第173話 ホワイトデー - 運命の日 (6)

 心の深淵で、一年前の『昔の幸子』に負けた[今の幸子]は、消滅してしまう。


 一年前のようにすべてを諦め、自分に絶望した『幸子』は、自分に告白をした駿の交際の申し入れを断り、そして拒絶した。


 [今の幸子]を取り戻そうと、必死の説得を続けた駿の言葉も『幸子』には届かず、すべては最悪の方向に進もうとしている。


 ――三月十四日 ホワイトデー 放課後の校舎裏


「もういい! お願いだから、放っておいて!」


 『幸子』は、涙をこぼしながら絶叫した。


 『幸子』を説得できず、無力感に包まれた駿は、これ以上言葉を口にすることができない。

 悔しい表情を浮かべる駿。


 その時だった――


「幸子っ! いい加減にしろっ!」


 上の方から、女性の怒号が轟く。

 駿と『幸子』が見上げると、校舎の二階の窓に、激怒した亜由美の姿があった。


「亜由美さん……」


 亜由美の後ろには、亜由美をなだめているジュリア、ココア、キララの姿もあった。


「いつまで甘ったれたこと言ってんだ!」


 『幸子』を睨みつける亜由美。


「私って、そばかすだらけで可哀想なのぉ~ってか、オイ!」


 亜由美から目をそらした『幸子』。


「それで駿を振って、悲劇のヒロイン気分か、あぁ⁉」


 『幸子』は何も言えない。


「なめんじゃねぇぞ、てめぇ!」


 キララが必死で亜由美を止めようとしている。


「もうやめなって! ふたりに任せよう、な?」

「任せらんねぇから、言ってんだろうが! 引っ込んでろ!」


 キララを振り払った亜由美。

 再度『幸子』に向き合う。

 『幸子』は、うつむいてしまっていた。


「おい、幸子。それでこれからどうすんだ。また逃げ出すのか? そんでまた姿くらますのか?」


 亜由美の厳しい言葉に、身動きひとつ取れない『幸子』。


「お前、得意だもんな。逃げるの」


「亜由美、もうよそうよ……さっちゃん、追い詰めたらダメだって……」

「アイツは言わなきゃ分かんねぇんだ! 誰かが言うしかねぇだろうが!」


 亜由美は、止めようとするジュリアを睨みつけた。


「幸子、お前はそうやって駿から逃げて、私たちから逃げて、自分自身からも逃げて、すべてから逃げるんだな? 一生死ぬまで逃げ続けるんだな?」


 うつむいたまま、何も言えない『幸子』。


「答えろ!」


 『幸子』は、静かに涙をこぼした。


「幸子、覚えてるよな。私たちと約束したこと。訳分かんなくなった時は、どこかに逃げ出したりしないで、私たちのところに飛び込んで来るって。そう約束したよな? もう私たちに黙って逃げ出したりしないって、そう約束したよな?」


 小さく嗚咽を漏らす『幸子』。


「ウソツキ!」


 亜由美は絶叫した。


「幸子のウソツキ!」


 声を震わせ、涙声になっている亜由美。


 いつしか、亜由美たちのもとに、達彦と太もやって来ていた。

 ふたりとも、心配そうに亜由美と幸子、駿を見ている。


「幸子! アンタはまだ分かんないの⁉ アンタが私たちの中でどういう存在なのか!」


 亜由美に向かって、涙ながらに顔を上げた『幸子』。


「私たちが一度でもアンタのことを蔑んだことがあるか⁉ アンタのそばかすをバカにしたことがあるか⁉」


 『幸子』は首を左右に振った。


「それはなんでか、アンタは分かってんの⁉」


 二階にいる亜由美を見つめる『幸子』。


「駿も! 私も! 私だけじゃない、ここにいるみんな! みんな全員、さっちゃんのことが大好きなんだよ!」


 亜由美の瞳から階下に涙が落ちる。


「分かんねぇなら何度でも言ってやるよ! さっちゃんが大好き! みんな大好きなの! みんな、さっちゃんを愛してるんだよ!」


 『幸子』はうつむき、両手で顔を覆ってしまう。


「みんな、こんなに……こんなにさっちゃんが大好きなのに……! 言わなきゃ分かんねぇのかよ!」


 必死の形相で亜由美が絶叫した。


「さっちゃん、聞いて! あなたは愛されてるの! 愛されていいの! 愛していいの! だから、自分から逃げないで!」


 亜由美は、涙でくちゃくちゃになりながら、叫び続ける。


「駿の隣に立てるのは、さっちゃんしかいないの! 駿のことが好きなら、駿の愛を逃げずに受け止めてあげて! お願い! お願い、さっちゃん!」


 ふと力が抜け、膝から崩れ落ちそうになる亜由美を、ココアが優しく抱きしめた。


「ゴゴア……胸貸じで……」

「亜由美ちゃん……私、亜由美ちゃんほどいい女、知らないよ……」


 自分の胸に亜由美を抱き寄せたココア。

 亜由美は、ココアの胸の中で小さな嗚咽を漏らしながら、肩を震わせる。


 そして、意を決したように、キララが窓から顔を出した。

 階下に、涙を流す幸子がいる。


「さっちゃん! 私、クリスマスの時に言ったよね⁉ 駿の気持ちを疑っちゃダメだよ!」


 キララの横からひょいっと顔を出したジュリア。


「自分に負けんじゃねぇよ、さっちゃん! あーしらがついてんだろうが!」


 幸子にサムズアップするジュリア。

 反対側から、ひょいっとココアが顔を出す。


「さっちゃん! 私たち、何があったって、さっちゃんが大好きだからね~!」


 ココアは優しく微笑んだ。

 隣の窓から太が顔を出す。


「さっちゃん、駿のことで困ったことがあったら、いつでもボクたちに言って。どんな話だって聞くよ!」


 ニッコリ笑った太。


「で、その後、俺が責任持って駿をボッコボコにしてやるから。さっちゃん泣かすヤツは、俺が許さん!」


 太の頭の上から顔を出した達彦は、ニヤリと笑う。

 階下で頭を抱えた駿。

 でも、嬉しそうだ。


 そんな状況に、幸子は涙をこぼしながら笑顔を見せた。

 そして、笑顔のまま、駿を見つめる。


「さっちゃん……」


 幸子の目には、輝きが戻っていた。


「駿くん……私……」


 が、幸子の目の輝きが消えていく。


 そのまま目をギュッとつぶり、苦しそうな表情を浮かべながら、うつむく幸子。


「さっちゃん!」


 自分の名を呼ぶ駿の声を聞きながら、幸子は意識が朦朧としていった。


 ◇ ◇ ◇


《なんで! なんで『私』の思う通りに動かないの⁉》


 真っ暗闇の空間の中、ぼんやりと光る『幸子』は焦っていた。思い通りに幸子が行動しないのだ。


《逃げて! そいつらに騙されたらダメ! その場から早く逃げ出すのよ! 早く!》


「無駄よ、私はもう逃げない」


 『幸子』が後ろを振り向くと、消滅したはずの幸子が立っていた。


《なぜあなたがいるの⁉》


「友達のおかげよ。友達が私を蘇らせてくれた」


 亜由美の必死の説得は、無駄ではなかった。

 幸子の心に、もう一度「明日を渇望」する気持ちが生まれたのだ。


 ――あなたは愛されていいの


 亜由美のその言葉が[今の幸子]の「存在意義」をもう一度思い起こさせたのである。


《友達? 一番信用できない人たちじゃない! あなた、騙されてる!》


「一年前ならそう思っていたかもね。でも、今は違う」


《また裏切られるわよ……》


「絶対に裏切らない。本当の友達だもの」


《そういう期待は、裏切られた時の反動が大きいわ。覚悟はあるの?》


「その時はその時ね。そんな時は絶対に訪れないけど。だから、あとは私に任せて?」


 ニッコリ笑う幸子。


《あ、あなた、幸子の意思決定権を……》


「もう『あなた』には渡さない。幸子は今を生きていく!」


 力強い目で『幸子』を睨みつけた。

 そして『幸子』の身体が徐々に透けてくる。


《『私』をまた、心の奥底に追いやるつもりなの……》


「そうじゃないわ、聞いて」


《そういうことなら『私』にも考えがある》


「最後まで話を聞いて!」


《聞きたくない! もう幸子の心が壊れてもいいわ!》


「待って!」


《そうよ! 心なんてものがあるから辛い思いをするんだ!》


「お願い、待って!」


《心なんていらない! アイツらとの思い出も! 歌を歌う喜びも! 駿くんへの想いも! 何もかもいらない! すべて、すべて朽ち果ててしまえばいい! そうすれば、幸子は苦しみから永遠に解放される!》


「違う! それは違う! 幸子に必要なのは――」


《もう遅い! さぁ、地獄の扉を開けてあげるわ!》


 『幸子』の身体から凄まじい勢いで漆黒の闇が滲み出ていく。

 幸子は抗う間もなく、その底無しの闇に飲み込まれていった。


 ◇ ◇ ◇


「さっちゃん! さっちゃん!」


 駿の声が聞こえる。


(目が開けられない……頭が痛い……気持ち悪くて吐きそう……)


 倒れたりはしていない。


「さっちゃん! 聞こえるかい⁉ さっちゃん!」


 幸子は、かすかに頷くことができた。


「聞こえるんだね、大丈夫かい⁉」


 真っ暗闇の中、駿の声だけが聞こえる。


 いや、聞こえたのは、駿の声だけではなかった。


(この感覚は……)


 <ボツボツ女>


(そんな! ウソでしょ!)


 <その気持ち悪い顔で友達とか彼氏ができると思ってんの?>


(<声>は克服したはずじゃない! 何で⁉ 何でなの⁉)


 幸子の頭の中で<声>が異常に響き始める。


 <山田菌ボツボツ女アンタ気持ち悪いのよアンタ疫病神か何かじゃないのボツボツ女アンタ一生処女だよ絶対山田菌その気持ち悪い顔で友達とか彼氏ができると思ってんのアンタ見て勃つ男いないでしょボツボツ女ちょっと勘違いし過ぎじゃないのアンタ疫病神か何かじゃないの山田菌アンタ何にもできないよね使えなさ過ぎその気持ち悪い顔で友達とか彼氏ができると思ってんのボツボツ女アンタ気持ち悪いのよアンタ疫病神か何かじゃないのボツボツ女アンタ一生処女だよ絶対山田菌その気持ち悪い顔で友達とか彼氏ができると思ってんのアンタ見て勃つ男いないでしょボツボツ女ちょっと勘違いし過ぎじゃないのアンタ疫病神か何かじゃないの山田菌アンタ何にもできないよね使えなさ過ぎその気持ち悪い顔で友達とか彼氏ができると思ってんのボツボツ山田菌ボツボツ女アンタ気持ち悪いのよアンタ疫病神か何かじゃないのボツボツ女アンタ一生処女だよ絶対山田菌その気持ち悪い顔で友達とか彼氏ができると思ってんのアンタ見て勃つ男いないでしょボツボツ女ちょっと勘違いし過ぎじゃないのアンタ疫病神か何かじゃないの山田菌アンタ何にもできないよね使えなさ過ぎその気持ち悪い顔で友達とか彼氏ができると思ってんのボツボツ女アンタ気持ち悪いのよアンタ疫病神か何かじゃないのボツボツ女アンタ一生処女だよ絶対山田菌その気持ち悪い顔で友達とか彼氏ができると思ってんのアンタ見て勃つ男いないでしょボツボツ女ちょっと勘違いし過ぎじゃないのアンタ疫病神か何かじゃないの山田菌アンタ何にもできないよね使えなさ過ぎその気持ち悪い顔で友達とか彼氏ができると思ってんのボツボツ女アンタ気持ち悪いのよアンタ疫病神か何かじゃないのボツボツ女アンタ一生処女だよ絶対山田菌その気持ち悪い顔で友達とか彼氏ができると思ってんのアンタ見て勃つ男いないでしょボツボツ女ちょっと勘違いし過ぎじゃないのアンタ疫病神か何かじゃないの山田菌アンタ何にもできないよね使えなさ過ぎその気持ち悪い顔で友達とか彼氏ができると思ってんのボツボツ女アンタ気持ち悪いのよアンタ疫病神か何かじゃないのボツボツ女アンタ一生処女だよ絶対山田菌その気持ち悪い顔で友達とか彼氏ができると思ってんのアンタ見て勃つ男いないでしょボツボツ女ちょっと勘違いし過ぎじゃないのアンタ疫病神か何かじゃないの山田菌アンタ何にもできないよね使えなさ過ぎその気持ち悪い顔で友達とか彼氏ができると思ってんのボツボツ山田菌ボツボツ女アンタ気持ち悪いのよアンタ疫病神か何かじゃないのボツボツ女アンタ一生処女だよ絶対山田菌その気持ち悪い顔で友達とか彼氏ができると思ってんのアンタ見て勃つ男いないでしょボツボツ女ちょっと勘違いし過ぎじゃないのアンタ疫病神か何かじゃないの山田菌アンタ何にもできないよね使えなさ過ぎその気持ち悪い顔で友達とか彼氏ができると思ってんのボツボツ女アンタ気持ち悪いのよアンタ疫病神か何かじゃないのボツボツ女アンタ一生処女だよ絶対山田菌その気持ち悪い顔で友達とか彼氏ができると思ってんのアンタ見て勃つ男いないでしょボツボツ女ちょっと勘違いし過ぎじゃないのアンタ疫病神か何かじゃないの山田菌アンタ何にもできないよね使えなさ過ぎその気持ち悪い顔で友達とか彼氏ができると思ってんのボツボツ女アンタ気持ち悪いのよアンタ疫病神か何かじゃないのボツボツ女アンタ一生処女だよ絶対山田菌その気持ち悪い顔で友達とか彼氏ができると思ってんのアンタ見て勃つ男いないでしょボツボツ女ちょっと勘違いし過ぎじゃないのアンタ疫病神か何かじゃないの山田菌アンタ何にもできないよね使えなさ過ぎその気持ち悪い顔で友達とか彼氏ができると思ってんのボツボツ女アンタ気持ち悪いのよアンタ疫病神か何かじゃないのボツボツ女アンタ一生処女だよ絶対山田菌その気持ち悪い顔で友達とか彼氏ができると思ってんのアンタ見て勃つ男いないでしょボツボツ女ちょっと勘違いし過ぎじゃないのアンタ疫病神か何かじゃないの山田菌アンタ何にもできないよね使えなさ過ぎその気持ち悪い顔で友達とか彼氏ができると思ってんのボツボツ山田菌ボツボツ女アンタ気持ち悪いのよアンタ疫病神か何かじゃないのボツボツ女アンタ一生処女だよ絶対山田菌その気持ち悪い顔で友達とか彼氏ができると思ってんのアンタ見て勃つ男いないでしょボツボツ女ちょっと勘違いし過ぎじゃないのアンタ疫病神か何かじゃないの山田菌アンタ何にもできないよね使えなさ過ぎその気持ち悪い顔で友達とか彼氏ができると思ってんのボツボツ女アンタ気持ち悪いのよアンタ疫病神か何かじゃないのボツボツ女アンタ一生処女だよ絶対山田菌その気持ち悪い顔で友達とか彼氏ができると思ってんのアンタ見て勃つ男いないでしょボツボツ女ちょっと勘違いし過ぎじゃないのアンタ疫病神か何かじゃないの山田菌アンタ何にもできないよね使えなさ過ぎその気持ち悪い顔で友達とか彼氏ができると思ってんのボツボツ>


 <声>はこれまで経験したことのないほど大きく、そして重なり、幾度となく繰り返し頭の中で響き渡り、幸子はまともな思考ができなくなっていく。

 屍肉に群がるハゲタカのように、<声>は幸子の心を打ち付け、食い散らかしているのだ。


 『幸子』の望んだ通り、幸子の心が朽ち果てていく。


「さっちゃん!」


 駿の呼び掛けに、両手で頭を抱えていた幸子が、ゆっくりと顔を上げる。

 幸子の目はうつろで、また絶望が満ちたものになっていた。

 そして、幸子は大粒の涙をこぼしながら、小さな声でつぶやいた。


「駿くん……助けて……」


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