第139話 帰省先の少女 (3)

 ――元旦 夜


 コンビニへ買い物に来た太と詩穂。

 そこにいたのは、市会議員の親の威光を利用して詩穂をイジメている雅彦と、一八〇センチメートル以上ある大柄な雅彦の兄だった。


 雅彦は、太にカツアゲされたと嘘をつき、兄を焚き付けた。

 太を睨みつける雅彦の兄。


「お前が俺の弟をカツアゲしたのか」


 雅彦の兄がゆっくり太に迫ってくる。

 雅彦は、その様子を見てニヤニヤしていた。


「ふ、太兄ちゃん……」


 詩穂を自分の後ろに庇う太。


(また面倒なことになったなぁ……)


 雅彦の兄が太の目の前に立った。


「弟からカツアゲした金を返せ」

「ボク、そんなこと……」

「今謝れば、警察沙汰にはしない」

「いや、だから……」


 太が説明をしようとしても、雅彦の兄は話を聞く様子はない。


「謝らないなら、この場で制裁を加える!」

「ボッコボコだ、兄貴!」


 雅彦の煽りに乗せられて、太に掴みかかる雅彦の兄。


「太兄ちゃん……!」


 思わず目をつぶる詩穂。


 ダンッ


 地面に何かが落ちたような音がした。

 詩穂が恐る恐る目を開けると、そこには地面に倒された雅彦の兄と、威風堂々と立っている太の姿があった。

 倒された雅彦の兄はキョトンとしており、雅彦は口をあんぐり開けている。

 ハッとした雅彦の兄は、慌てて立ち上がった。


「あの、ちょっと話を……」

「うおおおおぉぉぉ!」


 太は説明しようとしたが、雅彦の兄は、倒されたのが余程悔しかったのか、顔を真っ赤にして掴みかかってくる。

 太は、相手の勢いを利用して、そのまま体落しを決めた。


 ダンッ


 雅彦の兄は、そのままクルンと身体が一回転して、地面に叩きつけられる。

 唖然とする雅彦の兄。


 太は、雅彦の兄の服を掴んだまま。

 地面に落ちる衝撃をできるだけ軽くするためだ。


「お前、手加減を……」

「コンクリートの地面に本気で投げたら、怪我じゃ済まないですからね」


 太は、柔道黒帯の猛者だった。

 小学生から中学生にかけて柔道に打ち込み、その恵まれた体格と運動神経、反射神経で、中学2年・14歳で黒帯(初段)を取得した。その能力は極めて高く、将来を期待されていたが、足の怪我が原因で柔の道を進むことを断念。


 その当時、今の太では考えられない程、荒れに荒れた。

 暴力にものを言わせ始めていた太は、ある男子に絡んでいったところ、逆にこてんぱんにやられ、その男子に二度と柔道の技を暴力として利用しないように約束させられた。


 その男子が、駿だった。

 直後、その運動神経と反射神経、体力、そして何よりも心に秘めた生来の優しさを駿に買われ、バンドのドラムとして音楽にのめり込んでいくことになる。


 そんな太も、従妹の詩穂の前では、常に優しいお兄ちゃんであり続けたのだ。


「お互い怪我するのは得策ではありません。ボクの話を聞いてもらえませんか?」


 太が説得を続ける。


「わかった……」


 ゆっくりと雅彦の兄の身体を地面に下ろし、手を離した太。


「太兄ちゃん!」


 詩穂は太に抱きつく。


「詩穂ちゃん、もう大丈夫だから」


 太は、詩穂の頭を優しく撫でた。


「さて、カツアゲの話だけど、ボクはそんなことしてないよ」

「太兄ちゃんは、そんなことしない!」


 詩穂も援護してくれている。


「していない……?」

「していないよ。じゃあ、証拠を見せるよ」


 スマートフォンを取り出した太。


「詩穂ちゃん……コンビニの中にいてもいいよ……?」


 首を左右に振る詩穂。

 この後、太が何をしようとしているのか、分かっているのだろう。


「詩穂も兄ちゃんと一緒に戦う!」

「うん、わかった」


 神社で撮影した動画を再生した太。


「神社で雅彦くんと出会ったことは間違いありません。この動画は、その一部始終です」


 スマートフォンから響き渡る雅彦とその友達たちの声。


『なんだよ! 俺に説教なんて、何様だよ!』

『そうだよ、雅彦くんのお父さん、市会議員なんだからね!』

『「ハナクソ」の親、働いてるところからクビにしてやろうか!』

『佐々木彦三って聞いたことないの? このあたりじゃ実力者だからね!』

『かんたんだよ! その会社に圧力かけるだけだもん、ね!』

『俺が言えば、パパはすぐ動いてくれるからね。今までも、俺に逆らった何人か、やってやったし』

『「ジャンボ」! オマエの親、クビにしてやるからな!』


 顔を真っ赤にして、プルプル震えている雅彦の兄。


「雅彦……」


 雅彦は、顔を真っ青にした。


 バヂンッ ドサッ


 雅彦は兄に顔を殴られ、そのまま吹っ飛んだ。


「バカヤローッ!」


 兄の叫びを聞いて、地面の上で頬を押さえながら震えている雅彦。

 そんな雅彦の襟首を持って、太と詩穂の前に引きずってきた兄。


「おふたりとも、私の愚弟が大変失礼なことをしました……」


 頭を深々と下げる雅彦の兄。


「お前も頭を下げろ!」


 兄の言葉に、慌てて頭を下げた雅彦。


「雅彦……」

「は、はい……」

「『ジャンボ』とか『ハナクソ』とかっていうのは、何のことだ……」

「そ、それは……」

「まさか、この女の子に向けた言葉じゃないよな……」

「…………」


 何も言えず、雅彦は下を向いてしまう。


 バヂンッ ドサッ


 兄に殴り倒された雅彦。


「ちゃんと謝れ!」

「さ、佐倉(詩穂)さん、ご、ごめんなさい!」


 雅彦は、詩穂に頭を下げる。


「なぜこんなことを言った」


 兄の問いに、答えを言いあぐねる雅彦だったが、顔を上げ詩穂を見つめた。


「ずっと……ずっと好きだった……」

「えっ……?」

「ずっと佐倉さんのことが好きだったから……!」

「私を……?」


 頷き、うなだれる雅彦。


「幼稚園の頃からずっと見ていて……小学生の頃は、同じクラスになれなくて……はじめて中学で同じクラスになって……でも、佐倉さんがいるとどうしたらいいか分からなくて、目を引きたくて、相手をしてもらいたくて、ついあんなことを……そしたら、みんなも言い始めて……」


 雅彦は、顔を上げて詩穂を見つめた。


「本当にゴメン! もう二度と言わないから! だから……だから、俺と付き合ってください! 俺は佐倉さんが好きです!」


 詩穂に手を差し出す雅彦。

 雅彦は、イケメンと言えるかは微妙だが、太が見ても十分カッコイイ男の子である。

 詩穂がポツリと聞いた。


「久美ちゃんはどうするの……?」


 久美とは、今雅彦が付き合っている相手だ。

 神社で『私じゃなくて、あんな「ハナクソ」が好きなの⁉』と言った女の子である。


「久美は、向こうが一方的に迫ってきて、仕方なく付き合っているだけなんだ! すぐに別れるよ! 俺には佐倉さんだけなんだ!」


 太に視線を向ける詩穂。

 太は、微笑みながら優しく頷いた。

 詩穂も、太に柔らかい微笑みを見せる。


 雅彦に向き直った詩穂。


「佐倉さん……」


 雅彦は、詩穂に微笑んだ。

 口を開く詩穂。


「大っ嫌い!」


 詩穂は、憎悪に満ちた顔を雅彦に向けていた。


「アンタなんか大っ嫌い!」

「え? え?」


 良い答えが返ってくると確信していた雅彦は、詩穂の言葉を理解できない。


「ずっと見てた? 気持ち悪い! 二度と私を見ないで!」

「さ、佐倉さん……」

「二度と私の名前を口にしないで!」

「そ、そんな……」

「私の好きな人は、この世にたったひとりだけだ!」

「え……」



「私が好きなのは、太兄ちゃんだけだ!」



 突然の告白に、驚いた太。


「オマエなんか大っ嫌いだ!」


 太の腕にしがみつく詩穂。

 雅彦は、膝から崩れ落ちた。


「ずっと……ずっと……好きだったのに……うぅ……」

「雅彦、なぜそんなにも好きな女の子に優しくしてやれなかった。しかも、あんなことを言うなんて……お前は男として最低だ! なぜ振られたのか、よく考えろ!」

「ううぅぅぅ……」


 地面にうずくまって、嗚咽をもらす雅彦。

 詩穂は、そんな雅彦に目もくれない。


「それと、お兄さん、ちょっと……」


 雅彦の兄を連れて、詩穂と雅彦から少し離れる太。

 詩穂がふたりを見ると、太が雅彦の兄に何かを説明しているようだ。

 雅彦の兄が、何度も太に頭を下げているのが見える。

 太は、頭を下げる雅彦の兄の背中を何度もポンポンと叩き、励ましているようにも見えた。


 この時点で雅彦もその兄も自宅には帰っておらず、父親が動画の件をすでに知っていることを知らなかった。太は、そのことを雅彦の兄に伝えていたのだ。


 そして、詩穂と雅彦の元に戻ってきた。


「雅彦、帰るぞ」


 グスグス泣いている雅彦の襟首を持って、無理矢理立たせる雅彦の兄。


「佐倉さん……だったね?」

「はい……」

「愚弟が本当に申し訳なかった。二度と佐倉さんには近寄らせないから」

「はい、顔もその姿も二度と見たくありません……金輪際、近寄らせないでください」

「わかった……小泉(太)くんも悪かった……」

「いえ、誤解が解けて良かったです」

「誤解というか、この馬鹿のウソだけどな……」


 泣いている雅彦に一瞥をくれる兄。


「それでは、これで失礼する……雅彦! 来い! お前と言う奴は……!」


 兄が雅彦を車に引きずっていった。


 バンッ キュキュキュ ブオン ブオオォォォォ……


 車がコンビニの駐車場から出て、遠ざかっていく。


「ふ~~~」


 大きくため息をついた太。

 そんな太に、詩穂が抱きつく。


「太兄ちゃん、強いんだね!」

「昔取った杵柄ってやつだね」

「すーっごく、すーっごく、カッコ良かったよ!」

「ありがとう、詩穂ちゃん」


 太は、詩穂の頭をポンポンと叩いた。


 太をギュッと抱きしめ、胸に顔をうずめる詩穂。


「詩穂、太兄ちゃんが好き……大好きなの……」

「詩穂ちゃん……」

「わかってる……わかってるよ……詩穂、兄ちゃんから見たらガキだもん……」


 詩穂は、顔を上げた。


「でも、詩穂、可愛い女の子になるから! きっとなるから! だから、だから……!」

「詩穂ちゃん」


 見つめ合うふたり。


「LIME、交換しようか?」


 太の提案に、表情がぱぁっと明るくなった詩穂。


「ホント⁉」

「いつでも連絡ちょうだいよ」

「うん! 連絡する! 毎日連絡する!」


 詩穂は、満面の笑みを浮かべる。


(詩穂ちゃんがボクを好きなのは今だけ……明るくて可愛いから、きっと素敵なボーイフレンドができる。LIMEだって、すぐに飽きるだろうな。まぁ、それまでは相手してあげよう……)


 可愛い妹を愛でる優しいお兄ちゃんの目線で、微笑み返した太。


 詩穂の頬に、冷たい何かが触れる。

 空を見上げた詩穂。


「雪だ……」


 辛い思いをしてきた詩穂の心を塗り潰すかのように、空から純白の雪が次々と舞い落ちてきた。


「詩穂ちゃん、風邪引いちゃうから、早く帰ろう」

「うん! アタシスやろう!」


 太と腕を組み、雪の中を歩いて行く詩穂。

 道は、雪が薄っすら積もっている。

 その白く彩られた道は、詩穂の明るい未来を予感させるものだった。


 ◇ ◇ ◇


 ――その後の雅彦たち


 後日、雅彦の父親である市会議員の彦三と、雅彦本人が詩穂の家を訪れた。

 雅彦の顔は、彦三にも殴られたのか、パンパンに腫れていた。

 彦三と雅彦は、詩穂の両親に謝罪。また、雅彦は、二度と詩穂に近寄らないことを約束した。

 この時、詩穂は同席を拒否。姿を現すことはなかった。


 その後、彦三は市会議員を辞職。

 理由は「家族との時間をもっと持ちたいから」だった。

 市政に真面目に取り組んでいた彦三は、支援者の会社へすぐに再就職できたが、役員・役職付きの待遇は断り、一会社員として毎日奮闘している。


 これら彦三の行動により、太は約束通り、例の動画を削除し、彦三にその旨を連絡した。


 ――しかし、動画はもうひとつあった。


 あのコンビニの駐車場でのやり取りも、太は撮影していたのだ。


『だから、俺と付き合ってください! 俺は(ピー)さんが好きです!』

『久美ちゃんはどうするの……?』

『久美は、向こうが一方的に迫ってきて、仕方なく付き合っているだけなんだ! すぐに別れるよ! 俺には(ピー)さんだけなんだ!』


 この動画のアップロード先のアドレスを、太は詩穂に渡していた。

 冬休みが終わり、三学期が始まった直後、詩穂はこれまでの報復として、このアドレスを久美に伝えた。


 動画を視聴した久美は激怒。

 久美は、雅彦への仕返しとして、これまで自分が雅彦にされてきたこと、雅彦にしてあげてきたことを書き添えて、このアドレスをLIMEでつながっているすべての友達に拡散した。

 しかし、拡散が拡散を呼んでしまい、この動画と久美が書き添えた内容は、学校の大半の生徒たちに知れ渡ってしまう。

 これにより、久美と雅彦との痴態も知れ渡ることになってしまい、仲の良かったいつものグループも同様の目で見られるようになったため、グループ内の関係は一気に悪化。グループは瓦解し、久美と雅彦、メンバーたちは、その後一年近くに渡り、その痴態のレッテルが貼られ続け、学校内で好奇な目で見られ続けた。


 そして、雅彦は、久美を弄んで捨てた男として、学校中の女子を敵に回すことにもなった。元々、親の威光で横柄な態度を取っていたため、男子からも内心疎まれていた雅彦は、誰からも相手にされなくなってしまう。

 雅彦は、自身の発言と行動に後悔したが、この状況は中学を卒業し、逃げるように県外の高校へ進学するまで続くことになる。


 ◇ ◇ ◇


 ――その後の太と詩穂


 すぐに飽きると思われたLIMEのやり取りは、途切れること無く、毎日続くことに。

 後日、そんなやり取りも駿たちにバレることになり、太をからかうネタになるのであった。


 遠くの地に住む年上の男の子に恋い焦がれる詩穂。


「太兄ちゃん、大好きだよ!」


 恋する女の子は、純粋で一途なのである。


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