コンプレックス ~心に傷を抱えた少女の一年間~

下東 良雄

一学期

第1話 とある少女

 ちゅんちゅん ちゅちゅん……


 一戸建てが立ち並ぶ閑静な住宅地。

 スズメたちが朝の訪れを告げる、まだ少し寒い春の早朝。


 ピピピピ ピピピピ ピピピピ


 周りの家と比べると少し古めの家の二階から目覚まし時計の鳴る音がする。


 ピピピピ ピピピ カチッ


「う~ん……ふわぁ……」


 ひとりの少女が目を覚ました。



 大きなあくびをした彼女は「山田やまだ幸子さちこ

 高校一年生。身長は一五〇センチメートル弱と小柄で、少し猫背気味。背中に届く位の黒髪は、くせっ毛で所々跳ねている。胸とおしりはぺたんこで、まだまだ発育途上。



 寝間着のまま自分の部屋を出ると、一階から朝ごはんの良い匂いが漂ってきた。

 階段を降りてキッチンに顔を出す。幸子の母親・澄子が朝食の準備をしていた。



 澄子すみこは三十代後半。

 黒髪をボブにしており、少しだけぽっちゃり気味。美人とは言えないが、年齢を感じさせず、醸し出す優しげな雰囲気と顔付きで、どちらかといえば可愛らしい女性だ。



「お母さん、おはよう……」

「さっちゃん、おはよう。ご飯出来てるから、早く顔を洗ってらっしゃい」


 幸子の挨拶に澄子は笑顔を返した。


「うん」


 幸子は洗面所へ向かい、朝の冷たい水で顔を洗って目を覚ます。

 ぷはぁ~とタオルで顔を拭いた後、鏡に映った自分の顔が視界に入った。

 そして、幸子はポツリとつぶやく。


「気持ち悪い顔……」


 鏡に映る幸子の顔には、無数のそばかすがあった。

 目は二重で大きく、小さな鼻と口は可愛らしい。実際端正な愛らしい顔付きをしているのだが、無数のそばかすがそれを完全に隠している。そのそばかすは、頬や鼻に少しあるようなものではなく、顔全体へ色濃く無数に広がっていた。

 幸子は、こんな自分の顔が本当に嫌だった。


 そして、頭の中に<声>が響く。


 <ボツボツ女>

 <気持ち悪ぃんだよ>


 そんな自分を貶める頭の中の<声>に、幸子は諦めにも似た気持ちで思う。


(わかってるよ、自分のことだもの……)


 幸子は鏡から目をそらし、下を向いてキッチンへ向かった。


 キッチンの卓上にはご飯、わかめの味噌汁、生卵、小さめの切り身の焼鮭、そして温かいお茶が並んでいる。毎朝、母親がタイミング良く並べてくれるのだ。


「さぁさぁ、冷めないうちに召し上がれ」

「うん、いただきます」


 幸子は椅子に座り、朝ごはんを食べていく。

 家事が一息ついた澄子も席につき、一緒に朝ごはんを食べ始めた。


「高校生活はどう? お友達できた?」


 何気ない母親からの問いに幸子は答える。


「うん、まあまあかな。適当に楽しくやってるよ」


 当たり障りない返答をするが、これは半分嘘である。実際は、いわゆる「陰キャ」であり、友達も作れていない。積極的に作ろうともしていないのだ。

 周囲にいじめられているわけではないが、相手にされているわけでもない。

 小学生の時にそばかすのことでいじめられ、中学生の時は酷い裏切りにもあった幸子は、ひとりぼっちの今の状況に何ら不満がないと考えているため「楽しくやってる」という言葉に嘘は無い。高校生活三年間、このままひとりで良いと考えているのだ。


 空気を察した澄子。


「そう、良かったわ。でも何かあったら何でも言ってね。いつでも大丈夫だからね」


 笑顔で幸子をそれとなく気遣う言葉をかける。


「うん、ありがとう」


 幸子は、こんな母親とのやり取りに少しホッとした気持ちになった。


「今日も早めに学校行くんでしょ? 時間大丈夫?」

「あ、少し急がないと……」

「食器はお母さんが片しておくから、早く支度してらっしゃい」

「うん、ごちそうさまでした」


 幸子は洗面所で歯を磨き、髪をとかし、二階の自分の部屋に戻って通学の準備を急ぐ。

 制服のブレザーに着替え、時間割を見ながらカバンに入った教科書やノート、それから大切な読書用の小説を確認。小説を忘れると休み時間にやることが無くなってしまうので、陰キャでぼっちの幸子には必需品だ。

 一階へ下り、玄関で靴を履いていると母親からお弁当を渡された。


「いつもありがとう」

「どういたしまして。こちらこそいつもキレイに食べてくれてありがとうね」

「今日のお昼も楽しみ」

「ご期待に添えればいいけど、うふふ」


 お弁当をカバンにしまい、母親と何気ない会話を交わしながら家を出る。一緒に玄関を出た澄子が幸子に声を掛けた。


「いってらっしゃい、車に気をつけてね」

「うん、いってきます」


 お互いに軽く手を降り、幸子は学校へ向かっていく。

 幸子が通う県立戸神北高校は、幸子の自宅から徒歩四十五分程度。住宅地を抜けた先にある。

 バス通学もできるのだが、家計への負担を少しでも減らすべく、徒歩で通学をしていた。


 幸子の家は、母ひとり子ひとりのふたり家族。父親は、幸子が生まれる前に事故で亡くなった。

 現在は、母・澄子の仕事の収入と祖父母の遺産で食いつないでおり、生活が苦しいわけではないものの、余裕があるわけでもないことを幸子は理解している。高校まで行かせてもらっているのだから、少しでも家計への負担を減らしたいと幸子は考えているのだ。


 住宅地を抜け、田園風景が目の前に広がった。

 幸子は朝日を浴びながら、朝の少し冷たい空気の中、学校に向けて歩いてゆく。

 時間はまだ七時前。幸子の他に通学しているのは、運動部の部員と思しき数名のみ。おそらく朝練に参加するためだろう。


 運動部に入っていない幸子がなぜ早朝から通学しているかというと、クラスのくじ引きで選任された環境委員の仕事のためだ。

 環境委員は、花壇の水やりや肥料の散布、学校周辺のゴミ拾いなど、いわば学校の雑用係とも言えるもので、各クラスから一名が選出されるはずなのだが「自分たちがやらなくても、どうせ用務員がやるだろう」という認識が生徒間に根付いており、何らかの理由をつけては活動をサボる委員が続出。結局生徒としては、幸子がほぼひとりで活動している有様なのである。


「山田さん、おはよう。いつも悪いね」

「菅谷さん、おはようございます。とんでもないです」


 学校に着いた幸子は、先に来ていた用務員・菅谷すがや繁雄しげおと挨拶を交わした。



 菅谷はもう還暦を過ぎたおじさんで、見た目は頑固な偏屈親父っぽく、生徒たちに誤解されている向きがあるが、実際はとても取っ付き易い優しいおじさんである。



「山田さん、今朝は私がゴミ拾いに行くので、花壇の水やりをお願いしてもいいかな?」

「はい、わかりました。ジャージに着替えたら、すぐにやりますね」

「よろしくね」


 菅谷は、ゴミ拾い用の大きなトングとゴミ袋を持って、ゴミ拾いに行った。

 幸子も、一旦教室でジャージに着替えてから、広い花壇に水やりをする。


 ここには前年の卒業生の植えた種がたくさん埋まっているらしく、もう少し暖かくなってくると、大きく育って綺麗な花を咲かせるらしい。普段友達がおらず、ぼっちな高校生活を送っているだけに、自分が世話している花壇が花でいっぱいになるのを幸子は心から楽しみにしている。

 しかし、水道の蛇口が近くに無いため、離れた場所にある水道と花壇とを何度も往復しなければならず、小柄で体力に自信があるわけでもない幸子には結構な重労働だ。

 とはいえ、働くことを強制してくるような人もいないため、時折運動部の朝練を眺めながら休憩し、マイペースに進めることができるのは、幸子の性格にあっていた。そういう意味では、幸子にとって環境委員の仕事は苦ではないのだ。


「ふ~、まだ時間に余裕あるし、少し休憩しよ」


 花壇のレンガに腰掛けて、グラウンドで頑張っている野球部の朝練をぼんやりと眺める。

 みんなでお互いに声を掛け合いながら、白球を追っていた。女子マネージャーと楽しそうに談笑している部員もいる。


「みんな青春してるなぁ……」


 自分には無縁の「青春」という言葉を口にして、何となく恥ずかしく、そして急に自分が情けなくなり、思わず下を向いてしまった。


 頭の中で<声>が響く。


 <その気持ち悪い顔で友達とか彼氏とかできると思ってんの?>


(思ってない、思ってないよ。青春なんて私には無縁。友達なんてできるわけないよ……)


 朝から陰鬱な気持ちに覆われた幸子。


(早く諦めなきゃ……どうしようもない。どうしようもないんだから……)


 こんな高校生活に不満は無いと考えている幸子。実際は、こんな高校生活に「不満は無い」と、そう思い込もうとしていただけなのだ。

 あと三年、いじめられるわけでもなければ、ひとりでいることに不満はないが、高校生活は決して自分ひとりだけで送るものではない。周りもみんな同じように高校生活を送っている。周りが勉強に、部活に、恋愛に、楽しく刺激的な高校生活を送っている中、こんな惨めな気持ちで過ごさなければいけないのか。不満なく過ごすには、どこかでそういった思いを我慢し、耐えなければならないことに改めて気が付いたのだ。

 幸子は、すべてを諦めることで心の折り合いをつけようとしていたが、人の心はそう単純なものではない。


 どうしようもない気持ちの中、幸子はただ下を向いている。


「山田さん……だよね、大丈夫?」


 うなだれる幸子に声を掛けた男子がいた。

 驚いた幸子が慌てて顔を上げると、そこには自分とは一番遠い存在であるクラスの人気者・高橋たかはし駿しゅんが立っていた。


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