第175話 ホワイトデー - 運命の日 (8)
消毒液の匂いがする――
幸子が目を覚ますと、ベッドに寝かされていた。
見たことのある天井。保健室のようだ。
顔を横に向けると、カーテンが閉められている。
幸子は、ベッドの上で身体をゆっくり起こした。
誰もいないのか、保健室の中は静かだ。
カラカラカラカラ……
保健室の扉をそっと開けた音がする。
何人かが入ってきた。
そして、カーテンがそっと開かれる。
そこには、目を真っ赤に腫らせた亜由美がいた。
「亜由美さん……」
シャッ
亜由美はカーテンを勢いよく開け、幸子の胸に飛び込んだ。
「バカ! さっちゃんのバカ!」
幸子の胸元で、涙ながらに訴える亜由美。
亜由美は、そのまま幸子の頬にキスをした。
「亜由美さん……」
「あなたのことがみんな好きなの! 大好きなの! 信じて……お願い……どっか行っちゃったりしないで……イヤなの……お願い……」
そのまま幸子の胸に顔をうずめ、身体を震わせる亜由美。
幸子は、そんな亜由美を強く抱きしめた。
「コラッ、みんな心配したんだぞ!」
キララの声がした。
顔を上げると、キララ、ジュリア、ココア、達彦、太、そして駿が、笑顔で幸子を見ている。
駿は、幸子が汚してしまったため、学校指定のジャージを着ていた。
「まったく! あーしたちに心配かけて!」
「さっちゃん、ぎゅ~ってして、離さないからね~」
「竹中(ココア)の言う通り、俺たちゃ簡単にはさっちゃんを手放さねぇぞ」
「そうそう、さっちゃんの笑顔が無い昼休みなんて、ボク考えられないよ」
「だってさ、さっちゃん。かんたんには、ぼっちにはさせないよ!」
みんなの笑顔に、幸子も笑顔で頷く。
そして、一瞬うつむいたかと思うと、何かを決心したかのように顔を上げた。
「皆さん……ご迷惑をおかけしました……」
頭を下げる幸子。
「私の本当のことを……お話しします……」
亜由美が慌てて顔を上げた。
「さっちゃん、いいよ、言わなくて! 何も言わなくていいんだよ!」
必死に幸子を気遣う亜由美だったが、幸子は首を左右に振った。
「亜由美さん、ありがとうございます……でも、もう逃げ続けるのにも、諦め続けるのにも、疲れました……」
幸子は、その場にいた皆へ向かって懇願する。
「皆さんを頼らせてください……お願いいたします……」
頭を改めて下げた幸子。
「さ~っちゃん」
顔を上げた幸子の鼻をつまむキララ。
「キララひゃん……」
「他人行儀すぎー。何でも言いな。亜由美も、ジュリアも、ココアもいるんだしさ」
ニッと笑うジュリアと、ニコニコ笑っているココア。
「ボクたちもいるからね、さっちゃん」
太と達彦が幸子に微笑んでいた。
「皆さん、ありがとうございます……」
目に溜まった涙を腕で拭う幸子。
そして、ポツリポツリと自分のことを話し始めた。
「駿くんもおっしゃっていましたが、私、小学生の頃、そばかすのことでイジメられていたんです……『ボツボツ女』『気持ち悪い』って……みんな、私を遠ざけて『山田菌』なんて呼ばれてました……」
寂しげに笑う幸子。
「かばってくれる子もいたんですが、顔のそばかすを『可哀想』って言われるのが嫌で、できるだけひとりで過ごしていました……」
「林くんか……」
夏祭りのことを思い出した駿。
幸子は小さく頷く。
「その頃からです。<声>が聞こえるようになりました」
「<声>?」
心配そうなジュリア。
「私をイジメていた子が発していた私を罵倒する<声>が、毎日、何度も、頭の中で響くようになったんです……」
「!」
その場にいる全員が驚いた。
「そのまま中学に上がって、私は友達を作ろうとはしなかったのですが……二年の時に友達が出来て……でも、それはニセモノの友達でした……」
「友達にニセモノなんてあるの……?」
ココアは首を傾げる。
「その子……先生に言われて、仕方なく友達を演じてくれてたんです……内申の点数も上がるからって……」
もう誰もが言葉を失った。
「卒業式の日に言われたんです……『本当は気持ち悪かった』って……『お前は疫病神だ』って……『お前なんかに友達なんかできるわけないだろ』って……」
ジュリアとココアは、静かに涙をこぼしている。
「それから……高校に進学して……<声>が酷くなって……私は、すべてを諦めました……でも……」
うつむき気味だった幸子が顔を上げ、駿を見つめた。
「そんな時に声をかけてくれたのが、駿くんでした……」
「あの時、絶望に染まった目をしていたのは、そういう理由だったのか……」
初めて声をかけた時のことを思い出す駿。
「皆さんと出会って……自信もついてきて……<声>が聞こえることも減っていきました……」
「じゃあ、良くなっていったんだね!」
太は、笑顔で幸子に話した。
「でもね……過去が拭えないの……」
涙をこぼす幸子。
「みんなと楽しく過ごしているのに……染み付いた過去が邪魔をするの……」
幸子をただ見守ることしかできない駿たち。
「みんなが優しくしてくれているのに……自分のそばかすを見る度に、自分は気持ち悪い女なんだ……今は楽しい夢を見てるんだって……そして……どうせみんなにも気持ち悪がられてる……どうせみんなに裏切られるって……みんなのことを、心のどこかでそんな風に思っていたんだと思います……」
みんなをすがるような目で見る幸子。
「皆さん、ごめんなさい! ごめんなさい……ごめんなさい……」
ベッドのシーツに涙の跡を広げながら、幸子は頭を下げた。
駿も含め、幸子がそこまで深刻な状況にあるとは誰も思っておらず、その場にいる誰もが衝撃を受けた。
「さっちゃん……オレたち、裏切るよ」
「えっ……」
駿の言葉に顔を上げる幸子。
「オレたちがさっちゃんのことを気持ち悪がってるって、いつか裏切るって……そんな思いを裏切ってみせるよ」
「駿くん……」
「厳しいこと言うようだけど……さっちゃんの抱えた過去は、時間がすべてを解決するとは思えないんだ……だからさ、そんな思いもさっちゃん自身の一部として受け入れようよ」
「…………」
「オレたちが、さっちゃんのそんな思いを裏切り続ければ、いつの日かそんな思いや過去も笑い話になる時が来ると思う。『そんな風に思っていたことがあったね』って」
「でも、私……」
「オレたちは、そんなさっちゃんを受け入れる。何も心配することはないよ」
にっこり笑う駿。
「安心しなって、あーしらがいるだろ?」
「そうだよ~、また一緒に遊び行こ~?」
「それに、心から真剣に叱ってくれるヤツもいるしな」
「私がさっちゃんを導くわ!」
亜由美のハッスル具合に、ギャル軍団の三人は笑った。
両手で顔を覆い、身体を震わせる幸子。
「なぁ、さっちゃん。俺たちゃ神様じゃねぇんだ。何の曇りもないまっさらな心を持ったヤツなんざいねぇんだよ」
「タッツンの言う通りだよ、さっちゃん。誰かを疑うことだって、普通の気持ちだと思う。だからボクたち、みんなで支え合って、助け合ってるんだよ」
幸子は顔をゆっくりと上げ、笑顔で頷いた。
「私……この学校に入って良かったです……こんなにステキなお友達に囲まれて……私、世界一の幸せ者です……」
幸子の言葉に、その場にいた全員が満面の笑みを浮かべた。
そして、幸子は決心した。
「もうひとつ……男性はカーテンの外に出ていただけますか……?」
幸子のしようとしていることを察する駿。
駿は、不思議そうな顔をしている達彦と太を外に出るように促した。
そして、幸子とアイコンタクトを取る。
(がんばれ!)
幸子は、微笑みながら小さく頷いた。
シャッ
カーテンが閉じられる。
カーテンの向こうから声が漏れてきた。
「皆さんに、私の秘密をお見せします……気は使わないでいただいて大丈夫です……ただ、知っていただきたいだけですので……」
「う、うん……秘密って……」
幸子の言葉に、亜由美が疑問を抱いているようだ。
ベッドを降りた幸子。
そして、布の擦れる音がする。
「えっ! さっちゃん! 何やってんの⁉」
驚きの声を上げたジュリア。
そして――
「!」
女の子たちが息を飲んだのが、カーテンの外からでも分かった。
「これが……私の秘密です……」
「い、痛くないの……?」
「はい、痛みはありません」
幸子を気遣ったキララ。
「触っていい……?」
「はい、どこに触れていただいても結構です」
ココアの声は、涙声で震えている。
「わっ、ジュリアさん……背中に……」
「さっちゃん、ずっと頑張ってたんだって思ったら……ゴメン、自然に背中にキスしてた……」
真剣な様子のジュリア。
「さっちゃん……」
「亜由美さん……」
「ゴメンね……私、さっちゃんにとんでもない暴言吐いてたんだね……」
亜由美は、先程二階の窓から叫んだ『私って、そばかすだらけで可哀想なのぉ~』という自分の発言を悔やんでいるようだ。
「やだ、亜由美さん、泣かないで……私、分かってます。亜由美さんがどれだけ真剣に私のことを思ってくれているのか……」
「でも、酷いこと言ってしまって……」
「私、今回も亜由美さんの言葉に救われたんです」
「私の……?」
「亜由美さん、言ってくれましたよね。『愛されていい』って。私、その言葉で自分を取り戻したんです」
「さっちゃん……」
そして、カーテンの外では、駿と達彦、太が、幸子のことを話していた。
「なぁ、駿。さっちゃん、まだ何か抱えてんのか……?」
幸子たちに聞こえないように、話をする達彦。
「さっちゃん、ほぼ全身にそばかすがあるんだよ……」
駿が真顔で囁いた。
「前に写真で背中とか少し見たけど……酷い状態なの……?」
心配する太。
「あれよりもかなり酷くなってて……今、ふたりが想像しているものを遥かに超えてる……」
ふたりは絶句した。
「そうか、さっちゃん、そんな辛い思いしてたんだな……」
「でも、駿は受け入れてるんでしょ……?」
力強い笑顔で頷く駿。
「駿、オマエのことは、さっちゃん知ってんのか……?」
「あぁ、知ってる……」
「駿のこと……?」
「太にも今度教えるよ……」
駿は、太の肩をポンポンと叩いた。
「あん!」
カーテンの中から幸子の艶めかしい声が聞こえた。
「あ、亜由美さん……んっ!……ダ、ダメ…! そ、そこは触ったら……やん!」
怪訝な顔をする男性陣。
バシンッ
カーテンの向こう側から何かを思いっきり叩く音が聞こえた。
「亜由美ーっ!」
キララの怒りの声が上がる。
「やっていいことと、悪いことがあるだろうがっ!」
「そ、そんなに怒んなくても……」
「このバカタレッ! さっちゃん、今のうちに服着な!」
「は、はい!」
また布の擦れる音が聞こえ始める。
そして――
シャッ
カーテンが開いた。
幸子は、制服姿に戻っている。
キララは怒りの表情を崩しておらず、亜由美は落ち込んでいた。
ジュリアは『仕方ねぇなぁ』という感じで笑みを浮かべており、ココアはケラケラ笑っている。
「あ、あの、一応聞くけど……何があったの……?」
キララに恐る恐る聞いてみた駿。
「コイツ、どさくさに紛れて、さっちゃんの胸を揉みながら……その……ち、ちく……先っちょを摘んでやがったんだよ!」
「さ、桜色で可愛かったです……あはは……」
駿がじとっと亜由美を見ると、亜由美は目をそらしてうつむいた。
大きなため息をついて、頭を抱える男性陣。
「キララ、本気で怒るんだもん……」
「怒るに決まってんだろ! 二度と! 絶対にすんな!」
「は~い……」
すっかり落ち込んだ様子の亜由美。
「駿!」
「は、はい!」
「ちゃんと亜由美をしつけとけ!」
「わ、わかった。すまん……」
申し訳無さそうに頭を下げる駿を見て、皆から笑いが巻き起こる。
実際にセクハラされた幸子は、苦笑いするしかなかった。
「さ、さて、気を取り直して……」
と言った亜由美をジロッと睨むキララ。
「も、もうしないから! ね、キララ!」
「まったくもう……」
亜由美は、あははっと笑って誤魔化した。
「さて、さっちゃんとの絆もこれでグッと深まったわけなんだけど……みんな、大事なこと忘れてない?」
みんな顔を見合わせあっている。
「さっちゃんとの絆を一番深めるべき人がいませんか? ってこと!」
全員が駿に視線を送る。
「つーまーりー……ここで告白のやり直しをした方が良くない?」
「えーっ!」
亜由美の提案に、駿と幸子は絶叫した。
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