第12話 恋愛小説 (1)

 閑静な住宅地に降りしきる春の雨。濡れていくには、少々無理がある降り具合だった。


 バサッ


 傘を開いて、幸子が家を出た。


「いってきます」

「雨降ってるから、気をつけて行ってね」


 母親の澄子が笑顔で手を振っている。


 傘をさしながら、学校へ向かって歩いてゆく幸子。

 雨のせいか、朝練の運動部員もおらず、学校へ向かっているのは幸子ひとりだけだ。


 ポコン


 LIMEのメッセージの着信音だ。

 雨の中、カバンからスマートフォンを取り出し、グループチャットを開く幸子。


 ◇ ◇ ◇


6:38 駿[さっちゃん、ゴメン。夜ふかしして寝坊した]


6:38 駿[ホント、ゴメン!]


 ◇ ◇ ◇


 ふふふっ、と笑った幸子。

 あれからほぼ毎日、駿は幸子と水やりやゴミ拾いをしている。

 達彦や亜由美、太も、時間に余裕がある時は、それを手伝っていた。


 ◇ ◇ ◇


6:41 幸[大丈夫ですよ]


6:42 幸[二度寝しないように気をつけてくださいね]


 ◇ ◇ ◇


 幸子がスマートフォンをかばんにしまおうとする、その時。


 ポコン

 ポコン

 ポコン


 何だろうと、グループチャットを再確認した。


 ◇ ◇ ◇


6:43 達[駿、てめえ朝練はどうんすんだよ!]


6:43 亜[言い出しっぺが一番サボってるって、どうなってんのよ!]


6:43 太[(大笑いのスタンプ)]


6:44 亜[何笑ってんだデブ! 吊るして血抜きすんぞ!]


6:44 達[ごめんな、さっちゃん、バカが迷惑かけて]


6:45 幸[私の方は大丈夫です]


6:46 幸[多分、この雨なのでゴミ拾いも中止だと思います]


6:46 達[駿っていう粗大ごみ、後で捨てといて]


6:46 太[(大笑いのスタンプ)]


6:46 亜[笑ってんじゃねぇよデブ!]


◇ ◇ ◇


「あははっ」


 周りに誰もいない雨の通学路。思わず声を出して笑う幸子。

 これまではトボトボと寂しく歩いていたこの道。雨が降っていて、さらに気分が滅入るところだ。

 しかし今は、通学途中でもこんなやり取りがあり、楽しく通学できるようになった。


「おっと、歩きスマホはダメだよね」


 改めてスマートフォンをカバンにしまう幸子。

 雨の通学路、歩く幸子の顔には笑みが浮かんでいた。


 ◇ ◇ ◇


「ゴミ拾い、今日は中止にしましょう」


 学校に着いたら、すでに用務員の菅谷が待っていた。


「この雨なら水やりもしなくて大丈夫だね」


 花壇を見る菅谷と幸子。

 花壇の土は十分水を含み、水やりは不要であることがわかった。


「はい、わかりました」


 幸子は、笑顔で答える。


「朝早くに来てもらったのに、ごめんね」


 申し訳無さそうに頭を下げた菅谷。


「い、いえいえ、何の問題もありませんので、気になさらないでください」


 幸子は、焦って頭を上げさせようとする。


「ところで、今朝はあの男の子、いないのかい?」

「すみません、寝坊しちゃったみたいで……」


 苦笑いで答えた幸子。


「いや、あの男の子が来るようになってから、山田さん、表情が明るくなったなって」


 菅谷は、ニコニコと幸子を見つめる。


「え、え、そ、そうですか? そうかな……」


「素敵なボーイフレンドだね」


 にっこり笑う菅谷。


「ち、違います! 単なる友達です! 単なる! はい!」


 幸子は顔を真っ赤にして、必死に否定した。


「はっはっはっ、そうかそうか。単なるお友達か」


 優しく微笑む菅谷に、幸子はただただ顔を真っ赤にしている。


「まぁ、今朝のところは、活動中止ということで。山田さん、いつもありがとうね」

「あ、いえ、とんでもないです。では、今朝はこれで失礼いたします」


 菅谷にぺこりと頭を下げ、幸子は教室へ向かった。


 ◇ ◇ ◇


 いつものように黒板を拭き、チョークを補充して、黒板消しを窓ではたく。

 時間はまだまだ早い。教室には幸子ひとりしかいない。


 幸子は、かばんから先週末に買った小説『公爵様の愛するメイド ~一通の手紙から始まった許されぬ恋~』を取り出した。少々扇情的な表紙のため、ブックカバーをしている。

 幸子は本を開き、読みふけっていく。

 ページをパラリパラリとめくっていけば、幸子の頭に中世の貴族世界が広がっていった。


 ひとりの若くして授爵した公爵が、一通の手紙をきっかけに、年上のメイドに恋い焦がれ、やがてお互いに惹かれ合っていく。王家に近い上級貴族と使用人という巨大な身分の壁に、時に躓き、時に挫折しながら、やがて愛の力で乗り越えていくという物語だ。


 雨の音しかしない静かな教室の中で、物語に入り込んでいく幸子。


 ――どれだけ時間が経っただろうか。その静寂が打ち破られる。


「早く家出たのに、バス遅れねぇでやんの、マジふざけんなよ!」

「ジュリアちゃん、遅れなかったんだからいいじゃ~ん」

「ココア、こいつバカだから、怒ってる視点がちがうぞ、絶対」

「怒ってる辞典? 国語辞典とか英語辞典とかって怒るの~?」

「お前もバカだったな、ココア」

「誰がバカよ! キララ!」

「お前とココアだよ、ジュリア」

「だって、早めに家出てさ、バスが遅れても、学校には遅刻しない」

「で?」

「『えー、山口(ジュリア)さん、バス遅れても遅刻しなかったんだー、すごーい』」

「で?」

「そんな感じで、クラスのみんなからあーしへの称賛が……」

「よく『称賛』って言葉知ってたな。漢字で書いてみろ」

「『消散』……?」

「お前の頭が『小3』レベルであることは分かった。そのまま消え失せろ」


 教室の中でギャーギャー騒いでいるギャル軍団。



 リーダー格でいつもギャーギャー騒いでいるのが山口やまぐち寿璃亜ジュリア

 肩先まで伸びる黄色に近い色の金髪の白ギャルである。胸が大きい。


 ほんわかしていているのが竹中たけなか心藍ココア

 背中まで伸びるストレートの銀髪の黒ギャルである。胸が大きい。


 辛辣なツッコミを入れている茶髪のショートヘアが伊藤いとう希星キララ

 トリオ唯一の良心である。胸が慎ましい。


 クラスの中では、影で「キラキラネームズ」と呼ばれ、浮いている三人であった。



 賑やかなギャル軍団を無視して、読書を続ける。


「あっれ~、山田さんじゃん! はえーな、真面目か!」


 早くもリーダー格のジュリアに目をつけられた幸子。幸子は、こういう人種が苦手であった。

 ツカツカと幸子の席へやってくる三人。


「おっはー! うっす、うっす!」


 無闇矢鱈に元気なジュリアの挨拶。


「お、おはようございます……」


 幸子は、三人に頭を下げた。


「山田さん、おはよう。いつもこんなに早いの?」


 唯一の良心であるキララが優しく幸子に語りかける。


「あ、はい……環境委員の仕事があるので……」

「あー、そっか、大変だね」

「男の子がいつも早いと困っちゃうよね~」


 いきなり下品な下ネタをぶっこんだココア。


 パチンッ


「いたい~」


 キララがココアの頭を引っ叩く。


「ご、ごめんね、山田さん。こいつらバカだから」


 意味がよく分からず、とりあえず苦笑いした幸子。


「ココア! 山田さん、引いてんだろうが! シモぶっこむなら相手選べ!」

「え~、女の子は、ぶっこまれる方……」


 パチンッ パチンッ


「いたい~」


 さしものジュリアも見過ごせなかったのか、キララと一緒にココアの頭を引っ叩き、ふたりで声を上げた。


「ココア!」

「はい~」

「山田さん、重ね重ねごめんね……!」


 頭を下げるキララに、苦労人に向ける生暖かい視線を送った幸子。


「うっ、その視線はやめて……」


 キララは、がっくりとうなだれる。


「ねぇねぇ! いつも何読んでんの? ねぇってば!」


 幸子が開いていた本を横から覗き込んだジュリア。


「何これ、恋愛小説?」


 幸子から本をひったくり、ぺらぺらめくっていく。


「あ……返して……」

「ジュリア、山田さん困ってるだろ! 返してやれよ!」


 キララは幸子に本を返すように、ジュリアに促した。


「いいじゃん、いいじゃん、ちょっと見せてよ……うっわ、何これ、ヤバッ!」


 ココアとキララが覗き込むと、濡れ場のシーンの挿絵のページが開かれていた。


「山田さん、こんなの読んでるの⁉ うわっ、ヤバッ!」


 興味津々に本を読み進める、ジュリア。

 ココアは、きゃ~、とか言いながらまじまじと本を覗き込んでいた。

 キララも、顔を真っ赤にして、思わず本を覗き込む。


「うっわ! 『公爵様、私の純潔を奪って……』だって! やっだ~」


 ケラケラ笑うジュリア。


「お願い……返して……」


 幸子は恥ずかしさから顔を真っ赤にして、泣きそうだった。


「ほら、ジュリア! もう山田さんに返せよ!」


 キララが本を取り上げようとしても、ジュリアはそれをヒラリとかわす。


「もうちょっと、もうちょっと……うっわ、エグッ!」


 幸子は、顔を真っ赤にしたまま、うつむいてしまった。


「ちょっと、何やってるの!」


 幸子が顔を上げると、学級委員長の櫻井さくらい珠子たまこと、その友人である中村なかむら由紀乃ゆきのが立っていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る