第62話 少年と少女が抱えた闇 (1)

 自分の身体の秘密に苛まれ、部屋に閉じこもる幸子。

 顔を合わせて話をしようとする駿に、幸子は、何でも出来て何の問題もない駿に自分の気持ちは分からないと言い放った。

 駿は、自分はそんな人間ではないと、中学時代に彼女だった女の子から酷い裏切りにあった辛い過去を幸子に告白。


 そして、その過去は今も駿を苦しめ続けていた。


「よっぽど裏切られたのがショックだったのかな……」


 駿が大きく息をした。


「オレ、勃たなくなっちゃったんだよ……」


(!)


「EDとか……不能とか……勃起不全とか……そんな風に言うよね……」


 扉の向こうの駿の言葉に驚く幸子。


「このことは……タッツンだけは知ってるけど、他は誰も知らない……誰にも言えなかった……相談できなかった……」


 駿の声は震えていた。


(だから……だから、タッツンさんはいつも駿くんの身体を気遣って……!)


「完璧超人? ミスターパーフェクト? みんな、好き勝手に言ってるよな。何も知らないくせにさ」


 悔しさを噛み締めるかのように吐き捨てる駿。


「しまいには、誰とも付き合ってないからって、男が好きだって噂もあるらしいね……」


 幸子は、言葉の端々から駿の悔しさを感じた。


「そんなわけねぇじゃん!」


 溜め込んでいた苛立ちを大声で叫ぶ駿。


「オレだって……オレだって、彼女ほしいよ!」


 駿は、心の内を叫んだ。


「この際だからはっきり言うけど……オレ、さっちゃんと身体を重ね合わせたいよ……オレだって男だもの……」


(駿くん……)


「でもさぁ……でもさぁ! オレにそんな資格無いんだよ!」


 駿は震える声で叫ぶ。


「だ、だって、オ、オレ、単なるインポ野郎だから!」


 言葉を失った幸子。


「うぅ……うぁぁ……うわぁぁぁ……うああぁぁ……」


 扉の向こうから駿の嗚咽が聞こえる。

 幸子はそれを聞きながら、自分の行動と言動をただただ後悔していた。


 ◇ ◇ ◇


 扉の前で泣き崩れた駿。

 そんな駿を、幸子の母親・澄子が自分の胸に抱き寄せる。


「高橋(駿)くん……」


 澄子は、駿を強く抱きしめた。

 澄子の背中に手を回し、澄子の胸で嗚咽する駿。

 澄子は、自分の胸で泣く駿の頭を優しく抱き、落ち着くまで撫でていた。


 駿が少し落ち着きを取り戻した後、澄子は表情をガラリと変え、怒りに満ちた表情で立ち上がった。


 バン バン バン バン


 幸子の部屋の扉を強く叩く澄子。


「幸子! いい加減にしなさい! あなた、いつまで高橋くんに甘えるつもりなの!」


 澄子の言葉には怒りが満ちていた。


 バン バン バン バン バン


「高橋くんにあんな話までさせて! あなた、恥ずかしくないの! 早く開けなさい!」


 バン バン バン バン バン


 何度となく扉を叩く澄子。

 肩で息をしていた。


「ねぇ、幸子。さっき高橋くん、幸子と身体を重ね合わせたいって、そう言ってたわよね。あなたも聞いてたでしょ?」


 澄子の声は震えている。


 ドバンッ


 扉を一際強く叩いた澄子。


「そこまで言うほどの女の子に、男の子が『自分は不能です』と告白することが、どんなに悲しくて、どんなに辛くて、どんなに悔しいことなのか、あなたには分からないの⁉」


 澄子は、心の底から絶叫した。


 バン バン バン バン バン


「早くここを開けなさい!」


 扉の中から何の反応もない。


「わかったわ……ずっとそのまま閉じこもってなさい。高橋くんにも帰ってもらうわ」


 そして、澄子の声のトーンが変わる。


「その代わり……お母さん、幸子を許さない! 高橋くんにこんな思いをさせたあなたを許さない! 絶対に許さないからね!」


 澄子が怒気を含んだ声で叫んだ。


 ――何の音もしない時間が流れていく


 カチャリ キィー……


「さっちゃん……」


 扉が開き、駿の目の前に、制服姿の幸子が現れた。


「駿くん……」


 幸子に抱きつく駿。


「さっちゃん! 心配したんだよ!」


 駿の目から涙が流れ落ちた。


「駿くん……駿くん!」


 駿にしがみつくように抱きつく幸子。


「オ、オレ、さっちゃんに何かあったらって……変な考え起こさないかって……もう気が気じゃなくて……」


 幸子は、すべてから逃げ出そうと、カッターナイフに手を伸ばしたことを思い出した。


「駿くん、ごめんなさい! ごめんなさい……!」


 澄子は、そんなふたりを覆うように抱きしめた。


(今、私の出る幕はない……ここは高橋くんにお任せしよう……)


「ふたりでちゃんと話をしなさい、いいわね?」


 ふたりの頭を優しくポンポンと叩く澄子。


「はい! ありがとうございます!」

「お母さん……ありがとう……」


 優しい笑みをふたりに向け、澄子はそのまま1階へ下りていった。


 ふたりきりになる幸子と駿。


「駿くん……入って……」


 幸子は、部屋の中に駿をいざなった。

 幸子がひょこひょこ歩いていることに気付く駿。


「さっちゃん、足、怪我してるの? 大丈夫?」

「あ……靴も履かずに逃げ出しちゃったから……ちょっと痛いだけ」


 幸子は苦笑した。


 幸子の部屋は、至ってシンプルだ。ベッド、クローゼット、本棚、勉強机がある。勉強机の上には、小さなイルカのぬいぐるみが飾られていた。


「狭い部屋でごめんなさい、ベッドに座って」


 促されるままにベッドへ座る駿。

 その横に幸子が座った。


「駿くん、さっきは本当にごめんなさい……私のためにあんなことを……」


 幸子は、うつむいてしまう。


「さっちゃん、謝らないで。さっちゃんにだけは、いつかちゃんと説明しようって思ってたことだから」


 申し訳無さそうな幸子に、駿は笑顔で返した。


「まぁ、正直オレもどうしたらいいか分からないし……タッツンから色んなHなDVD借りたりさ、自分なりに足掻いてはいるんだけど、中々ね……」


 寂しげな笑みを浮かべる駿。


「駿くん……」

「ん?」

「私も駿くんに、私の秘密を……私が抱えているものをお見せします……」


(えっ? 背中や腕のそばかすじゃないの……?)


 駿は写真のことを思い出し、幸子が気に病んでいるのは、腕や背中のそばかすのことだと考えていた。


「駿くん……目を……目をつぶっていてくれますか……?」

「う、うん……」


 目をつぶる駿。

 自分の隣に座っていた幸子が立ち上がったようだ。

 自分の目の前の位置から、シュルシュルと布の擦れる音がする。


 そして、音が止んだ。

 しばらくの静寂。


「駿くん……目を開けてください……」


 そっと目を開く駿。

 服や下着を身に着けていない幸子の腰が目に入り、慌てて目をつぶった。


「さ、さっちゃん! 一体どうなって――」

「お願い……お願い、駿くん……しっかり見てください……これが本当の私です……私のすべてを見てください……」


 幸子の声は震えている。


 もう一度ゆっくりと目を開けた駿。

 幸子の全身が視界に入る。

 駿は、言葉を失った。


 幸子の身体には、模様のようなグラデーションがかかっていたのだ。


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