第75話 文化祭 (9)

 ――文化祭 二日目


 音楽研究部のライブは、大成功を収めた。

 客の入りも講堂に入り切れない程で、急遽閉門時間と後夜祭の開始時間が十八時から十八時三十分に変更となった。


 幸子は、花壇のレンガに座り、校庭の後夜祭の準備をぼーっと見ていた。


(私ばっかり、こんなに気を遣ってもらっちゃっていいのかなぁ……)


 講堂に横付けされた白いワンボックスへ、みんなが機材を載せているのが見える。

 本来は、ステージの片付けがあったのだが、みんなから休んでいていいと、講堂から放り出されたのだ。


 ふと目を閉じ、今日のことを思い出す。


(光司くんが来て……亜利沙ちゃんが学校辞めて……光司くん、あんなに好きだったのに、もう何とも思わなくなっちゃったな……)


 ふぅー、とため息をついた幸子。


(そして、さっきのライブ……『私』と向き合って……あんなにたくさんの拍手をもらって……いまだに信じられない……)


 駿とのデュオを思い出す。


(結局、駿くんに勇気をもらって……)


 胸が痛くなる幸子。


(やっぱり……やっぱり、私……駿くんが好き……大好き……でも……)


 そっと目を開け、うつむいた。


(でも……私、もらってばっかりだ……頼ってばっかりだ……助けてもらってばっかりだ……これじゃ絶対ダメだ……駿くんだけじゃない……みんなにも、ただ寄りかかっているだけだ……)


 幸子は、何もない地面の一点を見つめている。


(私がすべてから逃げ出した時、亜由美さんは本気で叱ってくれた……本当に嬉しかった……でも、このままでは、いつか必ず呆れられてしまう……)


 校庭から軽やかなフォークダンスの音楽が聞こえた。

 後夜祭が始まったのだ。


 教室から漏れる明かりが校庭を薄く照らす。

 薄暗い校庭で、仲の良い生徒たちが手に手を取って、フォークダンスを踊っていた。


 そんな後夜祭を楽しむ生徒たちを、ただ眺める幸子。


(私は……みんなと……駿くんと……対等でありたい……みんなに頼ってもらえるようになりたい……私から手を差し伸べるようになりたい……守ってもらうだけじゃダメだ……)


 女子たちがきゃいきゃい言いながら、気になっているであろう男子の手を引いて、ダンスに誘っていた。


「私に……できるかな……」


 幸子は、ポツリとつぶやく。


「できるよ、きっと」


 突然後ろから声を掛けられ、驚いて振り向いた幸子。

 そこには、駿が笑顔で立っていた。


「駿くん……」

「何かはわからないけど、さっちゃんならできるよ」


 幸子の隣に腰掛ける駿。


「そうやって、私は駿くんにもらってばっかりですね……」

「そんなことないよ」

「春にここで、こんな風に初めて駿くんと出会って……」

「うん、そうだったね……」

「気がついたら、お友達がたくさん出来て……大勢の前で歌まで歌うようになって……あの頃の私では想像もつきません……私、いつか必ず、駿くんにご恩をお返ししたいです。ひとりぼっちだった私に手を差し伸べてくれた駿くんに……」

「オレ、もうさっちゃんに色んなもの貰ってるよ」


 首を横に振った幸子。


「ありがとな、さっちゃん」


 駿は、微笑みながら幸子の頭をポンポンと軽く叩く。


「そうそう、叔父さんと綾さんが感動してたよ! さっちゃんの歌がスゴいって!」

「本当ですか?」

「あのふたり、色んなバンドやシンガーを見てきてるから、叔父さんたちが褒めるってものすごいことだと思うよ!」

「でも、あれは駿くんが勇気をくれたから……」


 ニッと笑った駿。


「じゃあ、これからはさっちゃんが歌う時、横で手を握ってあげるよ」

「えー!」

「オレはさっちゃんの手を握れるし、ウィン・ウィンじゃね?」

「ウ、ウィン・ウィンですか……?」

「ウィン・ウィンでしょ」


 駿は、ニッコリ笑う。

 顔から湯気が出そうな幸子。


「あ、あの、じ、自分でがんばります……」

「残念、振られちゃった」


 笑い合うふたり。


 そんなふたりのところに、三人の女子がやってきた。

 ふたりの女子が、ひとりの女子をけしかけているようだ。


「す、すみません、高橋くん、ですよね……」

「うん」

「あ、あの、い、一緒に、踊ってくれませんか……?」


 勇気を出しての一言だったのだろう。

 駿に伸ばした手が微かに震えている。

 ふたりの女子はニマニマしていた。


 一瞬困った表情を見せる駿。

 幸子は「いってらっしゃい」と、笑顔で手をひらひら振っていた。


「誘ってくれて、ありがとう」


 駿の言葉に、女子の頬がほころぶ。


「でも、ゴメンね、先約があるんだ」


 自分に手を合わせて謝っている駿にガックリした女子。


「い、いえ、次のライブ、楽しみにしてます!」

「ありがとう!」


 駿は、去っていく三人に手を振った。


「お相手は、亜由美さんですか?」


 駿に尋ねる幸子。


「いや、違うよ」

「あ! ジュリアさんたちですね? 踊ったりするの好きそうですもんね」

「アイツらじゃないよ」

「コーラス部の方とかですか?」

「いや、オレには大切なお姫様がいてね」


 幸子は驚いた。


「わー、ステキですね! その女の子、駿くんにお姫様って言われるなんて、スゴくうらやましいです!」


 笑顔で応対している幸子ではあるが、内心は複雑だった。


(駿くんも男の子だもん……分かってはいたけど、そういう子いるよね……悔しいけど、笑顔で送り出そう! いいなぁ、その子……)


 駿が立ち上がり、幸子の前に立つ。

 スッと幸子に手を伸ばした駿。



「一緒に踊っていただけませんか? 幸子姫」



 ポン ポン ポポン


 誰かが花火を打ち上げている。

 夏の余りであろう、市販の打ち上げ花火が連続して上がった。

 はっきり言って、小さくしょぼい花火だ。

 それでも、校庭は盛り上がっている。


 そして、そんな小さな花火の光が、駿と幸子を薄く照らした。


「わ、わたし……?」

「オレが知っているお姫様は、幸子姫だけですよ、姫」


 イタズラっぽく笑う駿。


 春のあの日のことを、迷子のゆうじ君とのことを思い出す幸子。

 そう、あの日も幸子は駿に救われたのだ。

 あの時は、自分に自信が持てず、駿の誘いを断ったりした。自分といると駿に迷惑がかかると考えたからだ。幸子は、そんな自分が情けなくて仕方なかった。


 あれから半年。


 頬を赤く染めながら、駿の手に自分の手を重ねる幸子。


「王子様、エスコートをお願いできますか?」


 駿は、幸子に笑顔で応えた。


「もちろんです、姫。さぁ、参りましょう」

「プッ」


 思わず吹き出す幸子。

 顔を合わせて笑い合ったふたり。


「さっちゃん、行こう!」

「はい!」


 ふたりはフォークダンスの輪に入る。

 身長差が大きく、幸子は駿に振り回される子どものようで、周囲の生徒たちもそれを見て冷やかし、笑っていたが、それは侮蔑の笑いではなく「仲が良くてうらやましい」という優しい笑いだった。


 そしてふたりは、後夜祭の人混みの中に消えていった。


 花壇に咲き誇るコスモスの花々は、ふたりを祝福するかのように、秋の夕の冷たい風で柔らかに揺れていた。


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