第87話 歪んだ悪意 - Tuning (2)

 幸子を階段から突き落とした珠子(委員長)

 親友である由紀乃が心を鬼にして詰問し、珠子は自らの愚かな行為を自覚。その罪悪感で押し潰されそうになっていた。

 由紀乃は、珠子にあえて現実と向き合わせるべく、被害者である幸子に面談を懇願。

 幸子はそれに応え、三十分だけの面談の場を設けることになった。


 ――日曜日 午前十一時三十分 戸神本町駅前 北口バスターミナル


「中村(由紀乃)さん!」


 由紀乃に走り寄る幸子。


「山田(幸子)さん、無理言ってごめんなさい」

「彼女とお話しできたんですね」

「うん……こんなことしちゃいけないのかもしれないけど……何度も珠子を殴りつけたわ……」


 うつむいた由紀乃。


「嫌な役回りをさせてしまって、本当に申し訳ございません……」


 そんな由紀乃に、幸子は深々と頭を下げる。


「でもね、山田さん。珠子も目が覚めたみたいで」

「本当ですか! 良かったです!」

「ただ……自分のやったことに気が付いて、今は罪悪感で押し潰されそうになってる……」


 由紀乃は、悲痛な表情を浮かべた。


「中村さん……私、今日彼女に暴言を吐いたりするかもしれませんよ……? 大丈夫でしょうか……」


 一瞬悩む由紀乃。


「大丈夫ではないかもしれないけど……それでも、今、この機会を逃したら、珠子は立ち直れないかもしれない……だから……」


 由紀乃は、悔しそうに目をつぶった。

 そんな由紀乃の手をそっと握る幸子。


「中村さんのその思い、私にも背負わせてください」


 由紀乃は、そんな幸子の言葉に思わず涙ぐんだ。


「高橋(駿)くんが山田さんに惹かれる訳が分かったわ」


 ニッコリ微笑む由紀乃。


「えっ! それは無いです! 私が一方的に……って何言ってるんだ、私……!」


 幸子は、顔を赤くして、アワアワしながら困惑した。


「ふふふっ、じゃあ、ウチに行きましょう。もう珠子は待ってますので」


 由紀乃の先導で、バス乗り場へ向かう幸子。

 幸子は、この後の珠子との面談に期待と不安の両方を抱えながら、バスに乗り込んだ。


 ◇ ◇ ◇


 ――正午 由紀乃の自宅前


「ここが私の自宅になります」


 由紀乃の自宅はごく普通の一軒家で、とても綺麗な家だった。


「中には、すでに珠子がいます。私は口を出しません」

「わかりました」

「では、こちらへ」


 カチャリ カチャリ ガチャッ


 玄関のカギを開け、扉を開ける。

 学校指定の靴がふたつ並んでいた。

 ひとつは、珠子のものだと思われる。


「お邪魔します」


 幸子は、玄関で脱いだ靴を揃え、由紀乃に案内されて居間に向かった。

 扉は開いている。


「失礼します」


 居間に入ると、珠子が直立不動で立っていた。

 学校の制服姿だ。


 珠子は、幸子の姿を見るなり、幸子の前で土下座した。


「や、山田さん、申し訳ございませんでした! 本当に申し訳ございませんでした!」


 床に頭をつけて謝罪する珠子。


「櫻井(珠子)さん」


 幸子の声に、珠子は頭を上げず、平伏したまま震えていた。


「条件にもしました通り、謝罪は不要です。土下座されても困りますので、今すぐやめてください」


 幸子の言葉に、恐る恐る顔を上げる珠子。


「中村さん、こちらのソファを使わせていただいてよろしいですか?」

「はい。珠子も座りなさい……」


 ソファに腰掛けた三人。

 幸子の前に、テーブルを挟んで珠子と由紀乃が座っている。


 ――誰も声を発しない時間が続く。


 その状況に幸子が口火を切った。


「約束の時間は三十分ですが……何も無いようであれば、これで失礼させていただきます」


 腰を上げようとする幸子。

 うつむいていた珠子が、慌てて顔を上げた。


「ま、待って! 待ってください!」


 珠子の言葉に、幸子は腰を下ろす。

 珠子が口を開いた。


「こ、今回の件、き、きちんと責任を取りたいと……」

「責任? どのようにですか?」


 ゴクリとツバを飲む珠子。


「が、学校を自主退学します……山田さんは、け、警察に行ってください……」


 珠子は、うつむいてしまった。


「ダメです。それは許しません」

「!」


 幸子の言葉に驚き、顔を上げる珠子。


「条件にもした通り、きちんと学校に来て、きちんと卒業してください」

「む、無理です……私には無理です……」


 珠子は涙をこぼした。


「私と顔を合わせるのが辛いですか?」


 頷く珠子。


「ジュリアさんたちと顔を合わせるのが辛いですか?」


 頷く珠子。


「私たちが駿くん……高橋くんと仲良くしているのを目にするのが辛いですか?」


 涙を落としながら、珠子はゆっくり頷いた。


「櫻井さん、この際だからお聞きします」


 幸子の顔付きが変わる。


「花壇を荒らしたのは、あなたですね?」


 ビクッとした珠子。


「ジュリアさんとココアさんの噂を流したのも、あなたですね?」


 立ち会いの由紀乃も驚きの表情で珠子を見る。

 珠子は涙をこぼすだけで、うつむいたまま、何も答えられない。


 ドバンッ


「ふざけるな!」


 テーブルを思い切り叩き、鬼の形相で珠子に怒鳴る幸子。


「お前の……お前のせいで……! お前のせいで!」


 幸子の怒りに、珠子はただ嗚咽していた。


 幸子はそっと目を閉じ、大きく深呼吸をする。

 落ち着いた口調で幸子が話した。


「櫻井さんは、すべてから逃げ出すと……自分が今までやってきたことから目を背けて逃げ出すと……そうおっしゃるのですね?」

「…………」


 珠子は、何も答えられない。


「それは責任を取ったとは言いません。自分の心が楽になる方へ逃げようとしているだけです」


 何もかもから逃げ出したあの日のことを思い出した幸子。

 珠子の気持ちも分からないではなく、心が痛む。


「櫻井さん、知っていましたか? 高橋くんがあなたを心配していたことを」

「えっ……」


 涙に濡れた顔を上げた珠子。


「最近の委員長は何か変だって……心配だって……」


 由紀乃が口を開く。


「私、珠子にも言ったよ。高橋くんが珠子の様子を見て心配してるよって」


 由紀乃の言葉に、珠子は愕然とした。

 自らが作り出した虚構の幻影に踊らされていた珠子は、そんな由紀乃の言葉をも覚えていないのだ。


 幸子が続ける。


「高橋くんもそうですが、私たちは全員、今回のことを知っています。停学明けの櫻井さんに文句を言ってきた人はいましたか?」


 首を横に振った珠子。


「侮蔑の視線を送ったり、無視するような態度を取ったり、嫌がらせをしてきたり……そんな人はいましたか?」


 首を横に振る。


「確かに私は、そういうことはしないように言いました。でも、それだけじゃないんです」


 うつむいたままの珠子。


「みんな、櫻井さんとは長いお付き合いですよね」


 珠子は頷く。


「みんな、どこかで昔の櫻井さんに戻ってくれることを期待しているんです」


 ビクッと身体を震わす珠子。


「高橋くんも同じ気持ちだと思います」


 珠子は、再び涙をこぼした。


「そんなみんなの、高橋くんの気持ちを無視して、あなたは逃げ出すと言うんですね?」

「うぅ……うううぅ……」


 嗚咽する珠子。


 ドバンッ


「これ以上みんなを、高橋くんを裏切るのはやめて!」


 テーブルに再び手を叩きつけ、幸子は叫んだ。


「あぁぁぁ……うああぁぁあぁぁぁ……」


 珠子はテーブルに突っ伏して号泣する。

 幸子も、由紀乃も、そんな珠子をただ見つめていた。


 ◇ ◇ ◇


 しばらくして、落ち着きを取り戻した珠子。

 幸子がふと壁にかかった時計へ目をやる。


「もうすぐ三十分経ちます……最後に何か言いたいことはありますか……?」


 珠子が顔を上げ、幸子と目を合わせた。


「条件の通り……きちんと学校に通い、きちんと卒業することを、ここに誓います……」

「わかりました。その誓い、確かにこの耳でお聞きしました。中村さんが立会人です」


 由紀乃は頷く。


「確かに、私も珠子の誓いを聞きました」


 幸子と由紀乃は、お互いに微笑み合った。


「私からも、櫻井さんへ最後に言っておきたいことがあります」

「はい……」

「もしも、どうしても逃げ出したくなったら、逃げ出してもいいです。でも、逃げ出す先をよく考えてください」

「逃げ出す先……」


 あの日の自分を思い出す幸子。


「学校を辞めて、自分の部屋に引きこもるようなことはしないでください。櫻井さんのそばには、逃げ出すあなたを受け止めてくれる、そんな場所がありますよね?」


 ハッとして、由紀乃を見る珠子。

 由紀乃は、そんな珠子に優しい微笑みを送った。


「三十分経ちました。私はこれで失礼いたします」


 ソファから立ち上がる幸子。


「山田さん!」


 珠子が幸子を呼び止めた。

 振り向く幸子に、頭を下げる珠子。


「ありがとう……本当にありがとう……」


 幸子は、そんな珠子に微笑んだ。


「その言葉が聞けて良かったです」


 幸子は居間を出ていき、由紀乃の自宅を後にした。


 ◇ ◇ ◇


 ――しばらくして


 由紀乃の自宅の居間で、今後のことを話し合う珠子と由紀乃。


 ポコン


 由紀乃のスマートフォンにLIMEのメッセージが届いた。

 スマートフォンを確認する由紀乃。

 メッセージに目を通し、そのままアプリを閉じた。


「由紀乃、どうしたの……?」

「ううん、お母さんからだった」


 そのまま珠子との話を続ける。


 由紀乃にメッセージを送ったのは、幸子だった。

 そこにはこう書かれていた。


 ◇ ◇ ◇


 中村さん、今日はありがとうございました。

 最後に私にお礼を言ってくれた櫻井さん、

 きっと大丈夫だと思います。

 もしも、何かあったときには、

 小さなことでも構いません。

 私や駿くんたちにいつでも相談してください。

 みんな、中村さんと櫻井さんの味方です。

 櫻井さんのこと、よろしくお願いいたします。


 ◇ ◇ ◇


 表立っては言えないであろう「櫻井さんの味方」という言葉。

 由紀乃は、その言葉に小さな希望の光を感じながら、珠子の未来のために話し合いを続けるのだった。


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