第27話 夏祭り (4)
祭り囃子の聞こえる神社の夏祭り。
幸子と駿は、先程までいたベンチに戻ってきていた。
「よしっと、これでどうだろう」
ベンチへ座った幸子に、鼻緒を直した下駄を差し出す駿。
「あ、大丈夫です! ちゃんと履けます!」
幸子は、足の指を通して履けることを確認した。
「OK! あっ、ちょっと待ってね」
参道の先に走っていく駿。
手に濡れたハンカチを持って帰ってきた。
駿は、ベンチに座る幸子の目の前に、膝をついてしゃがみ込む。
「?」
「足、拭かないとね!」
「いいです、いいです! 自分でやります!」
「だーめ、はい」
幸子の右足をひょいと持った駿。先程まで裸足だった幸子の足の裏を拭いていく。
「ここまでおぶってもらって、挙げ句にこんなことまでさせて……」
「いいの、いいの。さっちゃん軽いし、楽勝だったよ」
「そういっていただけると……」
「それにね、さっちゃん……」
「はい?」
「おぶっているとき……」
「はい」
「柔らかな膨らみを感じました! ありがとうございます!」
「!」
顔が真っ赤になった幸子は、自分の胸を押さえる。
「もーっ! 駿くん、エッチです!」
でへへっと、おどける駿。
楽しいふたりの時間が続いた。
「駿くん……今日も助けてもらっちゃいましたね……」
「オレは何もしてないよ」
「駿くんがいてくれたから私は……」
「さっきのさっちゃん、とってもカッコ良かった」
「私が?」
「うん、あんな状況の中さ、ちゃんと言いたいこと伝えて、立派に結論だって出したじゃないか」
「最初、逃げ出して、げーげー吐いちゃいましたけどね」
たははっと笑う幸子。
「吐くほど嫌な思い出のある相手に、さっちゃん最後は、相手をしっかり見据えて『赦す』って言ったじゃない」
「はい……」
「オレ、あれを見て、心が揺さぶられた。さっちゃんの姿がカッコよくて、輝いてた。さっちゃん、やっぱりすげぇよ、立派だよ」
「ほ、褒めすぎです……」
「アイツらと別れる時、連絡先も交換したんでしょ?」
「はい、おふたりと交換しました。定期的に連絡をくれるそうです」
「彼、言ってたもんな。『見ていてくれ』って」
「はい。『ちゃんとやり遂げるから』って、そうおっしゃっていました」
「彼も一生贖罪していくことを決意したんだろうな」
「そうですね……でも、仮に挫折するようなことがあっても、もう林くんを責めるつもりはありません……」
「そっか……でもさ、さっちゃんの下したあの決断が、お互いの良いかたちに結びついたんじゃないかな」
「私も、言いたいことぶちまけて、きちんと話をしたら、少し心が軽くなりました」
「それは何よりだね!」
「そういえば、駿くんも好香さんと別れ際に何かお話しされてましたよね?」
「あー……」
幸子は、駿の言いたくなさげな雰囲気を感じ取った。
「別にいいですけど……人の彼女に手を出すのは、良くないと思います!」
ちょっとむくれる幸子。
「あっ! もしかして、ヤキモチ焼いてくれてる?」
駿はニマニマした。
「や、焼いてません!」
「う~れしなぁ~、さっちゃんがヤキモチ焼いてくれたー!」
浮かれる駿の言動に、幸子の頬が赤く染まっていく。
「もーっ! 駿くん、だいっきらいです!」
「あははははは」
◇ ◇ ◇
帰りのバスの中。
バス後方のふたり席に、幸子と駿が並んで座っている。
『次は、戸神ニュータウンです。お降りの方はブザーでお知らせください』
幸子が降車ボタンを押した。
ぴーんぽーん
『次、止まります。バスが止まってから……』
「駿くん、色々あったけど今日は楽しかったです。誘ってくれてありがとうございました」
ペコリと頭を下げる幸子。
「いいえ、こちらこそ。夏休み中にまた会おうよ。みんな誘ってさ」
「はい、皆さんにもお会いしたいです」
幸子は笑顔で応えた。
キィー…… ビー バタンッ
バス停に到着し、乗降口が開く。
「じゃあ、気をつけてね」
「はい、駿くんも」
バスを降りた幸子。
ビー バタンッ
バスの中の駿に手を振る幸子。
駿も笑顔でバスの中から手を振っていた。
ブオオォォ……
バスが見えなくなるまで、手を振り続ける幸子。
(ホントに……心が軽くなったな……すごくスッキリした……)
幸子は、この日を境として小学生時代に言われていた『気持ち悪ぃ』や『ブツブツ女』、『山田菌』といった<声>の一部を聞くことはなくなった。
最初こそ相手の押し付けがましい態度に、自分の素の感情をぶちまけた幸子だが、その後きちんと相手の話を聞き、そして『自分の判断』で赦すと決断したことが心の傷を塞ぎ、一部ではあるが<声>という心の棘を抜いたのだ。
幸子に必要だったのは「自分に諦めることで心の折り合いをつける」ことではなく、『自らの意思で心の折り合いをつける』ことだったのである。幸子本人にとっても非常に難しく、勇気が必要な決断であり、またそんな決断をしたからといって心の棘、わだかまりがすべて消えるわけではない。
幸子にとって幸運だったのは、駿と出会ったことである。
泣き叫ぶ幸子を優しく抱きしめ、心が折れそうになったとき、支えてくれる存在が幸子に勇気を与えたのだ。
何より駿を通じて出会った本当の友達と、その友達との様々な高校生活に、幸子は無意識ながらも「自分の未来」「明日への希望」を見出し、失いかけていた『自分の価値』を見出しはじめていたのである。
だからこそ、幸子は赦すという難しい決断を下し、その上で心の負担を軽くすることができたのだ。
しかし――
幸子は、巾着に入れていた恋愛成就のお守りを取り出し、眺める。
(駿くん、私の本当の姿を知っても、可愛いって言ってくれるかな?)
(本当の姿を知っても、いい子だって言ってくれるかな?)
(本当の姿を知っても、素敵な女の子って言ってくれるかな?)
手のひらの上のお守りが、涙に滲んで見えなくなっていく。
(『言ってくれるわけない』)
心の中に浮かぶそんな言葉を、どうしても認めたくなくて涙する幸子。
バスの走り去った誰もいない夜のバス停で、幸子はお守りをぎゅっと握りしめた。
幸子の抱える闇は、深かった。
◇ ◇ ◇
流れるバスの車窓を眺めながら、駿は好香から別れ際に言われた言葉を思い出していた――
「高橋くん、彼女が抱えているのは、おそらくこれだけじゃないわ」
「え?」
「私、彼と一緒に心理学の勉強をしていて、そのせいか何となく見て取れるの」
「彼女が何かを抱えてしまっていることには、オレも気付いているけど……」
「大きな闇をまだ抱えていると思う。具体的には分からないけど、注意して見ていてあげて」
「わかった」
「それから」
「?」
「それから、高橋くん、あなたもよ」
「!」
「自覚はある? ない?」
「…………」
言葉の出ない駿。
「あまり無理せず、何かあったら連絡頂戴。話を聞く位はできると思うから」
「あぁ……」
「それじゃあ」
――バスの車窓に夜の街の景色が流れていく。
(さっちゃんの抱える闇……今日のこれでも、まだ解決し切れていないのか……)
『次は終点、戸神本町駅前です。どなた様もお忘れ物ございませんよう……』
(オレも……か……)
ふぅー、と大きなため息をついて、座席を立つ駿。
バスを降りていく駿の目には、濁った光が鈍く光っていた。
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