第2話 少年との出会い

「山田さん……だよね、大丈夫?」


 うなだれる幸子に声を掛けた男子がいた。

 驚いた幸子が慌てて顔を上げると、そこには自分とは一番遠い存在であるクラスの人気者の高橋駿が立っていた。



 高橋たかはし駿しゅん

 高校一年生で幸子の同級生。身長一八〇センチメートルと長身で細マッチョ。目立たない程度の茶髪にしており、肩位まで伸びた長髪をポニーテールにしている。

 いわゆるイケメンで、人当たりも良く、なおかつ誰彼無くフランクに接することから男女ともに人気が高い。勉強も出来、運動神経も抜群で、周囲からは「ミスターパーフェクト」「完璧超人」などと呼ばれている。

 高校入学からの短い期間で、すでに何度か告白されているが、すべて断っており、特定の彼女はいない。男が好きなのでは? と一部で噂されている。



 友達のいない幸子であっても、クラスの噂話だけでこれらの情報を得ており、いかに彼の人気が高いかが伺える。そんなクラスの人気者の彼が幸子に声を掛けてくれたのだ。その事実に、幸子は静かにパニくり、思考を停止させた。

 無表情で無言のまま彼を見つめる幸子。


「大丈夫? 何か気分悪そうに見えるけど……」


 幸子は自分を気遣う言葉を耳にし、我に返った。


(この気持ち悪い顔をじっと見られている!)


 自分のそばかすだらけの顔を隠すように、幸子は下を向いてしまう。


「あの……大丈夫です。ちょっと休憩していただけです……」

「そうなの? ならいいんだけど……何かこの世の終わりみたいな顔してたから、心配になっちゃったよ」


 駿は、優しげな笑みを浮かべながら幸子に話しかけている。

 しかし、幸子は顔を上げることができず、その優しい笑顔を見ることはできない。


「こんな朝早くから何やってるの?」

「えーと……私、環境委員なので、花壇に水を……」

「あー、山田さん環境委員だっけ。朝早くから大変だね」

「でも、適当にやってるんで……」

「っていうか、山田さんひとりだけでやってるの?」

「みんな忙しいみたいだから……」

「えー、マジかよ。環境委員のこと、噂には聞いてたけど……だからって女の子ひとりに仕事押し付けて、ひでぇな」

「でも、やらないと用務員さんがひとりで全部やらなきゃいけなくなっちゃうので……」

「そっか……」


 ちょっとした会話の空白。

 グラウンドから朝練している野球部の掛け声が聞こえる。


「山田さんは優しいね」


(えっ)


 幸子は声も出せず、下を向いていた。


「用務員さんのことまで考えて、こうやって頑張ってさ。すごいよ、尊敬する」

「わ、わたし、そんなこと、ない、です……」


 必死で言葉を紡ぐ幸子。

 これまで異性から優しいなどと言われたことのなかった幸子は、顔を真っ赤にしたが、下を向いたままの幸子の顔は、駿に見られることはなかった。


「そんなことあるって! オレだったら、仕事サボって逃げ出してるよ!」


 駿はケラケラと笑う。


「ねぇ、このジョウロで水をあげればいいのかな?」

「えっ、は、はい……」

「じゃあ、オレ手伝うよ」


 驚いて顔を上げ、慌てて駿を止めた幸子。


「わわっ! い、いいです、いいです。大丈夫ですから!」


 駿は幸子に気を使わせてしまったことに気が付き、言い方を変える。


「あ、手伝うってのはちょっと違うな。オレ、花に水あげたりとかしたことないから、やってみたいんだよね! 花育てるの楽しそうじゃん!」

「でも、制服が濡れたり、汚れたりするから……」

「あぁ、そういうのぜんぜん気にしないから大丈夫! 汚れたらジャージで授業受けるよ。ロッカーにしまってあるし」


 幸子に向けてにっこり笑った駿。


「山田さん、やり方教えてよ。オレ分かんないからさ、一緒にやってくれるかい?」


 これ以上無下に断るのは失礼だと幸子は感じる。


「それでは、すみません……お願いしてしまっても良いでしょうか……?」

「お願いしてるのはこっちだから。こちらこそよろしくね」


 駿は、置いてあった大きめのジョウロを拾い上げ、幸子と一緒に水道のある場所へと向かった。


「あ、オレ 高橋 駿 っていいます。同じクラスだけど、しゃべるの初めてだよね。馴れ馴れしくてゴメンね。改めまして、よろしくお願いします」


 足を止めて、律儀に頭を幸子に下げる駿。


「あ、あ、あの、こちらこそゴメンナサイ……私は 山田 幸子 と言います。よろしくお願いいたします……」


 幸子は、ペコリと頭を下げた。

 幸子にとって男子といえば、自分をいじめてくる嫌な存在だった。小学生の頃は、散々そばかすのことでイジメられ、本当に辛い思いをした。

 しかし彼は、自分を『優しい』と言い、本人には関係の無い水やりを一緒にやってくれている。男子に優しくされた経験があまり無い幸子にとっては、とても新鮮な経験で、胸が熱くなるような気持ちになっていた。


「水はこの位あげればいいのかな?」

「はい、それ位で大丈夫です。あまりあげすぎても根が腐ったりしてしまいますので……」

「OK、OK! じゃあ、あとこっちの花壇、オレがやるね!」


 嬉々としてジョウロに水を汲みに行く駿。


「すみません、よろしくお願いいたします」


 幸子も別の花壇へ水やりをしに向かっていった。


 ◇ ◇ ◇


「ふぅ~、一通り終わったかな」

「はい、これで大丈夫です」


 普段の半分以下の時間で水やりは完了。

 幸子と駿はジョウロを片付けて、広い花壇を見渡していた。


「いままで、これひとりでやってたのか……あの小さなジョウロで……やっぱすげぇな、山田さん……」

「はい?」

「ううん、何でもないよ。花が咲くの楽しみだね!」

「はい、もう少し暖かくなると、どんどん成長するらしいです」

「へぇ、楽しみだね!」


 幸子は、もう下を向いていない。

 しかし、優しい異性というこれまで接点のあまりなかった存在に緊張して、固い表情のままだった。


「高橋くん、今日はありがとうございました」


 駿に向かって、頭をペコリと下げる幸子。

 駿はジェスチャーを交えながら、にこやかに答えた。


「いやいや、そんな、やめてくれよ。こちらこそお邪魔しちゃってゴメンね。これから花が咲くことを考えると、水やりも楽しいもんだね!」

「そうおっしゃってくれると嬉しいです」


 緊張して固く無表情のまま答える幸子。


「ところで、高橋くんは別に用事があったのではないのですか……?」


 幸子はそれをとても気にしていた。朝早くから登校しているということは、何か彼自身、別の用事があったのではないかと。

 何かを思い出したかのような表情になる駿。


「あ~……え~と……だ、大丈夫。問題ない、問題ない。急ぎの用事じゃないから、ウン。問題ナッシング!」


 駿は、空笑いしていた。


(本当に大丈夫なのかな……)


 幸子がそう思ったその時、校舎の上の方の階の窓から男子が大声で叫んだ。


「おい、駿! てめぇ、朝練サボって何女子とイチャコラしてんだ! 早く音楽室来い!」


 幸子は、大声で駿を呼ぶバンダナを巻いたツンツンヘアーの男子の顔に見覚えがあった。


(あれは谷くんかな? 高橋くんといつも一緒にいる男子だよね、確か……)


 そして、もうひとり。

 派手な金髪の長いストレートヘアーの女子が横で叫ぶ。


「そんなとこで鼻の下伸ばしてんじゃないわよ! 早く来なさいよ!」


(あれは隣のクラスの中澤さんね。彼女もいつも高橋くんたちと一緒にいるよね……)


 駿は、両手を合わせて謝罪のポーズを取りながら、ふたりに向かって叫んだ。


「ゴメン、ゴメン、すぐ行くから! ちょっと待ってて!」


 その姿を見たふたりは「ちっ」という表情を浮かべて、窓を閉める。


「あ、あの、引き止めてしまってゴメンナサイ……」


 深く頭を下げた幸子。


「いやいやいやいや、山田さんが謝ることじゃないから! ね!」


 駿は、慌てて幸子の頭を上げさせようとする。


「あ、じゃあ、オレ行かなきゃいけないから! 今日はありがとね!」


 下駄箱のある昇降口に急ごうとした駿。

 が、すぐに振り返った。


「オレ、毎日のように早朝通学してるんで……」


 一拍おいて、駿は照れくさそうに幸子に言った。


「また水やり、やらせてもらっていいかな……?」


 驚く幸子。


「はい、ぜひよろしくお願いいたします……」


 改めて頭を下げた。


「おっし! キレイな花を咲かせようね! じゃあ、また教室で!」


 昇降口に走っていく駿。

 幸子は、固い表情のまま、駿が走っていくのを見つめていた。


(こんな優しい男の子もいるんだな……そばかすのことも馬鹿にされなかったし)


 そばかすのことを触れないのは、気を使っているだけかもしれない。幸子は、そう思いながらも、その気遣いに感謝していた。


(また一緒に水やりしてくれるって……何だか嬉しいな……)


 ひとりぼっちの高校生活でも良い。そう考えていた幸子も、今朝のこの出来事を前向きに捉えようとしていた。


 しかし――


 <その気持ち悪い顔で友達とか彼氏ができると思ってんの?>


 頭の中で何度も何度も同じ<声>が響く。


(そうだよね、わかってる。わかってるよ。高橋くんが気まぐれで声をかけてくれたことくらい……)


 幸子の心は、諦めの気持ちに蝕まれていった。


(どうしようもない、どうしようもないんだから……)


 昇降口へと向かう幸子は、うつむいてしまっている。

 外からは伺い知れないその顔には、悲痛な表情が浮かんでいた。


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