第88.5話 歪んだ悪意 その後 - D.C.
キーンコーンカーンコーン♪
――ようやくメシだよ~
――ヤベッ! 購買のコロッケパン、売り切れちまう!
――ねぇねぇ、もう寒いし中でご飯食べようよ!
教室の中が急に賑やかになる昼休み。
珠子(委員長)と由紀乃は、教室の真ん中あたりに位置する珠子の席でお弁当を広げた。
「ねぇ、珠子。朝、言いそびれちゃったんだけど、そのヘアピン可愛いね!」
ピンク色の花飾りのついたヘアピンが前髪を留めている。
「あっ! 由紀乃、ようやく気付いてくれた!」
ちょっと拗ねたような態度を取りながら、微笑んだ珠子。
「ゴメン、ゴメン。気付いてはいたんだけど、朝言えなかった」
由紀乃は、笑顔で両手を合わせる。
「何だかすごくレトロなんだけど、一周回ってすごくオシャレだよね!」
まじまじと珠子のヘアピンを眺める由紀乃。
「ほら、ショッピングセンターに新しいアクセサリーショップができたでしょ?」
「あぁ、確か『ダ・カーポ』とかって言ったっけ」
「そうそう! レトロっぽいデザインが売りで、こういうヘアピンとか、カチューシャみたいな高校生でも買える安いアクセサリーもたくさん売ってるの! どれもみんな可愛かったよ!」
珠子は嬉しそうに語った。
「へぇ~、珠子がそんなお店に行くなんて珍しいね」
由紀乃の言葉に、少し複雑そうな表情でうつむく珠子。
「由紀乃には正直に言うね……」
「うん、どうしたの?」
「これ……ある人にプレゼントしてもらったの……」
「ある人? 私も知ってる人?」
「うん……」
「え、誰なんだろ……」
珠子をゆっくり顔を上げた。
「これ……キララにプレゼントしてもらったの……」
「えっ! キララに⁉」
珠子と仲違いしていたキララの名前が出て驚く由紀乃。
「実は――」
◇ ◇ ◇
――先週の週末
多くの客で賑わっているショッピングセンター。
珠子は、ファッション系のショップが並ぶフロアで、ウインドショッピングをしていた。
可愛いコーデの半身のマネキンを見つめる珠子。
(カワイイなぁ……でも、私にはこれは似合わないなぁ……)
他のショップへ行こうと、振り返った時だった。
「あ……」
そこにいたのは、キララだった。
目が合ったが、キララは無表情のまま、珠子から顔を背ける。
小学生の頃は、キララやジュリア、ココアとも仲が良かった。
その頃の楽しかった思い出が心の中から溢れ出てくる。
「お願い! 待って!」
珠子は、飲み込もうとした言葉を口にした。
顔を向け、目を合わせるキララ。
「何?」
無表情なキララに、珠子は次の言葉が出てこなかった。
「あ……ぅ……ぁ……あ……うぁ……」
熱いわけでもないのに、珠子の背中に汗が流れる。
顔もしっとりと汗を帯びてきた。
手の震えが治まらない。
キララもその状況に気付いた。
珠子が手に持っているトートバッグが不自然に震え、揺れているのだ。
「ちょっと来い」
キララは、珠子の手を掴んで、どこかへと引っ張っていく。
珠子の心は爆発しそうだった。
――ショッピングセンターの屋内非常階段
ガチャリ キー…… バタン
「ほら、ここなら誰もいないし、誰も来ない。言いたいことがあんなら言えんだろ」
壁を背にした珠子へキララが無表情に言った。
珠子は、もう我慢ができなかった。
「ご、ごめんなさい……」
うなだれる珠子。
「謝る相手が違うだろ……」
言い放つキララに、珠子は首を左右に振った。
あれから罪の意識に苛まれてきた珠子は、キララに言ってしまう。
「ジュ……ジュリアと……ココアの……噂を流したのは……私です……」
◇ ◇ ◇
「えっ! 言っちゃったの⁉」
驚く由紀乃。
珠子は、ゆっくり小さく頷いた。
「それは山田(幸子)さんたちだって、黙っててくれてるじゃない!」
うつむいた珠子は、小さく呟いた。
「もう……もう罪悪感に耐えられなかったの……」
うなだれた珠子に、由紀乃は掛ける言葉が見つからない。
「それでキララは何て言ってたの……?」
珠子は、ゆっくり顔を上げた。
「キララは――」
◇ ◇ ◇
「ジュ……ジュリアと……ココアの……噂を流したのは……私です……」
罪を告白し、うなだれ涙をこぼす珠子。
「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」
珠子には、謝ることしかできなかった。
そして――
ガッ ドンッ
珠子はキララに両手で首を掴まれ、壁に押し付けられる。
珠子の目に入ったのは、今まで見たことのないほど怒りに顔を歪ませたキララだった。
「殺してやる……」
キララは怒りに支配されていた。
首を締める力が強くなっていく。
息も絶え絶えになる珠子。
しかし、珠子は一切抵抗しなかった。
肺に残っていた最後の空気を、珠子は言葉に変える。
「…… ご げ ん あ が ぎ ……」
(…… ご め ん な さ い ……)
気道が締まり、言葉にならなかったが、珠子にはそれしかできなかった。
珠子の手からトートバッグがズルリと落ちる。
トサッ バササ……
落ちたトートバッグから荷物が床に散らばった。
財布、ハンカチ、ティッシュ……
そして、診察券と白い紙の袋。
キララの視界に、その白い紙の袋が入った。
『内服薬 一日三回 心療内科・精神科 戸神メンタルクリニック』
白い紙袋からは、粉薬が入っていると思われる銀色の小袋の束がこぼれている。
それを見たキララはハッとした。
我に返ったキララは、珠子の首を締めている自分に気付き、慌てて手を離す。
「コホッ、コホッ、コホッ」
窒息状態から開放された珠子。
「す、すまん……我を忘れてしまった……」
キララは自身の非道な行為を謝罪し、うなだれてしまう。
しかし、珠子は言った。
「殺してくれてもいいです……」
その言葉に、キララは顔をバッと上げ、怒りをあらわにする。
「あの世に逃げるのか?」
「えっ……」
「それも人の手を借りて。贖罪のつもりか?」
「…………」
何も言えない珠子。
「ふざけんなっ!」
キララの怒号が非常階段の空間に響いた。
「ココアは、噂のせいでレイプされかけた」
「…………」
「オマエが死んで、ココアの心の傷が癒えるのか?」
「…………」
「ジュリアは、ココアがいるから強がってるけど、アイツの心にも深い傷が刻まれてる」
「…………」
「つまんねぇ噂のせいで、学校中の男子から『ヤリマン』『やらせろ』って言われてな」
「…………」
「オマエが死んで、ジュリアの心の傷が癒えるのか?」
涙をポロポロとこぼす珠子。
「いいか、私と約束しろ」
珠子は、涙ながらにキララを見た。
「噂のことは、墓場まで持っていけ。誰にも言うな」
キララを見つめる珠子。
「私に罪を告白して、もっと責め立てられたかっただろ。殴られたかっただろ。そうはいかない! オマエの罪の意識を軽くする手伝いなんかするもんか!」
珠子はうなだれた。
「オマエは罪を犯したことを誰にも言えず、一生その罪の意識を心に抱えて生きていくんだ」
ふたたび涙をこぼす珠子。
「それがオマエの負うべき罰だ」
「あぁぁぁ……うあぁぁあぁぁ……」
号泣する珠子。
キララは黙って涙を流す珠子を見つめていた。
◇ ◇ ◇
床に散らばったトートバッグの中身をキララが拾い集めている。
「委員長、クスリ飲んでるのか……」
キララの問いに、寂しげに微笑む珠子。
「うん……でも、強いお薬は副作用が強いからって、先生はあまり出したがらないの……だから、漢方薬を出してもらってる」
「漢方薬?」
「うん。今の私の心には『治すお薬』じゃなくて『調整するお薬』がいいだろうって。効き目も穏やかだし、身体や心への負担が少ないからって」
「そっか、委員長を気遣ってくれるいい先生に出会ったみたいだな」
「そうだね、カウンセリングでも色々な話を聞いてくれるしね」
そんな珠子を見て、キララは決心したかのように珠子の腕を掴んだ。
「えっ……ど、どうしたの……?」
「いいから、ちょっと来い」
ガチャリ
何の物音もしない非常階段から、賑やかなショッピングセンターの店内に戻った。
キララは、不安そうな珠子の手を引いて、あるショップに入る。
「『ダ・カーポ』……?」
「最近オープンしたアクセサリーブランドのショップなんだけど、ほら、見てみ」
珠子の前には、可愛いヘアピンやカチューシャ、バレッタ、シュシュなどがたくさん並んでおり、そのどれもが高校生でも手の届きやすい価格だ。
「わぁ、カワイイ……」
「だろ? しかも、どれもちょっとレトロなデザインやカラーで渋いんだよね。ジュリアやココアはこういう系が好きじゃないから、ひとりで来てるんだ」
「へぇ~……あっ、お花のヘアピン、カワイイ!」
「種類もすげぇあるだろ! 何十種類あるのか知らないけど、全部集めたくなっちゃうよな」
「そうだね、すごくキレイ……」
キララは、たくさん種類のある花のヘアピンの中から、これと決めていたのであろうピンクの花のヘアピンを手にした。
ヘアピンを手にレジへ向かうキララ。
珠子は、キララが手にしたヘアピンの入った陳列ケースに目を向けた。
商品紹介の小さなポップに「百日草」と書いてあった。
そして、レジから帰ってきたキララは、可愛い小袋に入れられたヘアピンを珠子に手渡そうとする。
「えっ……」
「委員長もアクセサリーくらい身に着けろよ。これなら委員長にも似合うだろ」
「わ、私に……?」
「あー……さっきとんでもないことしちゃったからな……お詫びだよ、お詫び」
照れくさそうにはにかむキララ。
◇ ◇ ◇
「そっか、キララが……」
珠子の話にホッとする由紀乃。
「うん、それで学校に付けてきているの」
「そのデザインなら、生活指導の先生にも怒られないだろうしね」
キララたちとの絆を確認することができたことに由紀乃も喜び、満面の笑みを浮かべた。
「でも、もう関わりはもたないよ。それが条件だもの」
少し困ったような微笑みを浮かべる珠子。
「珠子」
「ん?」
由紀乃は、いつも以上に優しい微笑みを浮かべている。
「寂しい思いはさせないからね」
由紀乃の言葉に、花が咲いたかのような笑顔を浮かべる珠子。
「うん!」
「じゃあ、ほら、お弁当食べよ!」
ふたりは、賑やかな昼休みの教室で、楽しそうにお弁当を食べ始めた。
しかし、珠子は由紀乃へ秘密にしていたことがあった――
◇ ◇ ◇
――アクセサリーショップ「ダ・カーポ」
「あー……さっきとんでもないことしちゃったからな……お詫びだよ、お詫び」
照れくさそうにはにかむキララ。
「で、でも、私は……」
「委員長。さっき言ったようにオマエは罰を受け続けなければならない」
「…………」
「きっと由紀乃には相談できないことだって出てくると思う」
「うん……」
「だから、そのヘアピンを合図にしよう」
「合図?」
「明日から学校へはそのヘアピンをしてこい」
「う、うん……」
「それで、もしも由紀乃に相談できないことが起こったら、そのヘアピンを外せ」
「それは……」
「私が話を聞いてやる」
「!」
珠子は驚きの表情のまま、キララを見つめる。
「これも私と約束しろ。『ひとりで悩むな』。いいな」
キララの言葉に、溢れ出る涙が止められない珠子。
「ちゃんとヘアピン着けてこいよ」
優しい微笑みを浮かべながら自分の肩を抱くキララに、珠子は床へ涙の跡をいくつも残しながら、何度も頷いた。
――薄汚い自分と相談にのってくれる人が増えた。
それは珠子にとって、何よりも心強いことである。
珠子は、安易に逃げようとした自分の考えをもう一度改め、二度とキララたちを裏切ることはするまいと心に誓った。
◇ ◇ ◇
――ふたりがお弁当を食べている頃
この日は珍しく、幸子、駿、キララ、そしてクラスメイトの男子・三島の四人が、教室の一番前の一番廊下側にある幸子の席で談笑していた。
三島は、短髪黒髪・ニキビ顔で、いつもニコニコしている、ちょっとスケベな高校生オブ高校生な優しい男子である。
「高橋(駿)はいいなぁ、いつもカワイイ女の子が側にいてさ」
羨望の眼差しを駿に向ける三島。
「正直、オレ自身もありがたいって思ってるよ」
「ウソウソ、駿はさっちゃんがいればご満悦で、私なんか眼中に無いもんね」
「ま、また私をダシにしないでください……」
キララは、クククッと笑った。
「高橋……オマエ、伊藤(キララ)さんレベルで眼中に無いって……贅沢すぎるぞ……」
「そ、そんなことないって! オレだってキララにドキドキすることたくさんあるよ!」
焦る駿に、ニヤリと笑うキララ。
「ねぇねぇ、さっちゃん。駿ったら、私見てドキドキしちゃうんだって! どうする~?」
「それはそうですよ! キララさん、女の私から見たって美人ですもの!」
ニッコリと答える幸子に、ガックリするキララ。
「三島くん、わかったでしょ……どっかの意気地無しがはっきりしないせいでこうなってるって」
「これは高橋が悪いな」
大笑いする三島と、苦笑いする駿とキララ。
幸子は、よく状況が分かっておらず、とりあえずニコニコしていた。
「三島はフリーだよな」
「フリーもフリーで、誰かが側にいたことなんかねぇよ……」
駿の問いに、シュンと落ち込む三島。
「三島くんは、どんな女の子がお好きなんですか?」
「そうだな……オレ、バカでオッチョコチョイだからさ、頭のいい真面目でしっかりした女の子がいいな」
幸子の問いに、三島は答えた。
「頭のいい真面目でしっかりした子か……」
駿は手を顎に当て、悩む素振りを見せる。
「ねぇ、三島くん。もしかしたら、このクラスで気になる子、いない?」
にこやかなキララの問いに、顔を赤らめる三島。
「えっ……あー……うん、まぁ……」
「その子は、おさげの真面目な女の子でしょ?」
三島は驚いた顔をして、ゆっくり頷いた。
「前から気になってたんだけど、何か刺々しくて……でも、最近纏う空気が柔らかくなったというか……この間、ちょっと言葉を交わしたんだけど、笑顔がすごく可愛くてね……」
顔を真っ赤にしていて照れている三島。
「でも、オレ、こんなニキビヅラだし、スケベだから多分敬遠されるよ」
「それ、本人にそんな態度取られたの?」
「ううん、普通に話をしてくれたけど……」
幸子も察したのであろう。
「三島くん、私とキララさんが間に入ります。一度誘ってみてはいかがですか?」
「えぇ! 誘うったって……」
「最初は『一緒にお昼食べましょう』でいいじゃないですか」
「うん、いいアイデアだね、さっちゃん」
駿もニコニコ顔だ。
「じゃ、じゃあ、頑張ってみようかな……」
駿と幸子、キララの三人は、顔を見合わせて微笑みあった。
◇ ◇ ◇
――再びふたりの席
「由紀乃、スマホで何やってるの?」
「そのヘアピンの『ダ・カーポ』って、たまに聞く言葉だけど、どういう意味かなって」
「あ、調べてるんだ」
「うん……なるほど、なるほど……珠子、そのヘアピンの花って、何の花?」
「えーとね、確か『ヒャクニチクサ』だったかな……? 漢字で日にちの『百日』に『草』って書くの」
「ふむふむ……あー『ヒャクニチソウ』だね。えーと、何々……」
「ねぇ、由紀乃、私にも見せてよ」
「ちょっと待って、ちょっと待って……」
「もーっ」
由紀乃が相手にしてくれず、ふくれっ面の珠子。
そんな時だった。
「委員長!」
珠子が声をした方を見ると、幸子とキララが笑顔で手招きしている。
その横では駿が笑顔を浮かべ、三島が真っ赤な顔をして立っていた。
困惑する珠子。
「ほら、行ってきな」
由紀乃は笑顔で珠子を送り出した。
「うん……!」
席を立ち、四人の元へ向かう珠子。
由紀乃は、珠子の背中を見つめながら、『ダ・カーポ』の言葉の意味を思い出していた。
『ダ・カーポ』、それは「曲の最初に戻ってもう一度演奏する」という音楽記号。
珠子は、今もう一度最初に戻って演奏し始めたところだ。最初に戻って「同じ失敗を繰り返す」のか、それともやり直しのチャンスとして「正しく演奏できる」のか。由紀乃の心に一抹の不安が湧き起こる。
しかし、由紀乃は微笑んだ。
そんな不安は杞憂だということを知っているからだ。
由紀乃は、百日草のヘアピンを心の支えにし、新しい恋の花を心に咲かせようとする珠子の姿を優しく見守っていた。
このとき、由紀乃のスマートフォンの画面には、こんな情報が映し出されていた。
『百日草(ジニア)の花言葉: 不在の友を思う、別れた友への思い
ヨーロッパでは「友情」のシンボルとされている花です』
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