館の出入口からココアの叫ぶ声がした。

 外から自分の背丈よりも大きい巨大なグラスファイバー製の楽器ケースを背負ったジュリアがゆっくり入ってくる。


「お願い! 皆さん、道を開けてください! お願いします!」


 ココアの必死のお願いに、床に座っている生徒たちが立ち上がり、出入口からステージへ一直線の道が出来ていく。

 生徒たちの間を、ゆっくり歩いてきたジュリア。


「ジュリア!」


 バッ ダンッ


 駿はたまらず、ステージから飛び降り、ジュリアの元へ駆け寄る。

 体育館のど真ん中で、ジュリアの身体を抱きしめるようにして支えた。


「あははは……ステージまで持っていけなかった……」

「ジュリア、重かっただろう、ありがとな、ありがとな! ほら、それ受け取るよ!」


 大きなケースを受け取る駿。


「ねぇ、駿……」

「うん、どうした?」

「あーし、駿の役に立ったよね……」

「当たり前だろ!」

「あーし、駿のそばにいてもいいよね……」

「ジュリアがいなかったら、寂しいじゃねぇか!」

「ふふふっ、さっちゃんとのこと、邪魔しないからさ……」

「おう、イチャイチャして、チキンのあだ名返上してやるよ!」

「さぁ、行って……さっちゃんたちが待ってるよ……」

「ジュリア、見ててくれな」


 ジュリアは、笑顔で頷いた。

 ケースを背負ってステージに向かっていく駿。


 ジュリアは、その場に座り込んでしまった。

 そばに寄り添うココア。


「ねぇ、ココア……」

「なに、ジュリアちゃん?」

「やっぱ、駿ってカッコイイよね……」


 ココアも、ステージに向かう駿を見送っている。


「うん、カッコイイね……」

「さっちゃんと幸せになってほしいよね……」

「うん、ホントだね……」


 駿のことも、幸子のことも大好きなふたり。

 複雑な思いを抱えながら、駿の背中を見送った。


 巨大なケースを背負った駿がステージに戻ってきた。


「駿くん……ジュリアさんが持ってきてくれたそれ……何ですか……?」

「今、開けるね」


 バチン バチン カチャッ


 ハードケースに収まっていたのは、巨大な弦楽器だった。


「でっかいバイオリン……?」

「おぉ~、さっちゃん、惜しい!」

「それ、コントラバスですよね……」

「お、さすが倫子先輩! 正解です! ウッドベースなんて言ったりもしますね」


 駿は、コントラバスを持ち上げて、床に下ろした。

 その巨大な楽器に生徒たちも驚き、ザワついている。


「高橋くん……弾けるの……?」

「少しだけですけどね……ピチカート……指弾きで。こんな感じですね」


 ボン ボン ボボン と低音が響き渡る。

 生徒たちの一部からも「おぉ~」という声が聞こえた。


「あとは、スラップの真似事がちょろっとできる位かな……」

「駿くん、すごく渋いです!」

「あはは、ありがとね、さっちゃん」


 興奮している幸子に、笑顔で応える駿。


「さて、楽器の方はこれでOKだ! みんな、配置について!」


 全員が定位置についた。

 駿が生徒たちに向かって叫ぶ。


「お待たせしました! コーラス部の発表を行います!」


 生徒たちから大きな拍手と歓声が飛んだ。

 駿が生徒たちに、落ち着いて、静かに、と手で合図を送る。


 シーンとした体育館。


 いよいよコーラス部の実力を見せる時が来た。


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