第167話 幸子 - REALIZE

 ドッ ドッ ドッ ドッ


 心臓の激しく鼓動する音が、横たえた身体の中で響いている。

 オレンジ色の常夜灯で薄く照らされた天井がぼやけて見えた。

 ぼやけているのは、目に涙が溜まっていたからだ。

 涙がこぼれていたのだろう。自分の頬と枕が濡れていた。


 枕元に置いておいたスマートフォンを手にする。

 センサーが働き、自動的に電源が入った。


 『3月10日 AM 2:13』


 ホワイトデーまであと四日。

 こんな悪夢を見ることが増えた。

 だが、今夜の悪夢は最悪だ。


 『その気持ち悪い顔で友達とか彼氏ができると思ってんの?』


 <声>と違い、夢の中では駿の声ではっきりとそう言われた。

 そんなこと駿が言う訳ないのに。

 駿が言う訳ないのだ。

 言う訳がない。

 絶対にない。

 言う訳がないんだ。


 『その気持ち悪い顔で友達とか彼氏ができると思ってんの?』


 ガバッと身体を起こした。

 胸が締め付けられるような嫌な感覚。

 ベッドから降り、勉強机に向かう。


 カララッ


 勉強机の引き出しにあったのは、いくつかの化粧品。

 お小遣いで買ったものだ。


 カチャッ


 その化粧品を手に部屋を出た。


 ◇ ◇ ◇


 ――洗面所


 洗面台の鏡には、自分の顔が映っている。

 毎日見ている自分の顔。色濃くそばかすが顔全体を覆っている。

 毎日見ている。

 毎日見ているはずなのに。


「なんでこんなに気持ち悪いの……?」


 吐き気がするほど、そばかすだらけの自分の顔が気持ち悪い。


 『その気持ち悪い顔で友達とか彼氏ができると思ってんの?』


 部屋から持ってきたリキッドファンデーションをそっと顔に塗った。

 顔全体に行き渡るように、薄く伸ばしていく。


 そばかすは薄くなった。


「そばかすが消えない」


 部屋から持ってきたコンパクトを開き、クリームファンデーションをスポンジで顔に伸ばしていく。


 そばかすは


「そばかすが消えない」


 夢で聞いた駿の声が、何度も何度も頭の中で再生される。


 『その気持ち悪い顔で友達とか彼氏ができると思ってんの?』


 ◇ ◇ ◇


 コトリ……


「ん……?」


 居間で寝ていた澄子。

 どこかからする物音に目が覚めた。

 壁にかけられた時計を見ると、まもなく午前三時になるところだ。


 布団から出て、居間から廊下をそっと覗く。

 洗面所のある浴室の脱衣場から明かりが漏れていた。


「さっちゃん……?」


 こんな時間に何事かと、暗い廊下を歩いていく。


 コトリ……


 確かに洗面所がある浴室から物音がする。

 澄子は、明かりの漏れる浴室の扉をそっと開けた。


「!」


 澄子は、言葉を失う。


 扉の向こうにいたのは、全裸の幸子だった。

 パジャマと下着が無造作に脱ぎ捨てられている。


 その顔は、ファンデーションが大量に塗りたくられてヌタヌタで、眉毛やまつ毛はファンデーションで見えなくなり、のっぺらぼうのようだ。

 そばかすは厚いファンデーションで覆われ、完全に見えなくなっていた。


 さらに、胸元から乳房にかけてもファンデーションが塗りたくられ、そばかすと共に乳房の先端部分さえもファンデーションの色に埋没している。


 しかし、ファンデーションが足りなかったのだろう、必死で身体中に伸ばそうした形跡が見えた。


 洗面台はファンデーションだらけで、シンクの中にはリキッドファンデーションの空き容器と、コンパクトが転がっている。


 何度も吐き戻したのか、洗面台と床は吐瀉物と思しきものでも汚れていた。


 ファンデーションを塗りすぎて、凹凸のない顔になった幸子が澄子を見つめる。


「さ、さっちゃん……」


 何があったのか理解ができない澄子。


 澄子を見る幸子の瞳から涙がこぼれる。


「おがあざん……ぞばがずがぎえない……」

(お母さん……そばかすが消えない……)


「えっ……?」


「ぞばがずがぎえないよぉ……」

(そばかすが消えないよぉ……)


 そばかすは、厚いファンデーションで完全に見えなくなっている。


 それでも、幸子の目にはそばかすが映っているのだ。


「ぞばがずがぎえないよぉ! ぎえないよぉ!」

(そばかすが消えないよぉ! 消えないよぉ!)


 叫ぶ幸子に駆け寄り、強く抱き締める澄子。


「うわああぁぁん! うわああぁぁぁん!」


 澄子に抱き締められながら、幸子は泣き叫んだ。


 ホワイトデーまであと四日。

 幸子の心は、限界の淵にあった。


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