第15話 花壇 (1)

 季節は春を終えつつあり、まもなく梅雨に入ろうとしている。朝夕は涼しく、日中はちょっと暑さを感じる、そんな季節。

 今朝も幸子は、駿と用務員の菅谷と、環境委員の仕事に精を出していた。今朝の仕事は、水やりである。


「ふー、こっち終わったよ、さっちゃん!」


 広い花壇の水やりを終えた駿が、少し離れた場所にいる幸子へ声を掛けた。


「ありがとうございます! こっちも終わりました!」


 ふたりで水やりをやるようになって約一ヶ月。花壇はまだ満開とは言えなかったが、たくさんの花の蕾が出来、一部は花が咲いている。


「さっちゃん、いよいよって感じだね!」

「はい!」


 そこに、用務員の菅谷がゴミ拾いから帰ってきた。


「きっと週明けには満開になるんじゃないかな」

「菅谷さん、楽しみですね!」


 興奮気味の駿。

 駿はその場でしゃがみこみ、蕾をツンツンと指でつつく。


「かわいいなぁ」


 幸子も駿の隣にしゃがみこんだ。


「ですね」


 ふたりで笑い合う。


 それを見ていた菅谷がつぶやく。


「ふたりの愛の結晶だね」


 その言葉に顔を見合わせる駿と幸子。ふたりの顔は瞬時に真っ赤となり、お互いに顔を慌てて背けた。


「はっはっはっは」


 そんな初々しいふたりを暖かく見守る菅谷。


「ま、まぁ、週明けの月曜日が楽しみってことで!」

「そ、そうですね」


 照れている幸子と駿。


「週末は、私が水やりしておくから、月曜日を楽しみにね」


 菅谷がふたりにニコリと話しかけた。


「はい!」


 声を合わせて返事をするふたり。


「じゃあ、さっちゃん。月曜日を楽しみに、今日も勉強を頑張りますか!」

「駿くんは、その前に朝練がんばってくださいね」

「早く行かないと、またタッツンにどやされるな……」

「ふふふ。それでは、菅谷さん、失礼いたします」


 幸子は、頭をぺこりと下げる。


「菅谷さん、また来週!」


 菅谷に手を振る駿。


「はいはい、勉強がんばってね」


 幸子と駿は、談笑しながら昇降口へ向かっていった。


「本当にいい子たちだ」


 菅谷は、ふたりの後ろ姿を幸せな気持ちで見つめていた。


 ◇ ◇ ◇


 ――週明けの月曜日


「さっちゃん!」


 通学路を学校へ向かう幸子に、後ろから走り寄ってきた駿。


「おはよう!」

「駿くん、おはようございます」

「いやぁ、今日は楽しみだね!」

「はい、学校のみんなもきっと喜んでくれると思います!」

「どんな感じになってるかな?」

「先週の時点であんな感じでしたから、きっと花壇いっぱいに満開ですよ!」

「みんな驚くだろうなぁ~」

「ですよね! 亜由美さんたちにも早くお見せしたいです!」


 満開の花壇を思い浮かべながら登校するふたりは期待に心躍らせていた。

 学校に着くと、すでに用務員の菅谷がいた。遠くから手を振って挨拶する駿。


「菅谷さーん、おはようございまーす!」


 菅谷が駿に気がついたようだ。こちらへまっすぐ向かってくる。


「あれ? どうしたんだろ?」


 駿は幸子を見たが、首を捻っていた。


「高橋くん、山田さん、おはよう」


 菅谷の様子のおかしいことに気がつく駿。


「どうしたんですか?」


 菅谷は、駿の問いに寂しそうな表情を浮かべた。


「実は」


 嫌な予感がする駿。


「花壇が荒らされてしまった……」

「えぇ⁉」


 声を上げて驚いた幸子。


「かなり酷い状態で……昨日の夜にやられたんだと思う……本当にすまない……」


 菅谷はうなだれてしまう。

 言葉も無く、ただ菅谷を見つめる駿と幸子。


「ふたりとも……本当に申し訳ないが……片付けを手伝ってくれるかい……?」


 本当に申し訳無さげな菅谷に、ふたりは無言で頷く。

 そして、三人で花壇へ向かった。

 花壇が視界に入ってくる。

 花壇は踏み荒らされ、開花した花もすべて抜かれ、ぐちゃぐちゃに潰されていた。さらに、花壇の外にも土や潰れた花が散乱している有様だった。


 その光景を呆然と眺める幸子と駿。


「さっき環境委員の先生が職員室にいたので、状況を報告して、その時に警察へ被害届をという話はしたのだけれども……」


 菅谷は、空を仰ぐ。


「前にも似たようなことがあって、被害届を出したらしいけど、どうにもならなかったらしい……この学校は防犯カメラとかが無いからね……」


 学校内での防犯カメラ設置は、毎年のように話が出るのだが、保護者などからの生徒のプライバシー保護の声に押され、実現していなかった。


「だから、このまま片付けてくれるかい……本当にすまない……」


 菅谷が深々と頭を下げた。

 荒らされた花壇をただ見つめている駿と幸子。

 ふと駿が気づくと、幸子が駿の制服の袖をぎゅっと掴んでいた。袖を掴んだ手は、震えている。そして、歯を食いしばり、唇も震えていた。


 しばらくして、ふぅ、とため息をひとつつく幸子。


「菅谷さん、ゴミ袋の他にビニール袋を用意していただけますか」

「うん、わかった、今持ってくるね」

「駿くん、外掃除用の竹ぼうきとちりとりをお願いします」

「OK」


 幸子は、駿の袖をそっと手放した。


「大丈夫?」


 心配そうに声をかける駿に、寂しげな笑顔で返す幸子。

 駿は、幸子の肩をポンポンと叩き、掃除用具を取りに行った。振り返った駿が見たのは、ただ花壇を見つめる幸子の姿だった。

 しかし、この時、幸子は<声>に襲われていた。


 <アンタ、何にもできないよね。使えなさ過ぎ>

 <アンタ、疫病神か何かじゃないの>


(私のせいなのかな……私のせいなのかな……私のせい……)


「山田さん、持ってきたよ」


 菅谷の声で我に帰る幸子。<声>を振り切るかのように頭を左右に振った。


「すみません、花弁が揃っているような状態の良い花があったら、このビニール袋に入れてください」


 頷く菅谷と駿。

 あとは、三人とも無言でただ黙々と片付けを行っていった。幸子も気丈に潰れた花を片付けている。

 潰れた花をゴミ袋に入れる時、駿は心に大きな痛みを感じた。駿は、きっと幸子と菅谷も同じなのだろうと、心を殺して片付けを続ける。


 片付け終わった花壇。綺麗にはなったが、そこには土しか見えない。

 菅谷がふたりに声をかける。


「私の方で柵を設置しようと思う。小さな柵だが、牽制にはなるだろう」


 無言で菅谷の言葉を聞いていたふたり。


「それでね……どうだろう……もう一度、やってみないかい?」


 ふたりはピクリと反応する。


「花壇はしばらくこのままで、肥料を加えたり、次の花の育成に合うように、土を私の方で手を加えておく」


 菅谷を見つめたふたり。


「花はコスモス。六月、七月頃に種を蒔くと、十月か十一月頃に花が咲く。夏休みの期間はできるだけ私が面倒を見るようにする。どうだろう、この花壇をコスモス畑にしてみないかい?」


 誰も言葉を発しない空白の時間。

 そして、駿が口を開く。


「オレ、やりたいです……やられっぱなしで終わりたくないです!」


 幸子を見る駿。

 幸子は、駿を見つめながら、力強い瞳で頷いた。


「よし、分かった。もう一度頑張ろう。次はきっとうまくいく」

「はい」


 菅谷の言葉に力強く返事をするふたり。


「今日はありがとうね」


 お礼を言う菅谷に、ふたりは無言で頭を下げた。

 教室へ引き上げるふたりの足取りは重い。

 下駄箱のある昇降口。幸子は、立ち止まってしまう。


「さっちゃん」


 花の入ったビニール袋をぎゅっと握り、うつむいてしまった幸子。手は震え、唇も震えている。

 駿は幸子の前に回り、幸子を支えるように両肩を持った。


「うっ……あぅ……うぅうぅぅ……どうして……どうしてあんなことができるの……」


 大粒の涙をいくつもこぼす幸子。


「私の……私のせいだ……私が……私が……」

「さっちゃん、違うよ。さっちゃんのせいじゃない」

「私が……私が疫病神だから……私が疫病神だからだ……私のせいで……」

「さっちゃん」

「私は疫病神なんだ……私のせいだ……私の……」

「さっちゃん!」


 肩を揺さぶり幸子を呼んだ駿。


「さっちゃん、オレを見て」


 しかし、幸子は駿を見ることができず、ただ泣きじゃくっている。


「オレを見るんだ!」


 もう一度肩を揺さぶり、大声で叫んだ駿。

 幸子は、ゆっくりと顔を上げる。顔をぐしゃぐしゃにして泣いていた。


「いいかい、さっちゃん。今回のことは絶対にさっちゃんのせいじゃない、絶対にだ!」


 泣いている幸子を見つめながら駿が続ける。


「さっき菅谷さんと誓ったよな、もう一度頑張るって」


 幸子は頷いた。


「このままやられっぱなしで終わっていいのかい?」


 首を左右に振る幸子。


「そうだろ、あそこをコスモス畑にするんだよな」


 幸子は頷いた。


「OK、そうだよ。オレたちで頑張ろう。次は絶対大丈夫だから」


 頷く幸子。


「さっちゃん、オレさっちゃんにひとつお願いがある」


 駿を見つめる。


「自分のことを疫病神だなんて、そんな悲しいこと言わないでくれ」


 幸子は涙をこぼしながら、うつむいてしまった。


「こっちを向いて、さっちゃん」


 もう一度駿を見つめる幸子。


「今度自分のことを疫病神だなんて言ったら、オレそんなさっちゃんを許さないからね!」


 幸子は涙ながらに頷いた。


「さっちゃんは、優しくて頑張り屋の可愛い女の子だよ」


 駿の言葉に嗚咽を止められない幸子。

 そんな幸子を、駿は優しく抱きしめるのだった。


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